就眠前のお薬を服用しなければ、眠気が訪れる事は無い。

しかし早起きをしなければならない時は、そのお薬を服用して

しまうと、泥の様に眠ってしまい起床する事が出来ない。

なので自分で調整するしかないのであるが、その時の体調、

心の状態によって大きく効果の現れ方が変わるので悩む。




今週は2日、日中から外出した為にあっという間に過ぎた感じが

した。しかし、今の私にとって『外出するという事』

多大なる体力・精神力を要する為に、疲労困憊してしまう。

普段と違った日々を送った為に、睡眠時間も今週は少なかった。

しかし、幾ら疲弊していても自然に眠気は訪れなくて、

歯痒い思いをし、地団太を踏みたくなる。仕方なく、眠剤を

調節して服用して次の日ゆったり過ごせる事を願いながら、

眠りに堕ちるような日々が続いている。




今日は電話診察がある為、大幅に眠剤を減らして服用した。

一番強い薬は服用しないと診察が終わった後

『過食嘔吐地獄』に堕ちてしまうので、他の比較的

軽いお薬を減らした。

それでも起床したら眠くて眠くて堪らなかった。普段の私で

あれば、まだまだ夢の中と言う時間に目覚めるのは、かなりの

苦痛である。しかも主治医の声はとても安心できる優しい声を

している為、催眠状態になるような感じで眠気が襲うのである。




火曜日から今日までの事の顛末を一生懸命おぼつかない感じでは

あるが、必死で話した。やはり美容室へ行った後、

『テンションが上がるスイッチ』が入ったままで

そのまま過覚醒状態にあったのは仕方の無い事だといわれた。

でもこうやって経験を積み重ねる事で、どういう状態にあれば

テンションが上がってしまい、後で酷く辛い思いをすると言う

事を学習できたと思う。そして様々な心の推移をお話した。




そして母の誕生日が14日であったので、お花とお手紙を

渡したと告げた。其処で主治医の助言としては、



「その手紙の中にね、『お母さん』という言葉を沢山

使った方がいいよ。あなたのお母さんが、そうして

『お母さん』と呼ばれる事で、お母さんの中の『母』としての

自覚がどんどん芽生えて来るからね。大切な事だよ。」




と言う話であった。私は思い出してみると、結構母への手紙に

『お母さん』という言葉を多用していたと思う。

本当は母も私の祖母に対して『お母さん』と呼ぶことで祖母の

『母である』と言う自覚が生まれたら、私の母も随分救われる

であろうという話であった。




子どもの頃は本当に鬼の様に恐かった母。しかし今はとても

優しい、慈愛に満ちた母であり、そのギャップに少し戸惑う事も

ある。でも母が変わってくれたお陰で、私の心も随分落ち着きを

取り戻せたと思う。




段々、いつも私が多用する「ごめんね」よりも

「ありがとう」という言葉が増えてきたように感じる。

いつまでも感謝の気持ちは忘れないでいたい。そしてなるべく

謙虚に生きていけたらと願って止まない。




唯、本当に過食をしたり嘔吐をしたりする事は地獄である。

地獄がどんな所なのかは知らないが、余りにも苦しくて苦しくて

「死んだ方がマシだ」との思いは

簡単に消えてはくれない。しかし母が生きている限り死ねない。

これ以上の親不孝を重ねない為にも、痩せる事は多目に見て

もらいながら、母の為に行き続けなければならないのだと

苦しみながら、自分に言い聞かせている・・・。

母が幸せを感じてもらえれば、私はそれだけで嬉しいので

あるから・・・。

コメント

ミルク
ミルク
2006年6月18日0:10

ナノさん、こんばんわ〜。

私も今の母と昔の母は全く同一人物とは思えません。
お互い歩み寄って良い方向へ向かっているのだから
それでいいのだと最近は思っています。

お母様は過去のナノさんへ対する態度を悔いているのでは
ないのでしょうか。
私の母が言うのですが、自分がやった事で今○○ちゃんが
こんな目にあっているのは耐え難い。とよく言っています。

母にそんな思いをさせるのは私も申し訳ないのですが・・。
親だったら子供の幸せになる姿を見たいのでしょうね。
ですから、ナノさんが生きてるだけでお母様は嬉しいでしょうけど、
それだけでなく幸せになってほしいと思ってると思います。

今はお互い抑うつ状態で生きるのがやっとですが、
お互い母がついていてくれます。
一人で闘うのではありません。

ゆっくりゆっくりお互い幸せに近づいていきましょうね。

ナノ
ナノ
2006年6月19日1:43

☆☆ミルクさんへ☆☆

ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

私も未だに昔の母と今の母が一致しない所があります。
でもミルクさんの仰る通り、良い方向へ歩んでいけている
実感があるので、ぼちぼちゆっくり軌道修正して行き、
昔と今の母が何れ一致すればいいなと思います。

実は、母は『子供のときちゃんと厳しく躾けてよかった!』
と言って憚らない人で、悔いてはいないようです。
でも今こんなにも優しく慈愛に溢れている本当の母の
部分が全面的に出ているのであるから、昔の母を
責めるつもりはありません。ただ、傷付いた子どもの頃の
自分は癒さねばならないと思います。

幸せとは何たるものか、難しいですが、平和を願い、
1人きりで闘っているとは思わず、助けも借りながら
快復して行きたいですね^^

ミルクさんの言葉に元気付けられました。
ありがとうございます。