『生きるという事』に辟易する。
2006年7月1日 診察・カウンセリング コメント (2)様々な想いが襲来する。全てがネガティヴで暗く、後ろ向きで
あり、心身ともに重苦しく感じる。
『何故生きなければならないのであろう・・・。』
この想いだけはどれだけ自分に問うても、答えなど何処にも
ない。『産まれてきたから生きている』と言う
至極当たり前の、何ら捻りもない当然の事でしか思いつかない。
それは『生きている意味』では無く、状態を表すだけである。
今日はお薬の量を減らして服用して、早起きをして電話診察に
至った。主治医が主張したい中の一つに、
『甘えようと考えるのではなく、
自然に甘えられるようになるには、心身もボロボロで動かなく
なって初めて側にいる人に甘えざるを得ない状態・・・其処で
やっと本当の意味で甘える事が出来る』
と言う事があった。心の病を患っている人の多くは、
「甘えてはならない」と思っているし、
家族や身近な人に理解を得られていない人は「甘えるな!」
と叱咤されるのであろう。でもこんなにも辛い病気を抱え、
誰にも頼らず、甘えず、全てを自分一人でやっていくとなれば
やがて破綻が待っているような気がする。凄く辛いのに、
苦しいのに、病人にとって必要な『甘えを剥奪される事』
・・・これは本当に難しい問題である。この社会自体、日本の制度
自体が『甘える事』を拒絶しているのであるから。
子ども返りと言う意味ではないが、3歳の姪の様に自然に甘える
事が出来れば、病気も治癒へと向かうであろう。また、
飄々としている末っ子の、弟の甘え方も上手である。私にとって
の先生である。わたしは幼い頃から甘える事が出来ず、3歳から
『お姉ちゃん』として妹と弟の面倒も見なければ
ならなかった。そんな私が我侭を言ったり甘えたり出来る訳が
なかった。だから今もいまいち甘え方が分からない。
人間関係の潤滑油はこの『甘え・甘えられる』事である。
依存との違いは、しっかりと心を持っていれば区別がつくと
思う。甘えがなければ、乾ききった擦れた人間関係となる。
この『甘え』と言う課題はずっと病気が良くなるまで
続いていく問題であろう。
今日は午前中のうちに目覚める事が出来た為、ゆったりと
過ごす事ができた。読書も嗜めた。
生きていく事は本当に困難であるし、少しでも躓いたら直ぐに
死ぬ方へと思考が傾いてしまう。
生まれた限りは生きねばならないのであろうか・・・。
しかし私は母がいなくなれば自死する決意は出来ている。
生きていることに殆ど興味はないのかもしれない。
でも今は、母と良好な関係を続ける事、家族でお酒を
酌み交わしながら色々語り合いたいと言う夢、姪と一緒に
沢山遊びたいと言う願望がある。
だから当分は死にたくても我慢して生きる道を歩こうと思う。
あり、心身ともに重苦しく感じる。
『何故生きなければならないのであろう・・・。』
この想いだけはどれだけ自分に問うても、答えなど何処にも
ない。『産まれてきたから生きている』と言う
至極当たり前の、何ら捻りもない当然の事でしか思いつかない。
それは『生きている意味』では無く、状態を表すだけである。
今日はお薬の量を減らして服用して、早起きをして電話診察に
至った。主治医が主張したい中の一つに、
『甘えようと考えるのではなく、
自然に甘えられるようになるには、心身もボロボロで動かなく
なって初めて側にいる人に甘えざるを得ない状態・・・其処で
やっと本当の意味で甘える事が出来る』
と言う事があった。心の病を患っている人の多くは、
「甘えてはならない」と思っているし、
家族や身近な人に理解を得られていない人は「甘えるな!」
と叱咤されるのであろう。でもこんなにも辛い病気を抱え、
誰にも頼らず、甘えず、全てを自分一人でやっていくとなれば
やがて破綻が待っているような気がする。凄く辛いのに、
苦しいのに、病人にとって必要な『甘えを剥奪される事』
・・・これは本当に難しい問題である。この社会自体、日本の制度
自体が『甘える事』を拒絶しているのであるから。
子ども返りと言う意味ではないが、3歳の姪の様に自然に甘える
事が出来れば、病気も治癒へと向かうであろう。また、
飄々としている末っ子の、弟の甘え方も上手である。私にとって
の先生である。わたしは幼い頃から甘える事が出来ず、3歳から
『お姉ちゃん』として妹と弟の面倒も見なければ
ならなかった。そんな私が我侭を言ったり甘えたり出来る訳が
なかった。だから今もいまいち甘え方が分からない。
人間関係の潤滑油はこの『甘え・甘えられる』事である。
依存との違いは、しっかりと心を持っていれば区別がつくと
思う。甘えがなければ、乾ききった擦れた人間関係となる。
この『甘え』と言う課題はずっと病気が良くなるまで
続いていく問題であろう。
今日は午前中のうちに目覚める事が出来た為、ゆったりと
過ごす事ができた。読書も嗜めた。
生きていく事は本当に困難であるし、少しでも躓いたら直ぐに
死ぬ方へと思考が傾いてしまう。
生まれた限りは生きねばならないのであろうか・・・。
しかし私は母がいなくなれば自死する決意は出来ている。
生きていることに殆ど興味はないのかもしれない。
でも今は、母と良好な関係を続ける事、家族でお酒を
酌み交わしながら色々語り合いたいと言う夢、姪と一緒に
沢山遊びたいと言う願望がある。
だから当分は死にたくても我慢して生きる道を歩こうと思う。
コメント
お加減はどうですか?
「甘える事」本当にこれは難しいですね。
私も同じく「お姉さんだから」という環境で
我慢の元に育ってきたので全く分かりません。
大人になると余計に難しいですよね。
今更甘えるって言われても・・・。
私は25歳くらいはまだ甘えると依存の区別が
つきませんでしたね。
甘える事を知らないので、一人の人に執着すると
べったりになってしまっていたので・・。
ナノさんはお心がしっかりされてるので
大丈夫だと思いますよ。
私は最近、「辛い、苦しい」と言ったことを
我慢せず母親に言うようにしています。
また、過去の事も気になった事は言ってます。
母はその度に真剣に聞いてくれます。
するとその気持ちを母親が救い上げてくれたような
気になり、少しだけ楽になります。
抑うつ状態は変わりませんが・・・。
私の現状での「甘える」はこれくらいかなと思います。
お互い甘え上手になって心の隙間を埋めていきましょうね。
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そうですよね。大人になった今どうやって甘えたらいいのか
本当に戸惑いますよね。でも、ミルクさんが、お母様に
「辛い、苦しい」と我慢せずに伝え、それを包み込むように
聞いてもらう事がとても良い意味での「甘えと優しさ」の
関係だと思うのです。
私も一時期苦しくても、何も言えませんでした。
けれども苦しくて泣いている時に、母が側に来て背中を
擦ってくれるだけで、凄く安心しましたし、これがちょっと
した甘えなのかなとも感じました。
依存と甘えの区別は難しいですよね。甘えが行き過ぎると
依存となってしまいますから、境界線が曖昧ですよね。
でもゆっくりゆっくりと、ミルクさんの仰るように
心の隙間を埋めていけるようになると良いですね^^