謝る事の難しさ。
2006年7月22日 診察・カウンセリング コメント (2)子どもの頃、私は母から躾と称した体罰を受け、父から
汚い言葉遣いでの精神的虐待を受けた。
しかし、今更父母に謝罪してもらうつもりは毛頭ない。
特に母は、以前と比べると私の病気の事を理解しようと
してくれて、優しく接してくれる。その事で随分、私の心の
傷も癒され、母との新しい関係が築き上げられている。
例え謝罪の言葉は無くても、許せるのである。
しかし、父に関しては決して当て嵌まらない。
未だに兄弟で差別をして、私とはもう1年以上会っていない。
妹の所へは月1で会いに行き、孫を可愛がり好きなものを
買い与え、お小遣いを与えている。
小さな頃から、お前は豚小屋に住む豚か!等
体型に関する罵りや、その他には幾らテストの点数が良くても
ちょっとしたミスの部分を詰ってきた。本人は大した頭も
無いと言うのに・・・。それは私が小学生高学年になって
分かった。父の始末書をたまたま見てしまい、私の書く作文より
遥かに稚拙な文章で、誤字脱字だらけだったからである。
2階にある自分の部屋で歌を口ずさもうものなら、
1階の父がいる部屋から五月蝿い!耳障りだ!と
言われたし、習っていたピアノの練習をしていても、
わしが休みの日に下手な練習なんかするな!と
言われた。その他にも沢山の罵詈雑言を浴び、私の心は
沢山沢山傷付いた。だから父が謝ってきても許せない。
勿論母からの体罰も、『恐怖と痛み』で
苦しかった。しかし、こうして2人で暮らす年月を経て、
関係は修復されている。母からの謝罪の言葉なんて要らない。
今こうして仲良く暮らせている事で充分満足である。
主治医とはこのタイトルの事について話し合ったのである。
それで上記の答えが導き出された。
無論、子どもの頃の母に対する恐怖や体罰を受けた心の傷は
完治した訳ではない。未だ『寂しい・心細い』と
泣いている自分が胸の中にいる。けれども、こうして母と
過ごし、思い遣りの気持ちを忘れず、お互いを思い合うことに
因って、時期に傷は消えていくのではないであろうかと感じる。
しかし父からは精神的に、滅茶苦茶に打ちのめされた。
其処に、『太る事への恐怖』が
ある事に気付いている。
『謝る』という事はとても難しい。
タイミングが悪ければ、許してもらえない事もある。
また、自分が悪い癖に逆切れを引き起こす事もある。
私は争い事が大嫌いであり、恐ろしく思っている。出来れば
皆楽しく面白く過ごしていければと思っている。
しかし、何の気無しに放った言葉が相手を傷つけたり、
絶望の淵へ追いやる事もある。また、温かい言葉で命までも
救われる事がある。
要するにタイミングの問題なのであろう。
悪い事をしたと思って謝りたくても、タイミングを逸して
相手との関係が悪くなったり、逆に謝りすぎて相手共々
無限のループに嵌ってしまう事もある。
私は幾ら嫌な事を言われ、厭味を言われても、一晩眠ったら
忘れてあっけらかんとしている。母と小競り合いしてしまった
時も、一晩眠るともう普通に接している。
しかしこれが他人との関係になったら難しい事になってしまう。
もう大人なので、きちんと発言する言葉に気を付け、
出来る限り人を傷つける事のないようにしなければならないと
感じる。
汚い言葉遣いでの精神的虐待を受けた。
しかし、今更父母に謝罪してもらうつもりは毛頭ない。
特に母は、以前と比べると私の病気の事を理解しようと
してくれて、優しく接してくれる。その事で随分、私の心の
傷も癒され、母との新しい関係が築き上げられている。
例え謝罪の言葉は無くても、許せるのである。
しかし、父に関しては決して当て嵌まらない。
未だに兄弟で差別をして、私とはもう1年以上会っていない。
妹の所へは月1で会いに行き、孫を可愛がり好きなものを
買い与え、お小遣いを与えている。
小さな頃から、お前は豚小屋に住む豚か!等
体型に関する罵りや、その他には幾らテストの点数が良くても
ちょっとしたミスの部分を詰ってきた。本人は大した頭も
無いと言うのに・・・。それは私が小学生高学年になって
分かった。父の始末書をたまたま見てしまい、私の書く作文より
遥かに稚拙な文章で、誤字脱字だらけだったからである。
2階にある自分の部屋で歌を口ずさもうものなら、
1階の父がいる部屋から五月蝿い!耳障りだ!と
言われたし、習っていたピアノの練習をしていても、
わしが休みの日に下手な練習なんかするな!と
言われた。その他にも沢山の罵詈雑言を浴び、私の心は
沢山沢山傷付いた。だから父が謝ってきても許せない。
勿論母からの体罰も、『恐怖と痛み』で
苦しかった。しかし、こうして2人で暮らす年月を経て、
関係は修復されている。母からの謝罪の言葉なんて要らない。
今こうして仲良く暮らせている事で充分満足である。
主治医とはこのタイトルの事について話し合ったのである。
それで上記の答えが導き出された。
無論、子どもの頃の母に対する恐怖や体罰を受けた心の傷は
完治した訳ではない。未だ『寂しい・心細い』と
泣いている自分が胸の中にいる。けれども、こうして母と
過ごし、思い遣りの気持ちを忘れず、お互いを思い合うことに
因って、時期に傷は消えていくのではないであろうかと感じる。
しかし父からは精神的に、滅茶苦茶に打ちのめされた。
其処に、『太る事への恐怖』が
ある事に気付いている。
『謝る』という事はとても難しい。
タイミングが悪ければ、許してもらえない事もある。
また、自分が悪い癖に逆切れを引き起こす事もある。
私は争い事が大嫌いであり、恐ろしく思っている。出来れば
皆楽しく面白く過ごしていければと思っている。
しかし、何の気無しに放った言葉が相手を傷つけたり、
絶望の淵へ追いやる事もある。また、温かい言葉で命までも
救われる事がある。
要するにタイミングの問題なのであろう。
悪い事をしたと思って謝りたくても、タイミングを逸して
相手との関係が悪くなったり、逆に謝りすぎて相手共々
無限のループに嵌ってしまう事もある。
私は幾ら嫌な事を言われ、厭味を言われても、一晩眠ったら
忘れてあっけらかんとしている。母と小競り合いしてしまった
時も、一晩眠るともう普通に接している。
しかしこれが他人との関係になったら難しい事になってしまう。
もう大人なので、きちんと発言する言葉に気を付け、
出来る限り人を傷つける事のないようにしなければならないと
感じる。
コメント
温かいコメントありがとう!
確かにそうだね・・。お母様との関係は修復しつつ
ある気がするけど、お父様の傷は・・・。
過食嘔吐に直結してる気がするだけに
とても心配です。
私も揉め事は嫌いです。
だから、自分の意見をいうのはある程度
信頼関係がないと言えません。
それ以外の人は自分が合わせて、相手が気分が
良いようにできるだけしてます。
謝るというのはとても大切な事ですよね。
素直に謝れば一瞬で済む事をタイミングを逃すと
折角の謝罪の言葉も意味がなくなってしまいます。
私は会社では言い訳はせず、すぐ謝るように
心がけています。言い訳は見苦しいので
謝ってから自分の意見をいいます。
ナノさんは優しい方なので、そのままの意見をいっても
全然大丈夫ですよ。
むしろ、もっともっと本音をいった方がいいですよ。
私はその方が嬉しいです。
人も自分も傷つけたくないですね。
優しく優しくゆっくりいきましょうね。
ミルクさん、こんばんは。調子は如何でしょうか。
確かに母との関係が良くなってきている事を実感しています。しかし父とは・・・・・・。
もう接点も無いですし、この先会うこともないかも
知れませんが、子どもの頃罵詈雑言を浴びせてきた父を
未だ許す事はできません。
ネットは本当、言葉だけのやり取りなので、ちょっとした
言葉遣いが誤解を生むことがあるんですよね。それが
揉め事に発展していき辛い思いをしますね。
その点でミルクさんはちゃんと謝罪をして、その後で
意見を言うというとても良い方法を実践されていますね。
自分の気持ちを露にすると人を傷つけるのではないかと
恐くなります。
本当優しい気持ち、大きな心を持って進みたいものです。