その痛みさえ、自分のものにして。
2006年8月8日 診察・カウンセリング コメント (2)新薬の副作用が続き、正直参っていた。その上に、感情の起伏が
余りにも激しく疲れてしまった。なので勝手に貯めているお薬を
付け足して、朝から夕方まで眠るという生活を続けている。
おきても怠くて仕方が無いのであるが、中途覚醒したり
断眠したりするよりはマシである。
今日は診察日であったが、土曜日外出した事で力が出ず、
電話診察となった。母がお薬を取りに行ってくれる際、いつも
主治医とお話をする。なので、新薬を飲み始めてから綴っている
メモ帳を母から主治医に渡してもらうよう頼んだ。
メモ帳には先ず新薬を服用した後の身体の変化を連ねた。
その後に感情の変化や思う事を思い切りぶつけた。
その中に
『自分など情けない』
『役立たずの穀潰しだ!』
『働く事もできない怠け者』
『こんな私なんか死んだほうがマシだ』
『今すぐ私など抹殺すべきだ』
『死ぬのが駄目なのなら殺せ!』
と好き勝手に書き殴っていた。
しかし、それについては主治医から諭された事がある。
日本では統計をとっていないので分からないが、アメリカで
摂食障害者の統計をとると約700万人いるそうである。
上記に述べた、私がメモ帳に綴った言葉は即ち、
その700万人の人々にも向けられるという事であった。
勿論私にそんなつもりは無いという事を、主治医は理解して
下さっている。だから、
『病気を憎むのは止めなさい』
と仰った。どうしても目の前にある過食嘔吐の苦しみに対して、
憎い気持ちを抱く。怒りを抱く。
しかし怒る相手は、『私の事を子どもの頃から都合よく利用した
輩である』と言うのが正しい。
「あなたが『大人に取って都合の良い子』でいなければ
ならなかった原因を作った輩に対して怒りなさい。」
と主治医は仰った。そして私を追い詰めた人々・・・。哀しいかな
その中に母が含まれているのであるが、私は母の事を一番大事な
大切な人だと思っているし、愛しているので怒る気は無い。
唯、私を自殺寸前まで追い詰めた妹に対しては、未だ怒りは
消えない。
偶に、「いつまでも過去の事に囚われるな」と
言う人がいるけれども、病気の私たちにとって傷つけられた事、
苦しみを与えられた事と言う病気の原因が常に
最前線の問題なのである。そして今も常に疼く傷である。
それを大切に扱い、問題解決に向けて進んでいく事が大事なので
あろう。
感情が爆発すると、痛みを伴う。しかし、今はそれを上手く
調整していかねばならないのである。
しかし、新薬を服用するようになって得た変化であるので、
1週間ずっと戸惑っていたし、副作用が酷かった。
何でも、主治医がこの新薬を処方している患者さんの中で、
私だけが酷い副作用を訴えていると言う。元来このお薬は
副作用が現れ難いとされているが、私は体重の問題もあるので
あろうと感じている。なので、処方薬は
起床後:新薬1.5mg
就寝前:リボトリール0.5mg2T、テシプール1mg、
コントミン17mg、フェノバール15mg、
セレニカR顆粒
(不眠時上記のお薬を+1包、ベゲタミンB)
頓服:デパス1mg2T
と変化した。これでたっぷり眠れるであろう。ベゲタミンBは
Aよりも抗ヒスタミン剤が少量なので、怠さは少し改善される
と読んでいる。
主治医の言葉、
『病気で自分が情けないのでは無く、
哀しい・悔しい・心細い・苦しいと言う
思いを抱いていると言う事なんだよ』
との言葉は忘れないでいたい。
余りにも激しく疲れてしまった。なので勝手に貯めているお薬を
付け足して、朝から夕方まで眠るという生活を続けている。
おきても怠くて仕方が無いのであるが、中途覚醒したり
断眠したりするよりはマシである。
今日は診察日であったが、土曜日外出した事で力が出ず、
電話診察となった。母がお薬を取りに行ってくれる際、いつも
主治医とお話をする。なので、新薬を飲み始めてから綴っている
メモ帳を母から主治医に渡してもらうよう頼んだ。
メモ帳には先ず新薬を服用した後の身体の変化を連ねた。
その後に感情の変化や思う事を思い切りぶつけた。
その中に
『自分など情けない』
『役立たずの穀潰しだ!』
『働く事もできない怠け者』
『こんな私なんか死んだほうがマシだ』
『今すぐ私など抹殺すべきだ』
『死ぬのが駄目なのなら殺せ!』
と好き勝手に書き殴っていた。
しかし、それについては主治医から諭された事がある。
日本では統計をとっていないので分からないが、アメリカで
摂食障害者の統計をとると約700万人いるそうである。
上記に述べた、私がメモ帳に綴った言葉は即ち、
その700万人の人々にも向けられるという事であった。
勿論私にそんなつもりは無いという事を、主治医は理解して
下さっている。だから、
『病気を憎むのは止めなさい』
と仰った。どうしても目の前にある過食嘔吐の苦しみに対して、
憎い気持ちを抱く。怒りを抱く。
しかし怒る相手は、『私の事を子どもの頃から都合よく利用した
輩である』と言うのが正しい。
「あなたが『大人に取って都合の良い子』でいなければ
ならなかった原因を作った輩に対して怒りなさい。」
と主治医は仰った。そして私を追い詰めた人々・・・。哀しいかな
その中に母が含まれているのであるが、私は母の事を一番大事な
大切な人だと思っているし、愛しているので怒る気は無い。
唯、私を自殺寸前まで追い詰めた妹に対しては、未だ怒りは
消えない。
偶に、「いつまでも過去の事に囚われるな」と
言う人がいるけれども、病気の私たちにとって傷つけられた事、
苦しみを与えられた事と言う病気の原因が常に
最前線の問題なのである。そして今も常に疼く傷である。
それを大切に扱い、問題解決に向けて進んでいく事が大事なので
あろう。
感情が爆発すると、痛みを伴う。しかし、今はそれを上手く
調整していかねばならないのである。
しかし、新薬を服用するようになって得た変化であるので、
1週間ずっと戸惑っていたし、副作用が酷かった。
何でも、主治医がこの新薬を処方している患者さんの中で、
私だけが酷い副作用を訴えていると言う。元来このお薬は
副作用が現れ難いとされているが、私は体重の問題もあるので
あろうと感じている。なので、処方薬は
起床後:新薬1.5mg
就寝前:リボトリール0.5mg2T、テシプール1mg、
コントミン17mg、フェノバール15mg、
セレニカR顆粒
(不眠時上記のお薬を+1包、ベゲタミンB)
頓服:デパス1mg2T
と変化した。これでたっぷり眠れるであろう。ベゲタミンBは
Aよりも抗ヒスタミン剤が少量なので、怠さは少し改善される
と読んでいる。
主治医の言葉、
『病気で自分が情けないのでは無く、
哀しい・悔しい・心細い・苦しいと言う
思いを抱いていると言う事なんだよ』
との言葉は忘れないでいたい。
久し振りの病院。
2006年8月1日 診察・カウンセリング コメント (2)8月最初の日。
8月いっぱいはカウンセリングがお休みである。
カウンセラーとお話できないのは寂しいが、主治医との時間を
大切にしていきたいと思っている。
ずっと電話診察であったので、久し振りに病院へ足を運んだ。
それは、お薬の組立て直しをする為でもあった。
電話であると、座椅子にもたれたり疲れたら横になったりと、
かなり砕けた姿勢でリラックスしながらお話が出来る。
リラックスと言う点では主治医も同じみたいで、面と向かって
話すという緊張感を覚えずに、思った事をすいすいと話せる
みたいである。
現に、診察終了間際「やっぱり電話の方が話し易いね」
と仰っていた。
もう自力では、自転車で40分かかる病院へは行けないので、
母に車で送ってもらった。しかし母の車は購入してかなりの
年月があるので、其処此処に不具合が生じている。
クーラーを付けっ放しにして信号待ちをすると、エンジンが
止まってしまうのが一番困るのである。車なら涼しく病院まで
行ける筈なのに、到着したら汗だくで病院のクーラーに
張り付いた程である。私より先に来ていた人の診察を
待っている間にやっと汗が引いてきた。
お薬の組立て直し。ベゲタミンAを削られた事は
哀しかった。けれどもこの薬の抗ヒスタミンの成分が怠さを
増しているので、強く出て他のコントミンとフェノバールは
処方される事になった。そして新薬エビ○ファイ。
これが今日の主役であった。説明書を見ながら、色々な話を
交わして、処方して頂く事にした。本当は朝服用するもの
なのであるが、私は朝眠る昼夜逆転の生活習慣である。
なので目覚めた時直ぐに服用するように指示があった。
残念なのが、このエビ○ファイが処方されるようになり
身体に馴染んで合っていたアナフラニールとトリプタノールが
削られた事である。そしてリボトリールが1回2Tになった。
整理すると、
起床時:エビリファイ3mg 1T
就寝前、不眠時:フェノバール30mg 2分の1T
コントミン17mg 粉末
セレニカR 顆粒
リボトリール0・5mg 2T
テシプール1mg 1T
その他:胃薬、抗生物質、ビタミン剤、パンテシン、
以上である。これでもかなり削られた。コントミンは身体に
合っているので、正直錠剤で出して欲しかったが、テシプールと
フェノバールでどうにか睡眠を得られるであろう。
最後に、『痩せ願望』の話になった。
これは『千と○尋の神隠し』では『ハク』に準えられて
いる。名前を奪われ、湯婆の下で良い様に扱われ、用無しに
なったら棄てられる、『ハク』。この登場人物の
心を表すとしたら「悔しい!」であろう。
私は様々な悔しさを耐え、心の中でぎちぎちと折りたたみ、
表面上に出ないようにしてきた。でも、父から罵られる言葉、
全てに妥協せねば生きてこられなかった子供時代そして今、
全て「悔しい!」の一言に集約できるであろう。
そして今は大家に対して何も言えない悔しさ。
「偶には“悔しい”と叫んで良いんだよ」と主治医は
仰った。独り、部屋で叫んでも虚しいが、その気持ちが
あるという事を認めるのも大切な事である。
世間には『悔しさ』を背負った人は沢山いるであろう。
私はそれを上手く処理できない事が病気である所以である。
自分の中にある感情を認めつつ明日を生きたい。
8月いっぱいはカウンセリングがお休みである。
カウンセラーとお話できないのは寂しいが、主治医との時間を
大切にしていきたいと思っている。
ずっと電話診察であったので、久し振りに病院へ足を運んだ。
それは、お薬の組立て直しをする為でもあった。
電話であると、座椅子にもたれたり疲れたら横になったりと、
かなり砕けた姿勢でリラックスしながらお話が出来る。
リラックスと言う点では主治医も同じみたいで、面と向かって
話すという緊張感を覚えずに、思った事をすいすいと話せる
みたいである。
現に、診察終了間際「やっぱり電話の方が話し易いね」
と仰っていた。
もう自力では、自転車で40分かかる病院へは行けないので、
母に車で送ってもらった。しかし母の車は購入してかなりの
年月があるので、其処此処に不具合が生じている。
クーラーを付けっ放しにして信号待ちをすると、エンジンが
止まってしまうのが一番困るのである。車なら涼しく病院まで
行ける筈なのに、到着したら汗だくで病院のクーラーに
張り付いた程である。私より先に来ていた人の診察を
待っている間にやっと汗が引いてきた。
お薬の組立て直し。ベゲタミンAを削られた事は
哀しかった。けれどもこの薬の抗ヒスタミンの成分が怠さを
増しているので、強く出て他のコントミンとフェノバールは
処方される事になった。そして新薬エビ○ファイ。
これが今日の主役であった。説明書を見ながら、色々な話を
交わして、処方して頂く事にした。本当は朝服用するもの
なのであるが、私は朝眠る昼夜逆転の生活習慣である。
なので目覚めた時直ぐに服用するように指示があった。
残念なのが、このエビ○ファイが処方されるようになり
身体に馴染んで合っていたアナフラニールとトリプタノールが
削られた事である。そしてリボトリールが1回2Tになった。
整理すると、
起床時:エビリファイ3mg 1T
就寝前、不眠時:フェノバール30mg 2分の1T
コントミン17mg 粉末
セレニカR 顆粒
リボトリール0・5mg 2T
テシプール1mg 1T
その他:胃薬、抗生物質、ビタミン剤、パンテシン、
以上である。これでもかなり削られた。コントミンは身体に
合っているので、正直錠剤で出して欲しかったが、テシプールと
フェノバールでどうにか睡眠を得られるであろう。
最後に、『痩せ願望』の話になった。
これは『千と○尋の神隠し』では『ハク』に準えられて
いる。名前を奪われ、湯婆の下で良い様に扱われ、用無しに
なったら棄てられる、『ハク』。この登場人物の
心を表すとしたら「悔しい!」であろう。
私は様々な悔しさを耐え、心の中でぎちぎちと折りたたみ、
表面上に出ないようにしてきた。でも、父から罵られる言葉、
全てに妥協せねば生きてこられなかった子供時代そして今、
全て「悔しい!」の一言に集約できるであろう。
そして今は大家に対して何も言えない悔しさ。
「偶には“悔しい”と叫んで良いんだよ」と主治医は
仰った。独り、部屋で叫んでも虚しいが、その気持ちが
あるという事を認めるのも大切な事である。
世間には『悔しさ』を背負った人は沢山いるであろう。
私はそれを上手く処理できない事が病気である所以である。
自分の中にある感情を認めつつ明日を生きたい。
日毎に増す痩せ願望は・・・。
2006年7月29日 診察・カウンセリング コメント (2)やはり上水道・下水道工事が家の側で施工されている為、
物凄い騒音でぐっすり眠れない。何度も何度も断眠してしまう。
今日は電話診察の日であったので、断眠しても良かったが・・・。
暑い日が続いている。私には耐えられない。1年が年々早く
感じられるようになったが、夏だけは物凄く長く感じる。
エアコンが効いていても、地響きの様な騒音が容赦なく神経を
逆撫でする。苛々が止まらない・・・。
今日はネット環境の調子もおかしく、他のサイトにアクセス
する度に落ちてしまって接続できなくなる。ADSLなので
またコンセントを抜いて差すといった行動を繰り返している。
電話診察では、いつもの様に『千と○尋の神隠し』になぞらえ
過食嘔吐をするのは顔なしであり、どうしたら良いのか
対処方法も練られて来ている。しかし、この日毎に増していく
『痩せなくては、もっともっと・・・』
という『痩せ願望』についてはあまり話を深めなかった。
そして話している内に、この『痩せ願望は』登場人物で言う所の
ハクであろうと言う事に気付いた。
命を擲ってまで、湯婆の命令に従う。
使い物にならなくなったら棄てられるのを覚悟で。
私も、これいじょう痩せが高じたら命の危険もあり得る。
しかし日を追う毎に「もっと痩せねばならない」と
自分の身体を見て思う。比べる人がいないので、どんどん認知が
歪んでいっているのであろう。また、人が痩せているとか
太っているとか全く気にならないのに、自分が膨張している様な
気さえするので痩せたいと思うのである。
ハクも千尋の手によって救われた。
私にとっての千尋は、母である。まだまだある距離を
自然な距離まで縮めない事には手を借りる事も出来ない。
過食衝動に襲われ、寂しい気持ちを抱えながら過食嘔吐を
するのが、『顔なし』で「痩せ願望」を増加させるのは『ハク』
なのである。
そして『ハク』と共通しているのは、
名前を奪われている事であろう。
3歳の頃から私は『姉ちゃん』であり、名を呼ばれなかった。
今や姪にさえ『姉ちゃん』と呼ばれていて、名は体を表す様に
私は『お姉ちゃん』と言う役割で生きてきた。両親が離婚した
後などは兎に角、幼い妹と弟の面倒を見なければならなかったし
母親的役割もこなしていた。そして
自分と言うものが無かった。段々失っていった。
そこで浮かんでくるのは、「自分とは一体何なんだろう?」
と言う疑問である。分からない。幾ら考えても分からない。
此処にある私は、あらゆる病気に侵された自分のみ。
病気の私こそが自分なのであろうか・・・。
私の苗字は、離婚時の約束でまだ父方の姓のままである。
でも私はとっくに父を見限っていて、母だけが私の親だと
痛感している。名が表す自分。中途半端な自分。
これも自分があやふやになっている証拠かもしれない。
しかし名は変わっていない。私はこの名が好きである。
いつか堂々と母の姓と自分の名で私と言うものを確立したい。
人それぞれの心の中に、顔なしがいて、ハクがいて、千尋がいて
湯婆がいて、あの大きな赤ちゃんがいる。どの部分が突出して
現れているかによって『役割』が出来るのであろう。
今の所、私の痩せ願望は『ハク』が突出している状態だと
理解できた。しかしその『ハク』を如何にして宥めるか、
未だ以って全く分からない。
心の病気と密接に関わっているのは自然である。
私は嗅覚が敏感なので、春になれば沈丁花の花が咲いた事を
喜び、やがて蜜柑の花の香りに吸い込まれ、秋には金木犀の
香りに惹き込まれる。昨日、今年初めて見つけた蜻蛉も
私にとっては嬉しい発見であった。稲が伸びていき、田んぼが
緑の絨毯になっていくのも美しい。其処で私の主治医は、
私の事を「あなたは水仙のようだね」と言った。勿論水仙も
香り高く可憐な花を咲かせる。家の植え込みにあったが、
工事の為に球根からごっそり抜かれてしまいショックを受けた。
唯、その水仙に例えた訳には意味がある。
「水仙は綺麗な花を咲かせ馨しい芳香を放つけれど、
あれ、毒があるんだよね。食べたら毒になる。まるであなたの
ようだよ」
と笑いながら主治医は言った。水仙の様に精錬で綺麗ではないが
確かに私を食べたら毒になるなぁと納得した。
今日も『顔なし』が寂しいと呟いている。心細い、哀しい。
だから過食嘔吐してしまうのは余りにも強引な考えかも
知れないが、摂食障害の人には解り安いのではないであろうか。
生きていくことは本当に苦しいものである。
物凄い騒音でぐっすり眠れない。何度も何度も断眠してしまう。
今日は電話診察の日であったので、断眠しても良かったが・・・。
暑い日が続いている。私には耐えられない。1年が年々早く
感じられるようになったが、夏だけは物凄く長く感じる。
エアコンが効いていても、地響きの様な騒音が容赦なく神経を
逆撫でする。苛々が止まらない・・・。
今日はネット環境の調子もおかしく、他のサイトにアクセス
する度に落ちてしまって接続できなくなる。ADSLなので
またコンセントを抜いて差すといった行動を繰り返している。
電話診察では、いつもの様に『千と○尋の神隠し』になぞらえ
過食嘔吐をするのは顔なしであり、どうしたら良いのか
対処方法も練られて来ている。しかし、この日毎に増していく
『痩せなくては、もっともっと・・・』
という『痩せ願望』についてはあまり話を深めなかった。
そして話している内に、この『痩せ願望は』登場人物で言う所の
ハクであろうと言う事に気付いた。
命を擲ってまで、湯婆の命令に従う。
使い物にならなくなったら棄てられるのを覚悟で。
私も、これいじょう痩せが高じたら命の危険もあり得る。
しかし日を追う毎に「もっと痩せねばならない」と
自分の身体を見て思う。比べる人がいないので、どんどん認知が
歪んでいっているのであろう。また、人が痩せているとか
太っているとか全く気にならないのに、自分が膨張している様な
気さえするので痩せたいと思うのである。
ハクも千尋の手によって救われた。
私にとっての千尋は、母である。まだまだある距離を
自然な距離まで縮めない事には手を借りる事も出来ない。
過食衝動に襲われ、寂しい気持ちを抱えながら過食嘔吐を
するのが、『顔なし』で「痩せ願望」を増加させるのは『ハク』
なのである。
そして『ハク』と共通しているのは、
名前を奪われている事であろう。
3歳の頃から私は『姉ちゃん』であり、名を呼ばれなかった。
今や姪にさえ『姉ちゃん』と呼ばれていて、名は体を表す様に
私は『お姉ちゃん』と言う役割で生きてきた。両親が離婚した
後などは兎に角、幼い妹と弟の面倒を見なければならなかったし
母親的役割もこなしていた。そして
自分と言うものが無かった。段々失っていった。
そこで浮かんでくるのは、「自分とは一体何なんだろう?」
と言う疑問である。分からない。幾ら考えても分からない。
此処にある私は、あらゆる病気に侵された自分のみ。
病気の私こそが自分なのであろうか・・・。
私の苗字は、離婚時の約束でまだ父方の姓のままである。
でも私はとっくに父を見限っていて、母だけが私の親だと
痛感している。名が表す自分。中途半端な自分。
これも自分があやふやになっている証拠かもしれない。
しかし名は変わっていない。私はこの名が好きである。
いつか堂々と母の姓と自分の名で私と言うものを確立したい。
人それぞれの心の中に、顔なしがいて、ハクがいて、千尋がいて
湯婆がいて、あの大きな赤ちゃんがいる。どの部分が突出して
現れているかによって『役割』が出来るのであろう。
今の所、私の痩せ願望は『ハク』が突出している状態だと
理解できた。しかしその『ハク』を如何にして宥めるか、
未だ以って全く分からない。
心の病気と密接に関わっているのは自然である。
私は嗅覚が敏感なので、春になれば沈丁花の花が咲いた事を
喜び、やがて蜜柑の花の香りに吸い込まれ、秋には金木犀の
香りに惹き込まれる。昨日、今年初めて見つけた蜻蛉も
私にとっては嬉しい発見であった。稲が伸びていき、田んぼが
緑の絨毯になっていくのも美しい。其処で私の主治医は、
私の事を「あなたは水仙のようだね」と言った。勿論水仙も
香り高く可憐な花を咲かせる。家の植え込みにあったが、
工事の為に球根からごっそり抜かれてしまいショックを受けた。
唯、その水仙に例えた訳には意味がある。
「水仙は綺麗な花を咲かせ馨しい芳香を放つけれど、
あれ、毒があるんだよね。食べたら毒になる。まるであなたの
ようだよ」
と笑いながら主治医は言った。水仙の様に精錬で綺麗ではないが
確かに私を食べたら毒になるなぁと納得した。
今日も『顔なし』が寂しいと呟いている。心細い、哀しい。
だから過食嘔吐してしまうのは余りにも強引な考えかも
知れないが、摂食障害の人には解り安いのではないであろうか。
生きていくことは本当に苦しいものである。
関係が、病んでいる。
2006年7月25日 診察・カウンセリング コメント (4)夜中の過食嘔吐の時点で、今日カウンセリングへ行くのは
無理だと悟った。余りにもしんどくて、辛くて、苦しかった
のである。総じて疲れてしまったという事である。
何もかもに疲れた・・・生きている事も、摂食障害の症状も
苦しくて苦しくて堪らなかった。
本当は凄くカウンセリングに行きたかった。
しかしこの様なぐだぐだな状態では無理であった。兎に角眠って
しまいたかった・・・。そしてキャンセルの電話をした時に、
8月いっぱいはお休みにして、9月から再開する事になった。
私の不摂生の所為でカウンセリングに行けなくて
見棄てられるのではないであろうか・・・・・・。
と言う気持ちが凄く膨らんでいた。全き信頼を置ける
カウンセラーであるし、胸の奥の醜い部分さえ話せる人である。
見棄てられたら・・・と思うと心がざわざわとする。
しかし、カウンセラーとは大学2回生の頃からカウンセリングを
続けている。心置きなく苦しい事、辛い事等を話し、建設的な
前へ向いて歩いていく方向に話が進められる。そして色々と
自分だけでは気付けなかった事を気付かされる事もある。
だから私にとってカウンセリングの時間は大切なものである。
9月迄には生活リズムを整え、『カウンセリングを受ける事』
を目標にやっていきたいと思う。目標があるとそれに向かって
進もうと思える。
タイトルの『関係が病んでいる』と言う事について。
所謂私と母、私と妹、私と弟、私と父の関係の事である。
それぞれの関係が病んでいる。しかし、其処に血が通い生身の
関係であれば、健全なものに修復可能である。
私の病気も、関係が病んでいるからこそ生まれたものである。
そう言い切れるであろう。
妹が家に出戻って来た頃、まだ乳児の姪と妹が毎日家に呼ぶ
友達で、狭い家は人で溢れていた。一応私だけの部屋はあった
ものの、居場所がなかったのである。
病気を理由に邪険な扱いを受けていた。
過食嘔吐にかかる費用は、半死半生の思いで働く事で工面して
いたが、過食嘔吐をするそのザマは、妹と妹の友達にしっかり
見られていた。その前で止まらない過食嘔吐は辛かった。
そんな時にいつも妹に罵られ、罵詈雑言を投げかけられ、
修復不可能な妹と私の関係が出来上がってしまった。
妹が毎日彼氏を家に連れ込むようになり、母も限界が来て
彼氏を連れ込まないようにして欲しいと言ったら、
妹は私の病気の事を罵って出て行った。そして母と2人暮らしが
始まり、漸く生活も安定して、母と血の通う関係が築けたので
ある。その間に、母も随分変わってくれた。私の病気を責めるの
ではなく、見守り、苦しい時には背中を摩ってくれる
と言う所まで修復された。まだまだ修復せねばならない部分も
あるが、やっと自分に落ち着きが戻ってきて、手首を毎日
切る事等無くなった。ストレスが少し減れば、派生的な症状も
すーっとフェイドアウトしていった。しかし少しでもストレスを
感じると、また自傷しようとしてしまう事には変わりないが・・・。
私と父との関係は、今の所修復する気も無い。病んだままで
結構である。それは、『父が変わる事』等あり得ない
からである。そして父に対する思いも私は変えられない。
現に、両親が離婚して13年経つが、父は少しも変わって
いないのである。少しでも弱点を見つけようものなら罵る
あの姿勢は鳥肌が立つほど嫌悪しているものである。
これらは今日の電話診察で話したものであるが、其処で主治医が
「例えばもし父親が癌か何かで余命少ないとなったら
どうすると思う?」と聞かれた。きっと私は毎日お見舞いに
行って介護するであろう。しかし、父がそれを当たり前として
人間として何も改めないのであれば、病んだ関係を修復させる
事も、毎日の見舞いも止めるかもしれない。親不孝と思われる
かも知れないが、それ程私の心を深く傷つける事を父は
やってのけてきたのである。だから諦めるより他はない。
妹、弟との関係も生身の血が通っていない。
主治医から『兄弟は他人の始まり』という
言葉があると聞いた。正しくその通りかも知れない。
関係を修復して仲良くなれることはあるのであろうか・・・。
毎日苦しい事の繰り返しであるが、私は今の所生きる事を
諦めないでいたいと思う。無論、うつ状態に陥ったら
『死にたい・消えたい』と思うであろう。しかしそれを実行
する気は無い。
ゆっくりではあるが、母との関係が病んだものから快復していく
事を願って落ち着いてやっていきたいと感じる。
無理だと悟った。余りにもしんどくて、辛くて、苦しかった
のである。総じて疲れてしまったという事である。
何もかもに疲れた・・・生きている事も、摂食障害の症状も
苦しくて苦しくて堪らなかった。
本当は凄くカウンセリングに行きたかった。
しかしこの様なぐだぐだな状態では無理であった。兎に角眠って
しまいたかった・・・。そしてキャンセルの電話をした時に、
8月いっぱいはお休みにして、9月から再開する事になった。
私の不摂生の所為でカウンセリングに行けなくて
見棄てられるのではないであろうか・・・・・・。
と言う気持ちが凄く膨らんでいた。全き信頼を置ける
カウンセラーであるし、胸の奥の醜い部分さえ話せる人である。
見棄てられたら・・・と思うと心がざわざわとする。
しかし、カウンセラーとは大学2回生の頃からカウンセリングを
続けている。心置きなく苦しい事、辛い事等を話し、建設的な
前へ向いて歩いていく方向に話が進められる。そして色々と
自分だけでは気付けなかった事を気付かされる事もある。
だから私にとってカウンセリングの時間は大切なものである。
9月迄には生活リズムを整え、『カウンセリングを受ける事』
を目標にやっていきたいと思う。目標があるとそれに向かって
進もうと思える。
タイトルの『関係が病んでいる』と言う事について。
所謂私と母、私と妹、私と弟、私と父の関係の事である。
それぞれの関係が病んでいる。しかし、其処に血が通い生身の
関係であれば、健全なものに修復可能である。
私の病気も、関係が病んでいるからこそ生まれたものである。
そう言い切れるであろう。
妹が家に出戻って来た頃、まだ乳児の姪と妹が毎日家に呼ぶ
友達で、狭い家は人で溢れていた。一応私だけの部屋はあった
ものの、居場所がなかったのである。
病気を理由に邪険な扱いを受けていた。
過食嘔吐にかかる費用は、半死半生の思いで働く事で工面して
いたが、過食嘔吐をするそのザマは、妹と妹の友達にしっかり
見られていた。その前で止まらない過食嘔吐は辛かった。
そんな時にいつも妹に罵られ、罵詈雑言を投げかけられ、
修復不可能な妹と私の関係が出来上がってしまった。
妹が毎日彼氏を家に連れ込むようになり、母も限界が来て
彼氏を連れ込まないようにして欲しいと言ったら、
妹は私の病気の事を罵って出て行った。そして母と2人暮らしが
始まり、漸く生活も安定して、母と血の通う関係が築けたので
ある。その間に、母も随分変わってくれた。私の病気を責めるの
ではなく、見守り、苦しい時には背中を摩ってくれる
と言う所まで修復された。まだまだ修復せねばならない部分も
あるが、やっと自分に落ち着きが戻ってきて、手首を毎日
切る事等無くなった。ストレスが少し減れば、派生的な症状も
すーっとフェイドアウトしていった。しかし少しでもストレスを
感じると、また自傷しようとしてしまう事には変わりないが・・・。
私と父との関係は、今の所修復する気も無い。病んだままで
結構である。それは、『父が変わる事』等あり得ない
からである。そして父に対する思いも私は変えられない。
現に、両親が離婚して13年経つが、父は少しも変わって
いないのである。少しでも弱点を見つけようものなら罵る
あの姿勢は鳥肌が立つほど嫌悪しているものである。
これらは今日の電話診察で話したものであるが、其処で主治医が
「例えばもし父親が癌か何かで余命少ないとなったら
どうすると思う?」と聞かれた。きっと私は毎日お見舞いに
行って介護するであろう。しかし、父がそれを当たり前として
人間として何も改めないのであれば、病んだ関係を修復させる
事も、毎日の見舞いも止めるかもしれない。親不孝と思われる
かも知れないが、それ程私の心を深く傷つける事を父は
やってのけてきたのである。だから諦めるより他はない。
妹、弟との関係も生身の血が通っていない。
主治医から『兄弟は他人の始まり』という
言葉があると聞いた。正しくその通りかも知れない。
関係を修復して仲良くなれることはあるのであろうか・・・。
毎日苦しい事の繰り返しであるが、私は今の所生きる事を
諦めないでいたいと思う。無論、うつ状態に陥ったら
『死にたい・消えたい』と思うであろう。しかしそれを実行
する気は無い。
ゆっくりではあるが、母との関係が病んだものから快復していく
事を願って落ち着いてやっていきたいと感じる。
謝る事の難しさ。
2006年7月22日 診察・カウンセリング コメント (2)子どもの頃、私は母から躾と称した体罰を受け、父から
汚い言葉遣いでの精神的虐待を受けた。
しかし、今更父母に謝罪してもらうつもりは毛頭ない。
特に母は、以前と比べると私の病気の事を理解しようと
してくれて、優しく接してくれる。その事で随分、私の心の
傷も癒され、母との新しい関係が築き上げられている。
例え謝罪の言葉は無くても、許せるのである。
しかし、父に関しては決して当て嵌まらない。
未だに兄弟で差別をして、私とはもう1年以上会っていない。
妹の所へは月1で会いに行き、孫を可愛がり好きなものを
買い与え、お小遣いを与えている。
小さな頃から、お前は豚小屋に住む豚か!等
体型に関する罵りや、その他には幾らテストの点数が良くても
ちょっとしたミスの部分を詰ってきた。本人は大した頭も
無いと言うのに・・・。それは私が小学生高学年になって
分かった。父の始末書をたまたま見てしまい、私の書く作文より
遥かに稚拙な文章で、誤字脱字だらけだったからである。
2階にある自分の部屋で歌を口ずさもうものなら、
1階の父がいる部屋から五月蝿い!耳障りだ!と
言われたし、習っていたピアノの練習をしていても、
わしが休みの日に下手な練習なんかするな!と
言われた。その他にも沢山の罵詈雑言を浴び、私の心は
沢山沢山傷付いた。だから父が謝ってきても許せない。
勿論母からの体罰も、『恐怖と痛み』で
苦しかった。しかし、こうして2人で暮らす年月を経て、
関係は修復されている。母からの謝罪の言葉なんて要らない。
今こうして仲良く暮らせている事で充分満足である。
主治医とはこのタイトルの事について話し合ったのである。
それで上記の答えが導き出された。
無論、子どもの頃の母に対する恐怖や体罰を受けた心の傷は
完治した訳ではない。未だ『寂しい・心細い』と
泣いている自分が胸の中にいる。けれども、こうして母と
過ごし、思い遣りの気持ちを忘れず、お互いを思い合うことに
因って、時期に傷は消えていくのではないであろうかと感じる。
しかし父からは精神的に、滅茶苦茶に打ちのめされた。
其処に、『太る事への恐怖』が
ある事に気付いている。
『謝る』という事はとても難しい。
タイミングが悪ければ、許してもらえない事もある。
また、自分が悪い癖に逆切れを引き起こす事もある。
私は争い事が大嫌いであり、恐ろしく思っている。出来れば
皆楽しく面白く過ごしていければと思っている。
しかし、何の気無しに放った言葉が相手を傷つけたり、
絶望の淵へ追いやる事もある。また、温かい言葉で命までも
救われる事がある。
要するにタイミングの問題なのであろう。
悪い事をしたと思って謝りたくても、タイミングを逸して
相手との関係が悪くなったり、逆に謝りすぎて相手共々
無限のループに嵌ってしまう事もある。
私は幾ら嫌な事を言われ、厭味を言われても、一晩眠ったら
忘れてあっけらかんとしている。母と小競り合いしてしまった
時も、一晩眠るともう普通に接している。
しかしこれが他人との関係になったら難しい事になってしまう。
もう大人なので、きちんと発言する言葉に気を付け、
出来る限り人を傷つける事のないようにしなければならないと
感じる。
汚い言葉遣いでの精神的虐待を受けた。
しかし、今更父母に謝罪してもらうつもりは毛頭ない。
特に母は、以前と比べると私の病気の事を理解しようと
してくれて、優しく接してくれる。その事で随分、私の心の
傷も癒され、母との新しい関係が築き上げられている。
例え謝罪の言葉は無くても、許せるのである。
しかし、父に関しては決して当て嵌まらない。
未だに兄弟で差別をして、私とはもう1年以上会っていない。
妹の所へは月1で会いに行き、孫を可愛がり好きなものを
買い与え、お小遣いを与えている。
小さな頃から、お前は豚小屋に住む豚か!等
体型に関する罵りや、その他には幾らテストの点数が良くても
ちょっとしたミスの部分を詰ってきた。本人は大した頭も
無いと言うのに・・・。それは私が小学生高学年になって
分かった。父の始末書をたまたま見てしまい、私の書く作文より
遥かに稚拙な文章で、誤字脱字だらけだったからである。
2階にある自分の部屋で歌を口ずさもうものなら、
1階の父がいる部屋から五月蝿い!耳障りだ!と
言われたし、習っていたピアノの練習をしていても、
わしが休みの日に下手な練習なんかするな!と
言われた。その他にも沢山の罵詈雑言を浴び、私の心は
沢山沢山傷付いた。だから父が謝ってきても許せない。
勿論母からの体罰も、『恐怖と痛み』で
苦しかった。しかし、こうして2人で暮らす年月を経て、
関係は修復されている。母からの謝罪の言葉なんて要らない。
今こうして仲良く暮らせている事で充分満足である。
主治医とはこのタイトルの事について話し合ったのである。
それで上記の答えが導き出された。
無論、子どもの頃の母に対する恐怖や体罰を受けた心の傷は
完治した訳ではない。未だ『寂しい・心細い』と
泣いている自分が胸の中にいる。けれども、こうして母と
過ごし、思い遣りの気持ちを忘れず、お互いを思い合うことに
因って、時期に傷は消えていくのではないであろうかと感じる。
しかし父からは精神的に、滅茶苦茶に打ちのめされた。
其処に、『太る事への恐怖』が
ある事に気付いている。
『謝る』という事はとても難しい。
タイミングが悪ければ、許してもらえない事もある。
また、自分が悪い癖に逆切れを引き起こす事もある。
私は争い事が大嫌いであり、恐ろしく思っている。出来れば
皆楽しく面白く過ごしていければと思っている。
しかし、何の気無しに放った言葉が相手を傷つけたり、
絶望の淵へ追いやる事もある。また、温かい言葉で命までも
救われる事がある。
要するにタイミングの問題なのであろう。
悪い事をしたと思って謝りたくても、タイミングを逸して
相手との関係が悪くなったり、逆に謝りすぎて相手共々
無限のループに嵌ってしまう事もある。
私は幾ら嫌な事を言われ、厭味を言われても、一晩眠ったら
忘れてあっけらかんとしている。母と小競り合いしてしまった
時も、一晩眠るともう普通に接している。
しかしこれが他人との関係になったら難しい事になってしまう。
もう大人なので、きちんと発言する言葉に気を付け、
出来る限り人を傷つける事のないようにしなければならないと
感じる。
心細さを認めると言う事。
2006年7月18日 診察・カウンセリング コメント (4)ニュースを観ているとつくづく世知辛い世の中になったと
感じる。特に秋田の事件では、信じられない新たな情報が
次々と流れ、胸がズキズキ痛む。被害者となった女の子、
第二の被害者の男の子の事・・・。考えるだけで哀しくなる。
今日の診察にもその話題が上った。被害者の女の子は、母親に
疎ましく思われ、邪険にされ、ネグレクトを受けていても、
あの眩い笑顔で母親に甘えようとしていた。
子どもにとって『甘える』という事は大切なものである。
しかし、タイミングが悪かったのであろうか・・・その母親は
その甘えてくる子どもにイライラして殺害に及んでしまった。
最初からこの事件についてずっと観ていたが、何とも哀しい
結末が訪れた。
私は、『甘えられない子ども』であった。
第一子である事、長女である事が原因の一つとして考えられる。
勿論、そんな事のない家庭もあったであろう。しかし私は
甘えて拒絶された事があり、それにショックを受けて、特に
父には全く甘える事は無くなった。やらねばならない事を
必死でこなそうとして、それに一つでも不完全なものがあれば
母の怒号と手が飛んできた。叩かれ突き飛ばされ、蹴られる。
恐かった。哀しかった。寂しかった。
心細かった・・・。
その想いをずっと抱え、捌け口もないまま、反抗期も無く
大人になった。きっと、この病気が所謂『反抗』なので
あろうと感じる。
治療していく上で大切な事は、その
『心細さ・哀しさ・寂しさ』
が自分の中にある事をしっかりと認めるのが重要である。
それを無視してしまったら、彷徨うだけである。
また、それに気付かず突き進んでしまったら、統合失調症に
なるであろう。前へ前へと何も考えず突き進み、物にぶつかって
人にぶつかって傷つけ傷つけられ・・・という未来があると感じる
のである。
だから、まずは自分が『心細い・寂しい』と思っている
事を認めると言う所から治療が始まるのであろう。
今日は女の子の日2日目であった為に、気分が悪く夕方遅くまで
ずっと眠っていた。起き上がる力が無かったのである。
しかしその分睡眠をたっぷり摂る事が出来て、精神的には
落ち着いている。身体の不快感は如何しても振り払えないが。
主治医にも言われた事であるが、痩せてしまい、生理不順の
副作用があるお薬を飲み続けているのに、生理がやってくる事が
とても不思議だと感じている。本来なら止まってしまっても
おかしくないのに、身体のメカニズムでは
『生きよう、生きよう』としているのであろう。
しかし、この女の子の一週間は痛くて辛くて煩わしい事この上
ない。でも人体の不思議を感じる。
今日の診察では、その為か『死にたい』と言う言葉が
出なかった。此れはとても稀な事である。後で気付いて
ホッとした。いつもいつも『死にたい』と言っていたら
主治医も答えに困るであろう・・・。
この気持ちを胸に刻み、一進一退はあれども前を向くという事
だけはやめないように努力したい。
感じる。特に秋田の事件では、信じられない新たな情報が
次々と流れ、胸がズキズキ痛む。被害者となった女の子、
第二の被害者の男の子の事・・・。考えるだけで哀しくなる。
今日の診察にもその話題が上った。被害者の女の子は、母親に
疎ましく思われ、邪険にされ、ネグレクトを受けていても、
あの眩い笑顔で母親に甘えようとしていた。
子どもにとって『甘える』という事は大切なものである。
しかし、タイミングが悪かったのであろうか・・・その母親は
その甘えてくる子どもにイライラして殺害に及んでしまった。
最初からこの事件についてずっと観ていたが、何とも哀しい
結末が訪れた。
私は、『甘えられない子ども』であった。
第一子である事、長女である事が原因の一つとして考えられる。
勿論、そんな事のない家庭もあったであろう。しかし私は
甘えて拒絶された事があり、それにショックを受けて、特に
父には全く甘える事は無くなった。やらねばならない事を
必死でこなそうとして、それに一つでも不完全なものがあれば
母の怒号と手が飛んできた。叩かれ突き飛ばされ、蹴られる。
恐かった。哀しかった。寂しかった。
心細かった・・・。
その想いをずっと抱え、捌け口もないまま、反抗期も無く
大人になった。きっと、この病気が所謂『反抗』なので
あろうと感じる。
治療していく上で大切な事は、その
『心細さ・哀しさ・寂しさ』
が自分の中にある事をしっかりと認めるのが重要である。
それを無視してしまったら、彷徨うだけである。
また、それに気付かず突き進んでしまったら、統合失調症に
なるであろう。前へ前へと何も考えず突き進み、物にぶつかって
人にぶつかって傷つけ傷つけられ・・・という未来があると感じる
のである。
だから、まずは自分が『心細い・寂しい』と思っている
事を認めると言う所から治療が始まるのであろう。
今日は女の子の日2日目であった為に、気分が悪く夕方遅くまで
ずっと眠っていた。起き上がる力が無かったのである。
しかしその分睡眠をたっぷり摂る事が出来て、精神的には
落ち着いている。身体の不快感は如何しても振り払えないが。
主治医にも言われた事であるが、痩せてしまい、生理不順の
副作用があるお薬を飲み続けているのに、生理がやってくる事が
とても不思議だと感じている。本来なら止まってしまっても
おかしくないのに、身体のメカニズムでは
『生きよう、生きよう』としているのであろう。
しかし、この女の子の一週間は痛くて辛くて煩わしい事この上
ない。でも人体の不思議を感じる。
今日の診察では、その為か『死にたい』と言う言葉が
出なかった。此れはとても稀な事である。後で気付いて
ホッとした。いつもいつも『死にたい』と言っていたら
主治医も答えに困るであろう・・・。
この気持ちを胸に刻み、一進一退はあれども前を向くという事
だけはやめないように努力したい。
漠然としているものは恐怖か、不安か。
2006年7月15日 診察・カウンセリング コメント (4)毎日1日2回繰り返している過食と嘔吐。
まぐれで1回になる日もあるが、大体この調子が続いている。
それは、強迫観念から『1日2回過食嘔吐せねば・・・』
という状態になっている事が多い。幾ら疲れていて辛くても、
しんどくても、『やらねばならない』と感じているから
やらなければ何だか気持ちが悪いのである。
このように生活の一部となってしまっているが、そうしないと
いられない気持ちは、漠然としたものである。
その漠然としている、ぼんやりとしてはっきりしない気持ちは
やがて恐怖や不安を呼び起こす。だから取り敢えず
『やらねばならない』と決め付けている事をやらなければ
気が済まないのであろう。
その、『やらねばならない』という過食嘔吐をしている
間は、漠然とした恐怖や不安について考えなくて済む。
謂わば誤魔化していると言う事であろう。
そして、その『漠然とした恐怖や不安』の裏に隠されて
いるものは、
『寂しさ、哀しさ』
であろうと痛感している。此れは今日電話診察の中で主治医に
指摘された事であり、納得できるものであった。
わたしは子どもの頃からその寂しさ、哀しさを表現する
事が出来なかった。一人で抱え込んでしまった。それはきっと
「自分はお姉ちゃんだからしっかりせねばならない」
と言った思いからきていたものであると感じている。また、そう
洗脳されていたと言うか擦りこまれていたのであろう。
幼い頃、寂しさを表現できたのは、ある恐い夢を見た時だけで
あった。その夢は幼い頃何度も見た夢で、
『家族みんなで公園へ遊びに行く途中、陸橋の下の暗い
通路を通る時、小さな白い電光掲示板があった。それには
紅い唇が光っていた。私たち家族が通り過ぎる時、私だけを
残して母や父、妹と弟がその紅い唇に吸い込まれてしまい、
私独りだけ取り残される』
と言う夢であった。何度も見るので、私もみんなと一緒に
吸い込まれようとしたが、私が吸い込まれようとすると、
唇が閉じてしまい、電光掲示板の光も消えるのである。
子どもの私独り取り残されるその悪夢は哀しく、そして寂しく
慌てて飛び起きたら泣いていた。その時に母の元へ行き、
其処にいると言う事を確認し、甘えて泣いた。
そんな私を母は抱き締めて慰めてくれて、一緒の蒲団で寝たもの
である。その時の温もりは今でも忘れられない大切な温かさ
である。それ以外では「寂しい、哀しい」と言った事は
無かったように思う。そして今でも・・・・・・。
私が摂食障害で過食嘔吐を繰り返すという行為の裏側に、
やはり『寂しい、哀しい、心細い』という
想いがあると感じている。しかしそれらを過食と嘔吐で紛らわせ
無いものとしてしまうのである。
神経症を患っている人達には、こうして心の底からの
『寂しさ、哀しさ、心細さ』を表現する事が難しいと言う現実が
あるように想う。
「もういい大人なんだから」
としてそれらを無視してはいけないと感じる。
この寂しさ、心細さ、哀しさこそがキーワードなのではないかと
考える。
今の所、それを打ち明けられるのは主治医とカウンセラーだけ
である。母には、私のこの想いは凄く重たいであろうから、
言えない。母も人間であり様々な苦しみがある。こうして2人で
毎日暮らし、普通の会話をする事によってその苦しみの一部が
緩和されたり、スッと忘れられたりしたら幸いであろう。
今日の電話診察で主治医から得たものは大きかったと感じる。
まだまだ素直に寂しさを表現する事は難しいが、そういった
事実があるという事を胸に留めておくだけでも、これからの
生活に何らかの変化はあるであろうと思っている。
兎に角睡眠を大切にして、心身を休ませて疲れを取り、
ゆっくり歩んでいきたいものである。
まぐれで1回になる日もあるが、大体この調子が続いている。
それは、強迫観念から『1日2回過食嘔吐せねば・・・』
という状態になっている事が多い。幾ら疲れていて辛くても、
しんどくても、『やらねばならない』と感じているから
やらなければ何だか気持ちが悪いのである。
このように生活の一部となってしまっているが、そうしないと
いられない気持ちは、漠然としたものである。
その漠然としている、ぼんやりとしてはっきりしない気持ちは
やがて恐怖や不安を呼び起こす。だから取り敢えず
『やらねばならない』と決め付けている事をやらなければ
気が済まないのであろう。
その、『やらねばならない』という過食嘔吐をしている
間は、漠然とした恐怖や不安について考えなくて済む。
謂わば誤魔化していると言う事であろう。
そして、その『漠然とした恐怖や不安』の裏に隠されて
いるものは、
『寂しさ、哀しさ』
であろうと痛感している。此れは今日電話診察の中で主治医に
指摘された事であり、納得できるものであった。
わたしは子どもの頃からその寂しさ、哀しさを表現する
事が出来なかった。一人で抱え込んでしまった。それはきっと
「自分はお姉ちゃんだからしっかりせねばならない」
と言った思いからきていたものであると感じている。また、そう
洗脳されていたと言うか擦りこまれていたのであろう。
幼い頃、寂しさを表現できたのは、ある恐い夢を見た時だけで
あった。その夢は幼い頃何度も見た夢で、
『家族みんなで公園へ遊びに行く途中、陸橋の下の暗い
通路を通る時、小さな白い電光掲示板があった。それには
紅い唇が光っていた。私たち家族が通り過ぎる時、私だけを
残して母や父、妹と弟がその紅い唇に吸い込まれてしまい、
私独りだけ取り残される』
と言う夢であった。何度も見るので、私もみんなと一緒に
吸い込まれようとしたが、私が吸い込まれようとすると、
唇が閉じてしまい、電光掲示板の光も消えるのである。
子どもの私独り取り残されるその悪夢は哀しく、そして寂しく
慌てて飛び起きたら泣いていた。その時に母の元へ行き、
其処にいると言う事を確認し、甘えて泣いた。
そんな私を母は抱き締めて慰めてくれて、一緒の蒲団で寝たもの
である。その時の温もりは今でも忘れられない大切な温かさ
である。それ以外では「寂しい、哀しい」と言った事は
無かったように思う。そして今でも・・・・・・。
私が摂食障害で過食嘔吐を繰り返すという行為の裏側に、
やはり『寂しい、哀しい、心細い』という
想いがあると感じている。しかしそれらを過食と嘔吐で紛らわせ
無いものとしてしまうのである。
神経症を患っている人達には、こうして心の底からの
『寂しさ、哀しさ、心細さ』を表現する事が難しいと言う現実が
あるように想う。
「もういい大人なんだから」
としてそれらを無視してはいけないと感じる。
この寂しさ、心細さ、哀しさこそがキーワードなのではないかと
考える。
今の所、それを打ち明けられるのは主治医とカウンセラーだけ
である。母には、私のこの想いは凄く重たいであろうから、
言えない。母も人間であり様々な苦しみがある。こうして2人で
毎日暮らし、普通の会話をする事によってその苦しみの一部が
緩和されたり、スッと忘れられたりしたら幸いであろう。
今日の電話診察で主治医から得たものは大きかったと感じる。
まだまだ素直に寂しさを表現する事は難しいが、そういった
事実があるという事を胸に留めておくだけでも、これからの
生活に何らかの変化はあるであろうと思っている。
兎に角睡眠を大切にして、心身を休ませて疲れを取り、
ゆっくり歩んでいきたいものである。
靄がかかる胸の内。
2006年7月11日 診察・カウンセリング コメント (4)今朝はカウンセリングに行く覚悟を決めていた。
しかし、一旦眠ってしまうと起き上がる事ができず、今日も
キャンセルの電話をする事態になった。
カウンセリングは定期的に続ける事にも意味がある。
だから、次は絶対にいけるように時間を早めて頂き、眠らずに
行けるようにセッティングした。
此処からが問題であった。お薬を大幅に削って服用した為、
心身がバラバラになる感覚に襲われた。兎に角苛立ちが
止まらない。情けない自分、愚かな自分が際立っていき、
お薬を追加しても眠れないほど、神経は粟立つように心の中を
掻き乱す。だから、また禁忌としている昼間の過食嘔吐を
してしまった。全てが終わった後、物凄い疲弊感と後悔、
虚しさが渦巻いて自分の心を容赦なく攻撃していた。
情けない自分を何処までも責め抜き、動けなくなってしまった。
夕方の電話診察で、その経緯を色々と話した。
けれども主治医は、先ず
「病院に来るようにする為には夜中の過食嘔吐を
我慢して、早目にお薬を飲んで寝たらどうかな。」
との提案から始まった。私が強迫性障害の強迫観念の為に
夜と夜中の2回過食嘔吐しないではいられない事は、主治医も
解っている筈である。なので
「過食衝動はどうにも抑えられない程凄まじくて
止めたいと思っても止められないんです。」
と言った。しかし、主治医の言う事の方が尤もなので、
そうできるように頑張るしかないのだと感じた。
先週の土曜日に主に話した事を思い出した。
『愛について』である。
愛は(男女の愛ではなく主に家族愛等)貯蓄できるものである。
具体的に記すと、子どもの頃まだ虐待を始める前の母が
絵本を沢山読み聞かせしてくれた思い出、最近になって私が
苦しんでいる時に優しく抱き締めてくれた事・・・。これは消えない
温かい愛である。それを『糧』にして、生きていける
のである。
つまり『愛』は目的でなく糧なのである。
この言葉は胸に刻み付けておきたいと思う。愛は目的ではない。
確かに見返りを求める為の行動は、決して愛とは言えない。
純粋な愛とは何たるものであるかは、まだ私にはよく解らない。
しかし、そんな愛の疎通が出来る親子関係、家族関係であると
素晴らしいであろう。現実は難しいが・・・。
後は、私が生きている事についての話になった。
私は、母が生きているから生きている。母より先に自殺して
先立つ事は、極限の親不孝であると思っているから生きている。
だから母が死ねば私は直ぐに後を追う。生きている意味が
無くなるのであるから・・・。
しかし主治医は、その『生きる』だと脅迫になると仰った。
父が言葉で私を脅迫していた様に、母が体罰で脅迫していた
様に、私もまた母を脅迫するように生きる意味を説いている。
決して強迫観念の強迫では無い。『脅迫』である。
ハッと気付かされた。私も愚かな父と同じ過ちを犯してしまう。
父と同じ轍だけは踏みたくない。けれども私は、病気の苦しみに
心身ともに侵されてしまい、『母が生きているから』とでも
思わないとやっていられない。それだけが自殺を食い止めて
いる要素であるから・・・。
『過食衝動の凄まじさ』については
時間が無かったので言及できなかったが、この物凄い衝動、
力が何処から来るのか、次の診察日まで考えたいと感じる。
しかし、一旦眠ってしまうと起き上がる事ができず、今日も
キャンセルの電話をする事態になった。
カウンセリングは定期的に続ける事にも意味がある。
だから、次は絶対にいけるように時間を早めて頂き、眠らずに
行けるようにセッティングした。
此処からが問題であった。お薬を大幅に削って服用した為、
心身がバラバラになる感覚に襲われた。兎に角苛立ちが
止まらない。情けない自分、愚かな自分が際立っていき、
お薬を追加しても眠れないほど、神経は粟立つように心の中を
掻き乱す。だから、また禁忌としている昼間の過食嘔吐を
してしまった。全てが終わった後、物凄い疲弊感と後悔、
虚しさが渦巻いて自分の心を容赦なく攻撃していた。
情けない自分を何処までも責め抜き、動けなくなってしまった。
夕方の電話診察で、その経緯を色々と話した。
けれども主治医は、先ず
「病院に来るようにする為には夜中の過食嘔吐を
我慢して、早目にお薬を飲んで寝たらどうかな。」
との提案から始まった。私が強迫性障害の強迫観念の為に
夜と夜中の2回過食嘔吐しないではいられない事は、主治医も
解っている筈である。なので
「過食衝動はどうにも抑えられない程凄まじくて
止めたいと思っても止められないんです。」
と言った。しかし、主治医の言う事の方が尤もなので、
そうできるように頑張るしかないのだと感じた。
先週の土曜日に主に話した事を思い出した。
『愛について』である。
愛は(男女の愛ではなく主に家族愛等)貯蓄できるものである。
具体的に記すと、子どもの頃まだ虐待を始める前の母が
絵本を沢山読み聞かせしてくれた思い出、最近になって私が
苦しんでいる時に優しく抱き締めてくれた事・・・。これは消えない
温かい愛である。それを『糧』にして、生きていける
のである。
つまり『愛』は目的でなく糧なのである。
この言葉は胸に刻み付けておきたいと思う。愛は目的ではない。
確かに見返りを求める為の行動は、決して愛とは言えない。
純粋な愛とは何たるものであるかは、まだ私にはよく解らない。
しかし、そんな愛の疎通が出来る親子関係、家族関係であると
素晴らしいであろう。現実は難しいが・・・。
後は、私が生きている事についての話になった。
私は、母が生きているから生きている。母より先に自殺して
先立つ事は、極限の親不孝であると思っているから生きている。
だから母が死ねば私は直ぐに後を追う。生きている意味が
無くなるのであるから・・・。
しかし主治医は、その『生きる』だと脅迫になると仰った。
父が言葉で私を脅迫していた様に、母が体罰で脅迫していた
様に、私もまた母を脅迫するように生きる意味を説いている。
決して強迫観念の強迫では無い。『脅迫』である。
ハッと気付かされた。私も愚かな父と同じ過ちを犯してしまう。
父と同じ轍だけは踏みたくない。けれども私は、病気の苦しみに
心身ともに侵されてしまい、『母が生きているから』とでも
思わないとやっていられない。それだけが自殺を食い止めて
いる要素であるから・・・。
『過食衝動の凄まじさ』については
時間が無かったので言及できなかったが、この物凄い衝動、
力が何処から来るのか、次の診察日まで考えたいと感じる。
雨曝しの胸の内。
2006年7月8日 診察・カウンセリング コメント (4)土曜日・・・普段より早く起きねばならない日である。
電話診察に備える為、コーヒーで覚醒させ、電話をかける時間迄
TV等何となく観ながら待つ。しかし今日は何だか神経が粟立ち
落ち着きがなく苛々していた。
毎日2回、朝方まで及ぶ過食嘔吐に本当に辟易している。
日中拒食状態である時はまだ良い。その拒食時に何を思って
いるのか、主治医は私に尋ねた。
『何も食べたくない気持ち。食べ物を見ただけで
嘔気を催す事。小説を読んでその世界に浸れて比較的
落ち着いている事。』等が主である。
しかし過食嘔吐をしている時の事を尋ねられると、
『何も考えられない。苦しい。地獄の様・・・生きる事も
何もかも全て終わらせてしまいたい』と答えた。
しかし、過食嘔吐によって精神の均衡を図っている所もあり、
『過食嘔吐』だけを悪者にしてはいけないと諭された。
普段、12時頃と言う時間は、まだ眠っている時間である。
だから頭がはっきりと働かない。なので今日の診察の事は、
火曜日のカウンセリングと診察の時にまとめて綴りたいと思う。
今日一番問題だったのは、今までずっと昼間の過食嘔吐は
無かったのに、電話をしている最中から過食衝動が
込み上げてきて、「診察が終わったら食べよう、食べよう。」
と思っていた事である。そしてそれを実行に移してしまった。
今までなら何とか『日中は食べてはならない』
と言い聞かせられていたのであるが、今日は駄目であった。
インスタントのコーンポタージュスープを次々とお湯を注いで
作って飲んでいった事で“過食のスイッチ”が
入ってしまった。もう何も考える余地は無く、只管食べ物を
胃へと詰め込んでいった。日中に食べる事はこの数ヶ月
無かった事なので、お腹を壊してしまった。嘔吐を終えた後、
ずっとお腹を下していてトイレから出られなかった。
私の身体はボロボロである。
今まで必死で土曜日の過食嘔吐を避けるように頑張って来た事が
今日で全て台無しになってしまった。虚無感に襲われた。
日中の過食嘔吐は、本当に気力も体力も使うし、暑いし苦しい。
後片付けは後回しにして、胃薬や抗うつ剤などの日中薬を
服用するとばったりとくたばってしまった。気付けば仕事の
合間に帰ってきていた母が、片付けてくれていた。申し訳ないと
思ったし、凄くありがたかった。けれども如何せん身体が
動くのを拒否するので、シャワーを浴びるのは物凄い体力を
使った。疲弊しきった私の心身は、全ての物事に於いて
何の興味を持てなかった。衰退していく身と心を感じた。
日中過食嘔吐してしまった事に酷く落ち込んだ。
今までずっと1日2回の過食嘔吐で抑えられていたのに、
今日は3回となってしまう事が物凄く悔しい。
でもそうしないではいられない程の辛苦、苛立ちを私は
抱え込んでしまっていたのであろう。この事は主治医にも
カウンセラーにも伝えて、どういう心の動きがあったのか
もう少し掘り下げて考えたいと感じる。
何れにせよ、もう疲れてしまった。今日はお薬を多目に服用して
深く深く眠りたい。そしていつも1回目に過食嘔吐をしていた
時間は何とか紛らわせて止めておき、夜中に1度だけにして
帳尻合わせをしたいと感じる。
もう、今の私には食べる気も吐く気も失せている。
それが良い事なのか悪い事なのか判断しかねるが、少しゆっくり
休みたい。
電話診察に備える為、コーヒーで覚醒させ、電話をかける時間迄
TV等何となく観ながら待つ。しかし今日は何だか神経が粟立ち
落ち着きがなく苛々していた。
毎日2回、朝方まで及ぶ過食嘔吐に本当に辟易している。
日中拒食状態である時はまだ良い。その拒食時に何を思って
いるのか、主治医は私に尋ねた。
『何も食べたくない気持ち。食べ物を見ただけで
嘔気を催す事。小説を読んでその世界に浸れて比較的
落ち着いている事。』等が主である。
しかし過食嘔吐をしている時の事を尋ねられると、
『何も考えられない。苦しい。地獄の様・・・生きる事も
何もかも全て終わらせてしまいたい』と答えた。
しかし、過食嘔吐によって精神の均衡を図っている所もあり、
『過食嘔吐』だけを悪者にしてはいけないと諭された。
普段、12時頃と言う時間は、まだ眠っている時間である。
だから頭がはっきりと働かない。なので今日の診察の事は、
火曜日のカウンセリングと診察の時にまとめて綴りたいと思う。
今日一番問題だったのは、今までずっと昼間の過食嘔吐は
無かったのに、電話をしている最中から過食衝動が
込み上げてきて、「診察が終わったら食べよう、食べよう。」
と思っていた事である。そしてそれを実行に移してしまった。
今までなら何とか『日中は食べてはならない』
と言い聞かせられていたのであるが、今日は駄目であった。
インスタントのコーンポタージュスープを次々とお湯を注いで
作って飲んでいった事で“過食のスイッチ”が
入ってしまった。もう何も考える余地は無く、只管食べ物を
胃へと詰め込んでいった。日中に食べる事はこの数ヶ月
無かった事なので、お腹を壊してしまった。嘔吐を終えた後、
ずっとお腹を下していてトイレから出られなかった。
私の身体はボロボロである。
今まで必死で土曜日の過食嘔吐を避けるように頑張って来た事が
今日で全て台無しになってしまった。虚無感に襲われた。
日中の過食嘔吐は、本当に気力も体力も使うし、暑いし苦しい。
後片付けは後回しにして、胃薬や抗うつ剤などの日中薬を
服用するとばったりとくたばってしまった。気付けば仕事の
合間に帰ってきていた母が、片付けてくれていた。申し訳ないと
思ったし、凄くありがたかった。けれども如何せん身体が
動くのを拒否するので、シャワーを浴びるのは物凄い体力を
使った。疲弊しきった私の心身は、全ての物事に於いて
何の興味を持てなかった。衰退していく身と心を感じた。
日中過食嘔吐してしまった事に酷く落ち込んだ。
今までずっと1日2回の過食嘔吐で抑えられていたのに、
今日は3回となってしまう事が物凄く悔しい。
でもそうしないではいられない程の辛苦、苛立ちを私は
抱え込んでしまっていたのであろう。この事は主治医にも
カウンセラーにも伝えて、どういう心の動きがあったのか
もう少し掘り下げて考えたいと感じる。
何れにせよ、もう疲れてしまった。今日はお薬を多目に服用して
深く深く眠りたい。そしていつも1回目に過食嘔吐をしていた
時間は何とか紛らわせて止めておき、夜中に1度だけにして
帳尻合わせをしたいと感じる。
もう、今の私には食べる気も吐く気も失せている。
それが良い事なのか悪い事なのか判断しかねるが、少しゆっくり
休みたい。
仄かな雨の香り。
2006年7月4日 診察・カウンセリング コメント (5)1日中、雨が降ったり止んだりしたようであった。
私は15時半まで眠っていたので気付かなかった。
夕方、曇り空の下、外に出ると雨が降る直前の香りが仄かに
漂っていた。何とも言えない懐かしい香りである。
今日はカウンセリングがお休みの日で、電話診察だけだったので
ゆっくり眠れて、熱いシャワーを浴びて目を醒ました。
最近はシャワーを浴びた後、ドッと疲れが押し寄せるように
なってきている。やはりスープだけでは栄養にならないのかも
しれない。けれども決まったスープや水、氷、お茶、コーヒー等
流動物以外の固形の食べ物を口にしてしまうと、途端に過食へ
繋がってしまう。本当に厄介で強固な食べ物に対する拒絶感には
辟易してしまう。
17時過ぎ、病院へ電話して診察が始まった。
摂食障害の人はやはり、『甘える事が苦手』
である人が多い。虐待も無く、寧ろ両親も優しくて殆ど問題ない
家庭でも、摂食障害を患う人がいる。その人達は一様に
『大人に取って都合の良い子』である事が
分かった。親の、大人の顔色を伺い、叱られたり怒られたり
しないようにいつも気を遣うのである。そしていつの間にか
歯車が狂い始めて摂食障害と言う病気に罹ってしまうのであろう
と感じる。
摂食障害は本当に奥が深い。入院をしたからといって容易に
治るものではないし、何が『治った状態』なのかも
曖昧である。勿論低体重で電解質も狂い、生命の危機がある
場合は、入院の措置が必要である。でもそこで栄養を点滴や
栄養補給のための高カロリーの栄養剤を飲んだとしても、
体重が増え、生きていけるだけの栄養が補えたというだけで
根本の治療が出来ているわけではない。過食嘔吐を頻繁にする
人が入院して無理矢理その症状を抑えても、何れ爆発する事は
目に見えている。治療は本当に難しい。
こんな厄介な病気、そして苦しく、辛く、精神がにじりにじりと
狂乱の方向へ進みそうでも、自分の未知の力でどうにかするしか
無いのであろう。手術で病巣を取り除けるわけではない。
だからこの病気は長い時間をかけて『カウンセリング』
や『診察』等で心の機微を修正するしか今は方法が
無いように感じる。勿論、カウンセリングを行なったとしても
過食嘔吐がすぐさま治まる訳ではない。それはうつ病も同じで
あると感じる。診察を例え30分かけて行なったとして、
その時は気分が軽くなったとしても、次の日にはまた抑うつ感に
悩む事もあるであろうと感じる。
大切なのはきっと『諦めない事』であろう。
余りの苦しみに、「死んだ方がマシだ」と考える事もある。
しかし、死に急いだり生き急いだりする必要は無い。
ただ、この病気は本当に身も引き裂かれそうな程の辛苦を呈する
ので、どうしても死に急いでしまうのかもしれない。
出来るだけリラックスを取り入れて、1時間でも落ち着いた時を
持てたら、私は今の所我慢できるかもしれない。
心や脳の病気を治すには、補助的な意味でのお薬も必要であるし
人との係わり合いで様々な影響を及ぼす。
でもゆっくりと今歩んでいる道を見つめながら、そして前を向き
落ち着いていけたならと感じている。
私は15時半まで眠っていたので気付かなかった。
夕方、曇り空の下、外に出ると雨が降る直前の香りが仄かに
漂っていた。何とも言えない懐かしい香りである。
今日はカウンセリングがお休みの日で、電話診察だけだったので
ゆっくり眠れて、熱いシャワーを浴びて目を醒ました。
最近はシャワーを浴びた後、ドッと疲れが押し寄せるように
なってきている。やはりスープだけでは栄養にならないのかも
しれない。けれども決まったスープや水、氷、お茶、コーヒー等
流動物以外の固形の食べ物を口にしてしまうと、途端に過食へ
繋がってしまう。本当に厄介で強固な食べ物に対する拒絶感には
辟易してしまう。
17時過ぎ、病院へ電話して診察が始まった。
摂食障害の人はやはり、『甘える事が苦手』
である人が多い。虐待も無く、寧ろ両親も優しくて殆ど問題ない
家庭でも、摂食障害を患う人がいる。その人達は一様に
『大人に取って都合の良い子』である事が
分かった。親の、大人の顔色を伺い、叱られたり怒られたり
しないようにいつも気を遣うのである。そしていつの間にか
歯車が狂い始めて摂食障害と言う病気に罹ってしまうのであろう
と感じる。
摂食障害は本当に奥が深い。入院をしたからといって容易に
治るものではないし、何が『治った状態』なのかも
曖昧である。勿論低体重で電解質も狂い、生命の危機がある
場合は、入院の措置が必要である。でもそこで栄養を点滴や
栄養補給のための高カロリーの栄養剤を飲んだとしても、
体重が増え、生きていけるだけの栄養が補えたというだけで
根本の治療が出来ているわけではない。過食嘔吐を頻繁にする
人が入院して無理矢理その症状を抑えても、何れ爆発する事は
目に見えている。治療は本当に難しい。
こんな厄介な病気、そして苦しく、辛く、精神がにじりにじりと
狂乱の方向へ進みそうでも、自分の未知の力でどうにかするしか
無いのであろう。手術で病巣を取り除けるわけではない。
だからこの病気は長い時間をかけて『カウンセリング』
や『診察』等で心の機微を修正するしか今は方法が
無いように感じる。勿論、カウンセリングを行なったとしても
過食嘔吐がすぐさま治まる訳ではない。それはうつ病も同じで
あると感じる。診察を例え30分かけて行なったとして、
その時は気分が軽くなったとしても、次の日にはまた抑うつ感に
悩む事もあるであろうと感じる。
大切なのはきっと『諦めない事』であろう。
余りの苦しみに、「死んだ方がマシだ」と考える事もある。
しかし、死に急いだり生き急いだりする必要は無い。
ただ、この病気は本当に身も引き裂かれそうな程の辛苦を呈する
ので、どうしても死に急いでしまうのかもしれない。
出来るだけリラックスを取り入れて、1時間でも落ち着いた時を
持てたら、私は今の所我慢できるかもしれない。
心や脳の病気を治すには、補助的な意味でのお薬も必要であるし
人との係わり合いで様々な影響を及ぼす。
でもゆっくりと今歩んでいる道を見つめながら、そして前を向き
落ち着いていけたならと感じている。
『生きるという事』に辟易する。
2006年7月1日 診察・カウンセリング コメント (2)様々な想いが襲来する。全てがネガティヴで暗く、後ろ向きで
あり、心身ともに重苦しく感じる。
『何故生きなければならないのであろう・・・。』
この想いだけはどれだけ自分に問うても、答えなど何処にも
ない。『産まれてきたから生きている』と言う
至極当たり前の、何ら捻りもない当然の事でしか思いつかない。
それは『生きている意味』では無く、状態を表すだけである。
今日はお薬の量を減らして服用して、早起きをして電話診察に
至った。主治医が主張したい中の一つに、
『甘えようと考えるのではなく、
自然に甘えられるようになるには、心身もボロボロで動かなく
なって初めて側にいる人に甘えざるを得ない状態・・・其処で
やっと本当の意味で甘える事が出来る』
と言う事があった。心の病を患っている人の多くは、
「甘えてはならない」と思っているし、
家族や身近な人に理解を得られていない人は「甘えるな!」
と叱咤されるのであろう。でもこんなにも辛い病気を抱え、
誰にも頼らず、甘えず、全てを自分一人でやっていくとなれば
やがて破綻が待っているような気がする。凄く辛いのに、
苦しいのに、病人にとって必要な『甘えを剥奪される事』
・・・これは本当に難しい問題である。この社会自体、日本の制度
自体が『甘える事』を拒絶しているのであるから。
子ども返りと言う意味ではないが、3歳の姪の様に自然に甘える
事が出来れば、病気も治癒へと向かうであろう。また、
飄々としている末っ子の、弟の甘え方も上手である。私にとって
の先生である。わたしは幼い頃から甘える事が出来ず、3歳から
『お姉ちゃん』として妹と弟の面倒も見なければ
ならなかった。そんな私が我侭を言ったり甘えたり出来る訳が
なかった。だから今もいまいち甘え方が分からない。
人間関係の潤滑油はこの『甘え・甘えられる』事である。
依存との違いは、しっかりと心を持っていれば区別がつくと
思う。甘えがなければ、乾ききった擦れた人間関係となる。
この『甘え』と言う課題はずっと病気が良くなるまで
続いていく問題であろう。
今日は午前中のうちに目覚める事が出来た為、ゆったりと
過ごす事ができた。読書も嗜めた。
生きていく事は本当に困難であるし、少しでも躓いたら直ぐに
死ぬ方へと思考が傾いてしまう。
生まれた限りは生きねばならないのであろうか・・・。
しかし私は母がいなくなれば自死する決意は出来ている。
生きていることに殆ど興味はないのかもしれない。
でも今は、母と良好な関係を続ける事、家族でお酒を
酌み交わしながら色々語り合いたいと言う夢、姪と一緒に
沢山遊びたいと言う願望がある。
だから当分は死にたくても我慢して生きる道を歩こうと思う。
あり、心身ともに重苦しく感じる。
『何故生きなければならないのであろう・・・。』
この想いだけはどれだけ自分に問うても、答えなど何処にも
ない。『産まれてきたから生きている』と言う
至極当たり前の、何ら捻りもない当然の事でしか思いつかない。
それは『生きている意味』では無く、状態を表すだけである。
今日はお薬の量を減らして服用して、早起きをして電話診察に
至った。主治医が主張したい中の一つに、
『甘えようと考えるのではなく、
自然に甘えられるようになるには、心身もボロボロで動かなく
なって初めて側にいる人に甘えざるを得ない状態・・・其処で
やっと本当の意味で甘える事が出来る』
と言う事があった。心の病を患っている人の多くは、
「甘えてはならない」と思っているし、
家族や身近な人に理解を得られていない人は「甘えるな!」
と叱咤されるのであろう。でもこんなにも辛い病気を抱え、
誰にも頼らず、甘えず、全てを自分一人でやっていくとなれば
やがて破綻が待っているような気がする。凄く辛いのに、
苦しいのに、病人にとって必要な『甘えを剥奪される事』
・・・これは本当に難しい問題である。この社会自体、日本の制度
自体が『甘える事』を拒絶しているのであるから。
子ども返りと言う意味ではないが、3歳の姪の様に自然に甘える
事が出来れば、病気も治癒へと向かうであろう。また、
飄々としている末っ子の、弟の甘え方も上手である。私にとって
の先生である。わたしは幼い頃から甘える事が出来ず、3歳から
『お姉ちゃん』として妹と弟の面倒も見なければ
ならなかった。そんな私が我侭を言ったり甘えたり出来る訳が
なかった。だから今もいまいち甘え方が分からない。
人間関係の潤滑油はこの『甘え・甘えられる』事である。
依存との違いは、しっかりと心を持っていれば区別がつくと
思う。甘えがなければ、乾ききった擦れた人間関係となる。
この『甘え』と言う課題はずっと病気が良くなるまで
続いていく問題であろう。
今日は午前中のうちに目覚める事が出来た為、ゆったりと
過ごす事ができた。読書も嗜めた。
生きていく事は本当に困難であるし、少しでも躓いたら直ぐに
死ぬ方へと思考が傾いてしまう。
生まれた限りは生きねばならないのであろうか・・・。
しかし私は母がいなくなれば自死する決意は出来ている。
生きていることに殆ど興味はないのかもしれない。
でも今は、母と良好な関係を続ける事、家族でお酒を
酌み交わしながら色々語り合いたいと言う夢、姪と一緒に
沢山遊びたいと言う願望がある。
だから当分は死にたくても我慢して生きる道を歩こうと思う。
楽しかった日々の反動。
2006年6月27日 診察・カウンセリング コメント (6)此処の所、弟が家に来て会話に花が咲き楽しかったり、日中は
調子が良くて何故だか解らないが空笑いが出てきたりと、
テンションがおかしかった。比較的楽に過ごせた反動であろう・・・
今日になって突然希死念慮が沸々と湧き、体全体を覆って
しまった。
『何もかも放棄して死んでしまいたい!』
『こんな苦しい日々はもう嫌だ!!』
と言う具合に、生きることに何の興味も無くなった。
その感情のまま、カウンセリングにも行けなかった為、
主治医との診察は電話であった。
土曜日に話した『病と言う筏にしがみついている』状態で
荒波も乗り越えながら、やがて普通の優しさを持つ人々がいる
岸に辿り着ければと言う話が出た。主治医もその考えでいる
と言う。唯、私の筏はもう修復不可能なほどに壊れていて、
この荒波にもまれ、今にも溺れそうである。
しかし実際今の自分は、摂食障害やうつ病や強迫性障害等の
症状に助けられて命を延ばしているようなものであろう。
幾ら苦しい症状でも、その病があるお陰で何とか自分を保って
いる部分が大いにある。その病で例え命を削っているとしても。
19時に電話診察を終えた為、未だ噛み砕いて理解していない
話も沢山あるが、今印象に残っているのは、やはり
『普通の優しさ』という
キーワードであると思う。人を思い遣ったり、優しさを以って
人に接したり、大切な人を心配をして想ったりする事・・・。
この世知辛い社会情勢には、そんな普通の優しささえ
失われているような感じが否めない。
そして私が洗脳されている言葉・・・
『働かざる者食うべからず』
此れはいつまでも自分を蝕み続けている。父親が離婚前、
「わしのお陰で食えてるんだろうが」とか
「誰のお陰で暮らしていけてると思ってるんだ」
等という言葉が頭に沁みこんでいて、病気の為に家事しか
出来ない、働く事など到底無理な私が、こんな摂食障害という
食費が膨大にかかる病気に侵されて、生きている事が本当に
申し訳ないと思うのである。主治医はそれこそが洗脳だと
仰った。
また、主治医は奈良の事件の事でその学校の校長に憤っている。
厳しい勉強や制限を苦に、方法は間違っているとはいえども、
家を放火してしまった少年。しかし全校集会でその学校の校長は
「こんな事に動揺せず勉学に励みなさい」と言う趣旨の
言葉を言い放ったそうである。追い詰められて犯行に及んだ
少年は誤った苦しみの表現方法であったが、その勉学が原因で
追い詰められたというのに、まだ勉強だけをしろと校長は
言い放った。『心』を慮る気持ちは其処に
表れていない。加害少年も、1人の被害者である。大人に
追い詰められた結果であったのに、優しさの欠片もない、
この発言に主治医は憤りを覚えたと言う。
私も同じ気持ちである。
しかし今日は本当に疲労困憊である。何もしていないが、
息をするのも苦しい、唯々死にたいとしか思えない。でもそれを
少しの理性や既成事実で抑え込んでいる。
長年病気を患うと、もう治らないのではないか、悪化したら
抱えきれなくなるのではないかと苦しくて仕方ない。
『上手に甘える事』・・・此れが私に欠けている
部分である。苦しく死にそうで仕方ないのだから、甘えても
いいと主治医は仰るが、私は『甘えるな!』と言われ
育った為に、その方法が解らない。
兎に角リラックスを心がけ、肩肘張らずに病と共存していき
命を延ばせたらと感じている・・・。
調子が良くて何故だか解らないが空笑いが出てきたりと、
テンションがおかしかった。比較的楽に過ごせた反動であろう・・・
今日になって突然希死念慮が沸々と湧き、体全体を覆って
しまった。
『何もかも放棄して死んでしまいたい!』
『こんな苦しい日々はもう嫌だ!!』
と言う具合に、生きることに何の興味も無くなった。
その感情のまま、カウンセリングにも行けなかった為、
主治医との診察は電話であった。
土曜日に話した『病と言う筏にしがみついている』状態で
荒波も乗り越えながら、やがて普通の優しさを持つ人々がいる
岸に辿り着ければと言う話が出た。主治医もその考えでいる
と言う。唯、私の筏はもう修復不可能なほどに壊れていて、
この荒波にもまれ、今にも溺れそうである。
しかし実際今の自分は、摂食障害やうつ病や強迫性障害等の
症状に助けられて命を延ばしているようなものであろう。
幾ら苦しい症状でも、その病があるお陰で何とか自分を保って
いる部分が大いにある。その病で例え命を削っているとしても。
19時に電話診察を終えた為、未だ噛み砕いて理解していない
話も沢山あるが、今印象に残っているのは、やはり
『普通の優しさ』という
キーワードであると思う。人を思い遣ったり、優しさを以って
人に接したり、大切な人を心配をして想ったりする事・・・。
この世知辛い社会情勢には、そんな普通の優しささえ
失われているような感じが否めない。
そして私が洗脳されている言葉・・・
『働かざる者食うべからず』
此れはいつまでも自分を蝕み続けている。父親が離婚前、
「わしのお陰で食えてるんだろうが」とか
「誰のお陰で暮らしていけてると思ってるんだ」
等という言葉が頭に沁みこんでいて、病気の為に家事しか
出来ない、働く事など到底無理な私が、こんな摂食障害という
食費が膨大にかかる病気に侵されて、生きている事が本当に
申し訳ないと思うのである。主治医はそれこそが洗脳だと
仰った。
また、主治医は奈良の事件の事でその学校の校長に憤っている。
厳しい勉強や制限を苦に、方法は間違っているとはいえども、
家を放火してしまった少年。しかし全校集会でその学校の校長は
「こんな事に動揺せず勉学に励みなさい」と言う趣旨の
言葉を言い放ったそうである。追い詰められて犯行に及んだ
少年は誤った苦しみの表現方法であったが、その勉学が原因で
追い詰められたというのに、まだ勉強だけをしろと校長は
言い放った。『心』を慮る気持ちは其処に
表れていない。加害少年も、1人の被害者である。大人に
追い詰められた結果であったのに、優しさの欠片もない、
この発言に主治医は憤りを覚えたと言う。
私も同じ気持ちである。
しかし今日は本当に疲労困憊である。何もしていないが、
息をするのも苦しい、唯々死にたいとしか思えない。でもそれを
少しの理性や既成事実で抑え込んでいる。
長年病気を患うと、もう治らないのではないか、悪化したら
抱えきれなくなるのではないかと苦しくて仕方ない。
『上手に甘える事』・・・此れが私に欠けている
部分である。苦しく死にそうで仕方ないのだから、甘えても
いいと主治医は仰るが、私は『甘えるな!』と言われ
育った為に、その方法が解らない。
兎に角リラックスを心がけ、肩肘張らずに病と共存していき
命を延ばせたらと感じている・・・。
病は筏の様に・・・。
2006年6月24日 診察・カウンセリング コメント (4)明け方・・・私は本当に途方に暮れる。
『何故こんな辛くて苦しい思いまでして食べて吐くんだ!』
そう自分を罵りながら、次から次へと殆ど無意識に口に食べ物を
運んでいく。吐く事だけを考えながら、気分が悪くて吐きそうに
なるまでその作業は続く。それらは私の『強迫性障害』
からきている為、全てが終わると安心するというか、達成感が
ある。やらないでいると、「やらねば!」
という思いにいつまでも取り憑かれて、頭の中は『過食嘔吐』
一辺倒になってしまい、落ち着いて就眠できない。
この事から言えるのは、
『今の私にとって過食嘔吐は必要な症状である』
と言う事である。これは海に浮かぶ筏の様に、心許ないもの
である。心許ない『筏』という例えをされたのは、
今日の主治医との電話診察中の事であった。
摂食障害だけでなく、パニック発作を持つ人や強迫性障害を
抱える人、うつ病の人もこの心許ない筏に必死でしがみついて
過ごしているのであると仰った。
例えば海で足のつかない所にいる時、其処に何も無いと慌て
ふためいてしまう。心許なくても、病という筏に
しがみついていれば、何とか1日1日を過ごせる。
本来なら、いつかその筏がなくても大丈夫な状態になり、
自力で岸に辿り着ける事が最も最適な事かもしれない。
しかし今の私から『過食嘔吐』という筏を
取り上げられてしまったら、今度は『拒食』という名の
筏を作りそれにしがみ付くのであろう。それ程私の精神や心の
中は荒波がざわめいていて、均衡が図れていないのである。
勿論、病は物凄く辛いし、苦しいから早く温かい人のいる岸に
辿り着きたいと願う。けれども時期や状況を考えねば、
足のつかない程の深い海で、忽ち溺れてしまうであろう。
直ぐ壊れてしまいそうな筏を修理しつつ、唯、普通の優しさを
持つ人々の所へ辿り着けたならば、筏は必要なくなる。
しかし昨今のこの情勢で、病を持つ人が筏もなく泳いでいける
訳はない。1人で一生懸命頑張っている方々もいらっしゃる。
しかし私が経験したように、沢山頑張れば頑張る程、苦しみが
増していき、この社会という深い暗い病の海に溺れてしまうで
あろう。
今は病気の海に溺れそうになりながらも、病という筏にしがみ
ついて波が穏やかになるのを待つしかないのであろう。
私は11年摂食障害を患っているので、その年数分、治療の
時間が掛かると言われている。だから長いスパンで考えて
行かねばならない。
今日は体調が非常に悪く、お腹を下してばかりいて、トイレと
お友達になっていた。水分が出て行くと補給しなければ
ならないので、一応イオン水やミネラルウォーターを飲んで
おいた。段々体が弱ってきているのを感じるが、今は小康状態を
保っていくしか術はない。
ゆっくりと無理をせず、病気に侵されたり飲み込まれたりしない
様に、落ち着いて次の一歩を踏み出せる場所を探したい。
『何故こんな辛くて苦しい思いまでして食べて吐くんだ!』
そう自分を罵りながら、次から次へと殆ど無意識に口に食べ物を
運んでいく。吐く事だけを考えながら、気分が悪くて吐きそうに
なるまでその作業は続く。それらは私の『強迫性障害』
からきている為、全てが終わると安心するというか、達成感が
ある。やらないでいると、「やらねば!」
という思いにいつまでも取り憑かれて、頭の中は『過食嘔吐』
一辺倒になってしまい、落ち着いて就眠できない。
この事から言えるのは、
『今の私にとって過食嘔吐は必要な症状である』
と言う事である。これは海に浮かぶ筏の様に、心許ないもの
である。心許ない『筏』という例えをされたのは、
今日の主治医との電話診察中の事であった。
摂食障害だけでなく、パニック発作を持つ人や強迫性障害を
抱える人、うつ病の人もこの心許ない筏に必死でしがみついて
過ごしているのであると仰った。
例えば海で足のつかない所にいる時、其処に何も無いと慌て
ふためいてしまう。心許なくても、病という筏に
しがみついていれば、何とか1日1日を過ごせる。
本来なら、いつかその筏がなくても大丈夫な状態になり、
自力で岸に辿り着ける事が最も最適な事かもしれない。
しかし今の私から『過食嘔吐』という筏を
取り上げられてしまったら、今度は『拒食』という名の
筏を作りそれにしがみ付くのであろう。それ程私の精神や心の
中は荒波がざわめいていて、均衡が図れていないのである。
勿論、病は物凄く辛いし、苦しいから早く温かい人のいる岸に
辿り着きたいと願う。けれども時期や状況を考えねば、
足のつかない程の深い海で、忽ち溺れてしまうであろう。
直ぐ壊れてしまいそうな筏を修理しつつ、唯、普通の優しさを
持つ人々の所へ辿り着けたならば、筏は必要なくなる。
しかし昨今のこの情勢で、病を持つ人が筏もなく泳いでいける
訳はない。1人で一生懸命頑張っている方々もいらっしゃる。
しかし私が経験したように、沢山頑張れば頑張る程、苦しみが
増していき、この社会という深い暗い病の海に溺れてしまうで
あろう。
今は病気の海に溺れそうになりながらも、病という筏にしがみ
ついて波が穏やかになるのを待つしかないのであろう。
私は11年摂食障害を患っているので、その年数分、治療の
時間が掛かると言われている。だから長いスパンで考えて
行かねばならない。
今日は体調が非常に悪く、お腹を下してばかりいて、トイレと
お友達になっていた。水分が出て行くと補給しなければ
ならないので、一応イオン水やミネラルウォーターを飲んで
おいた。段々体が弱ってきているのを感じるが、今は小康状態を
保っていくしか術はない。
ゆっくりと無理をせず、病気に侵されたり飲み込まれたりしない
様に、落ち着いて次の一歩を踏み出せる場所を探したい。
想いがどろどろ渦巻く日。
2006年6月20日 診察・カウンセリング コメント (8)先週の火曜日からなれない外出を繰り返した為か、その疲れが
ドッと出てしまったようである。月曜、2度目の過食嘔吐が
始まってしまってからは、
『明日起きる事も徹夜も無理だ』と
確信し、その通りお薬を通常通り服用すると16時半まで
昏々と眠り続けていた。夕方からは電話診察がある為、
急いでシャワーを浴びて日中薬を服用し、一息ついた。
この一週間に起こった出来事を話し、それに因って自分が
どういう心持ちになったか、どういう状態になったかを
詳しく説明した。テンションが上がるスイッチがONになると
病気など忘れて楽しく明るく饒舌になる。しかし此れが曲者で
後で物凄い疲労感となって表れるのである。元々が抑うつ状態
であり、ダウナーな状態が普通の私にとっては、かなり辛い。
スイッチが入り元気一杯になってしまう事は、その間少し
離人感を覚えるが、それでも楽しい時間を過ごせる。
しかし後々の私にとってはもう、辛い事この上ないと言う
感じである。
今日は改めて言葉の大切さを感じた。
主治医が貸して下さった『寺山○司著寺●修司少女詩集』は、
素晴らしい発想と綺麗な言葉が綴られていて、自分も購入した。
何度読んでも新鮮で、心にじわっと染み渡る感じがとても良い。
その話を診察で少しした後、自分の過去についての話になった。
私は、思い起こすと3歳の頃から神経症を患っていて、心因性の
チック症や小児喘息を患っていた。その頃は丁度妹が産まれた
時期と重なり、また母の叱責も酷くなっていた頃でもあるので、
先ず最初の外へ対するSOSであったのであろう。
また、小学3年生の時には自我が芽生え始め、
「死ねば楽になるのだろうな」
と日がな一日考えていた。そして6年生の時両親の怒鳴り合う
喧嘩(父が母を一方的に攻撃して詰り怒鳴る)でストレス性
胃炎を患った。これも外に対するSOSの症状であったが、
周りの大人は教師を含め非情で、胃痛・腹痛を訴える私を
「気合が足りない情けないヤツだ」
と言い放たれるばかりであった。
主治医の見解でも、もしもその時優しい大人が何らかの
フォローをしていたら、今の状態も少しは違っていたのかも
知れないと仰った。そして最後のSOSである摂食障害さえも
叱責されたり馬鹿にされたり罵られたりして、救いようが
無かった。その為か、自分の弱さからか、こうして11年続く
病を患う事になった。その上にうつ病との診断を受け、
正直こうして綴っている事すら辛くなる時もある。
『人の温かさ』。此れは最近に
なって
漸く感じられるようになってきた。兎角母の変化が
めまぐるしいもので、一時期病気の私を出戻りした妹と共に
かなり罵られ、迷惑モノ扱いをされ、ゴミ同然の扱いであった。
未だにその頃の辛く苦しい心の傷は癒えていない。
しかし今の母は温かく慈愛に溢れている。少しずつ変わってきて
くれたのである。今や二人三脚のような感じで、何とか毎日を
過ごしている。
明日からは少し生き急ぐペースを落とし、ゆったり過ごしたいと
思う。来週こそはカウンセリングの為病院へ行けるように、
体力と気力を温存したい。今の私は、
無理する事なく休養する事が仕事なのであるから・・・。
ドッと出てしまったようである。月曜、2度目の過食嘔吐が
始まってしまってからは、
『明日起きる事も徹夜も無理だ』と
確信し、その通りお薬を通常通り服用すると16時半まで
昏々と眠り続けていた。夕方からは電話診察がある為、
急いでシャワーを浴びて日中薬を服用し、一息ついた。
この一週間に起こった出来事を話し、それに因って自分が
どういう心持ちになったか、どういう状態になったかを
詳しく説明した。テンションが上がるスイッチがONになると
病気など忘れて楽しく明るく饒舌になる。しかし此れが曲者で
後で物凄い疲労感となって表れるのである。元々が抑うつ状態
であり、ダウナーな状態が普通の私にとっては、かなり辛い。
スイッチが入り元気一杯になってしまう事は、その間少し
離人感を覚えるが、それでも楽しい時間を過ごせる。
しかし後々の私にとってはもう、辛い事この上ないと言う
感じである。
今日は改めて言葉の大切さを感じた。
主治医が貸して下さった『寺山○司著寺●修司少女詩集』は、
素晴らしい発想と綺麗な言葉が綴られていて、自分も購入した。
何度読んでも新鮮で、心にじわっと染み渡る感じがとても良い。
その話を診察で少しした後、自分の過去についての話になった。
私は、思い起こすと3歳の頃から神経症を患っていて、心因性の
チック症や小児喘息を患っていた。その頃は丁度妹が産まれた
時期と重なり、また母の叱責も酷くなっていた頃でもあるので、
先ず最初の外へ対するSOSであったのであろう。
また、小学3年生の時には自我が芽生え始め、
「死ねば楽になるのだろうな」
と日がな一日考えていた。そして6年生の時両親の怒鳴り合う
喧嘩(父が母を一方的に攻撃して詰り怒鳴る)でストレス性
胃炎を患った。これも外に対するSOSの症状であったが、
周りの大人は教師を含め非情で、胃痛・腹痛を訴える私を
「気合が足りない情けないヤツだ」
と言い放たれるばかりであった。
主治医の見解でも、もしもその時優しい大人が何らかの
フォローをしていたら、今の状態も少しは違っていたのかも
知れないと仰った。そして最後のSOSである摂食障害さえも
叱責されたり馬鹿にされたり罵られたりして、救いようが
無かった。その為か、自分の弱さからか、こうして11年続く
病を患う事になった。その上にうつ病との診断を受け、
正直こうして綴っている事すら辛くなる時もある。
『人の温かさ』。此れは最近に
なって
漸く感じられるようになってきた。兎角母の変化が
めまぐるしいもので、一時期病気の私を出戻りした妹と共に
かなり罵られ、迷惑モノ扱いをされ、ゴミ同然の扱いであった。
未だにその頃の辛く苦しい心の傷は癒えていない。
しかし今の母は温かく慈愛に溢れている。少しずつ変わってきて
くれたのである。今や二人三脚のような感じで、何とか毎日を
過ごしている。
明日からは少し生き急ぐペースを落とし、ゆったり過ごしたいと
思う。来週こそはカウンセリングの為病院へ行けるように、
体力と気力を温存したい。今の私は、
無理する事なく休養する事が仕事なのであるから・・・。
A Sleep Disorder...
2006年6月17日 診察・カウンセリング コメント (2)就眠前のお薬を服用しなければ、眠気が訪れる事は無い。
しかし早起きをしなければならない時は、そのお薬を服用して
しまうと、泥の様に眠ってしまい起床する事が出来ない。
なので自分で調整するしかないのであるが、その時の体調、
心の状態によって大きく効果の現れ方が変わるので悩む。
今週は2日、日中から外出した為にあっという間に過ぎた感じが
した。しかし、今の私にとって『外出するという事』は
多大なる体力・精神力を要する為に、疲労困憊してしまう。
普段と違った日々を送った為に、睡眠時間も今週は少なかった。
しかし、幾ら疲弊していても自然に眠気は訪れなくて、
歯痒い思いをし、地団太を踏みたくなる。仕方なく、眠剤を
調節して服用して次の日ゆったり過ごせる事を願いながら、
眠りに堕ちるような日々が続いている。
今日は電話診察がある為、大幅に眠剤を減らして服用した。
一番強い薬は服用しないと診察が終わった後
『過食嘔吐地獄』に堕ちてしまうので、他の比較的
軽いお薬を減らした。
それでも起床したら眠くて眠くて堪らなかった。普段の私で
あれば、まだまだ夢の中と言う時間に目覚めるのは、かなりの
苦痛である。しかも主治医の声はとても安心できる優しい声を
している為、催眠状態になるような感じで眠気が襲うのである。
火曜日から今日までの事の顛末を一生懸命おぼつかない感じでは
あるが、必死で話した。やはり美容室へ行った後、
『テンションが上がるスイッチ』が入ったままで
そのまま過覚醒状態にあったのは仕方の無い事だといわれた。
でもこうやって経験を積み重ねる事で、どういう状態にあれば
テンションが上がってしまい、後で酷く辛い思いをすると言う
事を学習できたと思う。そして様々な心の推移をお話した。
そして母の誕生日が14日であったので、お花とお手紙を
渡したと告げた。其処で主治医の助言としては、
「その手紙の中にね、『お母さん』という言葉を沢山
使った方がいいよ。あなたのお母さんが、そうして
『お母さん』と呼ばれる事で、お母さんの中の『母』としての
自覚がどんどん芽生えて来るからね。大切な事だよ。」
と言う話であった。私は思い出してみると、結構母への手紙に
『お母さん』という言葉を多用していたと思う。
本当は母も私の祖母に対して『お母さん』と呼ぶことで祖母の
『母である』と言う自覚が生まれたら、私の母も随分救われる
であろうという話であった。
子どもの頃は本当に鬼の様に恐かった母。しかし今はとても
優しい、慈愛に満ちた母であり、そのギャップに少し戸惑う事も
ある。でも母が変わってくれたお陰で、私の心も随分落ち着きを
取り戻せたと思う。
段々、いつも私が多用する「ごめんね」よりも
「ありがとう」という言葉が増えてきたように感じる。
いつまでも感謝の気持ちは忘れないでいたい。そしてなるべく
謙虚に生きていけたらと願って止まない。
唯、本当に過食をしたり嘔吐をしたりする事は地獄である。
地獄がどんな所なのかは知らないが、余りにも苦しくて苦しくて
「死んだ方がマシだ」との思いは
簡単に消えてはくれない。しかし母が生きている限り死ねない。
これ以上の親不孝を重ねない為にも、痩せる事は多目に見て
もらいながら、母の為に行き続けなければならないのだと
苦しみながら、自分に言い聞かせている・・・。
母が幸せを感じてもらえれば、私はそれだけで嬉しいので
あるから・・・。
しかし早起きをしなければならない時は、そのお薬を服用して
しまうと、泥の様に眠ってしまい起床する事が出来ない。
なので自分で調整するしかないのであるが、その時の体調、
心の状態によって大きく効果の現れ方が変わるので悩む。
今週は2日、日中から外出した為にあっという間に過ぎた感じが
した。しかし、今の私にとって『外出するという事』は
多大なる体力・精神力を要する為に、疲労困憊してしまう。
普段と違った日々を送った為に、睡眠時間も今週は少なかった。
しかし、幾ら疲弊していても自然に眠気は訪れなくて、
歯痒い思いをし、地団太を踏みたくなる。仕方なく、眠剤を
調節して服用して次の日ゆったり過ごせる事を願いながら、
眠りに堕ちるような日々が続いている。
今日は電話診察がある為、大幅に眠剤を減らして服用した。
一番強い薬は服用しないと診察が終わった後
『過食嘔吐地獄』に堕ちてしまうので、他の比較的
軽いお薬を減らした。
それでも起床したら眠くて眠くて堪らなかった。普段の私で
あれば、まだまだ夢の中と言う時間に目覚めるのは、かなりの
苦痛である。しかも主治医の声はとても安心できる優しい声を
している為、催眠状態になるような感じで眠気が襲うのである。
火曜日から今日までの事の顛末を一生懸命おぼつかない感じでは
あるが、必死で話した。やはり美容室へ行った後、
『テンションが上がるスイッチ』が入ったままで
そのまま過覚醒状態にあったのは仕方の無い事だといわれた。
でもこうやって経験を積み重ねる事で、どういう状態にあれば
テンションが上がってしまい、後で酷く辛い思いをすると言う
事を学習できたと思う。そして様々な心の推移をお話した。
そして母の誕生日が14日であったので、お花とお手紙を
渡したと告げた。其処で主治医の助言としては、
「その手紙の中にね、『お母さん』という言葉を沢山
使った方がいいよ。あなたのお母さんが、そうして
『お母さん』と呼ばれる事で、お母さんの中の『母』としての
自覚がどんどん芽生えて来るからね。大切な事だよ。」
と言う話であった。私は思い出してみると、結構母への手紙に
『お母さん』という言葉を多用していたと思う。
本当は母も私の祖母に対して『お母さん』と呼ぶことで祖母の
『母である』と言う自覚が生まれたら、私の母も随分救われる
であろうという話であった。
子どもの頃は本当に鬼の様に恐かった母。しかし今はとても
優しい、慈愛に満ちた母であり、そのギャップに少し戸惑う事も
ある。でも母が変わってくれたお陰で、私の心も随分落ち着きを
取り戻せたと思う。
段々、いつも私が多用する「ごめんね」よりも
「ありがとう」という言葉が増えてきたように感じる。
いつまでも感謝の気持ちは忘れないでいたい。そしてなるべく
謙虚に生きていけたらと願って止まない。
唯、本当に過食をしたり嘔吐をしたりする事は地獄である。
地獄がどんな所なのかは知らないが、余りにも苦しくて苦しくて
「死んだ方がマシだ」との思いは
簡単に消えてはくれない。しかし母が生きている限り死ねない。
これ以上の親不孝を重ねない為にも、痩せる事は多目に見て
もらいながら、母の為に行き続けなければならないのだと
苦しみながら、自分に言い聞かせている・・・。
母が幸せを感じてもらえれば、私はそれだけで嬉しいので
あるから・・・。
4ヶ月ぶりのカウンセリング。
2006年6月13日 診察・カウンセリング コメント (6)やはり今朝方まで過食嘔吐で時間が潰れてしまったが、
『今日こそはカウンセリングと診察に行く!』
との決意の元、眠らない事にした。しかし仮眠はしておこうかと
日中のお薬だけを飲んでみたが、一向に眠気は訪れない。
なので読書をしたり、録り貯めたビデオを観たりして時間を
潰した。
4ヶ月ぶりにあったカウンセラーは益々チョイワル系の素敵で
ダンディーな雰囲気を醸し出し、且、とても優しく
何も変わっていなくて安心してカウンセリングルームに入った。
この4ヶ月、本当に色々ありすぎて、何から話せばよいのか
頭の中はまだ整理できないままであったが、一番ショックだった
例の、妹の友達の事件から話の口火を切り、其処から色々な
渦巻く感情、今の状態、何もかも投げやりになっている
自分の姿について話を進めた。たどたどしい言葉しか出て
来なかった自分が悔しかった。やはり一睡もせず、精神が
昂ったままであると、落ち着いて理路整然と話す事が出来ない。
それでもどうにか先生の質問に答える事によって少しずつ
話をする事ができた。
私自身の身体の変化としては、2ヶ月生理がきていない事、
昼夜逆転の生活となってしまっている事、そして
日中何も食べ物を食べる事が出来なくなった事を主に話した。
大学生の頃、35kgまで体重が減っても生理はきていた。
しかしやはり精神的なもの、ストレス、生活習慣の乱れ、また
それ以上に体重が減ってしまった事が原因であろうと感じる。
数値を見た訳ではない。左手人差し指にフィットしていた指輪が
ゆるゆるになり左指よりは少し太い右手人差し指にはめる様に
なった事や身体の酷い疲労感から、体力も体重も落ちたようには
感じる。しかし、私の頭の中の、ボディイメージではまだまだ
太っていると感じるのである。太ももや二の腕など、シャワーを
浴びて洗っていると太く感じる。その前に私は目が悪くて
ぼやけているせいもあるかも知れないが・・・。
しかしカウンセラーには
「それはね、あなたのボディイメージが歪んでいる
という事なんですよ。4ヶ月前と比べたら大分痩せてしまって
ますよ。」
と強調された。しかし私はどうしても身体が太っている感じが
してならない。だから
『もっともっともっともっと痩せなければ』
と思うのである。
でも久し振りに家族以外の信頼できる方と話す事ができて
喜びも一入である。勿論その後には主治医との診察があった。
この事については後日述べたいと思う。
兎に角、面と向かって色々とお話できた事が、何やら
達成感というものになり、幾分心がすっきりとした。
きちんと面と向かい、視線を合わせて会話をする事は本当に
大切な事だと感じた。
これからは余り気負わず、『病院へ行く為に頑張りたい』と
誓う事もしないようにして、自分の身体の具合と相談しながら
カウンセリングと診察の回数を重ねていけたらと思う。
本当に今日は充実した一日であった。
『今日こそはカウンセリングと診察に行く!』
との決意の元、眠らない事にした。しかし仮眠はしておこうかと
日中のお薬だけを飲んでみたが、一向に眠気は訪れない。
なので読書をしたり、録り貯めたビデオを観たりして時間を
潰した。
4ヶ月ぶりにあったカウンセラーは益々チョイワル系の素敵で
ダンディーな雰囲気を醸し出し、且、とても優しく
何も変わっていなくて安心してカウンセリングルームに入った。
この4ヶ月、本当に色々ありすぎて、何から話せばよいのか
頭の中はまだ整理できないままであったが、一番ショックだった
例の、妹の友達の事件から話の口火を切り、其処から色々な
渦巻く感情、今の状態、何もかも投げやりになっている
自分の姿について話を進めた。たどたどしい言葉しか出て
来なかった自分が悔しかった。やはり一睡もせず、精神が
昂ったままであると、落ち着いて理路整然と話す事が出来ない。
それでもどうにか先生の質問に答える事によって少しずつ
話をする事ができた。
私自身の身体の変化としては、2ヶ月生理がきていない事、
昼夜逆転の生活となってしまっている事、そして
日中何も食べ物を食べる事が出来なくなった事を主に話した。
大学生の頃、35kgまで体重が減っても生理はきていた。
しかしやはり精神的なもの、ストレス、生活習慣の乱れ、また
それ以上に体重が減ってしまった事が原因であろうと感じる。
数値を見た訳ではない。左手人差し指にフィットしていた指輪が
ゆるゆるになり左指よりは少し太い右手人差し指にはめる様に
なった事や身体の酷い疲労感から、体力も体重も落ちたようには
感じる。しかし、私の頭の中の、ボディイメージではまだまだ
太っていると感じるのである。太ももや二の腕など、シャワーを
浴びて洗っていると太く感じる。その前に私は目が悪くて
ぼやけているせいもあるかも知れないが・・・。
しかしカウンセラーには
「それはね、あなたのボディイメージが歪んでいる
という事なんですよ。4ヶ月前と比べたら大分痩せてしまって
ますよ。」
と強調された。しかし私はどうしても身体が太っている感じが
してならない。だから
『もっともっともっともっと痩せなければ』
と思うのである。
でも久し振りに家族以外の信頼できる方と話す事ができて
喜びも一入である。勿論その後には主治医との診察があった。
この事については後日述べたいと思う。
兎に角、面と向かって色々とお話できた事が、何やら
達成感というものになり、幾分心がすっきりとした。
きちんと面と向かい、視線を合わせて会話をする事は本当に
大切な事だと感じた。
これからは余り気負わず、『病院へ行く為に頑張りたい』と
誓う事もしないようにして、自分の身体の具合と相談しながら
カウンセリングと診察の回数を重ねていけたらと思う。
本当に今日は充実した一日であった。
我慢するべきものではないという事。
2006年6月3日 診察・カウンセリング コメント (2)いつもの過食嘔吐は、いつものように朝方まで続いた。
もう止めたい!食べたくない!と言う思いが強いが、
いつの間にか食べ物を欲して貪っているのである。余りにも
醜い行為に自分にほとほと嫌気がさす。
それに疲れ方も半端じゃなくなってきた。私はうつ病で外出が
困難になり、胃薬を飲み抗不安剤を飲んでまでして
半額セールの始まるスーパーへ行けているのである。なので
歯医者にはずっと行っていない。とてもじゃないがいける状態
ではないのである。私は虫歯どころか、治療途中の歯、折れた歯
そして炎症を起こす親知らずを抱えている。なのでこの半年
抗生物質を精神科で処方されて服用している。こんなに長期に
渡って服用すると、肝臓に多大なるダメージを与える。だから
なのか、普段から何ともいえない怠さが抜けない。しかし自分の
組み立てた時間割通り物事をやりこなせねばならないので、
酷く疲れる。
今日は電話診察の日であった。一応眠剤等を少なめに服用したが
起きるのが精一杯で頭は中々覚醒しなかった。そんな中での
主治医との話は時に受話器を落としそうになる程、眠くて朦朧と
していた。さっき自分が言ったことすら思い出せず辛かったが、
唯一心に深く残った言葉があった。
『過食嘔吐は我慢するものではないよ。寂しいと思う
心を自分で抱き締めてあげて、その症状をも抱き締める事が
必要なんだよ。』
というものである。私は目から鱗が落ちた気分に陥った。
いつも自分に言い聞かせていたのは、『食べちゃ駄目だ』
とか『食べたらすぐ過食嘔吐に繋がるのだから我慢せねば』
と言うものであったから・・・。自分の心にぽっかり空いた穴は、
『寂しさ・哀しみ』に因り出来たもので
あることを改めて思い知らされた気分であった。
しかし今の弱った私にはその寂しい心を抱き締めてあげる事は
到底無理であろう。・・・先日2回目の嘔吐をどうしても我慢
しなければならない状態に陥った時、母が後ろから抱き締めて
くれた。私の中の寂しく疼いていた心が、母の体温のぬくもりに
包まれ、「我慢できる!」と感じ、実際成功した。
其処から学ぶべきものは多いであろう。
しかしいつまでも母がそうしてくれる訳ではない。だから私が
自分で所謂『過食嘔吐をしたいと思う心』を抱き締めて
やらねばならないのであろう。
我慢を続けていたら、いつか爆発する。良い結果は生まれない。
今日の主治医の言葉は温かかった。この言葉を心に留め、
忘れる事なく、いつか自分の心を温かく抱き締めてやれたらと
願って止まない。
もう止めたい!食べたくない!と言う思いが強いが、
いつの間にか食べ物を欲して貪っているのである。余りにも
醜い行為に自分にほとほと嫌気がさす。
それに疲れ方も半端じゃなくなってきた。私はうつ病で外出が
困難になり、胃薬を飲み抗不安剤を飲んでまでして
半額セールの始まるスーパーへ行けているのである。なので
歯医者にはずっと行っていない。とてもじゃないがいける状態
ではないのである。私は虫歯どころか、治療途中の歯、折れた歯
そして炎症を起こす親知らずを抱えている。なのでこの半年
抗生物質を精神科で処方されて服用している。こんなに長期に
渡って服用すると、肝臓に多大なるダメージを与える。だから
なのか、普段から何ともいえない怠さが抜けない。しかし自分の
組み立てた時間割通り物事をやりこなせねばならないので、
酷く疲れる。
今日は電話診察の日であった。一応眠剤等を少なめに服用したが
起きるのが精一杯で頭は中々覚醒しなかった。そんな中での
主治医との話は時に受話器を落としそうになる程、眠くて朦朧と
していた。さっき自分が言ったことすら思い出せず辛かったが、
唯一心に深く残った言葉があった。
『過食嘔吐は我慢するものではないよ。寂しいと思う
心を自分で抱き締めてあげて、その症状をも抱き締める事が
必要なんだよ。』
というものである。私は目から鱗が落ちた気分に陥った。
いつも自分に言い聞かせていたのは、『食べちゃ駄目だ』
とか『食べたらすぐ過食嘔吐に繋がるのだから我慢せねば』
と言うものであったから・・・。自分の心にぽっかり空いた穴は、
『寂しさ・哀しみ』に因り出来たもので
あることを改めて思い知らされた気分であった。
しかし今の弱った私にはその寂しい心を抱き締めてあげる事は
到底無理であろう。・・・先日2回目の嘔吐をどうしても我慢
しなければならない状態に陥った時、母が後ろから抱き締めて
くれた。私の中の寂しく疼いていた心が、母の体温のぬくもりに
包まれ、「我慢できる!」と感じ、実際成功した。
其処から学ぶべきものは多いであろう。
しかしいつまでも母がそうしてくれる訳ではない。だから私が
自分で所謂『過食嘔吐をしたいと思う心』を抱き締めて
やらねばならないのであろう。
我慢を続けていたら、いつか爆発する。良い結果は生まれない。
今日の主治医の言葉は温かかった。この言葉を心に留め、
忘れる事なく、いつか自分の心を温かく抱き締めてやれたらと
願って止まない。
思考の迷路で立ち尽くす。
2006年5月30日 診察・カウンセリング コメント (4)日毎に生きていく事が難しくなっていく。
些細な事で躓く。例えばトイレの流れ一つで私は途方に暮れて
「いつ、また詰まってしまうのだろう」と
胃や頭が締め付けられるような思いでびくびくしながら過ごす。
でも、主治医は過食嘔吐を無理して我慢する事は良くないという
考えを持っている人なので、私の苦しみを解ろうとして下さる。
母より1歳年下の男性医師であるが、摂食障害についてよく
勉強していらっしゃって、私の心を優しく時に厳しく労わって
下さるので、私は安心して主治医とお話ができるのである。
摂食障害で過食嘔吐・拒食である事をちゃんと把握して
下さっていて、適切な言葉でその病気であることの意味を
説いて下さる時、よく『千と千尋の○隠し』のアニメの物語が
用いられる。私は主な登場人物の特徴を全て持っていて、
それはきっと他の摂食障害の方々も同じなのであろう。
“かおなし”の誰にも気付かれず無視されたり厄介者
扱いされたりする寂しさ・哀しみ。
“ハク”の湯婆に支配され、無謀にも命を擲ってまで
命令に従ったり自分の名前を取り戻そうとしたりする様。
その為に半死半生のみになって油場に帰ってきて苦玉を千尋に
飲まされ暴れまわる姿。
“千(千尋)”の献身的で、両親を救う為やかおなしを
助けたり、ハクを救ったりする姿。
どれも私の中にある要素であり、きっと同じ病を持つ人の中にも
あるものであろうと感じる。そして私は今の状態が色濃く
かおなしである事も主治医に説かれると納得がいく。
3歳の時から『お姉ちゃん』として
生きてこなければならなかった自分。母の苛立ち・八つ当たり的
叱責、殴打は殆ど私に向けられた過去。妹が叱責を受け体罰を
受けている時の生々しい音。あの痛みを味わうなら私だけで
いいと感じた事。自分が殴打されるのならまだ良いが、妹や弟が
打たれたり蹴られたりしている姿を目の当たりにするのも
辛かった。私が代わりたかった。しかしそういう考えそのもの
こそ『大人に取って都合のいい子』であったのであろう。
病に侵され、養生中の身であると、その『いい子』は邪魔な
考えとなる。素直な自分を出せず殺してしまうからであろう。
つまり病気の世界で『いい子』は『不良病人』だと
主治医は仰った。漠然と何となくであるが、納得のいく言葉で
あると感じた。要するに、『かおなし』の「寂しい、寂しい」
という台詞を素直に出して生きていけられたらいいのである。
本当は、そんな弱みを見せずに、この病を患っていても頑張って
社会に出て働いている人の方が素晴らしいと感じている。
しかしその人達は大抵沢山のストレスを抱え、病気が悪化の
一途を辿っている感じは否めない。でもその姿は尊敬に値する程
素晴らしいものである。
今日も地獄の苦しみの中過ごす夜を呪っている。
電話診察のあった日は、思考回路がまるで迷路状態になって
しまって只管立ち尽くすしか術はない。ゆっくりと言葉を
咀嚼し自分のものにしていくしかない。
明日は晴れるらしい。こんなにも抑うつ状態であると太陽の光が
余りにも自分にとって眩しすぎて負けそうになる。
しかし、私は母の為に生きねばならない。母が死ぬまで私は、
死んではならないのである。『蛇の生殺し』と言っても過言では
無いが、生きているだけで母が安寧を得られるのであれば、
どうにかしてあらゆる辛苦を耐えようと感じるのである。
些細な事で躓く。例えばトイレの流れ一つで私は途方に暮れて
「いつ、また詰まってしまうのだろう」と
胃や頭が締め付けられるような思いでびくびくしながら過ごす。
でも、主治医は過食嘔吐を無理して我慢する事は良くないという
考えを持っている人なので、私の苦しみを解ろうとして下さる。
母より1歳年下の男性医師であるが、摂食障害についてよく
勉強していらっしゃって、私の心を優しく時に厳しく労わって
下さるので、私は安心して主治医とお話ができるのである。
摂食障害で過食嘔吐・拒食である事をちゃんと把握して
下さっていて、適切な言葉でその病気であることの意味を
説いて下さる時、よく『千と千尋の○隠し』のアニメの物語が
用いられる。私は主な登場人物の特徴を全て持っていて、
それはきっと他の摂食障害の方々も同じなのであろう。
“かおなし”の誰にも気付かれず無視されたり厄介者
扱いされたりする寂しさ・哀しみ。
“ハク”の湯婆に支配され、無謀にも命を擲ってまで
命令に従ったり自分の名前を取り戻そうとしたりする様。
その為に半死半生のみになって油場に帰ってきて苦玉を千尋に
飲まされ暴れまわる姿。
“千(千尋)”の献身的で、両親を救う為やかおなしを
助けたり、ハクを救ったりする姿。
どれも私の中にある要素であり、きっと同じ病を持つ人の中にも
あるものであろうと感じる。そして私は今の状態が色濃く
かおなしである事も主治医に説かれると納得がいく。
3歳の時から『お姉ちゃん』として
生きてこなければならなかった自分。母の苛立ち・八つ当たり的
叱責、殴打は殆ど私に向けられた過去。妹が叱責を受け体罰を
受けている時の生々しい音。あの痛みを味わうなら私だけで
いいと感じた事。自分が殴打されるのならまだ良いが、妹や弟が
打たれたり蹴られたりしている姿を目の当たりにするのも
辛かった。私が代わりたかった。しかしそういう考えそのもの
こそ『大人に取って都合のいい子』であったのであろう。
病に侵され、養生中の身であると、その『いい子』は邪魔な
考えとなる。素直な自分を出せず殺してしまうからであろう。
つまり病気の世界で『いい子』は『不良病人』だと
主治医は仰った。漠然と何となくであるが、納得のいく言葉で
あると感じた。要するに、『かおなし』の「寂しい、寂しい」
という台詞を素直に出して生きていけられたらいいのである。
本当は、そんな弱みを見せずに、この病を患っていても頑張って
社会に出て働いている人の方が素晴らしいと感じている。
しかしその人達は大抵沢山のストレスを抱え、病気が悪化の
一途を辿っている感じは否めない。でもその姿は尊敬に値する程
素晴らしいものである。
今日も地獄の苦しみの中過ごす夜を呪っている。
電話診察のあった日は、思考回路がまるで迷路状態になって
しまって只管立ち尽くすしか術はない。ゆっくりと言葉を
咀嚼し自分のものにしていくしかない。
明日は晴れるらしい。こんなにも抑うつ状態であると太陽の光が
余りにも自分にとって眩しすぎて負けそうになる。
しかし、私は母の為に生きねばならない。母が死ぬまで私は、
死んではならないのである。『蛇の生殺し』と言っても過言では
無いが、生きているだけで母が安寧を得られるのであれば、
どうにかしてあらゆる辛苦を耐えようと感じるのである。
難しい時間の過ごし方。
2006年5月27日 診察・カウンセリング コメント (2)ぐったりと疲れた身体で早朝、今日の天気を考える。
天気予報では雨であるが、ぱらぱらと弱い雨音が聴こえるだけで
どうやら土砂降りにはなりそうに無い。きっとこのまま余り
日照時間の少ないまま入梅するのであろう。
今日は電話診察の日であったので、薬は大分減らして服用した。
すっきりした目覚めではなかったが、主治医が今日は午後から
出張へ行く為、12時半から凡そ1時間だけの診察となった。
主治医は、どうやら摂食障害若しくは過食嘔吐と言う漠然とした
症状を説明する術、はっきりとした病名の無い事について
色々考えて下さっていたようである。
『摂食障害』と一口で言っても、人それぞれ症状は
様々である。原因も人によって違うし、心の傷の深さも苦しみも
違ってくる。やはり例えとして、『千と千尋の○隠し』が
用いられた。
とてもしっくりと来る例えが見つかった。
登場してくる『顔なし』は誰からも相手にされず、
唯其処にたたずんでいたが、千(千尋)は気付いた。顔なしは
そんな千に喜んでもらう為に様々な事をする。そして肝心なのは
その行動である。
顔なしはまず蛙のお化けみたいなものを金で呼び寄せ食べた。
そして喋る能力を身に付け、千を求めるべく従業員達に金を
ばら撒いてどんどん食事を持ってこさせる。それをがつがつと
貪り、その間にも従業員を飲み込みもっと色々な能力を
身に付ける。食べて食べて・・・と言う様は、過食症の症状
そのものである。そして千に会い、心を奪わんとして金を
手から溢れ出させる。しかし千はそれを受け取らない。それは
千に必要の無いものだから。しかし顔なしは、千を、千の愛を
欲する。だから次々と従業員を食べて食べて・・・。しかし千に
よって苦玉を食べさせられ、千の為に食べた物を嘔吐していく。
千の心も愛も金では手に入れられない。でも千によって
飲まされた苦玉によって、埋めたかった心に仮詰めした食べ物を
どんどん吐き出していく。そして顔なしは呟く。
「寂しい、寂しい・・・。」と・・・。
その後、千に因って銭婆の所へ連れて行かれ、其処で居場所を
見つける。少し解りにくくなってしまったが、つまり
顔なしが摂食障害を患った人で千はそれを救う人
と言った所であろう。私は顔なしであり、私にとっての
千は、母である。
上記に述べた例は、勿論全ての人に当て嵌まる訳ではない。
しかし私の身の上で起こっている症状は正にこの通りだと
しっくりときたのである。穴の開いた心に食べ物で埋め合わせを
して、それは異質のものであるから嘔吐する。今の所私を救って
くれているのは母。私の奥底に眠っている『寂しい』
と言う感情が過食嘔吐に繋がっている事も納得できる。
閑話休題。
今日はいつもより早く目覚めた為、時間の過ごし方に困った。
余りにも普段より時間が有り余っている為に、過食衝動が
湧くということがとても恐かった。だから私は急いでシャワーを
浴び、過食嘔吐を出来ない状態にした。しかし土曜日はTVも
余り面白くない。其処で大分前に購入していたDVDを鑑賞する
事にした。『鳶がくる○と』という作品である。
ずっと毎日抑うつ状態が続いていたので、2時間も画面の前に
集中して居座る事が苦痛だったから避けていたが、日中のお薬を
服用した後だったので幾分心が楽になっていて、漸く封を開ける
日が来た。特典映像も満載で、勿論本編もとてもリラックスして
楽しんでみる事が出来た。コミカルな作品なので、力を抜いて
鑑賞できた。観終わった後、何かほんわかした気持ちが残った。
それにしても観月ありさの脚線美は素晴らしいと改めて感じた。
小学生の頃から好きだったので、後10cm身長があれば・・・とか
もっと痩せたいとその頃から思っていた。
丁度両親の喧嘩・・・と言っても父が一方的に母を怒鳴り罵るもので
あったが、その苦痛を感じているとき、伸びやかに美しい彼女を
TVで観た時から心を奪われた・・・。ファン暦14年には
なるであろう。飽きっぽい私にしては随分長く続いているもので
ある。夏からドラマが始まるので、それも楽しみにしている。
そうして難しい時間の過ごし方を有意義に過ごす事が出来て、
ずっと鬱々とした状態でなかった事は久し振りだと感じる。
過食嘔吐について・・・。今は無理して我慢したり抑制したり
するべきではないと感じる。無理などせず、自然でいられたらと
思うが、如何せん夜になればその苦しみが待っているので、
諸手を挙げて歓迎できるものではない。成るべくなら
やりたくはない。
どうやら雨が降り始めたようである。車が水溜りを跳ね上げる
音がざわざわと心に忍び寄ってくる。
せめて穏やかな夜を過ごしたい。過食嘔吐は唯でさえ苦痛で
恐怖さえも喚起するのであるから・・・。
天気予報では雨であるが、ぱらぱらと弱い雨音が聴こえるだけで
どうやら土砂降りにはなりそうに無い。きっとこのまま余り
日照時間の少ないまま入梅するのであろう。
今日は電話診察の日であったので、薬は大分減らして服用した。
すっきりした目覚めではなかったが、主治医が今日は午後から
出張へ行く為、12時半から凡そ1時間だけの診察となった。
主治医は、どうやら摂食障害若しくは過食嘔吐と言う漠然とした
症状を説明する術、はっきりとした病名の無い事について
色々考えて下さっていたようである。
『摂食障害』と一口で言っても、人それぞれ症状は
様々である。原因も人によって違うし、心の傷の深さも苦しみも
違ってくる。やはり例えとして、『千と千尋の○隠し』が
用いられた。
とてもしっくりと来る例えが見つかった。
登場してくる『顔なし』は誰からも相手にされず、
唯其処にたたずんでいたが、千(千尋)は気付いた。顔なしは
そんな千に喜んでもらう為に様々な事をする。そして肝心なのは
その行動である。
顔なしはまず蛙のお化けみたいなものを金で呼び寄せ食べた。
そして喋る能力を身に付け、千を求めるべく従業員達に金を
ばら撒いてどんどん食事を持ってこさせる。それをがつがつと
貪り、その間にも従業員を飲み込みもっと色々な能力を
身に付ける。食べて食べて・・・と言う様は、過食症の症状
そのものである。そして千に会い、心を奪わんとして金を
手から溢れ出させる。しかし千はそれを受け取らない。それは
千に必要の無いものだから。しかし顔なしは、千を、千の愛を
欲する。だから次々と従業員を食べて食べて・・・。しかし千に
よって苦玉を食べさせられ、千の為に食べた物を嘔吐していく。
千の心も愛も金では手に入れられない。でも千によって
飲まされた苦玉によって、埋めたかった心に仮詰めした食べ物を
どんどん吐き出していく。そして顔なしは呟く。
「寂しい、寂しい・・・。」と・・・。
その後、千に因って銭婆の所へ連れて行かれ、其処で居場所を
見つける。少し解りにくくなってしまったが、つまり
顔なしが摂食障害を患った人で千はそれを救う人
と言った所であろう。私は顔なしであり、私にとっての
千は、母である。
上記に述べた例は、勿論全ての人に当て嵌まる訳ではない。
しかし私の身の上で起こっている症状は正にこの通りだと
しっくりときたのである。穴の開いた心に食べ物で埋め合わせを
して、それは異質のものであるから嘔吐する。今の所私を救って
くれているのは母。私の奥底に眠っている『寂しい』
と言う感情が過食嘔吐に繋がっている事も納得できる。
閑話休題。
今日はいつもより早く目覚めた為、時間の過ごし方に困った。
余りにも普段より時間が有り余っている為に、過食衝動が
湧くということがとても恐かった。だから私は急いでシャワーを
浴び、過食嘔吐を出来ない状態にした。しかし土曜日はTVも
余り面白くない。其処で大分前に購入していたDVDを鑑賞する
事にした。『鳶がくる○と』という作品である。
ずっと毎日抑うつ状態が続いていたので、2時間も画面の前に
集中して居座る事が苦痛だったから避けていたが、日中のお薬を
服用した後だったので幾分心が楽になっていて、漸く封を開ける
日が来た。特典映像も満載で、勿論本編もとてもリラックスして
楽しんでみる事が出来た。コミカルな作品なので、力を抜いて
鑑賞できた。観終わった後、何かほんわかした気持ちが残った。
それにしても観月ありさの脚線美は素晴らしいと改めて感じた。
小学生の頃から好きだったので、後10cm身長があれば・・・とか
もっと痩せたいとその頃から思っていた。
丁度両親の喧嘩・・・と言っても父が一方的に母を怒鳴り罵るもので
あったが、その苦痛を感じているとき、伸びやかに美しい彼女を
TVで観た時から心を奪われた・・・。ファン暦14年には
なるであろう。飽きっぽい私にしては随分長く続いているもので
ある。夏からドラマが始まるので、それも楽しみにしている。
そうして難しい時間の過ごし方を有意義に過ごす事が出来て、
ずっと鬱々とした状態でなかった事は久し振りだと感じる。
過食嘔吐について・・・。今は無理して我慢したり抑制したり
するべきではないと感じる。無理などせず、自然でいられたらと
思うが、如何せん夜になればその苦しみが待っているので、
諸手を挙げて歓迎できるものではない。成るべくなら
やりたくはない。
どうやら雨が降り始めたようである。車が水溜りを跳ね上げる
音がざわざわと心に忍び寄ってくる。
せめて穏やかな夜を過ごしたい。過食嘔吐は唯でさえ苦痛で
恐怖さえも喚起するのであるから・・・。
暗い泥沼の中、足掻く。
2006年5月23日 診察・カウンセリング コメント (4)毎日毎日、「疲れた」としか言っていない。
同じ病を抱えた人でも社会に出て、生きていく為に一生懸命
働いている人がいる。私も働いていた時期があった。しかし
帰宅したらすぐ過食嘔吐が始まり、殆どエンドレスに夜中まで
繰り返し、寝不足のまま働いていた。辛かったし苦しかった。
その頃はまだ妹達と同居していた為、過食嘔吐のことで毎日
責められていた。息を殺しながら物音をなるべく立てないように
気を配り、ストレスフルの中ストレスの溜まる過食嘔吐を
続ける毎日であった。派遣契約は半年だった。変な所で几帳面な
私は幾ら疲れていても具合が悪くても、休まず出社した。
しかしやはり契約終了後ダウンした。物凄い抑うつ状態に襲われ
動けなくなった。しかし早く次の仕事を探さねば家族から
責められる。また、『働かざる者食うべからず』と
言った雰囲気が家を覆っていた為、私は必然的に邪魔者と
された。
閑話休題。
このような世知辛い世の中で、家族にも理解されず摂食障害に
苦しんでいる人はごまんと居るであろう。その方々に比べたら、
今の私なんて働いてもいなくて、うつ病の為に動けず、毎日
抑うつ状態の小さな波に心を左右されている自分が「疲れた」
等と言う事は不適切かもしれない。
けれども、小学生低学年の頃から抱える「死んでしまいたい」
と言う気持ちや母の自殺未遂を、手首から血が溢れ側に包丁が
ある光景が頭に焼き付いてフラッシュバックしてしまう現実は
どうにも否めない。希死念慮を抱えつつ、母が生きているから
死ぬ事はできない事。そして私の出生の理由が母を支える為、
母の味方となる為であるのだから、先に死に逝くのは赦されない
という気持ちだけで生きているのである。
過食も、嘔吐も、多大なる疲労を覚える。胃が限界を訴えても
脳は満足しなくて苦しくなるまで詰め込み、自分の中にある
嫌なもの苦しいもの辛いものと共に嘔吐する・・・。本当に
「疲れた・・・。」
としか言いようがないのである。
今日の電話診察では、母も私も生真面目であるから、もう少し
力を抜いてお互いを思い合い、励まし合い、共存していくように
なれたら良いと諭された。お互い柔軟性が足りないのだと
感じた。私は特に臨機応変が出来なくて、母に迷惑をかけたく
ないと思っても、心配は出来るだけさせたくないと思っても、
体が本当にくたばってしまうまで頑張る部分があり余計に
母に心的負担を与えているかも知れない。
過食嘔吐後の使用した食器洗いや片付けも、本当なら体が幾分
楽になった次の日にやっても良い事である。だが以前妹が居た時
食器を溜めて置くと厭味や罵詈雑言を浴びたり、2年前向精神薬
中毒で入院していた精神科の主治医と友人の、摂食障害に理解
無い、総合内科の主治医に「後片付けだけは責任持って
やらねばならない」と諭されたりした事がある。その事から、
何が何でも、目の前が真っ暗になって倒れそうになっても
後始末だけは律儀にしている。
摂食障害の愚痴だけの日記となってしまった事が申し訳ない。
過食嘔吐が自分を支えているのと同時に、拒食状態を貫いている
時間も、私を支えている。食べていない間、水分は摂取するが
じっくりと好きな読書を嗜め、離れた所に住んでいる親友と
メールを交わせる。唯一ゆっくり出来ている時である。
徐々に過食嘔吐の回数を2回から1回へと減らせたらもっと
身体も心も楽になるかもしれない。しかし衝動とは恐ろしく、
理性を全て打ち壊してしまう。そんな自分は酷く醜く感じる。
せめて夜中の過食嘔吐を早めに切り上げ、拒食状態でも
落ち着いて自分の好きなことが出来る時間を増やせれば心にも
ゆとりが生まれる気がする。
兎に角焦らない事が大切なので、ゆっくりやっていきたい。
同じ病を抱えた人でも社会に出て、生きていく為に一生懸命
働いている人がいる。私も働いていた時期があった。しかし
帰宅したらすぐ過食嘔吐が始まり、殆どエンドレスに夜中まで
繰り返し、寝不足のまま働いていた。辛かったし苦しかった。
その頃はまだ妹達と同居していた為、過食嘔吐のことで毎日
責められていた。息を殺しながら物音をなるべく立てないように
気を配り、ストレスフルの中ストレスの溜まる過食嘔吐を
続ける毎日であった。派遣契約は半年だった。変な所で几帳面な
私は幾ら疲れていても具合が悪くても、休まず出社した。
しかしやはり契約終了後ダウンした。物凄い抑うつ状態に襲われ
動けなくなった。しかし早く次の仕事を探さねば家族から
責められる。また、『働かざる者食うべからず』と
言った雰囲気が家を覆っていた為、私は必然的に邪魔者と
された。
閑話休題。
このような世知辛い世の中で、家族にも理解されず摂食障害に
苦しんでいる人はごまんと居るであろう。その方々に比べたら、
今の私なんて働いてもいなくて、うつ病の為に動けず、毎日
抑うつ状態の小さな波に心を左右されている自分が「疲れた」
等と言う事は不適切かもしれない。
けれども、小学生低学年の頃から抱える「死んでしまいたい」
と言う気持ちや母の自殺未遂を、手首から血が溢れ側に包丁が
ある光景が頭に焼き付いてフラッシュバックしてしまう現実は
どうにも否めない。希死念慮を抱えつつ、母が生きているから
死ぬ事はできない事。そして私の出生の理由が母を支える為、
母の味方となる為であるのだから、先に死に逝くのは赦されない
という気持ちだけで生きているのである。
過食も、嘔吐も、多大なる疲労を覚える。胃が限界を訴えても
脳は満足しなくて苦しくなるまで詰め込み、自分の中にある
嫌なもの苦しいもの辛いものと共に嘔吐する・・・。本当に
「疲れた・・・。」
としか言いようがないのである。
今日の電話診察では、母も私も生真面目であるから、もう少し
力を抜いてお互いを思い合い、励まし合い、共存していくように
なれたら良いと諭された。お互い柔軟性が足りないのだと
感じた。私は特に臨機応変が出来なくて、母に迷惑をかけたく
ないと思っても、心配は出来るだけさせたくないと思っても、
体が本当にくたばってしまうまで頑張る部分があり余計に
母に心的負担を与えているかも知れない。
過食嘔吐後の使用した食器洗いや片付けも、本当なら体が幾分
楽になった次の日にやっても良い事である。だが以前妹が居た時
食器を溜めて置くと厭味や罵詈雑言を浴びたり、2年前向精神薬
中毒で入院していた精神科の主治医と友人の、摂食障害に理解
無い、総合内科の主治医に「後片付けだけは責任持って
やらねばならない」と諭されたりした事がある。その事から、
何が何でも、目の前が真っ暗になって倒れそうになっても
後始末だけは律儀にしている。
摂食障害の愚痴だけの日記となってしまった事が申し訳ない。
過食嘔吐が自分を支えているのと同時に、拒食状態を貫いている
時間も、私を支えている。食べていない間、水分は摂取するが
じっくりと好きな読書を嗜め、離れた所に住んでいる親友と
メールを交わせる。唯一ゆっくり出来ている時である。
徐々に過食嘔吐の回数を2回から1回へと減らせたらもっと
身体も心も楽になるかもしれない。しかし衝動とは恐ろしく、
理性を全て打ち壊してしまう。そんな自分は酷く醜く感じる。
せめて夜中の過食嘔吐を早めに切り上げ、拒食状態でも
落ち着いて自分の好きなことが出来る時間を増やせれば心にも
ゆとりが生まれる気がする。
兎に角焦らない事が大切なので、ゆっくりやっていきたい。
1 2