麗らかな風の吹く午後。
2006年4月16日 平穏 コメント (2)早朝、全ての過食嘔吐と片付けを終え、一息ついた。
今日はゆっくり眠ろうと思い、眠剤を1錠だけ増やして
その他の就薬を服用した。PMSの時期でなければ、それだけで
15時位まで熟睡できる。しかし7時前に漸く眠りに就けたにも
関わらず、14時半には目覚めてしまった。
今日は久し振りの好天で少し強く吹いている春の風が
とても心地よかった。抑うつ状態が酷くなると、晴れていても
雨が降っていても気持ちが沈んだままであるが、何故か今日は
ふくよかな風の香りと共に胸の中のわだかまりをも一緒に
吹き流してくれるようであった。
曜日も何も関係なく、普段どおりの行動を始めた。
しかし、いい加減日中ずっとミネラルウォーターと氷だけで
過ごすのに限界が来ているのかも知れない。拒食状態にあると
兎角思考能力が低下するし、気分は悪くなるし体調が頗る悪く
なってきている。
けれども、私は食べ物を1口でも食べてしまうと過食嘔吐に
繋がってしまう為、『食べる』という行為は出来ない。
余程調子の良い時であれば、インスタントスープを口に出来る。
実際は空腹を感じても無視して只管水を飲み続けるといった
状態が続いている。なので此処の所立ち眩みが酷くなったり、
眩暈がしたりと起立性低血圧の症状を呈している。
心では「このままじゃまずいな」と
思いつつも、どうする事も出来ない。
いつも通り熱めのシャワーを浴びた後、読書を始めた。
今までなら無気力で活字を追うことさえ困難であったが、
ミステリーやサイコもの、推理もの等読み易いものであれば
以前のような速さではないものの読めるようになった。
鬱である事に何ら変わりは無いが、ずぶずぶと沼に沈んでいく
ような感覚から、今は少しだけ沈み止まった感はある。
けれど摂食障害に因る低栄養やら鬱に因る集中力の低下は
相変わらず酷い。
一体いつになればこの辛苦から解放されるのであろう。
確かに、毎日毎日同じ事を繰り返しているように見えても、
詳細を突き詰めると様々な変化に揺られながら過ごしている
感じも否めない。けれどやる事は決まっているし、その辛さには
変わりないし、本当に何もかもが嫌になってしまうのである。
夕暮れを迎え、いつものスーパーへ行く道を今日は久し振りに
遠回りをして行ってみた。やはり家々がそれぞれの植物や木を
育てていて、立派な家に関しては日本庭園の様に植物の配置が
整っている。洋風の家では可愛らしいパンジーが育てられ、
名を知らない花々も負けじとその姿を誇らしげに魅せている。
きっと大自然の中、スーパー等は車で何時間も走らせなければ
ならないような場所に住み、自分で野菜や果物を育てて、
それによって日々の食糧を得ている様な生活であれば、
摂食障害という病気になどならなかったように感じる。
その日頂くものに自然やその野菜たちへの感謝を込めつつ
ゆっくりと味わって適量の食事をして「ごちそうさまでした」と
終わらせられる気がする。
けれども私の周りには飽和気味に食べ物は溢れかえっていて、
24時間いつでも食べ物が手に入る。その食べ物1つ1つが
どのような経過を辿って、此処に嘔吐される為に訪れたのか・・・
そう考えると自分のやっている行為がおぞましい程醜く感じる。
11年を経過しても悪化していくばかりの摂食障害という
『病気』は留まる所を知らない。
「過食嘔吐なんてしたくない!」と強く思っていても、
何かに追い立てられているかの如く無心で大量に詰め込んで
嘔吐に走る。つくづく自分のやっている行為に愚かさを覚え
それをどうする事もできない無力感に突き落とされる。
先ず最初の一歩として、固形物の食べ物を消化を許せる様に
なる事が大切であろう。そして適度な運動やストレッチをして
少しずつ少しずつ身体を以前の元気な状態に戻さねばならない。
しかし、それをうつ病が阻んでいる。無気力感だけが漂い、
何もする気になれない。特に日中はスープを摂取するのでさえ
『面倒臭い』と感じてしまうのであるから・・・。
焦っても何も良い結果は生まれない。早まった行為は、全てを
壊滅に追いやる。だから今日の様に春の心地よい風を心いくまで
胸に吸い込み、柔和な心を保っていたいと感じるのである。
今日はゆっくり眠ろうと思い、眠剤を1錠だけ増やして
その他の就薬を服用した。PMSの時期でなければ、それだけで
15時位まで熟睡できる。しかし7時前に漸く眠りに就けたにも
関わらず、14時半には目覚めてしまった。
今日は久し振りの好天で少し強く吹いている春の風が
とても心地よかった。抑うつ状態が酷くなると、晴れていても
雨が降っていても気持ちが沈んだままであるが、何故か今日は
ふくよかな風の香りと共に胸の中のわだかまりをも一緒に
吹き流してくれるようであった。
曜日も何も関係なく、普段どおりの行動を始めた。
しかし、いい加減日中ずっとミネラルウォーターと氷だけで
過ごすのに限界が来ているのかも知れない。拒食状態にあると
兎角思考能力が低下するし、気分は悪くなるし体調が頗る悪く
なってきている。
けれども、私は食べ物を1口でも食べてしまうと過食嘔吐に
繋がってしまう為、『食べる』という行為は出来ない。
余程調子の良い時であれば、インスタントスープを口に出来る。
実際は空腹を感じても無視して只管水を飲み続けるといった
状態が続いている。なので此処の所立ち眩みが酷くなったり、
眩暈がしたりと起立性低血圧の症状を呈している。
心では「このままじゃまずいな」と
思いつつも、どうする事も出来ない。
いつも通り熱めのシャワーを浴びた後、読書を始めた。
今までなら無気力で活字を追うことさえ困難であったが、
ミステリーやサイコもの、推理もの等読み易いものであれば
以前のような速さではないものの読めるようになった。
鬱である事に何ら変わりは無いが、ずぶずぶと沼に沈んでいく
ような感覚から、今は少しだけ沈み止まった感はある。
けれど摂食障害に因る低栄養やら鬱に因る集中力の低下は
相変わらず酷い。
一体いつになればこの辛苦から解放されるのであろう。
確かに、毎日毎日同じ事を繰り返しているように見えても、
詳細を突き詰めると様々な変化に揺られながら過ごしている
感じも否めない。けれどやる事は決まっているし、その辛さには
変わりないし、本当に何もかもが嫌になってしまうのである。
夕暮れを迎え、いつものスーパーへ行く道を今日は久し振りに
遠回りをして行ってみた。やはり家々がそれぞれの植物や木を
育てていて、立派な家に関しては日本庭園の様に植物の配置が
整っている。洋風の家では可愛らしいパンジーが育てられ、
名を知らない花々も負けじとその姿を誇らしげに魅せている。
きっと大自然の中、スーパー等は車で何時間も走らせなければ
ならないような場所に住み、自分で野菜や果物を育てて、
それによって日々の食糧を得ている様な生活であれば、
摂食障害という病気になどならなかったように感じる。
その日頂くものに自然やその野菜たちへの感謝を込めつつ
ゆっくりと味わって適量の食事をして「ごちそうさまでした」と
終わらせられる気がする。
けれども私の周りには飽和気味に食べ物は溢れかえっていて、
24時間いつでも食べ物が手に入る。その食べ物1つ1つが
どのような経過を辿って、此処に嘔吐される為に訪れたのか・・・
そう考えると自分のやっている行為がおぞましい程醜く感じる。
11年を経過しても悪化していくばかりの摂食障害という
『病気』は留まる所を知らない。
「過食嘔吐なんてしたくない!」と強く思っていても、
何かに追い立てられているかの如く無心で大量に詰め込んで
嘔吐に走る。つくづく自分のやっている行為に愚かさを覚え
それをどうする事もできない無力感に突き落とされる。
先ず最初の一歩として、固形物の食べ物を消化を許せる様に
なる事が大切であろう。そして適度な運動やストレッチをして
少しずつ少しずつ身体を以前の元気な状態に戻さねばならない。
しかし、それをうつ病が阻んでいる。無気力感だけが漂い、
何もする気になれない。特に日中はスープを摂取するのでさえ
『面倒臭い』と感じてしまうのであるから・・・。
焦っても何も良い結果は生まれない。早まった行為は、全てを
壊滅に追いやる。だから今日の様に春の心地よい風を心いくまで
胸に吸い込み、柔和な心を保っていたいと感じるのである。
コメント
以前にテレビで摂食障害の方専門の病院についてやってました。
入院をして、回復するというものなのですが、ナノ様は入院は考えておられないのでしょうか?
たまこさん初めまして、こんばんは。
日記を読んで頂けていた事、とても嬉しく思います。
入院については主治医の方針で、るい痩してきて体力が
なくなったら栄養失調を治す為にしてもらう事はあると
仰っています。私自身、入院は希望していませんし、
私が住んでいる地域に摂食障害専門の病院はありません。
また、そんな入院費を払えるようなお金がありません。
だから週に2回の診察と1回のカウンセリングでどうにか
日々を過ごしています。
又私には入院して一時的に食べるという行為を阻止しても、
家に帰って又食べ始めたら元の木阿弥だと思います。
たまこさん、アドバイスありがとうございましたm(_"_)m