私はどうなってしまったのか、この数日抑うつ状態で心も身体も

具合が悪い。うつ状態でいると、心がずぶずぶと底無し沼に

沈み込み浮かび上がれない窒息感があるし、身体は怠くて

言う事をきかず、徐々に重くなっていくのである。一挙手一投足

全てがしんどくて苦しい。




今日は土曜日なので、電話診察があった。電話とはいえども

診察なので、過去の傷も掘り起こして話さねばならない事も

ある。過去の事なんてこれでもかと言う程傷付き、

恐怖に怯えた事実ばかりなので、胸を掻き毟りたくなる程に

それを言葉として伝えるのに苦痛を覚える。




私は『脅しと恐怖と罪悪感』

親から洗脳されていた。洗脳と言うよりも支配

といった方がしっくり来るであろうか・・・。




思えば子どもの頃から父親には常に脅かされてきた。

例え間違った事を父が言おうとも、それに口答えすると

「誰のお陰で生活できていると思ってるんだ!」

と必ず言っていた。そしてそれに続く罵詈雑言。私の体型を

指摘して「豚」と罵られた事は忘れられない。父はきっと

そんな事忘却の彼方へと追いやっているのであろうが・・・。

そして母からは体罰と言う脅しが待っていた。叩かれたり

蹴られたりするのは嫌なので必死に習い事も勉強も宿題もした。

しかし少し失敗しただけで追い詰められるのである。そして

ちゃんとできない自分に罪悪感を覚えていた。



『親の言う事を聞かないと生きていけなくなる』



と言う方程式が子どもの私の、頭の中に出来上がり親に

従わなければ脅しが待っていて、それは恐怖を伴い、反すれば

罪悪感に苛まれる。そうして洗脳と言う名の

支配が兄弟の中で私にだけ起こっていたのである。




妹は謂わば“世渡り上手”であった。嘘の吐き方も巧妙で

あったし、勉強をしなくても、習い事をサボタージュしても

決して強く叱られてはいなかった。寧ろ父は妹を溺愛していた

ので、物凄く甘かった。弟に関しては、末っ子であり唯一の

男の子として可愛がられた。私も弟が凄く可愛くて可愛くて

仕方なかった。そして父も弟の事を溺愛していた。

唯一母だけが兄弟平等に躾を重んじ、厳しかった。

けれどもそれは弟が6歳の時に両親が離婚した事により、

母は毎晩遅くまで働いていたから、私の様に締め付けるような

支配や束縛は無かったように思う。その所為か、自由奔放な

人間となった。




診察の中で、私は今もあらゆる恐怖に支配されている事に

気付いた。何か心の奥底に恐怖があるから、強迫観念という症状

となって現れているのである。自分が定めたスケジュール以外の

行動をとろうとすると忽ち体の具合が悪くなり動けなくなる。

そしてどんなに体調が悪くても、休憩する事なくスケジュールを

こなそうとする・・・。




今日に関してもそれは言えることである。

物凄く体が怠くて気分が悪く、その上お腹を下していた。

けれども私は、それをおしてまで今日の過食食材を買いに

スーパーへ出かけた。鏡で見た私は顔面蒼白で、弱々しい身体で

必死にショッピングカートを押していた。

主治医が仰った事・・・『鬱が酷くなって拒食も酷くなり、いよいよ

体が動けなくなって初めて治療に専念できる』と言う言葉。

それが頭の中をぐるぐると廻っている。確かに最近日中の拒食と

いうか食べ物を拒絶する気持ちが日増しに強くなり、

水分しか口に出来ない。立ち眩みや耳鳴り、眩暈も酷い。

でも私は食べ物等絶対に食べたくない。食べるとしたら

過食嘔吐が前提となりそれは夜しか出来ない。

食べ物を消化するなんて絶対に許せないのである・・・。




自分が異常だという事は本当に切実に分かっている。

けれども、そうでもしないと兎に角『恐い』のである。

私の心の闇に潜む、『恐怖』の正体を暴かねば、

中々洗脳も呪縛も解けないのであろう・・・。

今は1日を過ごす事で精一杯である。



本当はずっとずっと永遠に眠っていたい・・・。

コメント

yuyu
yuyu
2006年5月7日1:39

ナノさん こんばんは〜☆

今日は電話診察のひでしたね・・・
思い出したくないことは 話すと余計に闇に落ちてゆきますよね・・・気持ちが・・・

話すことですっきりするといいのですが・・・
人間てどうしても消化できない出来事ってあると思うんです。無理なことっていうか・・・
どうしてこんなに差があるのかと思ってしまいます。
ナノさんにはそれがトラウマとなり体も心も駄目にしているのが 本当に辛いですね・・・
今日はとくに具合が悪く感じますが・・・買い物から無事に帰ってこれてよかったです。入院治療は考えてませんか?
ナノさんが自分の思うとおり生きてる今が幸せと思うなら・・・とも考えますが・・・お母様が生きてる間は死ねないとがんばっていますが 眩暈や耳鳴りがひどいということは 睡眠してもたぶん疲れが取れていないせいだと思います。入院はナノさんにとって最後の手段ではありますが
本当に無理はしないでくださいね

がんばりすぎてると思いますよ
ナノさんに奇跡がおこってほしいです
こんなにがんばっているのだから・・・
せめて寝てるときは 素敵な夢がみれますように・・・

ミルク
ミルク
2006年5月7日12:20

ナノさん、こんにちは^^

子供の時って両親がすべてですよね・・。
それを守ってくれるどころか逆に傷つけられてしまった
ナノさんの傷はとても深いと思います。

私も秘密で書いたようにずっと「いらない子」と言われて
きました。ナノさんのように勉強だけは認められようと
頑張り成績は普通より良かったと思います。
妹は逆に全く成績は悪かったですが、妹の方が可愛がられて
いました。私も幼少期、両親に叱られた記憶しかありません。
父も母も私には厳しかったです。二言目には「お姉さんなんだから」と。

私もこの時の事を話すと今の母とは何のわだかまりは
なくても、とても悲しく涙が出ます。

幼少期は人格が形成される大事な時期だから、
その時の環境は大人になっても大きく圧し掛かってきますよね・・・。

その時受けた傷のために、そんなに辛い思いをしているだけ
でもとても辛く悲しいです。
日々症状が重くなっていくナノさんに何もできない自分に
いらだちを覚えます。

本当に奇跡が起こってほしいです。
誰より優しく辛く悲しいナノさんだから。

せめて見守るくらいしかできませんが、
奇跡をいつもお祈りしてます。
本当にご自愛くださいませね。

ナノ
ナノ
2006年5月7日19:47

☆☆yuyuさんへ☆☆

yuyuさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
そして心配してくださりありがたいと思っています。

どうも自分は「全然頑張っていないんじゃないか」という
思いが強くて、もっと母の手伝いをしなければ、
助けなければという想いでいっぱいです。

でも今の母は子どもの頃の母と違い、とても柔和で優しく
苦しい時背中を摩ってくれます。その手がとても温かくて
涙が出そうになります。

入院は、主治医に因れば本当の最終手段だと考えている
ようです。でも家には入院する費用もないし、それは偏に
過食嘔吐でお金がかかっているからです。

体重がこれ以上落ちて、鬱で動けなくなったら県病院へ
入院するという筋書きが主治医の中には出来上がっていて、
でも私は強制的に点滴で栄養分を体に入れられるのに
強い恐怖と拒絶感を覚えるのです。

少しずつ栄養が摂れるように、流動物から摂取する事を
頑張りたいと思います。

yuyuさんも辛い中、アドバイスありがとうございました。

ナノ
ナノ
2006年5月7日19:54

★★ミルクさんへ★★

ミルクさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

ミルクさんも『お姉さんなんだから』と言う言葉に随分
苦しまれたようですね・・・。やはり妹や弟等下の兄弟は
甘やかされていたのも同じようです。
辛かったですね・・・。

ミルクさんは「何も出来ない」なんて事、決して
ありませんよ。実際こうしてコメントに優しく温かい言葉を
残してくださり、随分心が癒されています。本当に
ありがたい限りです。私こそ、ミルクさんに対して何も
出来ていなくてもどかしくかんじています。

昔の母と今の母。私にとっては随分違って感じます。
病気になってからも責められて辛い日々を過ごしていました
けれども、母と2人暮らしをするようになってからは
温かく見守っていてくれています。ありがたいです。

どうかミルクさんもご無理をなさらず、ゆったりと日々を
お過ごしくださいね^^

桃々
2006年5月7日20:25

☆ナノ様☆

お久しぶりです。
この度、日記を新しく書き始めました。
リンク貼らせて頂きます^^
これからもよろしくお願いします。

明日からまた怒濤のお仕事で
今から憂鬱です::

でも頑張るしかないので頑張ってきます。

ナノ様もいっぱい無理はしないで下さい。
今週。
ナノ様にとって気持ちが少しでもほっこり癒される事を
祈ってます(^▽^)

気温差もあるのでお体お大事にして下さい☆彡