『普通』って一体、何なのであろうか・・・。
2006年6月9日 摂食障害 コメント (6)毎晩繰り返される過食嘔吐は今の私にとって、きっと
必要なものであるからしてしまう事なのであろう。無理して我慢
しても、他の心身症状が出てきて辛い目を見る。
いつも私は、『普通って何だろう』と考える。
朝起きて朝食を食べ、歯を磨いて仕事へ行く支度をして、
家を出る。仕事をこなしてお昼休みには昼食を食べる。
休憩におやつを食べて、週末であれば帰りに居酒屋で
飲み食いでもするであろう。ちょっと食べ過ぎたかなと
思っても、そんなに気にする事も無く、夜になれば眠りに就く。
私はそうやって普通に人々がする事が出来ない。
一口でも食べ物を口に入れ、飲み込んでしまったら、もう意識は
過食嘔吐一辺倒になる。
普通と言った概念から大きくかけ離れるのである。
今ではもうサラダや海藻、カロリーの低いゼリー飲料でさえ口に
出来ない。飲み込んだ時点で過食嘔吐となる。
過食嘔吐は身体に物凄い負担と、心の不安定さを呼ぶ為
日中は絶対にやらないようにしている。勿論空腹感を覚えるし
「食べたい!!!」と言う衝動が襲ってくる事もある。
しかし昼間は抑制できる為、ミネラルウォーターを飲み続けたり
氷を食べ続けたりして、水分だけで過ごす。カロリーの無い
ものを胃に入れておけば、空腹感も紛れるのである。勿論
この行為も決して身体に良い訳はなく、苦渋の選択である。
このような行動は誰が見ても『異常』と
見做すであろう。決して普通ではない。その上夜になれば
沢山の食べ物を胃に詰め込んで、詰め込んで、限界が訪れたら
全て吐き出してしまうのである。この苦しみは異常で非常に
耐えられなくなる時がある。
勿論自業自得である事も本当に充分承知している。
しかし、止めたくても止められない。夜になるといつの間にか
私は食べ物を次から次へと口に運んでいるのである。
このような行為に、もしも意味付けるとしたら、
『食べている間は無心で何も考えなくて良い事』
であろうか・・・。私は摂食障害の他にうつ病やPTSD、
強迫性障害etc...を抱えている。それらを全て忘れていられる。
日常過ごす自分の情けなさ、人や世間に対する恐怖感、
過去の苦しい事哀しくて辛い事をも、忘却している。
しかし、それによる代償は物凄く酷く苦しいものとなる。
それらは摂食障害のことを詳しく書いてあるHPの通りである。
特に苦しいのが低血糖であろう。身体は振るえ、頭がぼんやりと
して意識を失いそうになる。また電解質の異常により手先足先が
痺れる事もある。其処まで身体に多大なるダメージを与えても
止められないのが病気である所以であろう。
私は決してもう多くのものは望まない。唯、『普通』が
欲しい。食べ物に感謝をして「いただきます」と食べ始め、
腹八分で「ごちそうさまでした」と言いたい。
そして食べたものが私の糧となり、血や肉となり、明日への
命を繋いでいきたいと感じる。何よりもこの食べ物を粗末に
している自分と言うのが赦せないのである。悲しい。
それにこんな事を繰り返していたら母より先に死んでしまうので
それがとても心苦しいのである。
人々は『普通』である事を嫌い、『特別』を求める。
人より秀でていき、容赦なく弱者を足蹴にして特別になろうと
伸し上がっていく。そうして輝かしいポストを得て・・・・・・、
一体その後何が待っているのであろう・・・。非情に無情に
上を目指して生きていく様はとてもじゃないが尊敬できない。
慎ましやかに人情を重んじ、温かく、決して上へは行けなくとも
優しい心の持ち主である人を尊敬する。それは至って『普通』
であるが、社会に出るとその優しい人々は犠牲となってしまう。
時には会社の尻拭いとしてのスケープゴートにもなりかねない。
それでも良い。私は、普通な生活を送りたい。
小さな自然を身辺で見つけ、心を癒し豊かにして、温かい心を
持ちたいと願う。
勿論こんなに病気まみれの自分はギスギスしていて、心の余裕を
生み出すことすら難しい。しかし、夕暮れの空に感銘を受ける
ように、小さな自然を大切に心に取り入れて、心を癒して
治癒へと向かられたら考えるのである。
必要なものであるからしてしまう事なのであろう。無理して我慢
しても、他の心身症状が出てきて辛い目を見る。
いつも私は、『普通って何だろう』と考える。
朝起きて朝食を食べ、歯を磨いて仕事へ行く支度をして、
家を出る。仕事をこなしてお昼休みには昼食を食べる。
休憩におやつを食べて、週末であれば帰りに居酒屋で
飲み食いでもするであろう。ちょっと食べ過ぎたかなと
思っても、そんなに気にする事も無く、夜になれば眠りに就く。
私はそうやって普通に人々がする事が出来ない。
一口でも食べ物を口に入れ、飲み込んでしまったら、もう意識は
過食嘔吐一辺倒になる。
普通と言った概念から大きくかけ離れるのである。
今ではもうサラダや海藻、カロリーの低いゼリー飲料でさえ口に
出来ない。飲み込んだ時点で過食嘔吐となる。
過食嘔吐は身体に物凄い負担と、心の不安定さを呼ぶ為
日中は絶対にやらないようにしている。勿論空腹感を覚えるし
「食べたい!!!」と言う衝動が襲ってくる事もある。
しかし昼間は抑制できる為、ミネラルウォーターを飲み続けたり
氷を食べ続けたりして、水分だけで過ごす。カロリーの無い
ものを胃に入れておけば、空腹感も紛れるのである。勿論
この行為も決して身体に良い訳はなく、苦渋の選択である。
このような行動は誰が見ても『異常』と
見做すであろう。決して普通ではない。その上夜になれば
沢山の食べ物を胃に詰め込んで、詰め込んで、限界が訪れたら
全て吐き出してしまうのである。この苦しみは異常で非常に
耐えられなくなる時がある。
勿論自業自得である事も本当に充分承知している。
しかし、止めたくても止められない。夜になるといつの間にか
私は食べ物を次から次へと口に運んでいるのである。
このような行為に、もしも意味付けるとしたら、
『食べている間は無心で何も考えなくて良い事』
であろうか・・・。私は摂食障害の他にうつ病やPTSD、
強迫性障害etc...を抱えている。それらを全て忘れていられる。
日常過ごす自分の情けなさ、人や世間に対する恐怖感、
過去の苦しい事哀しくて辛い事をも、忘却している。
しかし、それによる代償は物凄く酷く苦しいものとなる。
それらは摂食障害のことを詳しく書いてあるHPの通りである。
特に苦しいのが低血糖であろう。身体は振るえ、頭がぼんやりと
して意識を失いそうになる。また電解質の異常により手先足先が
痺れる事もある。其処まで身体に多大なるダメージを与えても
止められないのが病気である所以であろう。
私は決してもう多くのものは望まない。唯、『普通』が
欲しい。食べ物に感謝をして「いただきます」と食べ始め、
腹八分で「ごちそうさまでした」と言いたい。
そして食べたものが私の糧となり、血や肉となり、明日への
命を繋いでいきたいと感じる。何よりもこの食べ物を粗末に
している自分と言うのが赦せないのである。悲しい。
それにこんな事を繰り返していたら母より先に死んでしまうので
それがとても心苦しいのである。
人々は『普通』である事を嫌い、『特別』を求める。
人より秀でていき、容赦なく弱者を足蹴にして特別になろうと
伸し上がっていく。そうして輝かしいポストを得て・・・・・・、
一体その後何が待っているのであろう・・・。非情に無情に
上を目指して生きていく様はとてもじゃないが尊敬できない。
慎ましやかに人情を重んじ、温かく、決して上へは行けなくとも
優しい心の持ち主である人を尊敬する。それは至って『普通』
であるが、社会に出るとその優しい人々は犠牲となってしまう。
時には会社の尻拭いとしてのスケープゴートにもなりかねない。
それでも良い。私は、普通な生活を送りたい。
小さな自然を身辺で見つけ、心を癒し豊かにして、温かい心を
持ちたいと願う。
勿論こんなに病気まみれの自分はギスギスしていて、心の余裕を
生み出すことすら難しい。しかし、夕暮れの空に感銘を受ける
ように、小さな自然を大切に心に取り入れて、心を癒して
治癒へと向かられたら考えるのである。
コメント
ご心配ありがとう・・・。
やっと少し復活してきました。
「普通」って本当にありがたい事なんですよね。
健常者の人はそれでも色々悩んでますけど、
他人の芝生は〜って感じなのでしょうね。
私も「普通」が羨ましいです。
普通に寝て、食べれて、働ける。
これだけでとても幸せですよね・・・。
過食嘔吐はありませんが、お気持ちよく分かります。
でも、前にも言いましたがこの世の中は残酷で
冷たく非情です。この世の中で普通に生きれることは
相当心が広く強いか、非情で残酷にならなければ
無理な気がします。
ただ、優しいだけではきっと犠牲になってしまうでしょう。
今は辛い私たちですが、乗り越えられたら
前者になれるでしょう。いや、なりたいです。
そして、苦しんでる人々の力になりたいです。
それには自分が病気に負けては話になりません。
昨日のように死へ片足を突っ込んでしまう事も
ありますが、すべてが思い出となるような日がくることを
祈ってます。
ナノさんも一緒にゆっくり生きていきましょうね。
普通ね・・・う〜ん難しいけど・・・
私ね 子供を産んでから普通って誰にでも
当てはまるものではないってよくわかったの
うちの姫は本当にどこにでもある出産だった。
でも 本当は先天性の病気があったのね。
普通なら?テレビつけてても泣き声って聞こえるよね?
でも 聞こえないの・・・
リビングの隣の部屋に寝てるのに泣いてても
テレビの音で聞こえないの・・・
これ普通じゃ考えれないっていわれたけど
私の子供はそれが普通だった。
他にもいろいろあるけど 人と比べてナノさんの
幸せは違うと思う。私とナノさんの幸せもね・・・
だから 人とちがってもいいと思う。
ナノさんの特別を探して生きていってほしい。
人はみなものさしの長さが違うの
だからね ナノさんらしく生きて自由に生きたらいいのだと
思うよ。
仕事のうえでのポスト争いは・・・そういう社会
だからっていってしまえばそれまでだけど
それに執着して生きてる人もそれが学びなのだと
思います。主人の上司に同期のなかで一人だけ
出世コースから外れた人がいてみんなにあたり
同期の人もかなり気を使ってます。
それみてたら自分の仕事をこなせないで
人の仕事をいろいろ評価してるその方は
まだ子供なのかもしれません・・・自分で気がつかないと
いけないことがあるから足ふみさせられてることに
気がついてないのです。
するする出世したひとでボンと突き落とされる人も
います。持ち上げるだけもちあげて・・・
落下地点をより遠くにするために・・・
このことは美輪さんの本にも書かれてますが
人の我欲ですね・・・
ナノさんが思う幸せにたどりつけたらいいなぁと
私は思います。そのためにたくさんの壁を
乗り越えていかないといけないと思うけど
焦らずに 先生やカウンセラーの方の力を
借りながら進んでいってくださいね・・・
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
>この世の中は残酷で冷たく非情です。
この世の中で普通に生きれることは
相当心が広く強いか、非情で残酷にならなければ
無理な気がします。
私もその意見に同意です。優しいだけならば踏み台にされ
貶められ、非情になれば冷酷な人間としてでも勝ち組に
なれるという残酷なシステムと化してしまった社会です。
だから私はうんざりしてしまうのかも知れません。
しかしそんな世の中でミルクさんは撮っても頑張って
らっしゃいます。尊敬します。そして温かい心を持ち、
優しい言葉をかけてくださいます。
私はいつもミルクさんに励まされてばかりです。
私は微々たる力しか持っていませんが、ミルクさんの事を
応援しています。どうかご無理をなさらず、理解のある
会社の元で働ける事を祈っています。
yuyuさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
yuyuさんのコメントを拝読し、目から鱗が落ちる思い
でした!!誰にとっても普通の事は普通なのですよね。
飛びぬけて秀でている場合のみ普通ではないというだけで、
普通に暮らす事は可能な事なんですよね。よくよく考えれば
私もこの状態が今の自分の普通となっているのだなと
気付かされました。貴重な意見、ありがとうございます。
yuyuさんの温かい言葉に本当色々気付かされる事があります。
お金に余裕が出来たら、三輪さんの本を購入したいと
思いました。あの方は本当に素晴らしい方だと思ってます。
ヨイトマケの唄を初めて聴いたとき、涙がボロボロと流れ
止まらなかったのです。きっと此れも偶然では無く必然の
出会いなのでしょうね。
yuyuさんの言葉、胸に沁みました。ゆっくり自分の生きる
道を見定めたいと感じました。
普通・・ですか・・難しいですね・・禅問答みたいになってしまいそうですが、普通とか幸せって、自分がそう思えたら、それが普通で幸せ何だと思いますよ^^誰と比べることも、むしろ比べる事など出来ないモノなんだと思います^^ナノさん、私も皆さんと同じで私はナノさんが求める幸せに向かって邁進なさって下さる事がとても尊くて、素晴らしい事だと思うんです。だから、ありのままのナノさんがありのままに思うように、ナノさんの求める幸せを掴んで頂けたらと思います。勿論私ならいつだってここにいます。どこまでも一緒に歩きますよ〜♪だから、今はご自分をお責めにならず、ありのままでゆっくり生きましょうね^^
まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
まるこさんの意見を拝読して、「成程!」と感じました。
そうですよね。幸せなどは人と比べるものではなく、
自分が「幸せだな」と感じられたらそれでいいんですよね。
中々自分の事は『普通』だとは思えないですし、
病気の症状が出ている時は『苦しい・辛い』としか思えない
ですよね。でも気分の転換、発想の転換でどうにか
乗り越えて生きたいと感じました。
まるこさんが一緒に歩いてくださるという言葉が
とても胸に沁みました。ありがとうございます。