仄かな雨の香り。
2006年7月4日 診察・カウンセリング コメント (5)1日中、雨が降ったり止んだりしたようであった。
私は15時半まで眠っていたので気付かなかった。
夕方、曇り空の下、外に出ると雨が降る直前の香りが仄かに
漂っていた。何とも言えない懐かしい香りである。
今日はカウンセリングがお休みの日で、電話診察だけだったので
ゆっくり眠れて、熱いシャワーを浴びて目を醒ました。
最近はシャワーを浴びた後、ドッと疲れが押し寄せるように
なってきている。やはりスープだけでは栄養にならないのかも
しれない。けれども決まったスープや水、氷、お茶、コーヒー等
流動物以外の固形の食べ物を口にしてしまうと、途端に過食へ
繋がってしまう。本当に厄介で強固な食べ物に対する拒絶感には
辟易してしまう。
17時過ぎ、病院へ電話して診察が始まった。
摂食障害の人はやはり、『甘える事が苦手』
である人が多い。虐待も無く、寧ろ両親も優しくて殆ど問題ない
家庭でも、摂食障害を患う人がいる。その人達は一様に
『大人に取って都合の良い子』である事が
分かった。親の、大人の顔色を伺い、叱られたり怒られたり
しないようにいつも気を遣うのである。そしていつの間にか
歯車が狂い始めて摂食障害と言う病気に罹ってしまうのであろう
と感じる。
摂食障害は本当に奥が深い。入院をしたからといって容易に
治るものではないし、何が『治った状態』なのかも
曖昧である。勿論低体重で電解質も狂い、生命の危機がある
場合は、入院の措置が必要である。でもそこで栄養を点滴や
栄養補給のための高カロリーの栄養剤を飲んだとしても、
体重が増え、生きていけるだけの栄養が補えたというだけで
根本の治療が出来ているわけではない。過食嘔吐を頻繁にする
人が入院して無理矢理その症状を抑えても、何れ爆発する事は
目に見えている。治療は本当に難しい。
こんな厄介な病気、そして苦しく、辛く、精神がにじりにじりと
狂乱の方向へ進みそうでも、自分の未知の力でどうにかするしか
無いのであろう。手術で病巣を取り除けるわけではない。
だからこの病気は長い時間をかけて『カウンセリング』
や『診察』等で心の機微を修正するしか今は方法が
無いように感じる。勿論、カウンセリングを行なったとしても
過食嘔吐がすぐさま治まる訳ではない。それはうつ病も同じで
あると感じる。診察を例え30分かけて行なったとして、
その時は気分が軽くなったとしても、次の日にはまた抑うつ感に
悩む事もあるであろうと感じる。
大切なのはきっと『諦めない事』であろう。
余りの苦しみに、「死んだ方がマシだ」と考える事もある。
しかし、死に急いだり生き急いだりする必要は無い。
ただ、この病気は本当に身も引き裂かれそうな程の辛苦を呈する
ので、どうしても死に急いでしまうのかもしれない。
出来るだけリラックスを取り入れて、1時間でも落ち着いた時を
持てたら、私は今の所我慢できるかもしれない。
心や脳の病気を治すには、補助的な意味でのお薬も必要であるし
人との係わり合いで様々な影響を及ぼす。
でもゆっくりと今歩んでいる道を見つめながら、そして前を向き
落ち着いていけたならと感じている。
私は15時半まで眠っていたので気付かなかった。
夕方、曇り空の下、外に出ると雨が降る直前の香りが仄かに
漂っていた。何とも言えない懐かしい香りである。
今日はカウンセリングがお休みの日で、電話診察だけだったので
ゆっくり眠れて、熱いシャワーを浴びて目を醒ました。
最近はシャワーを浴びた後、ドッと疲れが押し寄せるように
なってきている。やはりスープだけでは栄養にならないのかも
しれない。けれども決まったスープや水、氷、お茶、コーヒー等
流動物以外の固形の食べ物を口にしてしまうと、途端に過食へ
繋がってしまう。本当に厄介で強固な食べ物に対する拒絶感には
辟易してしまう。
17時過ぎ、病院へ電話して診察が始まった。
摂食障害の人はやはり、『甘える事が苦手』
である人が多い。虐待も無く、寧ろ両親も優しくて殆ど問題ない
家庭でも、摂食障害を患う人がいる。その人達は一様に
『大人に取って都合の良い子』である事が
分かった。親の、大人の顔色を伺い、叱られたり怒られたり
しないようにいつも気を遣うのである。そしていつの間にか
歯車が狂い始めて摂食障害と言う病気に罹ってしまうのであろう
と感じる。
摂食障害は本当に奥が深い。入院をしたからといって容易に
治るものではないし、何が『治った状態』なのかも
曖昧である。勿論低体重で電解質も狂い、生命の危機がある
場合は、入院の措置が必要である。でもそこで栄養を点滴や
栄養補給のための高カロリーの栄養剤を飲んだとしても、
体重が増え、生きていけるだけの栄養が補えたというだけで
根本の治療が出来ているわけではない。過食嘔吐を頻繁にする
人が入院して無理矢理その症状を抑えても、何れ爆発する事は
目に見えている。治療は本当に難しい。
こんな厄介な病気、そして苦しく、辛く、精神がにじりにじりと
狂乱の方向へ進みそうでも、自分の未知の力でどうにかするしか
無いのであろう。手術で病巣を取り除けるわけではない。
だからこの病気は長い時間をかけて『カウンセリング』
や『診察』等で心の機微を修正するしか今は方法が
無いように感じる。勿論、カウンセリングを行なったとしても
過食嘔吐がすぐさま治まる訳ではない。それはうつ病も同じで
あると感じる。診察を例え30分かけて行なったとして、
その時は気分が軽くなったとしても、次の日にはまた抑うつ感に
悩む事もあるであろうと感じる。
大切なのはきっと『諦めない事』であろう。
余りの苦しみに、「死んだ方がマシだ」と考える事もある。
しかし、死に急いだり生き急いだりする必要は無い。
ただ、この病気は本当に身も引き裂かれそうな程の辛苦を呈する
ので、どうしても死に急いでしまうのかもしれない。
出来るだけリラックスを取り入れて、1時間でも落ち着いた時を
持てたら、私は今の所我慢できるかもしれない。
心や脳の病気を治すには、補助的な意味でのお薬も必要であるし
人との係わり合いで様々な影響を及ぼす。
でもゆっくりと今歩んでいる道を見つめながら、そして前を向き
落ち着いていけたならと感じている。
コメント
診察お疲れ様でした・・。
ナノさんは本当に良くいろいろなことを分析なさっていますね。特にご自分について客観的に良く見つめているようにお見受けいたします。それってすごい事ですよね^^私など、自己中なので、どうしても自分を客観視ってとても出来ないですもの^^;ナノさんは立派ですよ^^
こうした日記を通しても人と関わって、繋がって行くことができますよね^^それがナノさんにとってどうか一服の清涼剤になりますように・・。
そうですね。諦めない事は大事な事ですね。
抑うつ状態になると全てがどうでも良くなってしまいますが、
一日の内一度でも「諦めない」と感じることが
治癒へとつながっていくかもしれません。
私達人間は頭で色々考え納得してるつもりでも、
心は別物ですよね。
見えない心、自分の無意識の部分や記憶が詰まっている
のかもしれないと最近感じています。
泣いたり感動したりする事は心が動かされ癒されます。
だから心が少し軽くなる感じがします。
心を愛情など良い気持ちでいっぱいにしてあげれば
治癒は早いと感じるのですが、根が我儘なため
あまり上手くいきません。
心のアンテナをいっぱいにして良い波長を
取り入れていきたいですね。
一時でも多くナノさんが心休まりますように・・。
まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
自分の事を客観的に見るのは難しいですね。
特に病気の症状に溺れている時は、本当に苦しくて何も
考えられず、危うい方向へ思考が向かう事もあります。
でもこうして診察やカウンセリングを重ねていると、
客観的に自分の事を話す訳ですので、その癖が付いて
しまったのかもしれません^^;
立派だなんて私には勿体無いお言葉です(>_
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます!
諦めない事・・・本当は苦しすぎて全てを放棄したくなって
しまいますが、それでは何も解決しませんよね・・・。
凄く辛いけれど、自分の病気を認めないと何も始まらないの
ですね・・・。
本当、心の中が愛情で満たされたなら、『心の満足感』が
得られるかもしれませんね。大切な事ですね。
心のアンテナ。色々に張り巡らせて、良い事をどんどん
取り入れられたらと思います。
でも日常辛い事がたくさんありますね。少しでもそれらを
昇華して落ち着いた日々を過ごせると良いですよね^^
ミルクさんも、どうかごゆっくりお過ごし下さい。
途中でコメントが切れてしまったので、書き直しますm(_"_)m
こうして此処の方々に優しく温かいコメントを頂けて
繋がりを感じると本当に胸がジンとします。
本当に感謝の気持ちで一杯です。落ち込んでどうしよう
ない時も、救われます。
どうかまるこさんもゆったりとお過ごし下さいね。