朝方、風の吹き荒む中、可燃ごみを出してきた。

薄明るくなった空を見上げ、あらゆる想いが心の中を駆け抜けて

いく。この世に生きる辛さや苦しみも一緒に吹き飛んでしまえば

良いのにと暫し風の中にいた。




そして部屋で就薬を飲もうと袋を取り出した時、ふと祖父の事が

心に浮かんだ。外国船の船乗りで気丈だった祖父。戦時中は

海中に魚雷があり、祖父の乗った船も爆破され九死に一生を

得たのであるが、目の前で

『お互いどちらかが海の上で死んだらお墓を作ろう』

と固く誓い合った親友が沈んで死に行く様を見たという。そして

そのお墓は祖先の墓がある寺に無縁仏として存在している。

他にも様々な船や海でのお話は、沢山聴いた。

しかしそんな祖父も私が大学4年生の時に脳出血で倒れ、

身体に後遺症は無かったものの、酷い認知症となった。

そして今の祖父の口癖が、



「今話した事もあっち向いてこっち向いたらもう忘れてる」



と苦笑交じりに漏らすものである。

祖父は脳血管性の認知症である。

アルツハイマー型の認知症は、家族の事すら他人と思い、

名前も思い出せない等少し特徴が違っている。

しかし祖父はいつも私達孫の事を心配しており、祖母のことを

とても頼りにしていて、病気で入院しても祖父を一人にする事は

出来ず、必ず祖母が毎日病室で寝泊りしなければならない。

祖父が祖母の事をとても愛しているという証拠に、

必ず結婚指輪をしている事から窺える。どんなに認知症の症状が

静々と酷くなっていても、祖母の事は決して忘れないし、

母の事や孫である私の事を想ってくれている。

たまに私の名前が一発で出てこないのは、母の妹の子どもと

名前が似通っているからだと思うようにしている。




祖父は自分がそんな辛い状況にあっても、こんな私の事を

思ってくれていると感じると、胸が熱くなり涙が流れてきた。

そしてわんわん泣きながら就薬を服用した。




私は正に脳と心の病気を患い苦しみの最中にいる訳であるが、

そんな祖父の事を想うと自分の事なんて何でも無いのでは

ないかと感じる。そして私の想いは祖母・母へと移行していく。

私の身体は自らがボロボロにしてしまっている。それも拒食や

過食嘔吐という形で・・・。それでも見棄てずにいてくれる母、

「元気な顔を見せにおいで」と言う祖母。

私の大切な家族親族のことを想うと心から



「ありがとう」



という気持ちが溢れ出てくる。だからこそ、この世の摂理でも

ある『生老病死』の順番が正しく機能してしまうと、私は

とてもとても大切な祖父や祖母の最後を看取らねばならない

運命にある。そして母も同じく・・・。




私は、そんな事に耐えられない。自分の命は空気よりも軽いと

常々感じている。もしも私の大切な人達が生きていてくれるなら

こんな命なげうっても良いとさえ想う。そんな様々な想いに

駆られて中々涙を止める事ができなかった。




人は産まれてから、死へと向かって生きている。

人は必ず死んでしまう。

私は病気の真っ只中に居て、苦しくて辛くてどうしようもない時

その死期を自ら選び取り、己の手によって自分の命を左右出来る

とさえ思う。でも今存命している祖父母や母より先に逝って

しまう事は、大きな悲しみと傷を残してしまう。




私が生きているのは常々言っているように、自分の為では無い。

大切な人達を想い、私の自決に因って深い悲しみを残さない

為に生きているだけである。外出すると思っただけで途端に

体調を崩してしまう廃人同然の私には、生きながらえる事しか

術は無い。でも、大切な人達の最後を看取るのも私は大いに

傷付き哀しみその傷は癒えないであろうと感じる。




ただ、父の事だけは心の隅の方で心配はしているものの、

其処には虚無感が漂う。これまでも今も妹と弟との差別は

無くなっていない。父には持病があり、今は弟が眠りに帰って

いるだけの家に住んでいるがいつ何処で倒れるか解らない。

同情の念こそ抱く事はあれども、母のことを親戚中で苛虐抜いた

過去を思えば、自業自得であると感じる。




体調や抑うつ状態が少しでも緩和されたら、早く祖父母の顔が

見たい。偽りであれども元気だと装って笑顔で会話を

交わしたいと願う。なのに思うように動かない身体が本当に

憎い。




今はまだ休養の時期だとして、少しずつ英気を養っていきたいと

願う。

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