身体が限界だと悲鳴を上げる。
2006年6月29日 平穏 コメント (4)夜中の過食嘔吐をした後、また畳まれた蒲団の上に
ぶっ倒れた。「これ以上動けない」と身体は動く事を拒否した。
頭も働かない。何もする気が起きない。しかし胃薬や眠剤を
服用せねばならないので、動かない身体を持て余し、只管
葛藤していた。
夜中の過食嘔吐の前に、もう限界は来ていたようで、
1時間程眠っていた。そしてまたお酒を飲みなおし、2回目に
突入してしまったのである。だから必然的にいつもより時間が
ずれ込んで全てが終わったのは午前6時過ぎであった。
『過食嘔吐は本当に辛い。苦しい。もう嫌だ!』
毎日毎日そう思っているのに1日たりとも止める事は出来ない。
自分が情けないからであろうか、病気がそうさせているから
であろうか。きっと後者であろう・・・。この病気の症状によって
生きる事が出来ているといっても過言ではない。
私の様な生い立ちを持った人が、統合失調症にならないで
いられるのは、過食嘔吐や強迫神経症、その他の神経症が
発症してそれを押さえ込んでいるのであろうと主治医は仰った。
精神が耐え切れない事は沢山あったし、今もある。しかし何か
脆弱なりにもおかしな強さを精神は兼ねており、ギリギリの所で
留まっている感じである。
抑うつ状態に陥る事も凄く苦しい。身体も精神も弛緩した感じで
全く何もする気になれない。千羽鶴も折れないし読書も
出来ないのである。この様な虚空な時間は自分が廃退していく
みたいで本当に苦しい。でもそんな時は頭を真っ白にしてみたら
良いと助言を頂いたので、その方に感謝しつつその状態に
なれるようにしたい。
目覚めたのは17時過ぎであった。途中メールの着信音や
テレビの音で断眠したが、直ぐ枕に顔を突っ伏して眠った。
最近は過食嘔吐による疲れが
酷いので、眠剤を少し減らしてもこんな遅くまで眠ってしまう。
どんどん生活習慣が乱れていく自分が途轍もなく腹立たしい。
何とか家事をこなすだけで精一杯である。
そして起床後シャワーを浴び、ゆっくりアイスミルクティーを
飲みつつ一服していたら、もうスーパーへ行く時間になった。
余計な事を考える暇もなかったので、それはそれで良かったと
思いたい。
今日の夕焼けはとても綺麗であった。オレンジ色のとろけそうな
夕陽が辺りを橙色に染めていく。水を得てすくすく育つ稲は
風に揺れ、確実に命を育む。鳥はさえずり、花々は芳香を放ち
例えコンクリートや電線や人工的な大きな建物に区切られた
風景でも、こういった自然はしっかりと生き続けている。
ぼんやりと眺めながら、ゆったりとする心を取り戻せたような
気がする。やはり自然と人間を切り離してはならない。
そんな時、主治医から聞いた言葉が甦る。沖縄の田舎の方では
人工的な仕事をしなくても、自然と向き合い野菜を作り、
自分の食べるものを確保して、今でも物々交換が行なわれている
所もあると聞いた。その日食べるものだけを確実に確保して
自然の恵みに感謝しながら食べ物を食べる・・・。きっとそのような
所では『摂食障害』等と言う
病気は発症しないであろうと感じる。太陽の光、水のせせらぎ、
木々の放つ清々しい空気。そんな自然に囲まれたらどんなに
幸せであろうかと空想する。しかし私はこのモノに溢れた
現代社会を生きている。
食べたい!過食したい!と思ったら24時間稼働している
コンビニへ行けば良い。食べ物が溢れている。
これでは病気は悪化する事はあれども、寛解する事は難しいと
感じる。
自然だけの地域に放り込まれたら、今の私はきっとパニックに
陥るであろう。それだけ今の私には摂食障害の症状が
必要なのであろうと痛感する。
いつか寛解へ向かう事を信じて・・・それだけしか今の私には
想う事は出来ない・・・。
ぶっ倒れた。「これ以上動けない」と身体は動く事を拒否した。
頭も働かない。何もする気が起きない。しかし胃薬や眠剤を
服用せねばならないので、動かない身体を持て余し、只管
葛藤していた。
夜中の過食嘔吐の前に、もう限界は来ていたようで、
1時間程眠っていた。そしてまたお酒を飲みなおし、2回目に
突入してしまったのである。だから必然的にいつもより時間が
ずれ込んで全てが終わったのは午前6時過ぎであった。
『過食嘔吐は本当に辛い。苦しい。もう嫌だ!』
毎日毎日そう思っているのに1日たりとも止める事は出来ない。
自分が情けないからであろうか、病気がそうさせているから
であろうか。きっと後者であろう・・・。この病気の症状によって
生きる事が出来ているといっても過言ではない。
私の様な生い立ちを持った人が、統合失調症にならないで
いられるのは、過食嘔吐や強迫神経症、その他の神経症が
発症してそれを押さえ込んでいるのであろうと主治医は仰った。
精神が耐え切れない事は沢山あったし、今もある。しかし何か
脆弱なりにもおかしな強さを精神は兼ねており、ギリギリの所で
留まっている感じである。
抑うつ状態に陥る事も凄く苦しい。身体も精神も弛緩した感じで
全く何もする気になれない。千羽鶴も折れないし読書も
出来ないのである。この様な虚空な時間は自分が廃退していく
みたいで本当に苦しい。でもそんな時は頭を真っ白にしてみたら
良いと助言を頂いたので、その方に感謝しつつその状態に
なれるようにしたい。
目覚めたのは17時過ぎであった。途中メールの着信音や
テレビの音で断眠したが、直ぐ枕に顔を突っ伏して眠った。
最近は過食嘔吐による疲れが
酷いので、眠剤を少し減らしてもこんな遅くまで眠ってしまう。
どんどん生活習慣が乱れていく自分が途轍もなく腹立たしい。
何とか家事をこなすだけで精一杯である。
そして起床後シャワーを浴び、ゆっくりアイスミルクティーを
飲みつつ一服していたら、もうスーパーへ行く時間になった。
余計な事を考える暇もなかったので、それはそれで良かったと
思いたい。
今日の夕焼けはとても綺麗であった。オレンジ色のとろけそうな
夕陽が辺りを橙色に染めていく。水を得てすくすく育つ稲は
風に揺れ、確実に命を育む。鳥はさえずり、花々は芳香を放ち
例えコンクリートや電線や人工的な大きな建物に区切られた
風景でも、こういった自然はしっかりと生き続けている。
ぼんやりと眺めながら、ゆったりとする心を取り戻せたような
気がする。やはり自然と人間を切り離してはならない。
そんな時、主治医から聞いた言葉が甦る。沖縄の田舎の方では
人工的な仕事をしなくても、自然と向き合い野菜を作り、
自分の食べるものを確保して、今でも物々交換が行なわれている
所もあると聞いた。その日食べるものだけを確実に確保して
自然の恵みに感謝しながら食べ物を食べる・・・。きっとそのような
所では『摂食障害』等と言う
病気は発症しないであろうと感じる。太陽の光、水のせせらぎ、
木々の放つ清々しい空気。そんな自然に囲まれたらどんなに
幸せであろうかと空想する。しかし私はこのモノに溢れた
現代社会を生きている。
食べたい!過食したい!と思ったら24時間稼働している
コンビニへ行けば良い。食べ物が溢れている。
これでは病気は悪化する事はあれども、寛解する事は難しいと
感じる。
自然だけの地域に放り込まれたら、今の私はきっとパニックに
陥るであろう。それだけ今の私には摂食障害の症状が
必要なのであろうと痛感する。
いつか寛解へ向かう事を信じて・・・それだけしか今の私には
想う事は出来ない・・・。
コメント
お加減はいかがでしょうか・・。
お体が限界に近いのではないかととても心配です。
日記を書くのも本当はお辛いのでしょうね・・。
でも、私はナノさんの日記を見ていつも安堵しています。
日記が遅いと勝手に心配しちゃいます^^;
自然は鬱病にとても良いそうですよ。
私の会社の人は鬱を発症後、庭の土いじりが趣味に
なったそうです。症状も以前よりは落ち着いてるようです。
今日は私も抑うつ状態がひどく全然動けませんでした。
トイレもお風呂も億劫で・・。鉛のような身体でした。
いつも通り寝逃げしましたが・・。
ナノさんは精神も体力も限界だと思います。
以前まるこさんが仰ったようにリラックスして
何も考えず流れに身を任せるのが負担が軽くて
良いのではないでしょうか。
過食嘔吐は辛く苦しいと思いますが、
闘う姿勢でなく受け入れる姿勢でいけば
少し違うかもしれません。
日記を拝読するたびにお体が心配です。
本当にご自愛くださいね。
苦しい中コメント下さっていつも感謝しています。
ナノさんの体がとても心配です。自分の中での葛藤…
しかし過食嘔吐をしないと治まらない心の闇。
どんなにか辛い思いでしょう。
自然と触れ合う事、いいことだと思います。
しかし抑うつ状態がひどいと外にでるのも何もかも嫌で
部屋で泣いてばかりの日々。
少し天気が回復したらウォーキングでもしてみようかなと
考えています。
ナノさんくれぐれも無理しないで自分をいたわってあげて
下さい。どうかお大事に。 紫音でした。
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
身体の方はギリギリと言う感じでやっていっています。
成程・・・自然と触れ合う事は本当に良いみたいですね。
土いじり、私も心に余裕が生まれたら、きっとやってみたい
と思いました。でも息をするだけで精一杯な程追い詰められ
ると、何もする気になれないのが玉に瑕です。
過食嘔吐も自然に受け入れ、闘うのではなく違う視点で
自分自身を見つめて打開策を見つけたいと思います。
いつも励ましてくださり、嬉しいです。
紫音さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
紫音さんもお体の調子は如何でしょうか・・・。紫音さんも
辛いのにコメントを下さる事、大変嬉しいです。
自然と触れ合う事は、自然と人間が切り離せ無い事から
やはりリラックスできるのかも知れませんね。
夏に向かって新緑が眩しくなる中、ウォーキングをしようという
考えは素晴らしいですね。
紫音さんもゆっくりお過ごしできる事を祈っています。