もう騒音によって睡眠が途切れると言う失敗を繰り返さない

為にも、余っているお薬を1錠付け足して服用して眠った。

体内にフェノバールの量が今までよりも多く入ってしまうが、

怠さや身体に起こる変化よりも、眠る事が今一番大切だと

感じている。苦肉の策ではあるが、効果は絶大だった。

全く断眠する事なく、6時半頃から16時半まで眠れた。

ぐっすり眠れると身体も幾分軽く、楽であった。




ゆっくり身体を休めることが、今の私の仕事なのかもしれないが

何も出来ない自分がもどかしい。母に対して申し訳ない気持ちが

溢れて、『どうしよう、どうしたらいいんだろう・・・』

途方に暮れてしまう。何か動こうとしても身体が言う事を

聞かない。最低限の家事をこなすだけでくたばってしまう。



私は何て情けないんだろう。生きていていいのか・・・。



こういった感情が心の底から湧いてきて、無力感に溜息が出る。

これから生き続けて、何か生産的なことが出来るのか。

こうしていき続けて、母の助けになっているのか・・・。

何もかもが解らなくなる。




眠って起きて、夜になればアルコールを摂取し過食嘔吐する。

毎日変わらないこの繰り返し。廃人同然である。




今は心身を休める事が自分にとって大切な事である事は

分かっている。しかしどんどんと堕落していく自分を感じる。




土曜日には電話診察があるので、お薬を元に戻してもらう事も

考慮に入れている。新薬を服用し始めてまだ2日であるので、

気分の浮き沈みが少々出てきても仕方ないとは思っている。

でも矢鱈沈んだままでいると、苛々感が増してくるのである。

ドーパミンの量は常に通常の3分の1で保たれているので、

上がり過ぎたり下がり過ぎたりしている筈は無いが、

コントミンで感情抑制されていた方がマシである。




けれども今日ぐっすり眠れた事は、日頃の過食嘔吐やうつによる

身体の疲れや心の疲れが減少した様に感じる。

今は眠っている事だけが楽でいられる時間であるので、

睡眠時間は大切にしたい。そして苛々したり神経が粟立ったり

する様な、ストレスの多い事は避けたい。

飽くまでゆっくりと過ごしていきたい。
眠剤が変わったので、眠れるかどうか不安であった。

しかし寝つきに関しては悪くなく、スッと眠りに堕ちた。

でも、工事が始まってからが問題であった。物凄い音がして

地響きがドドドドドと続くと目が覚める。何度断眠したか、もう

数え切れない程である。目覚める度に苛々が増す。30分置きに

目が覚めてしまう時もあった。

ベゲタミンAを服用していた時は、こんなにぶつぶつと

睡眠が途切れる事はなかったので、正直全てが嫌になって来た。

ベゲタミンAを削ったのは、それに含まれている

抗ヒスタミン剤の影響を省く為であった。

けれどもこんなに断眠してしまうなら、今日からまた残っている

ものを服用しようと思っている。コントミンの量が体内に多く

入ってしまう事になるが、まだその所為で感情が抑制されて

ぼんやりしている方がマシである。この事は、明日の夕方

電話で主治医に伝える事にしようと思っている。




エ○リファイ服用1日目は、16時半頃怠い中やっと起床し、

シャワーを浴びる前に服用した。シャワーを浴びていたら、

何だか心悸亢進がする。けれども気にならない程度だったので

無視して必死で身体中を綺麗さっぱり洗い、その後ゆったり

過ごそうとした。時間が経つ内に心悸亢進は大分落ち着いてきて

ぼんやりと麦茶を飲みつつ氷を噛み砕いていたが、今まで

服用してきたお薬の様な効果は、当たり前だが無くて困った。

日中のお薬にもコントミンが入っていたので、感情を抑制して

果てしなくぼぉーっと出来ていたのであるが、その感じが

全くない事がしんどかった。けれどもほんの少し眠気はあった。

眠気が起こるのは、悪くない事だと主治医から聞いているので

眠りに身体を任せられるような強い眠気ではないものの、

まったりとした感じになってきた。




エ○リファイは2週間飲み続けて、総合的な効果が分かるので、

2週間は頑張って服用しようと思っているが、結果が芳しく

無かったら、直ぐ今までの処方に戻してもらおうと思っている。

工事による騒音の所為もあるのかもしれないが、断眠は辛い。

抗ヒスタミン剤の影響はあれども、ベゲタミンAを服用して

ぐっすり眠りたいものである。




夕方、胃薬とビタミン剤(ビオフェルミンを含む)、パンテシンを

服用した。お薬の副作用で便秘になるので、パンテシンが処方

されている。この薬は効き過ぎると、お腹が下って止まらない。

そんな調子の悪い中、ぼんやりとしつつスーパーマーケットへ

向かった。いつもの様に半額惣菜をカゴに入れ、お腹が膨れる

であろう安い食べ物もカゴに入れる。久し振りに胡瓜を食べたく

なって、少々値は張ったが購入する事にした。もう何もかも

どうでもいいやと言う感情が浮かび上がってきた。しかしそれは

『死にたい、死のう』と言う事ではない。兎に角怠くて

お腹も痛いし、さっさと家に帰りたかったのである。そして

発泡酒を購入し、早くそれを飲みたかった。



私が唯一リラックスできるのは、

お酒を飲んでいる時だけである。




それ程毎日神経が参ってきているのであろう。工事の音は

避けることが出来ない。外出して本屋などで時間を潰せば

良いのであろうが、何処にも行く気がしない。動きたくもない。

何もしたくない。眠ったまま目覚めたくないと思う。

この空気に溶けて蒸発したいと思う。




まだ新薬は飲み始めたばかりである。然程期待する事なく、

淡々と2週間は飲み続けて結果を主治医に話したい。




以前工事の期間を聞いたとき10日前後と言っていたので、

そろそろ終わるであろう。そうしたらゆっくり眠ろうと思う。

今の私は睡眠でしか心身の疲れが取れないのであるから・・・。

しかし、働いてもいないのに疲れているという状態は、

頑張っている人達に申し訳ない気持ちになる。

どうして生きているだけで疲弊してしまうのであろうか。

過食嘔吐・・・今日は別に食べたいと言う思いはないが、

惰性でやってしまうのであろう。そんな自分に疲れたのかも

知れない・・・。それこそ情けない。





明日の朝は安眠できる事を願って過ごそうと思う。
此処最近ずっと、借家6軒分の敷地内で、上水道の工事が

行なわれている。アスファルトをはがす為の掘り起こし作業、

ガガガガガと言う耳をつんざく様な音。ガンガンガンと言う

身体に響く音。もういい加減にしてほしい!

私たち借家に住んでいる人は、上水道は使わない。地下水を

使用しているので関係ないのに、勝手に大家が話を進めた

のである。今までの様に地下水を使う事は変わりは無いが、

水道が引かれた所為で基本料金を払わねばならなくなった。




今必要なのは、下水道工事の方なのに!!

これは口酸っぱく借家の皆で大家に物申したのであるが、

聴く耳持たずと言った感じで、この様な状況に陥っている。

腹が立って仕方がない。




また、その騒音の所為で眠りが浅くなっている。

物凄い音に目覚め、まだ疲れているのでまた眠り、また目覚める

と言った具合で、今日は17時まで眠っていた。身体が起きる

事を拒否していると言う感じであった。沢山眠っても、

こうも五月蝿いと眠った感じがしない。まだまだ続くであろう

この工事の後には、下水道工事が待ち受けている。これもまた

アスファルトをはがす為に物凄い騒音が響き渡るのであろう。

もういい加減うんざりする。

窓も開ける事ができず、エアコンに頼りきりになる。

騒音がこんなにも心身に悪影響を及ぼすとは思っても

みなかったが、それにしても辛い。五月蝿い。苦しい。

鬱陶しい・・・。今現在の状態は、アスファルトが剥がされ、

下の土が露となっている。これからまた掘り下げて管を繋ぐので

あろう。その時の騒音を考えるとまた頭が痛くなる。




今日は起床後、直ぐにシャワーを浴びてぼんやりしていた。

日に日にシャワーを浴びる時間が増えている。酷い時は

シャワーだけなのに30分以上かかっている。

隈なく全身を洗う事に集中する為、こういう事態に陥った。

順番を間違えたら、やり直さねば気が済まない。その様にして

どんどん疲れる作業になっていく。




日中溜まったストレスは、夜の過食嘔吐で爆発する。

過食嘔吐が暴走するような感じで止めようが無い。

暴れているこの症状を、無理に抑え付けるのではなく、

抱き締められるようになれたらと感じる。


抑えつけたらちょっとした隙を見て、暴れ始める。

その症状を、そのまま放っておいたら過食嘔吐の独擅場になる。

しかし私はこの症状を心の手と胸で抱き締めてやりたいと思う。

鬱の症状にしてもそうである。動かない身体、鬱々とした

真っ暗な思考も、抱き締められたらと感じている。




けれども、これは凄く難しい作業であろう。

暴れ回る病気の症状を抱き締める事は

その病気以上の力を要する。





「大丈夫、大丈夫。食べなくても大丈夫だよ。

落ち込まなくても大丈夫だよ。」


と抱き止められたら少しは心が和らぐかもしれない。

それにはもっと温かい心を持ち、懐の深い人間にならねば

なるまい。だから、ゆっくりと焦る事なく



『落ち着いている自分』



を自覚して、少しずつ前に進めるように無理をしない程度で

頑張りたいと感じる。
此処3〜4日、起き上がる事が出来ず、夕方までずっと

眠ってしまっている。それには『女の子の日』が関係している

であろうと身体で分かる。兎に角疲労が激しく、体力を消耗して

いっているのを感じる。貧血も酷く、一挙手一投足がのろのろと

してしまう。しかしシャワーを浴びて、日中のお薬を服用したら

幾分頭の中がすっきりしてきた。




生活リズムが一旦乱れると、元に戻すのが難しい。

特に明日は電話診察の日であるので、早く起きねばならない。

けれども2回の過食嘔吐は止められない為、就寝前のお薬を

減らして服用するしか手段はない。




今日は訳も分からず、抑うつ状態が続いた。一応お薬が効いて

いて、脳も心も身体も休まっているが、暗く渦巻く心が其処に

あった。




特に、『自分の居場所』について考えると、

とても寂しくなってしまう。

今はやっとこの家にいても良いと居場所が出来た。その次の

居場所はこのネットの世界である。危うさがあるが、

自分の心を誤魔化さず、好きなように綴れる事が嬉しく感じる。

しかし此処にもルールがあり、一つでも犯したら今まで

ネット上で築き上げた関係が全て潰れてしまう。ネットの

脆弱さは其処にあるのであろうと感じる。




この様に、ネットは文字だけの世界で成立している。

其処にどんな思いを託しているのか、本人でないと分からない。

しかし、ちょっとした一言が誤解を招き、関係が悪化していき

やっと見つけた居場所を手放せばならない事になる。

ネットと言う危うい世界に居場所を求める事自体間違って

いるのかも知れないが、こうして素直な気持ちを綴れる利点も

ある。例え誹謗中傷があったとしても、自分の場所なのだからと

逃げるつもりはない。やっと見つけた第2の居場所であるから

大切にしたいのである。




今の所、幸いな事にとても優しい方々に守られている感じがする

のである。でも私も言葉に気をつけなければ、相手を不快な

気持ちにさせるかも知れない。だから言葉を選ぶ事はとても

大切な事である。何の気なしに発言した文字が、ショックを

与える事もある。でも、そうする事で関係が強固なものと

なる事だってある。誤解を招いた言葉に対して謝罪をして、

それらを解く事によって、強い絆も生まれるのでは

ないであろうか。




昨日、実はこのネット上で私と、心優しい人々との間で

誤解が生じた。私の捉え方が悪かったので、相手にとても

嫌な思いをさせてしまった。凄く反省している。

謝っても謝り足りないくらいである。こんな私に優しい言葉を

かけてくださる方々に対して失礼な事をしてしまったであろう。

今、とても反省している。




ネット上は文字だけのやり取りなので、少し表現の仕方を

間違えただけで、大きな誤解を生んでしまう。分かっていたのに

私はその禁忌を犯した。




まだまだ情けない私は、もう少し勉強を積むことが

必要であると感じる。




豪雨の中、雨音に少々の恐怖を怯えながら、しかし雨の匂いが

心地良く、ニュートラルな心持ち出会ったが、ネットの世界の

難しさを知り、抑うつ状態に陥った。

これからはきちんと言葉を選ぶようにしたいと感じる。
灼熱の太陽に焼かれたアスファルトに、ぽつぽつと雨雫が

落ちる時、何とも言えない幼い頃を彷彿させる懐かしい匂いが

する。夕方までは晴れていて、隣の家では小さな庭で子ども達が

水浴びをしていた。男の子2人兄弟で、ホースにより水の

掛け合いをして心からはしゃぎ遊ぶ甲高い声が聴こえていた。

とても長閑な昼下がりであった。




しかし私は、何故か気分も優れず一挙手一投足が怠くて仕方が

無かった。どうしてだろうと思っていたら、女の子の日が

始まっていたのである。3ヶ月来ていなかった。てっきりもう

止まってしまったのだと思っていた。その方が楽だし、子どもを

産むつもりはないし、何より思い生理痛に悩まされないで済む

事が良かった。しかし私の場合、痩せても身体が慣れてきたら

きてしまうようである。この3ヶ月は緩やかでも体重が減少

していたようなので、身体が追いつかず女性の機能は一旦停止を

していたようである。今月来たと言う事は、きっとその

体重減少に慣れてしまったのであろう。




私は生理痛が重く、病院で処方される鎮痛剤を服用しないと

のた打ち回る程の痛みが襲うのである。腹痛、腰痛が特に酷い。

憂鬱な1週間が始まってしまった。この暑さに痛みが

プラスされるとどれだけ辛いであろうか。今回はPMSの

症状が浮腫みとちょっとした苛々・憂鬱だけであったので

助かったと思う。PMSが酷い時は、自傷を引き起こしそうな程

苦しくて辛い抑うつ状態に陥ってしまうのであるから・・・。




明日はカウンセリングがお休みで病院へ行かなくてもいいので

ゆっくり眠れるであろう。しかし夕方からは電話診察があるので

きちんと起きてその時間にはっきりお話が出来るよう備えねば

ならない。土曜日の診察では色々と気付かされた事があるので、

私はその考えをまとめて自分なりの思いを話したい。




『自殺』・・・・・・。

此れについては本当に様々な事を考える。毎日訪れるうつ病に

因る症状、摂食障害の症状、強迫性障害の症状etc...

それらを抱え生きている。辛くない、苦しくないとは

言えない。やはり、それなりに苦しいし辛い。

唯、その奥底にある不安や恐怖感、そして寂しさや哀しみや

心細さの部分をきちんと自分で受け止めねばならない。




私が大学生の頃も、まだ母は病気について理解を示してくれず

中学生の頃から続く摂食障害の症状で酷く苦しんだ。

けれども酷く疲れている私に突き刺さるのは、妹からの罵言。



病気で死ぬ死ぬ言ってるけどそれがどれだけ

迷惑かけてると思ってんだ!自分が弱いだけだ!それで

しなれたりしたら余計迷惑なんだよ!




この言葉だけは決して忘れない。


私は生きていても死んでも迷惑なのだ

悟り、どうする事もできなかった。

大学生の頃は本当に地獄だった。けれども今、その妹は

アパートで子どもと彼氏と一緒に暮らしていて、適度な距離を

保てている為、もうあんな罵詈雑言を聞く事は無くなった。

そして今は母も私の病気を理解しようとしてくれている。

とても安心して生活できている。特に良く眠れるようになり、

過食嘔吐が8〜9回から2回或いは3回に減った事に

表れているであろう。




ずっとずっと辛い状態が続く訳ではない。いつか打開出来る時が

くる。そう学習した。私はもっと自分が学習した事を

生かさねばならないのであろう。

ゆっくりゆっくりと。焦らずに・・・・・・。 
此処の所日毎に暑くなってきている。私は夏が苦手である。

蒸し暑さに怠くなり、頭の中も滅茶苦茶に色んな思いが入り乱れ

てしまうからである。この頃異常気象が原因なのか、降雨量が

半端無く多い。床上・床下浸水や道路も冠水して通行できず

困っている人々がいる。この現象は一昨年辺りから始まった

事ではないであろうか。時を経るにつれてその被害が酷くなる。

地球温暖化がきっと原因であろうと感じる。




私が住んでいる所は、有難い事にどんな豪雨でも冠水したり

床上浸水の被害は出ていない。しかし、夜中のTV等で突然

『大雨の為受診できません、暫くお待ち下さい』と言う止まった

画像とテロップが出て詰まらない思いをする。




今朝方の過食嘔吐も、酷く疲れた。呼吸をするのもやっとで、

必死に後片付けをして、可燃ごみの日なのでゴミ置き場へ持って

行った。全てが終わった途端、寝床に突っ伏すように倒れ込んだ

のである。もうこれ以上身体は動かせない・・・何も出来ない・・・

特にいつまでも意識がある事自体苦しいのである。

だから今日は、日中早目に起きて読書を嗜もうとする気力も無く

眠剤を減らす事なく服用した。起床したのは16時である。




意識があると余計な事まで考えて、苦しくなる。

何も出来ない自分を責め続け、病気を抱えながらお仕事をして

生計を立てている人々も沢山いるのに、自分はなんて情けない

のであろうかと、自分自身に嫌悪感を覚える。しかし、今は

もうこれ以上頑張る事等出来ないし、仕事を始めたらまた

ストレスフルの状態になり、自傷の症状が酷くなる事もあり得る

のである。本当に情けない言い訳だらけである。




幾ら重い病気を抱えていても、今私は生きている。

目も見えるし、耳も聞こえる。栄養失調ではあるが、普通に

歩く事もできる。これ以上何を望もうと言うのか・・・。

病気になった事も、自分にその要因があり、様々な事が重なり

重篤化したのである。全部自分が悪いのである。責任転嫁など

決して出来ない。




だから余計な自己憐憫ばかりしてしまう

意識のある時間が苦しいのである。





生きている事だけでも素晴らしい事。分かっていても、

この苦しみに耐え切れない事がある。病気の重さに潰れて

しまいそうな時もある。なのに生きねばならないのである。





前向きにどんどんと進めることは出来なくても、一進一退を

繰り返しながら、ゆったりと病気の治癒を目指して休養を

取り入れながら、俯きがちの顔を前に向ける事は出来る。

でも真っ暗闇のうつ病の症状が出てくると、全てが色褪せる。




『生きていてもいいのであろうか・・・こんなに迷惑ばかり

掛けている人間なのに・・・申し訳ない・・・申し訳ない・・・』





私さえいなくなれば、全ては上手くいくのではないであろうか。

重い、心と脳の病気を持った私がいる事で、家族に負担をかけて

いて、それに因って家族たち、祖父母にまで心配ばかりかけて

しまう・・・。




ああ、思っている事が纏まらない。一旦抑うつ状態に陥ると

気持ちを前に向けることが難しいのである。

そんな時悪魔の囁きの様に『死ねば楽になれる』

と言う思考で頭がパンクしそうになる。



『私はどうして生かされているのであろう。』



神のみぞ知っている事・・・。苦痛を味わいながら、今にも倒れて

しまいそうな程酷い過食嘔吐を繰り返す毎日。

なんて厄介な病を抱えてしまったのであろうか。




延々と続く痩せ願望、幾ら痩せても止まらないもの。

暗い奈落の底に突き落とされたような抑うつ状態。

普通の食事は出来ず、只管強迫観念に支配される頭。





私は、普通に食事が出来ていた頃が思い出だせない。

「お腹一杯で幸せ」と言う感情が

全く分からない。

『お友達と遊び、お洒落をして楽しむ』

という事からも長い間遠ざかっている。生きている屍のように。

もう何も救いようが無い。




しかし一人悲劇のヒロインを気取るのも大嫌いである。

病気になったのは仕方の無い事、今は普通である事が難しい・・・

そう考えて様々な辛苦を今は耐えるべき時間なのであろう。




抑うつ状態は粘りつくように、心身から離れないものである。

しかし、ゆっくりと根気良く治療をするしかないのである。
雨がしとしと降っている。気温も湿度も高く、酷く蒸している。

今日は少し早く目が覚めた為、直ぐにこの不快感を流そうと

シャワーを浴びてぼんやりと過ごした。



雨が地面を打つ。道路を走る車が雨水を跳ね上げる音が

聴こえる。何もする気が起きない。ただ、読書だけは出来た。

エアコンをドライに設定して、少しだけ心地良く過ごした。

しかし頭の中の不快感だけは払拭できず、唯々暗く重い気持ちを

全身に纏っているような感じで鬱々としていた。



この雨の中、外に飛び出せたならどんなに気持ちが良いだろう。

ぬるい雨に打たれ、只管天を仰ぐ。そうしたなら、このしつこい

抑うつ状態である心が流れてくれないかと願ってしまう。



此処の所、鬱する心が続いている。それに拍車をかける様に

過食嘔吐の症状も顕著に現れる。それは1日2度に抑えられて

いるが、激しい症状なので身も心も衰弱していくばかりである。

雨雲が重く垂れ下がる昼間、私は何も考えたくなくて読書に

没頭した。その小説の世界に入っていれば、現在自分の身の上に

起こっている鬱々とした気分や抑うつ感は考えなくて

済むのである。しかし、やはり集中力が続かない。



最近になって、よく『死んでしまいたい』等と

いう思いが頭をもたげる。しかし実行に移してはならない。

『母より先に死んではならない。これ以上

家族を悲しませる事はしてはならない』


と言う理性は何とか残っている。だから私は、生きている。

愛すべき人達がこの世にいる限り、生きねばならないと感じて

いる。


『生きる事や死ぬ事』


それらの事について考えても、キリがない。私は今を生きる為

何とか色々なものを乗り越えなければならないのである。

病気を患ってしまった以上、それが治癒へ向かう方へと

考えを柔軟にしていき、この苦しみはどうしたら緩むのか、

そんなに苦しまずに過ごせるのか、心を解すべきであろう。

死ぬ事は決して簡単な事でもない上容易にその行為に及んでは

ならないのだと自分に言い聞かせる。


そうでもしないと、今すぐにでもありったけの致死量の

向精神薬を飲み干してしまいそうだからである。今、私は

ギリギリの所にいるのだなと改めて感じている。



所が病気の症状に苦しめられ続けると、そんな理屈など

吹き飛んでしまうのである。『楽になりたい』

と言う想いで死を選んでしまう人も少なくない。

私の主たる病気である、うつ病も摂食障害も今此処で命を

絶ってしまえば、これ以上苦しい日々を送らなくて済む。

しかし最近になってやっと母の温かい心に触れ、主治医や

カウンセラーが必死で私を生きていける様に向かわせて下さって

いる。此処まで心の中をあからさまにして、それでも見棄てずに

いてくださる方たちに、私が自死すると言う事は申し訳ないとも

思う。けれども消えない重苦しい抑うつ状態と過食嘔吐は、

その考えに逆行して心身が引き裂かれそうになる。



今日買い物に行った時、雨が少し降っていた。けれども傘は

両手に荷物を持って帰るときに邪魔になるだけである。

だから私はしとしとする雨を身体に受けながら遠回りの道を

選んでスーパーへと向かった。この雨のお陰でヒートアップした

心は少しクールダウンしてくれたのではないかと感じる。

だから今こうやって落ち着いてタイピングしている。文字を

文章を綴れている。



雨の匂い。何とも懐かしく、心地良いものであろうか。

晴れた日のからっとした空気の香りも嫌いではないが、

木々や花々など植物が雨の恩恵を受けるからか、雨の日は

独特の生命力に溢れた空気がそこかしこに満ち満ちる。

一旦自分の病気の事等頭の外に追いやって、自然を感じる時が

その時だけが、心に落ち着きを取り戻してくれる感じがする。



取り敢えず無理を重ねる事なく、生き急がないように

気を付けたい・・・。
最近、体力が落ちてきている為か、1度の過食嘔吐で酷く酷く

疲れてしまう。過食嘔吐を終え、後片付けをしたり食器を

洗ったりしていると、気が遠くなるのである。

「今すぐ床に崩れ落ちて眠りたい」と意識が信号を出すが

全ての後片付けを終えて、順序良く事を運ばなければ

気が済まない。タイトルの『疲労』は主に過食嘔吐と

その片付けからきている。もう口に出さねばやっていられない

程に、「疲れた、疲れたよ、あああしんどいよ・・・」

と只管独りで呟いているのである。




昨日から降り続く雨はなかなか止まない。快晴であると太陽が

眩しく、そして暑くてそれも参ってしまうが、雨が降っていると

部屋の中も何だか暗くて、気分が沈みこんでしまう。




しかし、植え込みの草花はとても喜んでいる。雨水を飲んだ

草花達は、生命力を讃え精一杯その存在を強調して、

馨しい緑の香りを漂わせる。




今日は疲労の為に眠りすぎた。何もかもが億劫で、少しずつ

自分が抑うつ状態へと入り込んで行き、抜け出せなくなる。

でもたっぷり眠った事で、疲労は少し快復したように思う。




夕方、スーパーへ過食食材を購入しに行く時、

少し遠回りをして、てくてくと歩いた。雨上がりの空気は

何とも言えず清々しい気持ちにさせた。そこら中に生えている

植物が、緑の芳香を放ち心地良くなる。胸いっぱい空気を

吸い込み、深呼吸をしながらゆっくりと歩いてスーパーへ

赴いたのであるが、この時だけが私の外出できる時間であり、

大切にしたいと思っている。無理をすれば遠出をする事も

出来るが、如何せん心身がばらばらで外出できたとしても

過食嘔吐よりも酷い疲弊が待ち受けているのである。

しかし、日焼け止めを塗って太陽の光を浴びながら、

大好きな本を購入する為に、少し遠い古本屋へ行く事も

少しはリハビリになるのではないかと思う。これは自分の心と

身体に相談して比較的調子の良い時でないと不可能であるが・・・。




眠る事も、最近疲れるようになってきた。日中は拒食で過ごし

夜と明け方に2度の過食嘔吐をするので、殆ど栄養となるものを

摂っていないからであると思う。体が震えて仕方のない時は、

カリウムたっぷりのトマトスープを1口ずつ唇を湿らすように

飲み、最低限の栄養は摂れる様に心がけている。

何しろ血液検査の結果がとても悪かったのであるから、電解質に

関係のあるミネラル分を摂取しなければならない。




今日も夜が訪れた。過食嘔吐の宴が始まる時・・・。

疲れが完璧に取れる前にまた更に疲労を溜めていく。

いつか本当にぶっ倒れてしまうのではないかと憂慮する。

しかし、無理をせずゆったりと過ごし、少しずつでも栄養を

摂取しながら前を向けるようになれたらと感じる。
先週、心身に無理をして外出をした為、今は休養している。

と言うよりも、疲労が中々取れなくてぐったりとしているしか

無いのであるが・・・。必要最低限の事を必死でやっている、

そんな自分の情けない姿が滑稽である。




目が覚めたのはもう16時を過ぎていた頃であった。此処の所、

また夜中の過食嘔吐が長引いて、眠る時間が遅くなってしまう

のである。全ては自分の怠惰の所為である事は百も承知である。

しかし今の私にとっての『休養』とは

『睡眠をたっぷり摂る事』であると認識している。

また、午前中に起床してしまうと、どこからともなく



『過食嘔吐したいと言う衝動』



が自分の心を揺さぶるのである。此れに耐えるのは苦しい。

本来ならそうしたい自分を無理矢理抑えつける事なく、

優しく抱き締めて「やらなくても大丈夫だよ」と言い聞かせ

心を落ち着かせるべきであろう。でも今はまだ自分が未熟な為に

上手くいかず、成す術が無い。だから眠っていたいのである。




『過食嘔吐は物凄く苦しい』

と分かっていながらも、それを遂行してしまう自分は

客観視すると自嘲してしまう程、酷く滑稽に映る。

今日も過食嘔吐の事を考えると気が塞ぐ。




その所為か、スーパーで義務的に買い物カゴへ半額惣菜を入れて

いると、腹痛が襲い腸がぐるぐると鳴り、顔が真っ青になった。

お腹を下したのである。必死で堪えてレジでお金を払い、

お腹を摩りながら順序良く購入したものを袋に詰めた。



『毎日こんな不毛な事の繰り返し・・・もう嫌だ』



と心の中で声高に叫ぶ。その叫びも虚しく散り散りになり、

夜も更ければ私は強迫観念の元に過食を始め、嘔吐に至る。

鬱々した心は今日の激しい暗い雨の様に、私を打ちのめす。

しかしこの雨に打たれ、すべてを洗い流してしまいたくなる。

この雨は甘いのか、苦いのか。何れにせよ私の汚い部分を

殺ぎ落とし流してくれたらいいのにと空に願う。




けれどもやはり、昼でも暗いこの大雨では気が塞ぐ思いである。

抑うつ状態に拍車が掛かるのである。

空はいつまで激しい涙を流し続けるのであろう。




抑うつ状態であると、行動的にもならないし、比較的ダウナーで

落ち着いている。しかし内面は苦しく足掻いている次第である。

助けてほしくても、誰に何の助けを求めたらいいのかさえ

分からない。情緒不安定な私を持て余している。




ただ、ゆっくりと眠れているときだけが幸せである。

現実の世界の喧騒に、悩みに、苦しみに苦しむ事は無いから・・・。




ゆっくりと次の一歩を探りながら、少しは前を向けるように

心がけたい。
思えば昨今は夕方、スーパーへ過食食材を買いに行く以外に

外出をする事は無かった。しかし先週の火曜日、久し振りに

病院へ行き、木曜日には美容室へ行った。そして昨日は祖父母の

家へ行った。短期間の間になれない外出を繰り返し、その度に

テンションを上げるスイッチを入れて、何だか自分が自分では

ないような、離人症の感覚に陥っていた。饒舌になっている

自分を少し後ろで見ているような感じである。




その反動が今になって襲って

来たようである。兎角身体が怠い。お腹の調子も悪い。そして

まだ覚醒状態であるような、次の瞬間にはどん底に堕ちてしまう

ような、荒々しい波の中に意識がある。お薬はきちんと服用した

ので、幾分ダウナーな気分で落ち着いている部分もあったが、

この数日で色々な事があり、それに心身が付いていけない。

こんな状態のまま、明日のカウンセリング・診察の為に医院へ

行けるであろうか・・・。




しかし昨日はとても心が満たされた。長い間、私が鬱で動けない

為に祖父母と会っていなかったので、凄く嬉しかったのである。

祖父も私の顔を見て喜んでくれたし、祖母も幾分楽しそうで

嬉しそうにしていた。

温かい家族の風景が其処にはあった。

ずっと母と2人だけの生活で会話をするのも母のみである期間が

長かったので、お喋り好きのシャキシャキとした祖母と話して

いると、元気を分け与えてもらえたような感覚もあった。

とにかく凄く温かかった。それがとても

嬉しかった。




また、祖母の家で沢山の美味しそうな料理を目の前にして、

『過食嘔吐』を免れた事に達成感を覚えた。

1口ずつ大好きな数の子を食べ、松前漬けを食べたのみで後は

発泡酒をゆっくり飲みながら度々キッチンでタバコを喫った。

祖父母の家は不思議と心が落ち着く雰囲気が漂っている。

だから母は、祖母の料理を堪能した後、深い眠りに就いていた。

私も幾分リラックスして過ごしていたが、祖母が私の病気に

付いて言及した時は、どう誤魔化せば祖母が安心するか様々に

思いを巡らせねばならなかった。でもその他の時間は、

他愛の無い話をしたり、中継のサッカーを観て色々言っていた。

でも祖母は「まどろっこしいよねぇ」と直ぐチャンネルを変えて

しまったが。私も余り興味は無かったので、次の日のニュースで

結果が分かればいいと思っているのである。勿論日本のチームは

応援しているし、勝ち進んで欲しいと思う。




後、嬉しかったのは『過食嘔吐』が1日1回で済んだ事

である。疲労困憊であった事もあるが、何となく

「2度目はやらなくていいかな」と思えたのである。

此処の所ずっと『1日2回は過食嘔吐せねばならない』

との強迫観念から突き動かされていたので、こうして1度で

済ませられる事は私にとって、奇跡に近い事である。

心の底から嬉しかった。そして身体の疲れも幾分和らいだ。




そして今日目覚めたのは15時であった。少々心身が疲れている

という実感はあったものの、いつもの通り過ごした。

シャワーを浴び、ソイラテを飲み、読書をする。

拒食で通すが、過食衝動も無く心穏やかに過ごせた。

今日は主治医に借りていた寺●修司の詩集を読み終えた。

詩というものは、本当に柔らかく、時に考えさせられ、そして

ほんわかした気持ちになれる。そしてもう1冊の小説も

読み終えた。




この病気を少しでも治癒へ向かわせる為には、こつこつと

カウンセリングを重ねて未だ奥底に隠れている部分を話しつつ、

診察で色々な言葉を拝聴し、また考えを述べて、今自分が

どういった状態であるかを話すことが大切である。

だからなるべく毎週病院に通いたいと思っているが、如何せん

うつで身体が動かない事と、完璧な夜型生活である為に

思うようには行かない。




今の自分にとって、『無理をする事』が禁忌であると

主治医に言われているし、自覚もしている。

症状は暴れだす事なく、希死念慮も浮かばない訳ではないが

祖父母の為、母の為幾ら辛くても生きねばならないのである。




兎に角明日の事は、自分の体調と心身に相談して決めようと

思っている。
夜中の過食嘔吐は何故か直ぐに終わらせることができ、

いつもの様に後片付けをしていた。月曜日は可燃ごみの日なので

ゴミ置き場までてくてくと歩き、暫し空を見つめていた。

鳥の鳴き声がまるで朝の挨拶を交わしているようであり、

清々しい気持ちになった。色んな鳴き声が響き渡る比較的

静かな朝であった。




そして5時1分。その時私は眠剤を飲もうとしていた。

フルセットを用意して、錠剤から口にポイポイ入れていった。

口の中には5錠の薬が入っていた。その時震度1程の揺れ

ミシミシと家を揺らした。「直ぐ収まるかな」と思っていたら、

思っていたより長く揺れている。そして震度4の揺れ

家を襲った。最初突き上げる感じで揺れ始め、箪笥や本棚が

倒れ、落ちて来るのではないかと恐くなった。口に薬を含んだ

まま、成す術は無く心臓がいつもの倍くらいの速さで高鳴った。

10秒程の揺れだとニュースでは報じていたが、30秒位に

感じられた。




もしも私がその時過食の途中や嘔吐の途中であったなら、酷い

パニック状態に陥っていたであろう。



天災は本当に恐ろしい。人間如きでは太刀打ちできない。



震度5弱を記録した地域では、1人怪我人が出たそうである。

一度、南海大地震を経験した事あるが、その時は昼間で車に

乗っていて、信号待ちしている間に揺れ始めた。ビルが波打って

いたのを強烈に覚えている。彼氏の部屋に戻った時には

食器は全て落ちて割れており、テレビや棚の上の本も

全て床に散乱していた。彼氏は仕事先の患者さんたちが心配だと

言って私を置いて出て行ってしまった。私は独り、ゆっくりと

全てを片付けた。心細かった・・・。




天災と言うものは、いつ襲ってくるか分からない。そして

恐ろしい。しかし人間と言うものは、



『喉もと過ぎれば熱さを忘れる』



と言う一面を持っている。今はまだ今朝の地震の緊張感が

残っていて、また大きな揺れがあったらどうしようと恐怖をも

抱いているが、過食嘔吐はいつもの様にやるのであろう。

地震も恐いが、自分の強迫性障害も手強くて苦しく、恐い。




大きな地震は何故か朝方に集中しているように感じる。

眠っている間に大地震が起きる可能性が、私の住んでいる地域に

十分にある。




日頃から希死念慮により『死にたい』と願って

いるのに、『地震で死んだらどうしよう』なんて本当に矛盾した

心を抱いている事を痛感し、自嘲したい気分に陥る。




今日もまだ不安な気持ちを持て余しながら、恐怖の過食嘔吐を

実行してしまうであろう自分が本当に情けなく思う。

唯、地震の後、母が側に来て背中を摩ってくれた事が凄く凄く

嬉しかった。母の温かい手が背中を通じて心に沁み渡った。

動悸が酷かった状態であったが、母の手により落ち着いてきた。

母には本当に不思議な力があるなと感じた。




今日はもう恐い事等起こらない事を願うしかない・・・。
今日は祖父母と会う為にいつもの就薬一番強いものを抜いて

服用して眠った。やはり毎日服用しているものを外すと、

抑うつ状態が酷くなる。必死の思いで起き上がり、支度をする。

外は夏の様に暑い。私は暑いのが大嫌いなので、それだけで

どんどん身体が重くなる。




祖父母に会えた事はとても嬉しかった。外に出て良かったと

感じた。しかし、どんどん体調が悪くなり、祖父の病院に

付き合っている頃にはお腹が下り始めた。そして起きてから

水しか口にしていなかったので、低血糖で身体が震え始めた。

一応スポーツドリンクを持っていたので、それでどうにか

抑えられたが、苦しかった。




私はまだ外出するには早いのかもしれない。

現に今も下痢が止まらず、身体は果てしなく怠く、心身が

とても重い。そして明日にはカウンセリングと診察があるので

病院に行かねばならない。疲れてしまったが、明日は血液検査も

せねばならないので頑張るしかない。

やらねばならない事はせねばならない。

今日の内に体調が戻る事を祈るのみである。




そしてやはり拒食状態でいることは身体に多大なる負担を

与えている事に改めて気付いた。何もかもやる気は失せ、

低血糖を起こして身体が震えて・・・身が持たない。




しかし、固形物を食べる事は絶対に出来ない。

太る恐怖が日毎に酷くなっているような気がする。

ゆっくり自分を見つめ直して、明日のカウンセリングに備えたい

と思っている。
今日、本当は祖母と会える筈であった。しかしいつもの私の事。

早い時間に起床してシャワーを浴び支度をして・・・と言う一連の

動作が出来るかどうか心配でならなくて、寝付く事が

出来なかった。勿論寝付けない理由にお薬を少なめに服用した

事も関係あるのであろうが、結局眠りに堕ちたのは7時過ぎで

あった。会う時間を具体的に決めていなかった為、13時頃に

タイマーをかけて眠ったが、その前の眠っている間に祖母から

電話があった。頭はまだぼやけていて、何もする気が起きず

ズドンと抑うつ状態に堕ち外出できる状態では無くなった。

なので明日に変更してもらった。こうやって約束を反故に

するのは何度目であろうか。本当に迷惑をかけてしまい申し訳

ないと痛感している。しかし、明日は祖父祖母2人と会えるので

此れは頑張って起床せねばとも思う。外出の為に、

今日は日焼け止めクリームと制汗・デオドライトも購入した。

準備は万端に出来ている。今度こそ約束を果たしたい。

しかしそれをうつ病が阻むのである。身体がどうしようもない程

重く怠くなり、如何ともし難い苦しみに襲われる。

いつから外出できなくなったのであろう・・・。もう思い出せない。




つくづく自分の意志の弱さに腹が立ってくる。苛立ちも湧く。

就眠前に服用するお薬にメジャートランキライザーがある為、

目覚めても暫くは頭が働かない。




こんな時は本当に『自分は駄目な人間だ』とひしひしと

感じてくる。祖母との約束さえちゃんと守れず、明日の事を

思うとまた、眠れるであろうか、きちんと起床出来るであろうか

心配で重荷で心がじりじりと焦がされているように奈落の底に

突き落とされる感覚が身に沁みる。




摂食障害の期間がとても長かった為か、うつ病まで発症して

しまい、強迫神経症は日毎に酷くなるし、PTSDによる

フラッシュバックで身体が固まってしまう程の恐怖感に侵される

のである。いつも何かに追い立てられ、追い詰められている様な

感じがどうしても払拭できなくて、ますます泥濘に足を

踏み入れて足掻き逃れない状態に陥る。目に映るものは全て

色褪せていて、自責感が容赦なく覆い被さる状態である。

お薬はきちんと服用している。だが少しぼんやりとして自分の

意思とか思考等が境界線が曖昧になり、律する事が出来ない。




唯救いなのは、母がそれを理解してくれて、

「無理して外出する事はないよ。

ゆっくり家で寝てなさい。」


優しく接してくれる事である。「無理しちゃ駄目よ」

と宥めてもくれる。本当に救いである。




しかし、私は祖父母に会いたいと切実に願っている。

ずっと会えていないので、是非とも会って、仮面であろうが

何だろうが笑顔を見せて安心させたい。

少しばかり祖母も私のうつ状態も分かってくれているから・・・。




兎に角焦っても何もならない。苦手ではあるが臨機応変に対応

出来るようにしたいと感じている。
くたびれてしまった。何もかも、全てが黒いフィルターを通して

見ているように褪せている。それはきっとこの抑うつ状態から

中々抜け出せないからであろう。窓から空を見上げても、

重苦しい雲が太陽の光を遮っていた。




過食嘔吐は、やりたくてやっている訳ではない。摂食障害を

患っている人達もきっと同じ思いであろう・・・。でも心も身体も

脳も『食べて食べて食べ尽くして全て吐きたい』という

強迫観念の元行動に移す。抑制してもやがて爆発してしまう。

我慢が出来ない自分がとても悔しく、惨めに思えるのである。




『トイレと下水問題』にいつまで悩めばいいのであろう。

毎晩びくびくしながら過食をして、嘔吐をする。余りの苦しみに

涙が止まらないが、やらなければ自分を許せないのである。

そこら辺が病気である所以であろう。きっと自傷の一種

なのかも知れない。もう少し気力がある頃は、平気で手首を

切りつけていた。深めに切り、血が沢山出たら、自分の中の

汚いものが流れていくような錯覚があった。それで落ち着く

と言う部分が大きかった。しかし今は手首を切る為に消毒液や

血を受け止める新聞紙、剃刀にティシュー等のセットを揃える

余裕さえも無くなった。偶に頭が混乱し、自分を激しく罰せねば

ならないと追い詰められている時は、他の方法で自傷して

しまううこともあるが、中学生の頃から長年傷つけた手首や腕は

デコボコしていたりケロイドが残ったりしているが、色は薄く

なってきた。




嘔吐問題で、コメントに色々なアドバイスを頂いた。本当に

嬉しく、私の為を思って残してくださった事を大変感謝して

いる。過食嘔吐をしているから、大家に余り強く出る事は

出来ないが基本的な、6軒分の借家を暮らしに支障が無いように

するのが大家の仕事である。しかし、殆ど無関心で、お金だけに

執着してがめつく、去年地下水を汲み上げるポンプが壊れた時

でさえ、私達家族が訴えた時は『必要ならこの家の庭に水を撒く

水道からバケツで汲んでいけ』とあしらわれた。

しかし他の家庭が水が出ないと困ると訴えたら、

即業者を呼んで修理した。

しかし、古いので元から壊れている為応急処置の様になったが、

何故此処まで差別されなければならないのかと、本当に悔しく

虚しく悲しかった。他にも私達家族だけ色々な差別があるが、

敢えて此処では綴らないようにしよう・・・。




私は、心の穴を塞ぐ為に必死で食べ続け、それは異質だから

嘔吐するのである。だから私が吐いた物は即ちあらゆる思念も

含まれた忌まわしきものである。それをゴミの日まで溜めておく

という事が凄く凄く恐く、そのゴミ袋を目にする度に心が痛む

のである。今日も汲み取り業者が来なかったと言う事は、

またトイレの水の流れが悪くなる恐れが大いにある。

大家の家は途轍もなく広く大きい。他にも土地を駐車場にして

その利益もある。けれども借家に住んでいる私達の安住について

何も頭にないようである。




重苦しい雲が立ち込める中、私は只管鬱々と悩んでいた。

ふと、私の存在自体が最初から無かったものにならないかなと

考えた。所謂現実逃避であるが、これ以上生活が脅かされ

苦しい思いをする位なら、死んだ方がマシである。




この後、きっと私は強迫観念に勝てず過食してしまうであろう。

コメントに頂いたアドバイスを実行したいが、

トイレに嫌な思いと共に戻したものが流れ行く事に意味があると

私は感じている。小さな頃からの哀しみ、辛苦、痛み。

別の方法でどうにか解消できないものかと鬱々と考える。

どうかトイレの流れが綺麗でありますようにと願うしかない・・・。
久し振りに14時半頃目覚めた。14時台に起床するのは

滅多に無いので少し眠気を残しつつ、寝惚けた頭で潔く

シャワーを浴びてしまおうと思った。蒸し暑い微風の吹く午後。

カラッと晴れて涼しい風が吹けば過ごし難い事は無いが、

この暑さには参ってしまう。




熱めのシャワーを浴び、冷水を浴びた後は頭もすっきりと

してきた。いつもより少し余裕を持って時間を過ごす事が出来る

という事がとても嬉しかった。最近、日中に過食衝動が起こる

という事が無くなった。読書をしたり、祖父母を思いながら

千羽鶴を折ったりと、抑うつ状態ではあるものの時間の少し楽な

過ごし方を得られたような感じがしている。




ホットのソイラテを飲んでいる時は暑くて仕方なかったが、

ミネラルウォーターに氷を入れて飲み続けていると、丁度良い

感覚が戻ってきた。しかし氷をこんなにも食べていたら流石に

寒くなってくる。水を2リットル飲むことは身体に良いと

されているが、冷えは女性の身体に良くないと分かっているので

全ては相殺されて、自分のやっている事が良いのか悪いのか

分からなくなってくる。しかしきっと氷を此処まで沢山食べて

しまうのは貧血の所為であろう。顔色も青白いし、眼窩も

真っ白であるから・・・。でも何だか氷を食べていると落ち着く

ので不思議である。




シトラス系の花の香りが部屋に流れ込んでくるのは、歩いて

30秒くらいの所の家に大きな実を付ける柑橘系の木があるから

だと気が付いた。だから今日も買い物に行く時その家の、道路に

はみ出た大きな柑橘系の木の白い花に顔を近づけると爽やかな

芳香が胸をくすぐった。アロマ効果でもあるのだろう、

少し心が軽くなった。しかしいつまで経っても憂鬱な気分は

もう日常の様に、当たり前に身体中に蔓延っている。



『私なんて周りに迷惑ばかりかけてばっかりだから

生きていない方がいいじゃない。』

『消えてしまえば周りの人達はもっと幸せになれる』




といった想いが頭の中を巡り廻る。勿論、馬鹿な考えで

仕様も無い想いだとも分かっている。しかし私が楽になれて

周りの人の負担が少しでも減るのであれば、その選択も強ち

間違いではないであろう。無論、家族が自殺してしまった後に

残る酷く深く大きな傷を知らない訳ではない。



けれどもいい加減この摂食障害に振り回される事に

うんざりして疲れ過ぎてしまったのである。




間違った例えなのかも知れないが、過食嘔吐は断末魔の苦しみ

と言っても過言ではない。必死の形相で若しくは虚ろに胃へと

次々に食べ物を詰め込み、一気に吐き出す行為は醜い上に

相当の苦しみを呈する。何とか、



『この症状は自分にとって必要なんだ』



と言い聞かせて自分を保つようにしている。しかしその後に

襲ってくる憂鬱感、抑うつ状態は避けられない。全てが終わった

後には本当に呆けた感じになっているのである。




いつまでこの苦しみに耐えなければならないのか考えるだけで

心底うんざりする。11年この病気と付き合っているが、

快復の兆しを見せる所か、より悪化している感じは否めない。




兎に角難しく考えないようにしたい。考えれば考える程、

ラビリンスに追い込まれ迷い続けるのであるから・・・。




明日から又雨天となる。少しは涼しい気候であれば良いなと

願いながら今日も無為に虚無的に地獄の宴が繰り広げられる・・・。
毎日毎日同じ事を繰り返す自分に本当呆れる。

2度目の夜中3時から始まる過食嘔吐はしなくても良いと心では

思っているのに、まるで何かに取り憑かれたように無意識の内、

食べ物を口に運んでいる自分がいる。



心底ウンザリしてしまう。



こんなに苦しくて苦しくて仕方ない行為を好き好んでやる人など

いない。常に心の中では『痛い、苦しい、助けて』

か細く呟き続けている。しかし全ては自業自得なのである。

我慢できなかった自分。抑制できない自分。暴れる自分の心。

だからこそ『病気』とされているのは

百も承知であるが・・・。




食べ続けている間に空は白み始め、鳥の鳴き声や新聞配達の

バイクの音が聞こえる。『何やってるんだ、私は・・・。』

と半ば自嘲的に黙々と食べ続ける。そして嘔吐してやっと全てが

終わるのである。止める事が出来ないのは、まだこの症状を

脳が、心が、身体が必要としているからであろう。けれども毎日

同じ事を繰り返している自分が阿保で滑稽に感じる。




今朝は眠剤を服用するのが遅くなった為に目覚めたら16時で

あった。いい加減、生活習慣の乱れが身体に堪えてきている。

過食している間にも胃は食物を消化をしていて、それが何とか

栄養となり身体が持っているようなものである。しかし嘔吐に

因る身体へのダメージは決して小さくはない。電解質の異常や

貧血、低血糖に毎回見舞われる。電解質の異常は心不全を

起こす。きっと今の身体で以前の様に1日8〜9回も過食嘔吐を

繰り返したらぶっ倒れてしまうであろう。




その他の病気も私を蝕む。抑うつ状態に陥ると俯いた顔を上げる

事は出来ない。全てはマイナスの方向へと進んでいく。

日に日に死へと近付いている自分は、何も生産しないまま消費

だけを続け、母に迷惑をかけながら生き長らえているのである。




母にはどんなに謝っても謝っても足りない。また、母の存在に

感謝の念は尽きない。母が生きていてくれるから、

私は生きられる。その存在の大きさは筆舌に尽くし難い。

子どもの頃の母は鬼の様に恐かった。大きな身体で大きな手が

私を打ったり殴ったりする為に降りかかってくる事は恐怖でしか

なかったが、今の母は温かく私の存在を包み込んでくれている。

昔の母と今の母・・・どうしても一致しない。カウンセラーは、

其処に重きを置いているようである。




今日は怠い身体を持て余しながら、痩せる為に水を沢山摂取し

新陳代謝を促した。夕方になると生温い暴風が部屋の中に

入ってきた。風は好きであるが、少し不快な空模様と風は

カーテンを滅茶苦茶に吹き荒らしてすっきりとしない感じを

覚えた。そして低気圧の所為か、頭と目蓋が重く、柔らかな

眠気を誘う。しかしこれから私の地獄の時間が始まるのである。




ああ、時には食べ物に惑わされない夜を過ごしてみたい・・・。
夕暮れ時、私はやっと外出できる。

晴れていた日は、綺麗な夕焼けの空を見上げ、少しの間心が

和むのであるが、今日のような曇天であると、夕方からずっと

薄暗く私の心も晴れないままであった。




昨日の夕暮れ空は綺麗な色をしていた。淡い水色と茜色の

コントラストの境目に空色に染まった雲が漂っていた。

飛行機雲が何本も直線に秩序良く、温かい色が胸に沁みる。




曇り空が広がっていると、私の心も同じく重い雨雲が立ち込める

感じがするのである。だから抑うつ状態に拍車がかかり、

何をするにも一挙手一投足がのろのろ・ふらつくと言った状態に

なる。




キッチンに飾られてある一昨日私が購入したカーネーションは

徐々に花弁を広げつつある。開ききる一歩手前のものを購入

したので、暫くは楽しめるであろう。




例え母の日でなくても、私はいつも母に感謝している。

私の事を気遣ってくれて、苦しい時は優しい言葉をかけてくれる

のである。仕事が大変なのに、このように私の事を慮ってくれる

母には感謝という言葉では言い尽くせない程にありがたく感じて

いる。なのに此処まで付き纏う『抑うつ状態』は一体

何処から来るのであろうか・・・。




私は、現実を直視する勇気がない。余りにも色々な心の病気を

抱えてしまった為に、日常生活もままならない。通院もできなく

なって、いつも電話診察と言う形で済ませている。

唯一過食食材を買いに行くスーパーで沢山の人を目にするが、

凡その時間、私は1人きりで何も喋らずじっとしている。

だから私は痩せすぎているのか、太ってきているのか全く

理解できなくなってきている。これ以上痩せたらまずい事になる

という事は、体の体調の変化を以って切実に感じる。

足首を一周、手で掴めるくらいまでになっているが、果たして

これが痩せているのか、太っているのか分からないのである。




現実は、暗雲が立ち込めているようにぼやけて見えるだけで、

きっと私が現実逃避しているからだと痛切に感じている。

毎日毎日同じ事の繰り返し。



『日中は徹底的な拒食。夜になれば過食嘔吐。』



うんざりしてしまうが、どうしても『やらねばならない』

という感情が勝る為に苦しみからは逃れる事が出来ない。




心の底では、こうして食べ物が目の前にある事でその食べ物に

感謝し、それを食べて吸収してエネルギーとなり・・・といった

『普通』でありたいと願う。

けれども11年摂食障害を患って生きてきた私には、どうしても

それが出来ない。



『食べたら太ってしまう!そんなの嫌だ!』



と言った気持ちが健康的でいる事よりも遥かに上回っている

のである。今は日中拒食状態ではあるが水分は摂っている。

起床時間によってまちまちであるが、1〜2リットルは摂取

するようにしている。短時間に飲んでしまうと血液が薄まるのか

眩暈や立ち眩みを起こしてしまうが、過食嘔吐をしている私は

脱水にも気をつけねばならない。




現実を見つめると苦しくなってくる。息をする事さえ辛くて

消えてしまいたいとさえ思う。




ギリギリの所で『今は死ぬ時期ではない』と言い聞かせ、

何とか生きている状態である。

母と2人、支え合いながらもっとゆっくり自分を見つめて、

これから一体どうしたらいいのかを、そろそろ考えなければ

ならないであろう・・・。




しかしもう疲れ果ててしまった身体も脳も言う事を聞かず

暴走していく。もっとゆっくり、ゆったりと日々を過ごしたい

ものである。
私は色々な事に恐怖を感じる事が多い。しかし良く金縛りに

あったり幻聴で誰もいない家で足音が聞こえたりするけれども、

そういった幽霊関係に恐怖は感じない。生きている人間の方が

途轍もなく恐ろしいものであるから。




小学生の頃、父が母を一方的に怒鳴り罵っていたのを毎晩聞いて

いた為に、男性の怒声が恐い。鬱が酷くなり外出する事が減少

して、スーパーへ行くだけでも人と擦れ違う事さえ、滅法恐く

なってしまった。特に視線を無遠慮に私の身体に向けてくる人、

擦れ違う時にこちらが避けようとしても狭い通路でぶつかって

来てそのまま行ってしまう人・・・兎に角今は人が恐い。




その傷を深めたのはやはり大家の存在である。

母子家庭であるだけで、私達家族だけを露骨に差別する。

母や私を呼び止めるときも「おい」「お前」と言う。

それは6軒借家が並んで建っていて、住んでいる家庭の中で

私達だけに向けられる差別である。




勿論家賃を滞納した事等1度も無いし、半年に1度町内会費

として4千円要求されても大家に支払っている。○い羽根募金も

千円要求されて支払わされる。しかし回覧板に募金協力者として

名前が綴られているのは私達借家に住む人間から集めたお金で

多額を寄付したとされた大家の名前しか載っていない。



こうしてどんどん人間に対しての猜疑心が増していく。



そして今一番恐怖なのは、何よりも『太る事』である。

だから以前はカリウム補給の為に嘔吐した後バナナを1口

食べられていたけれど、固形の食べ物はどうしても脳が、身体が

受け付ける事を許さない。そして古い借家で旧式の水洗トイレの

為に排水溝が細く、詰まり易い事から過食嘔吐する度に恐怖の

念を覚える。嘔吐する度に『詰まりませんように』

強く願いながら恐々と行為に及ぶ。




『太る恐怖・食べる恐怖・吐く恐怖』

が私の心は大半を占めている。でも過食嘔吐は止められないから

「死ぬしかないのだ」とも強く思う。今は時期では無いので

決して実行に移す事は赦されないが。

大家は道路を挟んだ向かいの大きな大きな家に住んでいる。

いつまた排水溝の蓋を開けられて、



「まだ残飯を流しているのか!吐く位なら食うな!」



と大きな声で罵られるのが恐い。そうすると生きている事自体、

恐怖で満ち満ちていて、私はどうする事も出来ない・・・。




今日はずっと曇天で薄暗い1日であった。スーパーへ行く時に

空を見上げても青い空は無く、灰色をした雲で覆われていた。

夕暮れ時の空気こそ胸いっぱい吸い込んで、深呼吸をして幾分

心はすっきりしたが、肌寒い今日は気分がずっと鬱屈としていて

読書もままならなかった。




『太る恐怖』・・・もう自分では基準が分からない。

どれだけ痩せれば、『痩せている』という事になるのか、

考えれば考えるほど混乱してくる。外出が最小限である為、

太っている・いないが分からなくなってきている。

擦れ違う人々が太っていても痩せていても何も感じない。

寧ろ健康的な体型をしている、若しくは少しふくよかな方が

魅力的だとも感じる。しかし私は只管痩せていなければならない

と思い込んでいる。どんどん痩せてこの世に、この空間に、

少しでも小さく小さく存在していたいからである。多分其処には

昔父に体型のことで罵られた事も関係しているのであろう。

たまにスーパーで私以上に痩せている人を見かけるが、痛々しい

感情を覚える。その人がカゴ一杯に私の様に食べ物を入れている

姿を見ると悲しくなってくる。




大切なのは『恐怖の根源』であるが、それを

目の当たりに感じる事が恐い為に、見ないようにして過食嘔吐を

続けているのかもしれない。まだまだ治癒には時間が掛かりそう

である。諦めずこの苦しみは甘受するしかないのであろう・・・。
昨日の夜中はどん底に突き落とされた。またトイレが詰まって

しまったのである。私にとって、心無い大家が第三者を交えて

排水溝のマンホールを開けられ私の吐瀉物を見せつけながら

怒鳴り罵り、「吐く位なら食うな!」と言われた事から

『トイレが詰まる』という事は物凄い恐怖となった

のである。それが時間も悪い事に夜中に起こった。パニックに

なった私は泣き喚き、「どうしようどうしよう、もう死ぬしか

無いかも知れない」と延々と悩み続けた。そして母を起こし

相談したら、文句も何も言わず排水溝を専用のブラシで

ゴシゴシと洗い、詰まりを取ってくれた。心から申し訳ない

気持ち、自分がやった事の後始末も出来ない情けない自分。

しかし過食嘔吐は止められない。

何て愚かで阿保で情けない人間なのだろう・・・。




母には泣きながらお礼を言って、ずっと「ごめんね」と

繰り返した。でも母は、「そんなに気にしないで。ブラシで

ゴシゴシするだけなんだから大丈夫よ」
と優しく言って

くれたのである。感謝という言葉だけでは言い尽くせない程

母の存在にいっぱいいっぱい救われている事を感じた。そして

またいっぱい泣いた。




でも、正直な所本当に『死』を想った。過食嘔吐はどんなに努力

しても止められる事が出来ない。ならば死ぬ事でしかこの症状

から解き放たれないと其処に直結したのである。

けれども今死ぬ事は時期尚早で許されない。

只管煩悶としながら自分の抱える病気を恨んだ。

この病気を乗り越え治癒へ向かえたとしても、その先に何が

待っていると言うのであろう。社会に出て働く事は恐ろしい。

何より人間関係が苦しくて堪らない。




本当に自分の愚痴や泣き言ばかりになってしまって、読んで

下さっている方々に申し訳ないと思う。でも、心の吐き出し口が

此処しかないので容赦して頂きたい・・・。




祖父母も母も生きているから、彼らより先立つ事は出来ない。

今まで生きてきて沢山世話になり迷惑をかけたのに、それでは

恩を仇で返す事になるから・・・出来ない。私はこの病気たちと

闘って闘って生きていかねばならない。その時期が来るまでは。




実は今もまだ昨日の事を引き摺っていて、焦燥感と不安感に

押し潰されまいと必死にこうして綴っている。

奈落の底に突き落とされた気分で、もう自分がどうしたら

良いのか分からなくて混乱している。




トイレ如きで・・・と言った感じであるが、私にとっては死活問題

なのである。私の苦しみの吐き出し口であるから・・・。



もう何も食べたくない!過食嘔吐したくない!



と思っても、強迫観念がそれを許さないのである。

今出来る対処法としては柔らかくて排水溝に詰まらないような

食べ物を只管食べ続けるしかない。




下水道は開通したはずなのにまだ私道への工事が施されていない

為、いつまでもこのトイレ問題は付いて回ってくる。




これを機に少しでも過食の量や過食嘔吐の回数が減らせたらと

思う。しかしそうなると、私に今はまだ必要である症状を

無理矢理抑え込む事になってしまう。

ただただ、苦しみばかりが溜まっていくのであろうが、

もうこれ以上母に迷惑をかけない為にも努力はしていきたい。
私はどうなってしまったのか、この数日抑うつ状態で心も身体も

具合が悪い。うつ状態でいると、心がずぶずぶと底無し沼に

沈み込み浮かび上がれない窒息感があるし、身体は怠くて

言う事をきかず、徐々に重くなっていくのである。一挙手一投足

全てがしんどくて苦しい。




今日は土曜日なので、電話診察があった。電話とはいえども

診察なので、過去の傷も掘り起こして話さねばならない事も

ある。過去の事なんてこれでもかと言う程傷付き、

恐怖に怯えた事実ばかりなので、胸を掻き毟りたくなる程に

それを言葉として伝えるのに苦痛を覚える。




私は『脅しと恐怖と罪悪感』

親から洗脳されていた。洗脳と言うよりも支配

といった方がしっくり来るであろうか・・・。




思えば子どもの頃から父親には常に脅かされてきた。

例え間違った事を父が言おうとも、それに口答えすると

「誰のお陰で生活できていると思ってるんだ!」

と必ず言っていた。そしてそれに続く罵詈雑言。私の体型を

指摘して「豚」と罵られた事は忘れられない。父はきっと

そんな事忘却の彼方へと追いやっているのであろうが・・・。

そして母からは体罰と言う脅しが待っていた。叩かれたり

蹴られたりするのは嫌なので必死に習い事も勉強も宿題もした。

しかし少し失敗しただけで追い詰められるのである。そして

ちゃんとできない自分に罪悪感を覚えていた。



『親の言う事を聞かないと生きていけなくなる』



と言う方程式が子どもの私の、頭の中に出来上がり親に

従わなければ脅しが待っていて、それは恐怖を伴い、反すれば

罪悪感に苛まれる。そうして洗脳と言う名の

支配が兄弟の中で私にだけ起こっていたのである。




妹は謂わば“世渡り上手”であった。嘘の吐き方も巧妙で

あったし、勉強をしなくても、習い事をサボタージュしても

決して強く叱られてはいなかった。寧ろ父は妹を溺愛していた

ので、物凄く甘かった。弟に関しては、末っ子であり唯一の

男の子として可愛がられた。私も弟が凄く可愛くて可愛くて

仕方なかった。そして父も弟の事を溺愛していた。

唯一母だけが兄弟平等に躾を重んじ、厳しかった。

けれどもそれは弟が6歳の時に両親が離婚した事により、

母は毎晩遅くまで働いていたから、私の様に締め付けるような

支配や束縛は無かったように思う。その所為か、自由奔放な

人間となった。




診察の中で、私は今もあらゆる恐怖に支配されている事に

気付いた。何か心の奥底に恐怖があるから、強迫観念という症状

となって現れているのである。自分が定めたスケジュール以外の

行動をとろうとすると忽ち体の具合が悪くなり動けなくなる。

そしてどんなに体調が悪くても、休憩する事なくスケジュールを

こなそうとする・・・。




今日に関してもそれは言えることである。

物凄く体が怠くて気分が悪く、その上お腹を下していた。

けれども私は、それをおしてまで今日の過食食材を買いに

スーパーへ出かけた。鏡で見た私は顔面蒼白で、弱々しい身体で

必死にショッピングカートを押していた。

主治医が仰った事・・・『鬱が酷くなって拒食も酷くなり、いよいよ

体が動けなくなって初めて治療に専念できる』と言う言葉。

それが頭の中をぐるぐると廻っている。確かに最近日中の拒食と

いうか食べ物を拒絶する気持ちが日増しに強くなり、

水分しか口に出来ない。立ち眩みや耳鳴り、眩暈も酷い。

でも私は食べ物等絶対に食べたくない。食べるとしたら

過食嘔吐が前提となりそれは夜しか出来ない。

食べ物を消化するなんて絶対に許せないのである・・・。




自分が異常だという事は本当に切実に分かっている。

けれども、そうでもしないと兎に角『恐い』のである。

私の心の闇に潜む、『恐怖』の正体を暴かねば、

中々洗脳も呪縛も解けないのであろう・・・。

今は1日を過ごす事で精一杯である。



本当はずっとずっと永遠に眠っていたい・・・。

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