今朝はいつもより早目に過食嘔吐とその片付けを終えて、就薬を

服用し、眠りに就いた。この頃断眠する事が多かったので、

15時迄には目覚めるつもりであったが、起床したのは16時

であった。今日は17時半から電話診察の為、余裕は無く

焦りに焦った目覚めであった。




過食の事について詳しく記した事は少ないと思うが、

最近は酷いものである。客観的に見ても兎に角

『醜い』・・・。

次から次へと口から胃へと押し込み、次に食べるものを目敏く

探す。より吐き易いように、胃が限界を訴えるまで。

味なんて殆ど関係ない。好きなものはどうにか味わって食して

いるが、ただ胃を膨らます為に量が多く且柔らかいものばかり

口に運ぶ。『壮絶』なその姿は

誰にも見せられない。




それが毎晩毎晩休む事なく繰り返される。

『過食嘔吐せねばならない』

といった想いが次から次へと押し寄せる。苦しくても体調が

悪くても、風邪を引いていても『やらねばならない事』

なのである。私はどうなってしまうのだろう。今どの位置にいて

何処へ流されていってしまっているのであろう・・・。苦しくて

苦しくて何も分からない。暗闇の中、泥濘の中、踠き足掻いて

いる。本当は『助けて!』

何かに助けを乞いたくなる。

しかし誰にも助けられない。精神科医でも無理な事である。

自分のやっている事なのであるから、自己責任としてどうにか

心の処理をしていかねばならないのであろう。




電話診察では、

「太る恐怖の根源は“怒り”じゃないのかな。」

と主治医は仰った。私は小さな頃から体罰で縛り付けられ、

また、一番苦しかった母親の自殺未遂を目撃した頃は、

学校のオバサン教師が「女子はうじうじしているから嫌いだ」

と些細な事で男女差別され、あらゆる罵詈雑言を浴びた。

家へ帰れば父親が酒に酔い、母にあらゆる怒号を浴びせ、

学校へ行けば担任教師から差別され汚い言葉を投げつけられた。

塾の先生は父の弟だったが、何故か私にだけ冷たかった。

ピアノの先生はいつまで経っても上達しない私に愛想を尽かして

いた。何処に行っても私は邪魔者、厄介者扱いされた。




確かに、それら理不尽な差別や叱責に怒りが湧く事もあったが、

洗脳で『大人は絶対的存在』とされていた為に歯向く事等

出来なかった。特に私の体型に対しての厭味な悪口は苦しかった

覚えがある。だからこそ、それらの怒りから逃れる為にも

大人の洗脳から逃れる為にもダイエットは理路整然

とした対抗方法であったと思う。しかしそれが十何年も苦しみ

続ける病気に悩まされる原因となる事等私にとって青天の霹靂

であった。




その上うつ病が酷くなってきている。毎日抑うつ状態である事が

当たり前の様になってきた。そして他にも様々な病を患っている

のであるが、唯、私はこのままどうなってしまうのであろうか、

何処へ流れていってしまうのであろうか全く見当もつかない。




取り敢えず焦らず、ゆっくりゆっくりと今日の主治医の言葉を

噛み砕いて理解できるまで静かにしていたいと思う。

コメント

yuyu
yuyu
2006年5月16日22:44

ナノさんこんばんは〜(^^)/

昨日の私のコメントが・・・どこかへ消えてる(._.)

今のナノさんを見て太ってるって言う人は
いないと思うよ
対抗方法の目的が大人への洗脳から逃れるためであったなら
今大人になっているナノさんはもう対抗する必要は
ないと思うし そのときナノさんを悪く言った人も
今はいないのならナノさんは十分闘ってきたと
私は思うよ!

最後に書いてるとうりゆっくりゆっくり自分の中を
整理して『助けて!』って心のなかに叫んでる
自分も存在してるなら 今度はその人たちより
ナノさんが幸せになるばんだよ!

私の母も厳しかったの・・・木刀で叩かれたし
私は長男の長女で跡取りって
いうのがあってか祖母のかなり厳しかった
それで同居したときは母は私のせいでよく嫌味を言われて
いたし 私もすごく顔色を見てご飯をたべてたの
今でも忘れられないけど おもちゃを祖母がこんなに
いらないと 私の前で燃やしたことは目に焼きついてる
母は父の妹(叔母)たちにもいじめられてたので
私と自分を助けるつもりで家をでました
妹と母がおんぶして私は持てるだけのおもちゃを持って
田んぼのあぜ道をふたりでかくれながら1km先の駅まで
誰にも見られないように電車をのって逃げました
それからもたくさんいろんな事があったけど5歳の
私は自分で母との生活をとり父も家族をとったから
今があるけど 父がそのとき祖母をとっていたら
私は親権争いで父と祖父母の家にいて今の生活はなかったと思う・・・結局結婚後のゴタゴタで家を継いでいるけど
私は母方は祖母からも父方の祖父母からもかわいがられた
ことはないに等しく自分の子供にはこんな思いはさせたく
ないとがんばってたけど・・・駄目でトラウマを
つくってしまったことは 自責の念にかられるけど
母もきっとこんな思いで私に厳しくしつけをしていたの
かもしれないと最近よく考えます

人間って許したり許されたりしながら生きているの
かもしれません
今 お母様がナノさんに注いでる愛情をたくさんあびて
太陽にむかって目をだせる日がきたらいいね

なんか自分のこと話したことなかったから
長くなってごめんね・・・

一緒に自分とむきあっていきながら成長してゆきましょう
くもりでも雲の上の太陽をしんじて・・・

ミルク
ミルク
2006年5月16日22:47

ナノさん、こんばんわ。

抑うつ状態が酷くなっているとの事、とても辛いですね・・。
起きてるだけで辛い状況かと思います。
気を紛らわす事ができれば良いのですが・・。

摂食障害とは本当に酷く恐いものなのですね・・。
私はなったことがないので、鬱の辛さしか分かりませんが
少しでも早く治癒へ向かうことを願ってやみません。

三つ子の魂百までと言いますから、
やはり主治医の方の仰るように幼少期の頃、救いの手が
なかったことが悲劇を生んでしまったのでしょうね・・。

乗り越えるのは困難だと思います。
まず、一人では無理だと思います。お母様と二人で
闘う気持ちで命を繋いで行ってください。

勿論、私も微力ながら応援してますよ!

ナノ
ナノ
2006年5月17日19:40

☆☆yuyuさんへ☆☆

yuyuさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

子ども時代、とても辛い思いをなさったのですね・・・。
目の前で自分のおもちゃが焼かれるなんて物凄くショックな
事ですよね。とても複雑な環境で子どもながらに一生懸命
生きてきた事を知ると胸が痛くなります・・・。

確かに私はガリガリになってしまったので私を見て
太ってるという人はいないかも知れません。けれども、
それでもまだ『痩せなければ・・・もっともっと・・・』と言う
想いが頭に蔓延っていてどうしようもありません。

けれどもyuyuさんが木刀で叩かれていた子ども時代を思うと
本当に悲しいです。

確かに人間は許し、許されあって生きている部分があります
よね。私は子どものころ母から酷い体罰を受けましたが、
今はもう何とも思っていません。唯、その時の『恐怖』と
いう感情だけが残ってしまいました。

ではお互いゆっくりと歩んでいきましょうね^^

ナノ
ナノ
2006年5月17日19:45

★★ミルクさんへ★★

ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

私もうつ病と診断されているので、ミルクさんの苦しみ、
少し分かります。抑うつ状態、本当に辛いですね。

確かに1人ではこの病気たちを抱え乗り越えるのは無謀
というか困難極まりないと思います。だからこそ主治医や
カウンセラーと言う第3者の意見を心に留め、母とゆっくり
これからの事を乗り越えて行きたいと感じます。

ゆっくりと落ち着いて構えながら、母と共に支え合って
生きていきたいものです。

私もミルクさんが少しでも苦しみから解放されるよう、
祈っていますよ。