ずっと眠れていられたら・・・。
2006年4月18日 診察・カウンセリング コメント (2)火曜日。カウンセリングと診察の日である。
今日こそはといつもの守れない決意を秘めて着々と色々準備を
していた。しかし『行かねばならない』と言う感情が
プレッシャーとなって、月曜日は起きた時からずっとお腹を
下していたのである。体力も気力も消耗して、外出する意欲が
殺がれてしまった。夜明けの過食嘔吐終了を迎えた頃には
「眠り続けていたい」
と強く望み、外出する前の日ならお薬は減量するのに、普段通り
就薬を服用した。
・・・携帯電話の目覚ましアラームを1度だけ耳にした。それを
止めた所までは覚えている。その後も鳴り続けたであろうが
アラームを止めた形跡は無かった。目覚めたら15時を過ぎて
いた。夕方には電話診察が控えている為、のろのろとシャワーを
浴びた。これもいくらしんどくたってやる事で
「〜ねばならない」の1つと化している。
主治医との電話診察の中で、私には余りにも多くの
「やらねばならない」という強迫観念や強迫行為に
支配された生活を送っている事を突きつけられた。
拒食状態でいる事や、過食・嘔吐もその一部である。
そういう事に本当に疲れてしまった。でもこれからも延々と
毎日続いていくのかと思うと改めてうんざりとする。
しかし病気は病気として受け止めねばならないのであろう。
主治医は、「もしあなたが立ち眩みを起こして倒れ骨折など
怪我をしてしまったらこれまでのやらねばならない事を思う
ように出来なくなるよね。でもそうなったとしてもきっと
あなたの頭からは【〜をやらねばならない】という事は沢山
あって、それをこなそうとすると思う。だから、
【やらねばならない】の向こう側には不安や恐怖があるんだよ」
と核心を突いた。まさにその通りであるなと感じた。
恐怖や不安感というものは、本人にしか分からないもので、
他人には実感できないし計り知れないものであろう。
けれども病人そして患者である人間にとって其処で
医者の介入が大切なのである。患者の心を汲み取り
出来る限りの話を聞き助言を与える存在。心や脳の病に侵され
たら、本当に孤独にその不安や恐怖に怯えなければならない
状態になる。其処に信頼の置ける医師が存在しているだけで
少しは安心の念を覚える。だから今もこうして診察を欠かさない
のであるし、電話でも話をしているのだと思う。
先進国では蔓延っていると言われている『摂食障害』。
女性なら成長期など体重が増えていく過程でダイエットを考える
人は少なくないであろう。まさか私がそのダイエットを
きっかけに摂食障害と言う病気になるなんて想像だにしなかった
事である。そしてそれに11年も苦しめられるとは・・・。
治癒する見込みは全く無くて、徐々に進行しているというか
悪化の一途を辿っている。
主治医に、私は自分の意思で生きているのではなく、母や
祖父母が存命だから自殺しないだけであるという事を告げた。
事故などで命を落とさない限りは。私には生きている価値が
無いと思うからこその言葉である。
生きていたら、毎日普通じゃない程の食費がかかる。そして
医療費もかかる。働けないから生活費も含め全て母の負担と
なる。こんなにまで迷惑をかけてどうして生きているのだろうと
物凄く申し訳ない気持ちで一杯になるのである。
電話診察の最後、「兎に角【病院に行かねばならない】という
観念は捨ててください。だってそのプレッシャーで体調を
崩してたんじゃぁ本末転倒になる。何の為に病院に来るか
分からないから。」
やはり電話でも主治医の声が聞けた後は取り敢えず安心する。
今にも崩れ落ちそうな私を支えて下さる人がいることを実感
できるのである。それは医者と患者という立場のそれ以上でも
以下でもない。それでこそ安心感が生まれるのであろう。
もう少し生きてみよう。毎日苦しい事で埋め尽くされているが、
どうにかして命を繋げてみよう・・・。
今日こそはといつもの守れない決意を秘めて着々と色々準備を
していた。しかし『行かねばならない』と言う感情が
プレッシャーとなって、月曜日は起きた時からずっとお腹を
下していたのである。体力も気力も消耗して、外出する意欲が
殺がれてしまった。夜明けの過食嘔吐終了を迎えた頃には
「眠り続けていたい」
と強く望み、外出する前の日ならお薬は減量するのに、普段通り
就薬を服用した。
・・・携帯電話の目覚ましアラームを1度だけ耳にした。それを
止めた所までは覚えている。その後も鳴り続けたであろうが
アラームを止めた形跡は無かった。目覚めたら15時を過ぎて
いた。夕方には電話診察が控えている為、のろのろとシャワーを
浴びた。これもいくらしんどくたってやる事で
「〜ねばならない」の1つと化している。
主治医との電話診察の中で、私には余りにも多くの
「やらねばならない」という強迫観念や強迫行為に
支配された生活を送っている事を突きつけられた。
拒食状態でいる事や、過食・嘔吐もその一部である。
そういう事に本当に疲れてしまった。でもこれからも延々と
毎日続いていくのかと思うと改めてうんざりとする。
しかし病気は病気として受け止めねばならないのであろう。
主治医は、「もしあなたが立ち眩みを起こして倒れ骨折など
怪我をしてしまったらこれまでのやらねばならない事を思う
ように出来なくなるよね。でもそうなったとしてもきっと
あなたの頭からは【〜をやらねばならない】という事は沢山
あって、それをこなそうとすると思う。だから、
【やらねばならない】の向こう側には不安や恐怖があるんだよ」
と核心を突いた。まさにその通りであるなと感じた。
恐怖や不安感というものは、本人にしか分からないもので、
他人には実感できないし計り知れないものであろう。
けれども病人そして患者である人間にとって其処で
医者の介入が大切なのである。患者の心を汲み取り
出来る限りの話を聞き助言を与える存在。心や脳の病に侵され
たら、本当に孤独にその不安や恐怖に怯えなければならない
状態になる。其処に信頼の置ける医師が存在しているだけで
少しは安心の念を覚える。だから今もこうして診察を欠かさない
のであるし、電話でも話をしているのだと思う。
先進国では蔓延っていると言われている『摂食障害』。
女性なら成長期など体重が増えていく過程でダイエットを考える
人は少なくないであろう。まさか私がそのダイエットを
きっかけに摂食障害と言う病気になるなんて想像だにしなかった
事である。そしてそれに11年も苦しめられるとは・・・。
治癒する見込みは全く無くて、徐々に進行しているというか
悪化の一途を辿っている。
主治医に、私は自分の意思で生きているのではなく、母や
祖父母が存命だから自殺しないだけであるという事を告げた。
事故などで命を落とさない限りは。私には生きている価値が
無いと思うからこその言葉である。
生きていたら、毎日普通じゃない程の食費がかかる。そして
医療費もかかる。働けないから生活費も含め全て母の負担と
なる。こんなにまで迷惑をかけてどうして生きているのだろうと
物凄く申し訳ない気持ちで一杯になるのである。
電話診察の最後、「兎に角【病院に行かねばならない】という
観念は捨ててください。だってそのプレッシャーで体調を
崩してたんじゃぁ本末転倒になる。何の為に病院に来るか
分からないから。」
やはり電話でも主治医の声が聞けた後は取り敢えず安心する。
今にも崩れ落ちそうな私を支えて下さる人がいることを実感
できるのである。それは医者と患者という立場のそれ以上でも
以下でもない。それでこそ安心感が生まれるのであろう。
もう少し生きてみよう。毎日苦しい事で埋め尽くされているが、
どうにかして命を繋げてみよう・・・。
コメント
眠り続けれるのなら・・・私も眠りたい・・・
ナノさんは自分を許して しなくてもよいこともすべてが不安と恐怖へとつづいているのですね・・・日常のすべてが・・・それでも生きてみようという あなたの心はきっとダイヤの原石でしょう。磨けば光輝き人を魅了する・・・
私はすこしだけ 長く生きているので ひとつだけいってあげれることは 『許し許されると人は強くなる』自分を許してあげてください。〜しなければならない自分を・・・
今すぐは無理でも いつか・・・ナノさんならきっとできます。その日を私は 祈りながらゆっくり待ちます。
yuyuさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
yuyuさんは色々と大変な事が積み重なり、とても慌しい
日々を過ごしているかと思います。特にお子様の事に
関してはきっと心をすり減らすほどの努力をなさっていらっしゃると感じます。
>『許し許されると人は強くなる』
というyuyuさんのお言葉、胸に響きました。先ずは自分を許さないといけませんよね・・・。でもそれが出来ないのが病気の厄介な所ですね。
ゆっくりと心の中でその言葉を咀嚼して努力してみたいと思います。そしてyuyuさんもご無理をなさらずお過ごしください。