関係が、病んでいる。
2006年7月25日 診察・カウンセリング コメント (4)夜中の過食嘔吐の時点で、今日カウンセリングへ行くのは
無理だと悟った。余りにもしんどくて、辛くて、苦しかった
のである。総じて疲れてしまったという事である。
何もかもに疲れた・・・生きている事も、摂食障害の症状も
苦しくて苦しくて堪らなかった。
本当は凄くカウンセリングに行きたかった。
しかしこの様なぐだぐだな状態では無理であった。兎に角眠って
しまいたかった・・・。そしてキャンセルの電話をした時に、
8月いっぱいはお休みにして、9月から再開する事になった。
私の不摂生の所為でカウンセリングに行けなくて
見棄てられるのではないであろうか・・・・・・。
と言う気持ちが凄く膨らんでいた。全き信頼を置ける
カウンセラーであるし、胸の奥の醜い部分さえ話せる人である。
見棄てられたら・・・と思うと心がざわざわとする。
しかし、カウンセラーとは大学2回生の頃からカウンセリングを
続けている。心置きなく苦しい事、辛い事等を話し、建設的な
前へ向いて歩いていく方向に話が進められる。そして色々と
自分だけでは気付けなかった事を気付かされる事もある。
だから私にとってカウンセリングの時間は大切なものである。
9月迄には生活リズムを整え、『カウンセリングを受ける事』
を目標にやっていきたいと思う。目標があるとそれに向かって
進もうと思える。
タイトルの『関係が病んでいる』と言う事について。
所謂私と母、私と妹、私と弟、私と父の関係の事である。
それぞれの関係が病んでいる。しかし、其処に血が通い生身の
関係であれば、健全なものに修復可能である。
私の病気も、関係が病んでいるからこそ生まれたものである。
そう言い切れるであろう。
妹が家に出戻って来た頃、まだ乳児の姪と妹が毎日家に呼ぶ
友達で、狭い家は人で溢れていた。一応私だけの部屋はあった
ものの、居場所がなかったのである。
病気を理由に邪険な扱いを受けていた。
過食嘔吐にかかる費用は、半死半生の思いで働く事で工面して
いたが、過食嘔吐をするそのザマは、妹と妹の友達にしっかり
見られていた。その前で止まらない過食嘔吐は辛かった。
そんな時にいつも妹に罵られ、罵詈雑言を投げかけられ、
修復不可能な妹と私の関係が出来上がってしまった。
妹が毎日彼氏を家に連れ込むようになり、母も限界が来て
彼氏を連れ込まないようにして欲しいと言ったら、
妹は私の病気の事を罵って出て行った。そして母と2人暮らしが
始まり、漸く生活も安定して、母と血の通う関係が築けたので
ある。その間に、母も随分変わってくれた。私の病気を責めるの
ではなく、見守り、苦しい時には背中を摩ってくれる
と言う所まで修復された。まだまだ修復せねばならない部分も
あるが、やっと自分に落ち着きが戻ってきて、手首を毎日
切る事等無くなった。ストレスが少し減れば、派生的な症状も
すーっとフェイドアウトしていった。しかし少しでもストレスを
感じると、また自傷しようとしてしまう事には変わりないが・・・。
私と父との関係は、今の所修復する気も無い。病んだままで
結構である。それは、『父が変わる事』等あり得ない
からである。そして父に対する思いも私は変えられない。
現に、両親が離婚して13年経つが、父は少しも変わって
いないのである。少しでも弱点を見つけようものなら罵る
あの姿勢は鳥肌が立つほど嫌悪しているものである。
これらは今日の電話診察で話したものであるが、其処で主治医が
「例えばもし父親が癌か何かで余命少ないとなったら
どうすると思う?」と聞かれた。きっと私は毎日お見舞いに
行って介護するであろう。しかし、父がそれを当たり前として
人間として何も改めないのであれば、病んだ関係を修復させる
事も、毎日の見舞いも止めるかもしれない。親不孝と思われる
かも知れないが、それ程私の心を深く傷つける事を父は
やってのけてきたのである。だから諦めるより他はない。
妹、弟との関係も生身の血が通っていない。
主治医から『兄弟は他人の始まり』という
言葉があると聞いた。正しくその通りかも知れない。
関係を修復して仲良くなれることはあるのであろうか・・・。
毎日苦しい事の繰り返しであるが、私は今の所生きる事を
諦めないでいたいと思う。無論、うつ状態に陥ったら
『死にたい・消えたい』と思うであろう。しかしそれを実行
する気は無い。
ゆっくりではあるが、母との関係が病んだものから快復していく
事を願って落ち着いてやっていきたいと感じる。
無理だと悟った。余りにもしんどくて、辛くて、苦しかった
のである。総じて疲れてしまったという事である。
何もかもに疲れた・・・生きている事も、摂食障害の症状も
苦しくて苦しくて堪らなかった。
本当は凄くカウンセリングに行きたかった。
しかしこの様なぐだぐだな状態では無理であった。兎に角眠って
しまいたかった・・・。そしてキャンセルの電話をした時に、
8月いっぱいはお休みにして、9月から再開する事になった。
私の不摂生の所為でカウンセリングに行けなくて
見棄てられるのではないであろうか・・・・・・。
と言う気持ちが凄く膨らんでいた。全き信頼を置ける
カウンセラーであるし、胸の奥の醜い部分さえ話せる人である。
見棄てられたら・・・と思うと心がざわざわとする。
しかし、カウンセラーとは大学2回生の頃からカウンセリングを
続けている。心置きなく苦しい事、辛い事等を話し、建設的な
前へ向いて歩いていく方向に話が進められる。そして色々と
自分だけでは気付けなかった事を気付かされる事もある。
だから私にとってカウンセリングの時間は大切なものである。
9月迄には生活リズムを整え、『カウンセリングを受ける事』
を目標にやっていきたいと思う。目標があるとそれに向かって
進もうと思える。
タイトルの『関係が病んでいる』と言う事について。
所謂私と母、私と妹、私と弟、私と父の関係の事である。
それぞれの関係が病んでいる。しかし、其処に血が通い生身の
関係であれば、健全なものに修復可能である。
私の病気も、関係が病んでいるからこそ生まれたものである。
そう言い切れるであろう。
妹が家に出戻って来た頃、まだ乳児の姪と妹が毎日家に呼ぶ
友達で、狭い家は人で溢れていた。一応私だけの部屋はあった
ものの、居場所がなかったのである。
病気を理由に邪険な扱いを受けていた。
過食嘔吐にかかる費用は、半死半生の思いで働く事で工面して
いたが、過食嘔吐をするそのザマは、妹と妹の友達にしっかり
見られていた。その前で止まらない過食嘔吐は辛かった。
そんな時にいつも妹に罵られ、罵詈雑言を投げかけられ、
修復不可能な妹と私の関係が出来上がってしまった。
妹が毎日彼氏を家に連れ込むようになり、母も限界が来て
彼氏を連れ込まないようにして欲しいと言ったら、
妹は私の病気の事を罵って出て行った。そして母と2人暮らしが
始まり、漸く生活も安定して、母と血の通う関係が築けたので
ある。その間に、母も随分変わってくれた。私の病気を責めるの
ではなく、見守り、苦しい時には背中を摩ってくれる
と言う所まで修復された。まだまだ修復せねばならない部分も
あるが、やっと自分に落ち着きが戻ってきて、手首を毎日
切る事等無くなった。ストレスが少し減れば、派生的な症状も
すーっとフェイドアウトしていった。しかし少しでもストレスを
感じると、また自傷しようとしてしまう事には変わりないが・・・。
私と父との関係は、今の所修復する気も無い。病んだままで
結構である。それは、『父が変わる事』等あり得ない
からである。そして父に対する思いも私は変えられない。
現に、両親が離婚して13年経つが、父は少しも変わって
いないのである。少しでも弱点を見つけようものなら罵る
あの姿勢は鳥肌が立つほど嫌悪しているものである。
これらは今日の電話診察で話したものであるが、其処で主治医が
「例えばもし父親が癌か何かで余命少ないとなったら
どうすると思う?」と聞かれた。きっと私は毎日お見舞いに
行って介護するであろう。しかし、父がそれを当たり前として
人間として何も改めないのであれば、病んだ関係を修復させる
事も、毎日の見舞いも止めるかもしれない。親不孝と思われる
かも知れないが、それ程私の心を深く傷つける事を父は
やってのけてきたのである。だから諦めるより他はない。
妹、弟との関係も生身の血が通っていない。
主治医から『兄弟は他人の始まり』という
言葉があると聞いた。正しくその通りかも知れない。
関係を修復して仲良くなれることはあるのであろうか・・・。
毎日苦しい事の繰り返しであるが、私は今の所生きる事を
諦めないでいたいと思う。無論、うつ状態に陥ったら
『死にたい・消えたい』と思うであろう。しかしそれを実行
する気は無い。
ゆっくりではあるが、母との関係が病んだものから快復していく
事を願って落ち着いてやっていきたいと感じる。
コメント
お加減はどうですか?
毎日苦しいですね・・・。
心がざわざわする感じ良く分かります。
落ち着かなくてすごく不安定で辛いですよね・・。
家族の関係ですが、うちも似たようなものです。
父は小さい頃から妹だけに愛情を注いでました。
それはあまりにひどい落差で、幼少期は傷つきました。
私が胃痙攣で苦しんでいても車を出してくれないのに、
雨が降ってるだけで妹の送迎は喜んでしてました。
母と父は喧嘩ばかりでした。
ただ、妹は母にすごい反発していたのでその点で
共通点があり、妹との関係は比較的良好です。
父との関係は私も諦めてますが・・。
父が病気の母に「演技だろ」と言った事、動けない母に
夕飯をせかす事、どれもが非人道的で腹立たしいです。
ただ、父が一度心臓病になりました。
それもストレスから・・。母は少し反省し、うるさくは
言わなくなりました。でも、看病もしましたが、
父は変わりませんでした。
それから数年後、今度は原因不明ですが脊髄に障害が
あり歩けなくなりました。
手術で障害を取り除き、歩けるようにはなりましたが
走れません。さすがに父も少しだけ変わりました。
それでもやっぱり許せませんが、生き方によって
見えない力が働くのだなと思いました。
ナノさんも諦めないで下さい。
お父様はともかく、ご兄弟との関係が修復できれば
生きる希望が更に大きくなるでしょう。
きっかけはどこかに落ちてくると思います。
そのきっかけを逃さずにナノさんの関係が少しずつ
回復されるといいですね。長文すみません。
カウンセリングの先生は、ナノさんを見捨てたりなどなさったりしませんよ^^大丈夫大丈夫・・不安なお気持ちは解りますが、それはありませんから、どうかその事でナノさんがこれ以上お心を煩わさないで済みますようにお祈りしています。
ナノさんのご家族のお話・・胸が詰まされます・・。
ミルクさんがおっしゃるように、どうか諦める事無く、ナノさんにとって、一番お気持ちが安らぐ家族関係が構築される事を願って止みません。という私も母との関係で右往左往している身ですが、私も諦めずに、ありのままの私で存在出来る関係を模索してみます^^だから、ナノさんも、決して諦める事なく、ナノさんが望む家族の関係を構築なさって下さいね^^そのためにも、まずはお互い自身の心のコンディションを整える事が近道かも知れませんね^^お互いゆっくりと、でも、前のめりに生きましょうね^^
何だか偉そうな事を言ってしまって申し訳ありません。
どうかお気を悪くなさらないで下さいね・・
ナノさんが穏やかに今日をお過ごしになれます様に^^
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
ミルクさんのコメントを拝見して、共通点が多い事に
凄くビックリしました。それは父の事についてです。
父は私に罵詈雑言を浴びせましたが、妹と弟は可愛がって
いました。私がストレス性胃炎の痛みでのた打ち回っていても
鼻で笑っていました。母が胃痙攣を起こして玄関で蹲って
いた時も、救急車を呼んでという母の言葉に応じず、
不精ったらしく車で母を病院に運びました。3日の入院が
必要なほどの症状だったようですが、3日くらいだからと
入院セットも持っていかなかった酷い父です。
そして心臓病を患った所も同じです。暴飲暴食を重ねた末の
高血圧・心臓病でしたが、今はケロッとしています。
そんな父に呆れ返っています。もう父とは関係を修復しよう
とは思えません。
しかし兄弟とはどうにか血の通う関係を築きたいです。
ミルクさんのアドバイス通り、何処かに落ちているきっかけ
を掴んで前に進めたらと思います。
それではお体に気をつけてゆったりしてください。
まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
まるこさんの言葉はとても温かくいつも安心します。
感謝しています。
本当、ありのままの自分を出せるようになり、相手と自分
お互いが良好な関係を繋げられたらと感じます。
まるこさんの仰るように、コンディションを整え、
ゆっくりと前のめり気味に生きていけたらと思います。
『急いては事を仕損ずる』と言いますし、焦らないよう
やっていきたいと思います。
まるこさんもゆったりお過ごしになれる事を願っています。