どうして生きているのであろう・・・。
2006年5月9日 診察・カウンセリング コメント (6)この頃肩が懲り過ぎていて、とうとう寝違えてしまった。
首を動かすだけで何とも言えない激痛が走る。肩を触っただけで
凝りのゴリゴリ感が酷いし、それを揉み解すのも酷く痛む。
買い物から帰って来て、今やっと湿布を貼り心地良い
ひんやり感を覚えて痛みは幾分和らいできているようである。
今日こそ病院へ行く気は物凄くあったのであるが、身体が
どうしても着いて来ない。やはり今朝方までかかる2度目の
過食嘔吐によりぐったりとして眠剤を飲んでしまうと昼過ぎまで
覚醒する事が出来ないのである。因ってカウンセラーには
母に起こされて何とかキャンセルの電話を入れ、少しお話した。
カウンセラーの声を聞くだけで随分心が解れる気がする。
大学2回生の時からお世話になっているからであろうか・・・。
そして夕方になり主治医との電話診察・・・。
私の第一声は「もう疲れ果ててしまいました。」
という言葉であった。日中拒食を貫く事も、夜になれば無理矢理
過食嘔吐をしている事も、抑うつ状態も、体に起こっている
変調全て、抱えきれない程に疲れてしまったのが本音である。
夜になって過食嘔吐をするのも、殆ど惰性の様になってきた。
過食衝動が突き上げてくる訳ではない。唯、
『その時間が来たから食べ始める』
といった具合である。自らを苦しめる為だけと捉えがちであるが
主治医に因れば『過食嘔吐をする事にも何らかの意味がある』と
言う事であった。深く言うと、
その間、恐怖から逃れられている
という事である。
確かに、食べている間は殆ど何も考えていない。自我という
モノを忘却の彼方に追いやって、無心に食べ続けている部分が
ある。胃が膨れ上がるまで・・・そして吐き気を催すまで。
そして自分の中の恐怖やら嫌悪感やら苦しみやらをひっくるめて
嘔吐へと走るのである。その間も自我は薄れている。
私は意識のあるこの状態がとても苦痛である。
思い出したくも無い過去が、一寸したきっかけ又は目に映る
映像によって湧き上がってくる。今、生きて息を繋いでいる
だけで精一杯なのに、其処にフラッシュバックまで襲ってくると
うずくまり、それらが逸早く去ってくれる事を祈るしかない。
こうして綴っている間はどうにか思い出さないように出来るが、
ぼんやりとしている時にそれらが襲い掛かってくる事が多い。
さて、私は一体どうして生きているのであろうか。
一番の疑問である。
『過食嘔吐をする為』?『過去に苦しむ為』?
『祖父母や母が存命しているから』?
幾ら空っぽな頭を巡らせても分からない。私は生きているだけで
多大なる迷惑を周りにかけている。私がこんな病気でなければ
普通の世間一般に居る、25歳の女性の様に働いていただろう。
膨大なる過食費に無駄にお金は飛んでいかず、ファッションに
お化粧品に、遊びに恋愛にと何の背徳感も無く愉しんで生きて
いたかも知れない。普遍的な仕事の悩み、恋愛の悩みと言った
健全な悩みだけで生活を送れていたのではないかと夢想して
しまう。
しかし私は余りにも重いものを背負い込んでしまった。
それも自分の所為で。全ては自業自得だと分かっているが、
苦しくて仕方ない。息をするのさえ苦痛に感じる。
私は、『寂しさ悲しさ』という感情よりも『恐怖と罪悪感』が
強い。だから健常な人は「寂しい、悲しい」と思う事も、
「恐怖だ、罪悪感を覚える」という感情に苛まれるのである。
一般的には、『死ぬ事』が恐怖とされている。
しかし私は、『死ぬ事』よりも『太る事』に
滅茶苦茶な恐怖を覚える。つまり太るくらいなら死んだ方が
マシだと言う歪んだ考え方が出来上がってしまっている。
だから固形の食べ物は過食以外では口に出来ないし、消化吸収
するなんて以っての外だと感じるのである。
精神病の中でも摂食障害の致死率が高いのは、拒食に因り
食べ物が食べられなくなって血液中の電解質が崩壊して
栄養失調に陥り、それでも食べ吐きを続け多臓器不全に陥るから
である。謂わば『緩慢な自殺』である。
私は今、正しくその道を辿っていると言える状態である。
しかし、母が生きている限り私は生きていなければならない。
何故なら恩を仇で返す事はしたくないからである。母の仕事の
辛さ・愚痴を只管拝聴し、頷き、同調するといった様は
主治医にも言われたが“母のカウンセラー”の役目を担っている
のである。其処に僅かながらも自分の生きる意味を見出して
いるのであろうか・・・。
母の恩に報いるのは、病気を治す事であろう。しかし私は頑なに
食べる事を拒否して、爆発したように過食嘔吐する。
母は私のこの姿を見て哀しんでいるのをひしひしと感じる。
自分の行き先が見当たらない。明日への不安は膨張していく
ばかりで、救いなど何処にもない。
しかし今はまだ自死する時期では無い事は分かっている。
何とか耐えて耐えて、今の所は生きていくしかないのであろう。
首を動かすだけで何とも言えない激痛が走る。肩を触っただけで
凝りのゴリゴリ感が酷いし、それを揉み解すのも酷く痛む。
買い物から帰って来て、今やっと湿布を貼り心地良い
ひんやり感を覚えて痛みは幾分和らいできているようである。
今日こそ病院へ行く気は物凄くあったのであるが、身体が
どうしても着いて来ない。やはり今朝方までかかる2度目の
過食嘔吐によりぐったりとして眠剤を飲んでしまうと昼過ぎまで
覚醒する事が出来ないのである。因ってカウンセラーには
母に起こされて何とかキャンセルの電話を入れ、少しお話した。
カウンセラーの声を聞くだけで随分心が解れる気がする。
大学2回生の時からお世話になっているからであろうか・・・。
そして夕方になり主治医との電話診察・・・。
私の第一声は「もう疲れ果ててしまいました。」
という言葉であった。日中拒食を貫く事も、夜になれば無理矢理
過食嘔吐をしている事も、抑うつ状態も、体に起こっている
変調全て、抱えきれない程に疲れてしまったのが本音である。
夜になって過食嘔吐をするのも、殆ど惰性の様になってきた。
過食衝動が突き上げてくる訳ではない。唯、
『その時間が来たから食べ始める』
といった具合である。自らを苦しめる為だけと捉えがちであるが
主治医に因れば『過食嘔吐をする事にも何らかの意味がある』と
言う事であった。深く言うと、
その間、恐怖から逃れられている
という事である。
確かに、食べている間は殆ど何も考えていない。自我という
モノを忘却の彼方に追いやって、無心に食べ続けている部分が
ある。胃が膨れ上がるまで・・・そして吐き気を催すまで。
そして自分の中の恐怖やら嫌悪感やら苦しみやらをひっくるめて
嘔吐へと走るのである。その間も自我は薄れている。
私は意識のあるこの状態がとても苦痛である。
思い出したくも無い過去が、一寸したきっかけ又は目に映る
映像によって湧き上がってくる。今、生きて息を繋いでいる
だけで精一杯なのに、其処にフラッシュバックまで襲ってくると
うずくまり、それらが逸早く去ってくれる事を祈るしかない。
こうして綴っている間はどうにか思い出さないように出来るが、
ぼんやりとしている時にそれらが襲い掛かってくる事が多い。
さて、私は一体どうして生きているのであろうか。
一番の疑問である。
『過食嘔吐をする為』?『過去に苦しむ為』?
『祖父母や母が存命しているから』?
幾ら空っぽな頭を巡らせても分からない。私は生きているだけで
多大なる迷惑を周りにかけている。私がこんな病気でなければ
普通の世間一般に居る、25歳の女性の様に働いていただろう。
膨大なる過食費に無駄にお金は飛んでいかず、ファッションに
お化粧品に、遊びに恋愛にと何の背徳感も無く愉しんで生きて
いたかも知れない。普遍的な仕事の悩み、恋愛の悩みと言った
健全な悩みだけで生活を送れていたのではないかと夢想して
しまう。
しかし私は余りにも重いものを背負い込んでしまった。
それも自分の所為で。全ては自業自得だと分かっているが、
苦しくて仕方ない。息をするのさえ苦痛に感じる。
私は、『寂しさ悲しさ』という感情よりも『恐怖と罪悪感』が
強い。だから健常な人は「寂しい、悲しい」と思う事も、
「恐怖だ、罪悪感を覚える」という感情に苛まれるのである。
一般的には、『死ぬ事』が恐怖とされている。
しかし私は、『死ぬ事』よりも『太る事』に
滅茶苦茶な恐怖を覚える。つまり太るくらいなら死んだ方が
マシだと言う歪んだ考え方が出来上がってしまっている。
だから固形の食べ物は過食以外では口に出来ないし、消化吸収
するなんて以っての外だと感じるのである。
精神病の中でも摂食障害の致死率が高いのは、拒食に因り
食べ物が食べられなくなって血液中の電解質が崩壊して
栄養失調に陥り、それでも食べ吐きを続け多臓器不全に陥るから
である。謂わば『緩慢な自殺』である。
私は今、正しくその道を辿っていると言える状態である。
しかし、母が生きている限り私は生きていなければならない。
何故なら恩を仇で返す事はしたくないからである。母の仕事の
辛さ・愚痴を只管拝聴し、頷き、同調するといった様は
主治医にも言われたが“母のカウンセラー”の役目を担っている
のである。其処に僅かながらも自分の生きる意味を見出して
いるのであろうか・・・。
母の恩に報いるのは、病気を治す事であろう。しかし私は頑なに
食べる事を拒否して、爆発したように過食嘔吐する。
母は私のこの姿を見て哀しんでいるのをひしひしと感じる。
自分の行き先が見当たらない。明日への不安は膨張していく
ばかりで、救いなど何処にもない。
しかし今はまだ自死する時期では無い事は分かっている。
何とか耐えて耐えて、今の所は生きていくしかないのであろう。
コメント
肩こり、大丈夫ですか?
私もよく寝違えるので、辛さが分かります。
マッサージの先生に言われたのですが、
慢性の肩こりには冷湿布より、温湿布の方がいいらしいですよ。
確かにぼんやりしてるといつの間にか闇に引きづられて
いる事って多いですよね・・。
自責の念、過食嘔吐、抑うつ状態
全て投げ出したいほど辛いでしょうね・・。
でも、それら全てがナノさんの生きてる意味だと思います。
普通の健常な人だったら・・と私も思いますが
逆に健常な人だったら気づけない事、見えない物も
私たちだったら感じれるかもしれませんよ。
昨日の桃の実のように・・。
あまりご自分を責めないでくださいね。
(人の事言えないけど^^;)
お母様はナノさんの姿を見て、
何よりお体を心配されて見ていると思いますよ。
とにかく、ナノさんのお体だけは心配です。
一日一日焦らずに命を繋いで行ってくださいね。
つらいよね・・・自分でコントロールもできないし
やらないと 自分が壊れてゆくよね・・・
ナノさんは選ばれて生まれてきたのだと思う
うまくいえないけど 病気って誰でもなれるのではないし
ましてや ナノさんの心の闇はすぐに消え去りリセットできるものでもない
眩暈で頭が働いてなくてうまくいえないけど
ナノさんは自分のために生きてもいいんじゃないかな?
お母様もきっとそう願ってると思います。
死ぬことより生きてることのほうが辛いと思うの
現世のものはなにひとつあの世にはもっていかれない
私はナノさんがここまでがんばっていることでも
かなりすごいことだと思ってます
過食嘔吐してでも生きてゆこうとがんばってるし
自分の過去のことも のり超えようとしてる
でも まだ 時間がかかると思います
ひとつずつです。
自分が一番いやだと思っている過去を乗り切ればきっと
未来は変わりますよ!!
ナノさんも命つないでいきましょうね・・・
ナノさん、ミルクさんやyuyuさんがお寄せくださったコメント、私も同感です。ナノさんはお辛い日々をお過ごしですが、でもこうしてナノさんの事をお考え下さり、温かいコメントをお寄せくださる方がいらっしゃることって本当に素晴らしい事だと思いますよ。私も皆さんの温かいお気遣いにどれ程励まされた事が知れません。本当にありがたいです。病気は本当に辛いですけど、でもその中でもこうして人の温もりに触れる事が出来るって幸せな事ですよね^^極端な言い方かもしれませんが、これも病気によって気付かされた事かも知れませんね。ナノさん・・ナノさんは一人じゃない・・こうして皆さんがナノさんを見守り励まして下さいますよ^^だから決して諦める事無く、お互いゆっくり進みましょうね^^なんだか生意気な事言ってしまってすいません。どうか今日ナノさんが穏やかでありますように・・
ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そうですよね・・・。病気になったからこそ気付いた事、
気付けた事が多いと思います。本当に心が苦しく、辛い人を
健常な人は叱咤激励して「気の持ちよう」とか「頑張れ」と
ばかり言い放ち益々その人が辛くなるという事例が
沢山ありますからね・・・。その点、自分が苦しい思いをして
いるからこそ、人の辛さや悲しみが分かったり、温かく
接する事ができているような気がします。
そしていつも身体のことを心配してくださり、ありがとうございます。
ミルクさんもお身体に気をつけてお過ごしくださいね。
yuyuさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
眩暈大丈夫でしょうか・・・。そんな中コメントを残して下さり
本当に感謝します。
そうですね、生きている事の方が辛いですね。
その中に小さな幸せを見つけ少しずつ前に進んでいくという
姿勢が大切ですね。気付かせてくださりありがとうございます。
いつかこの苦しみを乗り切れた時、自分がどうなっているか
全く想像もつきませんが、ゆっくり歩んで行きたいと思いました。
どうかyuyuさんもゆっくりお過ごしください。
まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
はい。本当に私の為にコメントを残してくださる方々には
感謝の念が尽きません。苦しい時も温かい言葉によって
随分救われます。凄くありがたいことです。
まるこさんの言葉はいつも優しく包括してくださるようで
安心感を覚えます。そしてまるこさんも辛いのにこうして
コメントを残してくださる事、とても嬉しく思います。
いろんな事に気付き、小さな喜びを発見しながら、明日へと
向かってやって行きたいと思いました。
まるこさん、お身体に気をつけてお過ごしくださいね。