土曜日は電話診察である為、いつもより早起きせねばならない。

普段15時から16時まで眠ると言う不規則な生活から、

今日だけは逃れられる。午前中に目覚めたのは久し振りである。




大体土曜日の患者さんの診療が終わるのは13時頃なので、

その時間に電話したら即主治医に繋がった。




挨拶を交わした後、やはり私の口から洩れたのは、



『過食嘔吐の後もう疲弊しきって生きていく気が失せる』



と言う言葉であった。延々と毎日毎日続く過食嘔吐

2度目の朝方までかかる過食嘔吐はもう疲労を超えていて、

片付けをしながら「疲れた疲れた・・・ああ、しんどい」

ぶつぶつ呟いてしまう。苦しい事辛い事と分かっているのに、

抗う意志の力など及ばず、食べ始める自分が憎たらしい。




主治医との話では、「先ず『大人に取って都合のいい子』

やめなければならないよ」と言う言葉が心に残った。

確かに私は子どもの頃から、親や大人の言う事に従順であった。

逆らうのが恐かった事も有るし、言う事を聞いていれば叱咤

されたり打たれたりする事は無い。成長してくるにつれて、

心底では舌打ちしている自分も居たが、従順であれば全てが

丸く収まる事を知っていたので表立って反抗しなかった。

何れそれが癖になってしまい、俗に言う『よいこ』となったので

あろうと感じる。特に私は妹も弟もいたので、模範とならねば

ならないと言う陳腐な理由もあった。




私には自我というものが無いのかも知れない。親の言い成りと

なり、今は病気の身を抱え母に大いなる迷惑をかけながら

ただただ生きているだけである。祖父母や母が存命であるから

生きている。母より先に逝く事が最大の不孝であり、申し訳ない

から、死ねない。




生きていく事の方が苦しく辛く哀しい。

摂食障害でなかったら、うつ病でなかったら、又そのほかの病も

患っていなかったら、もっと親孝行できていたであろうに、

私は只管母の重荷となり、迷惑をかけ続け生きている。

何度謝っても足りないくらいである。今の私に出来るのは、

家事のみである。それも抑うつ状態が酷いとままならないのが

もどかしい。




果たして私は生きていて何か意味があるのであろうか。

生きる意味・・・最近頓に考えてしまう事由である。

生と死、アンビバレンスな心を持て余して生きていくしか術は

無いのであろうか。




蜜柑の花の芳香漂う夕暮れの夕日を見ながら、1日1日を

取り敢えず生きていくしかないようであると感じた。

コメント

ミルク
ミルク
2006年5月21日0:38

ナノさん、こんばんわ。

「いい子」でいなければならなかったお立場、
よく理解できます。私も全く同じだったので・・。
一番愛情が欲しい時に、傷ばかりつけられてしまったため
その傷を癒すのは思った以上に大変だと思います。

自分の意識している中では私も母を許せています。
ただ、それは今の母だから母が変わったからでもあります。
無意識に刷り込まれた傷が、今でも痛んでいるのだと
思っています。でも、それは無意識のストレスなので
対処がとても難しいです。

お互い、子供の頃の傷をゆっくり癒していきましょうね。

ナノ
ナノ
2006年5月21日19:38

☆☆ミルクさんへ☆☆

ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

確かに一番愛情を欲している時に、叱咤や体罰で身も心も
傷付いたような感じがして、それはまだきっと癒えていない
の棚と感じます。それが無意識の範疇に入ってしまったら
本当対処は難しいですね。

時間と共に人も変わるし、今は母の温かい愛情を感じて
います。辛い病気を沢山抱えている私にとって、本当に
母の存在は有難いです。

ゆっくりゆっくり歩んでいきましょうね^^