思考の迷路で立ち尽くす。
2006年5月30日 診察・カウンセリング コメント (4)日毎に生きていく事が難しくなっていく。
些細な事で躓く。例えばトイレの流れ一つで私は途方に暮れて
「いつ、また詰まってしまうのだろう」と
胃や頭が締め付けられるような思いでびくびくしながら過ごす。
でも、主治医は過食嘔吐を無理して我慢する事は良くないという
考えを持っている人なので、私の苦しみを解ろうとして下さる。
母より1歳年下の男性医師であるが、摂食障害についてよく
勉強していらっしゃって、私の心を優しく時に厳しく労わって
下さるので、私は安心して主治医とお話ができるのである。
摂食障害で過食嘔吐・拒食である事をちゃんと把握して
下さっていて、適切な言葉でその病気であることの意味を
説いて下さる時、よく『千と千尋の○隠し』のアニメの物語が
用いられる。私は主な登場人物の特徴を全て持っていて、
それはきっと他の摂食障害の方々も同じなのであろう。
“かおなし”の誰にも気付かれず無視されたり厄介者
扱いされたりする寂しさ・哀しみ。
“ハク”の湯婆に支配され、無謀にも命を擲ってまで
命令に従ったり自分の名前を取り戻そうとしたりする様。
その為に半死半生のみになって油場に帰ってきて苦玉を千尋に
飲まされ暴れまわる姿。
“千(千尋)”の献身的で、両親を救う為やかおなしを
助けたり、ハクを救ったりする姿。
どれも私の中にある要素であり、きっと同じ病を持つ人の中にも
あるものであろうと感じる。そして私は今の状態が色濃く
かおなしである事も主治医に説かれると納得がいく。
3歳の時から『お姉ちゃん』として
生きてこなければならなかった自分。母の苛立ち・八つ当たり的
叱責、殴打は殆ど私に向けられた過去。妹が叱責を受け体罰を
受けている時の生々しい音。あの痛みを味わうなら私だけで
いいと感じた事。自分が殴打されるのならまだ良いが、妹や弟が
打たれたり蹴られたりしている姿を目の当たりにするのも
辛かった。私が代わりたかった。しかしそういう考えそのもの
こそ『大人に取って都合のいい子』であったのであろう。
病に侵され、養生中の身であると、その『いい子』は邪魔な
考えとなる。素直な自分を出せず殺してしまうからであろう。
つまり病気の世界で『いい子』は『不良病人』だと
主治医は仰った。漠然と何となくであるが、納得のいく言葉で
あると感じた。要するに、『かおなし』の「寂しい、寂しい」
という台詞を素直に出して生きていけられたらいいのである。
本当は、そんな弱みを見せずに、この病を患っていても頑張って
社会に出て働いている人の方が素晴らしいと感じている。
しかしその人達は大抵沢山のストレスを抱え、病気が悪化の
一途を辿っている感じは否めない。でもその姿は尊敬に値する程
素晴らしいものである。
今日も地獄の苦しみの中過ごす夜を呪っている。
電話診察のあった日は、思考回路がまるで迷路状態になって
しまって只管立ち尽くすしか術はない。ゆっくりと言葉を
咀嚼し自分のものにしていくしかない。
明日は晴れるらしい。こんなにも抑うつ状態であると太陽の光が
余りにも自分にとって眩しすぎて負けそうになる。
しかし、私は母の為に生きねばならない。母が死ぬまで私は、
死んではならないのである。『蛇の生殺し』と言っても過言では
無いが、生きているだけで母が安寧を得られるのであれば、
どうにかしてあらゆる辛苦を耐えようと感じるのである。
些細な事で躓く。例えばトイレの流れ一つで私は途方に暮れて
「いつ、また詰まってしまうのだろう」と
胃や頭が締め付けられるような思いでびくびくしながら過ごす。
でも、主治医は過食嘔吐を無理して我慢する事は良くないという
考えを持っている人なので、私の苦しみを解ろうとして下さる。
母より1歳年下の男性医師であるが、摂食障害についてよく
勉強していらっしゃって、私の心を優しく時に厳しく労わって
下さるので、私は安心して主治医とお話ができるのである。
摂食障害で過食嘔吐・拒食である事をちゃんと把握して
下さっていて、適切な言葉でその病気であることの意味を
説いて下さる時、よく『千と千尋の○隠し』のアニメの物語が
用いられる。私は主な登場人物の特徴を全て持っていて、
それはきっと他の摂食障害の方々も同じなのであろう。
“かおなし”の誰にも気付かれず無視されたり厄介者
扱いされたりする寂しさ・哀しみ。
“ハク”の湯婆に支配され、無謀にも命を擲ってまで
命令に従ったり自分の名前を取り戻そうとしたりする様。
その為に半死半生のみになって油場に帰ってきて苦玉を千尋に
飲まされ暴れまわる姿。
“千(千尋)”の献身的で、両親を救う為やかおなしを
助けたり、ハクを救ったりする姿。
どれも私の中にある要素であり、きっと同じ病を持つ人の中にも
あるものであろうと感じる。そして私は今の状態が色濃く
かおなしである事も主治医に説かれると納得がいく。
3歳の時から『お姉ちゃん』として
生きてこなければならなかった自分。母の苛立ち・八つ当たり的
叱責、殴打は殆ど私に向けられた過去。妹が叱責を受け体罰を
受けている時の生々しい音。あの痛みを味わうなら私だけで
いいと感じた事。自分が殴打されるのならまだ良いが、妹や弟が
打たれたり蹴られたりしている姿を目の当たりにするのも
辛かった。私が代わりたかった。しかしそういう考えそのもの
こそ『大人に取って都合のいい子』であったのであろう。
病に侵され、養生中の身であると、その『いい子』は邪魔な
考えとなる。素直な自分を出せず殺してしまうからであろう。
つまり病気の世界で『いい子』は『不良病人』だと
主治医は仰った。漠然と何となくであるが、納得のいく言葉で
あると感じた。要するに、『かおなし』の「寂しい、寂しい」
という台詞を素直に出して生きていけられたらいいのである。
本当は、そんな弱みを見せずに、この病を患っていても頑張って
社会に出て働いている人の方が素晴らしいと感じている。
しかしその人達は大抵沢山のストレスを抱え、病気が悪化の
一途を辿っている感じは否めない。でもその姿は尊敬に値する程
素晴らしいものである。
今日も地獄の苦しみの中過ごす夜を呪っている。
電話診察のあった日は、思考回路がまるで迷路状態になって
しまって只管立ち尽くすしか術はない。ゆっくりと言葉を
咀嚼し自分のものにしていくしかない。
明日は晴れるらしい。こんなにも抑うつ状態であると太陽の光が
余りにも自分にとって眩しすぎて負けそうになる。
しかし、私は母の為に生きねばならない。母が死ぬまで私は、
死んではならないのである。『蛇の生殺し』と言っても過言では
無いが、生きているだけで母が安寧を得られるのであれば、
どうにかしてあらゆる辛苦を耐えようと感じるのである。
コメント
「かおなし」って誰にも存在に気づかれなくて、
寂しかったんだね。その中、千だけが存在に気づいてあげた。
気づいてくれて嬉しくて、喜ぶ事を沢山してあげようと
色々とやってあげるよね。
私もそうだけど、寂しい人って優しい手を差し伸べて
もらうとその手を離せなくなっちゃうよね。
その優しい手を差し伸べた人がちゃんと自分の居場所に
導いてくれる人じゃないとまた迷路に入ってしまう・・。
ナノさんは確実に千の手をお母様の手を
掴んでいるから大丈夫だよ!
今は抑うつ状態で辛いかもしれない。でも、きっと
居場所を見つけてそこで安らげると思います。
仕事しながらの鬱は確かに悪化しがちですね・・。
私も中々完治しないけど、何とか働きながら
完治させようと頑張ってます。
お互いゆっくりマイペースにいきましょうね。
ごめんね〜コメントが入ってなくて・・・
きてみてびっくりしたよ・・・
ナノさんのほうがびっくりしたよね??
なんと一行のコメントになってたからね(^^;)
このコメントも実は2度目なの・・
パソコンが調子悪くて強制終了されて没・・・
ナノさんがトイレのことで途方にくれるのは
許されることじゃないことのひとつだから
気持ちが落ち込んでしまって自責の念に
かられる気持ちはわかるよ!
私も朝姫を出してから仮眠して起きたら昼をとうにすぎて
2時で王子がいたら・・・本当にごめんって自責の念に
かられるよ。私の中の絶対事項のひとつだからね
主治医の先生がナノさんの苦しみをわかってくれてる
ということは 本当に心強いね!
人間の中に善と悪があるって言葉を聴いたとき
そうだな・・・と思いました
人間は常に自分の中でたたかっているし
この世の中に自分以外の人間が自分をわかってくれる
出会いってそんなにないと思います
だから 出会いで学ぶことは大きいのかもしれません
いろんな自分が存在していることは いろんなことを
経験してるということです
ナノさんが経験したことをこれからの人生で
少しずつ選択肢を増やして最後に自分の中の善が
ふえてたらそれでこの世の修行は終わると思うよ
私も善を1秒、1分と一日のなかで善でいられる
自分を増やしていけたらいいなと思ってる
それは本当に難しいけど 悪だけにとらわれて
本物を見る眼がみえなくなってしまったら
だめだと思うから・・・
病気の自分だけでなく本当の自分の声もききながら
過ごせるといいね
小さなしあわせたくさんみつけていこうね
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
温かいミルクさんの言葉が胸に沁みます。
心が弱ってくると、身近にあるものに縋って
しまい、依存となり状態は悪くなるかもしれませんね。
けれどその弱っている時こそ『見極める目』を冷静に
持たねばならないのだなと感じました。
母の無償の愛を感じた時、この手を繋いでも良いと
心眼が見極めたのだと思います。
ミルクさんも闘病しながら働き、頑張ってらっしゃいます。
余りご無理はなさらないで下さいね。その姿に本当に
尊敬の念を抱きます。
マイペースで歩んでいけると良いですね^^
yuyuさん、こんばんは。お辛いでしょうにコメントを残して
下さってありがとうございます。2度目のコメントととの事
・・・ありがたく受け止めます。昨日のコメントは1行でも
嬉しかったですよ^^
私の心眼で、母の温かい無償の愛を見抜き受け止め、
手と手をとれた事が一番今の私の落ち着く要素です。
確かに人の中には『善と悪』を持ち合わせていると
感じます。どちらが大きく外に出ているかで人に対する
印象が随分変わってきますよね。私もyuyuさんのように
『善』の時間を一分でも一時間でも多く持てたらいいなと
感じました。
yuyuさんの苦しみが文面から伝わってきます。
でも其処で頑張ろうとしていらっしゃる姿は素晴らしく
思います。
しかし、どうかご無理だけはなさらず、yuyuさんのペースで
前を向き歩めるといいですね^^