自分の首を己が絞める。
2006年7月5日 摂食障害 コメント (2)つくづくこの摂食障害の病は、一人芝居の様な気がする
と感じる。
自分の中で激しい葛藤があり、
『食べたくない!!』
と心の奥底では思っているのに、
『過食しろ!そして吐け!』
という気持ちがぶつかって、結局過食嘔吐せざるを得ない
状況に自分で持っていってしまう。もう本当に意志の問題云々
ではないのである。過食嘔吐が頭と心で満杯になったら、
流されるように、気が付けば何か口に運んでいる状態である。
こんな自分に辟易する。
自分の心に問いかけてみても、『食べたくない!』
と言う気持ちの方が強いのである。なのに毎日やっている事で、
やらねばならない事の如く、その心はいとも簡単に過食嘔吐へと
流れていく。
正直、体力が付いていっていない。1度過食嘔吐をすると、
もうへとへとで何もやる気が無くなる。ぼんやりと体の不調が
通り過ぎるまで、低血糖と低カリウム血症を防ぐ為野菜ジュース
を飲んだり、小さな黒糖を嘗めたりしてどうにか過ごす。
そして2度目の過食嘔吐まではずっと発泡酒やカクテルを飲み、
『もうやりたくない!!』
と言う気持ちを膨らませていく。けれども、惰性的に2度目へと
突き進んでしまう。ほとほと自分に呆れ、苦しい事は分かって
いるのにと自嘲の念に駆られ己を罵る。
『過食嘔吐』と言う症状は、私に今必要なものであるから
現れているのである。だから無理矢理我慢したり、抑え込んでも
何れ爆発してしまう。
今朝方までかかった過食嘔吐は久し振りに早目に終える事が
出来て、睡眠時間をたっぷり取れた。この睡眠に関しても、
お薬を服用しないといつまで経っても眠れない。
こうして生活習慣を乱しているのも自分である。
まさに『摂食障害地獄』に
堕ちたような感覚である。
一旦堕ちるとなかなか這い上がれない。這い上がる力も無い。
時間が来れば過食を始め、胃の限界が訪れたら嘔吐する毎日。
こうして視点を摂食障害だけに向けてしまうと、まさに自分で
己の首を締め上げている感覚を覚える。けれどもこれは、
仕方の無い事なのだと言い聞かせ、耐え抜くしかない。
摂食障害の治癒は、これまで患っていた時間分かかると言われて
いる。私は14歳の時に発症した上、良くなる所か悪化している
ように思う。特に拒食の症状が出始めてからは、少しずつ体重が
減り始め、日常生活が少し辛くなってきている。
幾許かの栄養を、少しは摂取するようにはしているが、
それさえも『太ってしまうのではないか』という
恐怖が訪れる。私の、自分の身体に対する認知は歪みまくって
いるので、何処まで痩せたら自分で「痩せている」と感じられる
のかは解らない。今現在も、
まだまだ太い、足やお腹。もっともっと痩せねば
と焦る。きっと骨と皮になる位まで痩せれば満足するのかも
知れないという恐ろしさを含んでいる。
女性は、スレンダーでも出るところは出て細い所は締まっている
スタイルか、少しぽっちゃりとした感じのスタイルの方が
魅力的であることは充分承知している。
だから自分がもっと痩せたいと思うのは、男性に良い目で
見られたいだとか、スタイルよく見られたいという目的ではない
のである。唯々今よりもっと細く、細くと望んでいる心を
感じる。人からどう見られてもかまわない、もっともっと
痩せたいという心だけが疼き、指令を下しているのであろう。
某芸能人も一時期『拒食症』として女性誌を騒がせた。
何となく治ったのかなと感じても、改めてみると極端に細い
彼女は、仕事に恋愛にと活動的である。その彼女はぽっちゃりと
した可愛い感じが魅力的であったのに、今や痩せぎすで魅力が
薄れていると感じる。けれどもそんな身体で仕事をこなせる
だけのバイタリティは何処から来るのか疑問を感じる。
私は、痩せが高じるほど、鬱も酷くなって何もする気が
起きなくなる。集中力にも欠け、大好きな読書を長時間嗜む事が
しんどい時もある。唯一の趣味である読書さえもままならない
この現状は危機感を覚えるものの、それでも『痩せ願望』は
消える事等決して無い。兎に角食べ物は恐いのに、食べ物だけが
私を裏切らず心にぽっかり空いた穴を仮埋めしてくれるのである
から・・・。
何れにせよ、治癒と言う曖昧な境界線に近付きたいとは感じる。
せめて同世代の女性たちの様に、働いたり遊んだりという
『普通の生活』
を送りたいという希望はある。余りにも廃れた生活を送っている
自分を思うと溜息しか出ない。若しくは自嘲の笑みが浮かぶ。
一体いつが自分にとって普通の時期であったのか定かではないが
生きる事を謳歌できるようになれば万々歳かも知れない。
けれども病気の私はそんな事より『痩せ』をとるのであろう。
それが虚しく悲しいものであると解っていても・・・。
兎に角焦らず、自分の進む道を慎重に踏みしめる事から、
私の第一歩が始まるのであろう。
と感じる。
自分の中で激しい葛藤があり、
『食べたくない!!』
と心の奥底では思っているのに、
『過食しろ!そして吐け!』
という気持ちがぶつかって、結局過食嘔吐せざるを得ない
状況に自分で持っていってしまう。もう本当に意志の問題云々
ではないのである。過食嘔吐が頭と心で満杯になったら、
流されるように、気が付けば何か口に運んでいる状態である。
こんな自分に辟易する。
自分の心に問いかけてみても、『食べたくない!』
と言う気持ちの方が強いのである。なのに毎日やっている事で、
やらねばならない事の如く、その心はいとも簡単に過食嘔吐へと
流れていく。
正直、体力が付いていっていない。1度過食嘔吐をすると、
もうへとへとで何もやる気が無くなる。ぼんやりと体の不調が
通り過ぎるまで、低血糖と低カリウム血症を防ぐ為野菜ジュース
を飲んだり、小さな黒糖を嘗めたりしてどうにか過ごす。
そして2度目の過食嘔吐まではずっと発泡酒やカクテルを飲み、
『もうやりたくない!!』
と言う気持ちを膨らませていく。けれども、惰性的に2度目へと
突き進んでしまう。ほとほと自分に呆れ、苦しい事は分かって
いるのにと自嘲の念に駆られ己を罵る。
『過食嘔吐』と言う症状は、私に今必要なものであるから
現れているのである。だから無理矢理我慢したり、抑え込んでも
何れ爆発してしまう。
今朝方までかかった過食嘔吐は久し振りに早目に終える事が
出来て、睡眠時間をたっぷり取れた。この睡眠に関しても、
お薬を服用しないといつまで経っても眠れない。
こうして生活習慣を乱しているのも自分である。
まさに『摂食障害地獄』に
堕ちたような感覚である。
一旦堕ちるとなかなか這い上がれない。這い上がる力も無い。
時間が来れば過食を始め、胃の限界が訪れたら嘔吐する毎日。
こうして視点を摂食障害だけに向けてしまうと、まさに自分で
己の首を締め上げている感覚を覚える。けれどもこれは、
仕方の無い事なのだと言い聞かせ、耐え抜くしかない。
摂食障害の治癒は、これまで患っていた時間分かかると言われて
いる。私は14歳の時に発症した上、良くなる所か悪化している
ように思う。特に拒食の症状が出始めてからは、少しずつ体重が
減り始め、日常生活が少し辛くなってきている。
幾許かの栄養を、少しは摂取するようにはしているが、
それさえも『太ってしまうのではないか』という
恐怖が訪れる。私の、自分の身体に対する認知は歪みまくって
いるので、何処まで痩せたら自分で「痩せている」と感じられる
のかは解らない。今現在も、
まだまだ太い、足やお腹。もっともっと痩せねば
と焦る。きっと骨と皮になる位まで痩せれば満足するのかも
知れないという恐ろしさを含んでいる。
女性は、スレンダーでも出るところは出て細い所は締まっている
スタイルか、少しぽっちゃりとした感じのスタイルの方が
魅力的であることは充分承知している。
だから自分がもっと痩せたいと思うのは、男性に良い目で
見られたいだとか、スタイルよく見られたいという目的ではない
のである。唯々今よりもっと細く、細くと望んでいる心を
感じる。人からどう見られてもかまわない、もっともっと
痩せたいという心だけが疼き、指令を下しているのであろう。
某芸能人も一時期『拒食症』として女性誌を騒がせた。
何となく治ったのかなと感じても、改めてみると極端に細い
彼女は、仕事に恋愛にと活動的である。その彼女はぽっちゃりと
した可愛い感じが魅力的であったのに、今や痩せぎすで魅力が
薄れていると感じる。けれどもそんな身体で仕事をこなせる
だけのバイタリティは何処から来るのか疑問を感じる。
私は、痩せが高じるほど、鬱も酷くなって何もする気が
起きなくなる。集中力にも欠け、大好きな読書を長時間嗜む事が
しんどい時もある。唯一の趣味である読書さえもままならない
この現状は危機感を覚えるものの、それでも『痩せ願望』は
消える事等決して無い。兎に角食べ物は恐いのに、食べ物だけが
私を裏切らず心にぽっかり空いた穴を仮埋めしてくれるのである
から・・・。
何れにせよ、治癒と言う曖昧な境界線に近付きたいとは感じる。
せめて同世代の女性たちの様に、働いたり遊んだりという
『普通の生活』
を送りたいという希望はある。余りにも廃れた生活を送っている
自分を思うと溜息しか出ない。若しくは自嘲の笑みが浮かぶ。
一体いつが自分にとって普通の時期であったのか定かではないが
生きる事を謳歌できるようになれば万々歳かも知れない。
けれども病気の私はそんな事より『痩せ』をとるのであろう。
それが虚しく悲しいものであると解っていても・・・。
兎に角焦らず、自分の進む道を慎重に踏みしめる事から、
私の第一歩が始まるのであろう。
コメント
具合がますます悪化してるようで心配です。
普通の生活、本当に憧れますよね。
普通に食べて、寝て、働いて・・・。
薬によって生かされてる私にはとても出来ません。
いつも好調な時でさえ、落ちた時の落差を想像し
素直に喜べません。
でも、転んだ人にしか転んだ痛みは分からないと言います。
私達は健常者より多くの感謝に気づく事が
出来るようになったと思います。
そんな痛みなんて知らなくていいよと思って
ましたが、最近は皆さんと知り合って良いチャンスを
いただけたと思うようになりました。
強迫障害がそんなに酷いと本当に辟易して
しまいますよね・・。
かなり抑うつ状態もひどそうですし・・。
早く鎖から解き放たれるといいですね。祈るしかできませんが・・。
本当に一時でもナノさんに心休まる時があるようにと
願っています。
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
ミルクさんの、『好調な時も落ちたときの落差を想像して
素直に喜べない』と言う気持ち、凄く分かります。
私も比較的調子が良くても、後でどうせ落ちたら苦しいんだ
と思うと手放しで喜ぶ事が出来ないのです。
普通の生活・・・すっかり忘れてしまいました。
何が一体普通の基準化さえ分かりません・・・。
でも転んだ人の痛みが分かるように、この病気を患った事で
苦しんでいる人の気持ちが、僅かですが感じられる気が
します。それは人として大切な事ですよね^^
ミルクさんもお辛い中、いつもコメントありがとうございます。
凄く元気付けられて感謝しています。
どうかゆったりお過ごし下さいね。