この頃段々眠りに就く時間が遅くなってきてしまっている。
午前中やお昼に起きて下らない事を考えたり、
過食衝動と闘ったりするのが辛いからという理由もある。
どうしてもぽっかり時間が空いていて何もする事がないと、
うずうずと『食べたい。食べて吐きたい。』とまるで
虫が蠢くように苦しくなるのである。
今日目覚めてから、暫くぼぉっとしていた。そしていつもの様に
ソイラテを作り飲んでいたら、突然
『死んでしまいたい』
という衝動に駆られたのである。一体何が原因なのか解らなくて
1人、戸惑っていた。どうしてこんなにも死にたいと思うのか、
今すぐ死ねない事など承知しているのに、何故か消え去りたい、
居なくなりたい、死にたいと次から次へと頭に浮かんでくるので
打ち消し、けれどもまた頭に浮かぶのである。久し振りの
『希死念慮』
の到来である。
以下に希死念慮について記したい。
「『希死念慮』とは、死にたいと願うことです。
ただし、自殺願望とは、違うのは、客観的に理解できない理由で
死にたいと願うことです。幻聴があって死ねと言われているから
とか、ただ死にたいとか。死という言葉が、頭に浮かんで離れな
いとか。精神の障害があって正常な判断ができない場合に、死に
たいと願うときにこの言葉を使います。」(はてなダイアリー
キーワードより)
URL:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%F5%BB%E0%C7%B0%CE%B8
正に当て嵌まっていると感じる。
目覚めて暫くした後、本当に突如振って湧いた想いである。
凄く沈んでいてきっと周りから見たら死んだ魚の目をしていたと
思う。ただただ頭の中からこの希死念慮が消えてくれないので
ある。もっと前向きな事を考えようとしても、
「今死ねば全てから解放される・・・」
との想いが離れない。そして須らく死んでしまいたいという
気持ちは時間を追う毎に強さを増していった。
「これはかなりやばいな」と思って日中薬を服用し、頓服の
抗不安薬も服用しておいた。
頭の中はマイルドな感じになれど、やはり頭の隅ではずっと
「死にたい、死ななければ、死にたい」等と繰り返して
いるのである。
しかし思うだけで決して行動には移さないと分かっている。
今死んでしまっても、全ての事が中途半端になり、特に母を
酷く傷つける事になるからである。だからもし自死するので
あれば、大切な人達が居なくなった時であろうと思う。
父方の親戚など考慮に入っていない。父方の祖父母はもう大分
前に亡くなっている。そして彼等の事はどうでも良い。
けれども母方の祖父母は存命である。そして凄く私なんかの
事を心配してくれている。そして母も一生懸命私の事を思って
くれている。つい先日聞いたのであるが、
「毎日仕事に行く前、○●ちゃんが死んでないかどうか
確かめる。いつも帰ったら死んでいるんじゃないかと
心配でならない」
と常々感じているという事であった。
酷く心的負担をかけてしまっている。だからこれ以上不本意に
母を悲しませたくは無い。だから、私が自分で死を決意するのは
大切な祖父母が亡くなってしまった時や母が亡くなってしまった
時であろうと感じている。
私は今、自分の為に生きているとは実感できない。ただ、大切な
人達を悲しませない為に生きている。過食嘔吐が物凄く苦しく
ても、うつ病で酷く悩み悶悶と暗く重い思念を抱えていても。
しかし、私に無償の愛を与えてくれる人達が居なくなって
しまったら、私はどうやって生きていけばいいのか解らない程
病気は重篤さを増している。他人にしてみれば私が死のうと
どうなろうと関係の無い事であるが、こんなに弱って
しまった私を介抱してくれる、優しさを与えてくれる人達を
悲しませたくない。その想いだけで息を繋ぎ生きている。
希死念慮は本当にしぶとくて嫌になってしまう。
いくら必死で拭い去ろうとしても、次から次へと重く暗い心が
圧し掛かってくる。その為、栄養補給のためのスープを口に
する気さえ起こらず、食べ物を見ただけで吐き気がした。
精神を患っている以上、様々な苦しみに耐えなければならない。
例え負けそうになっても、今はまだ自分は死ぬ時期ではないと
這いつくばってでも命を落とす事はできない。
逆に、『死ねば全てから解放され思い煩う事も無くなる』という
考えが無い事は否めない。
けれども、大切な人を傷つけてしまうのであれば、
生きなければならないのであろうと、考えた1日であった。
午前中やお昼に起きて下らない事を考えたり、
過食衝動と闘ったりするのが辛いからという理由もある。
どうしてもぽっかり時間が空いていて何もする事がないと、
うずうずと『食べたい。食べて吐きたい。』とまるで
虫が蠢くように苦しくなるのである。
今日目覚めてから、暫くぼぉっとしていた。そしていつもの様に
ソイラテを作り飲んでいたら、突然
『死んでしまいたい』
という衝動に駆られたのである。一体何が原因なのか解らなくて
1人、戸惑っていた。どうしてこんなにも死にたいと思うのか、
今すぐ死ねない事など承知しているのに、何故か消え去りたい、
居なくなりたい、死にたいと次から次へと頭に浮かんでくるので
打ち消し、けれどもまた頭に浮かぶのである。久し振りの
『希死念慮』
の到来である。
以下に希死念慮について記したい。
「『希死念慮』とは、死にたいと願うことです。
ただし、自殺願望とは、違うのは、客観的に理解できない理由で
死にたいと願うことです。幻聴があって死ねと言われているから
とか、ただ死にたいとか。死という言葉が、頭に浮かんで離れな
いとか。精神の障害があって正常な判断ができない場合に、死に
たいと願うときにこの言葉を使います。」(はてなダイアリー
キーワードより)
URL:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B4%F5%BB%E0%C7%B0%CE%B8
正に当て嵌まっていると感じる。
目覚めて暫くした後、本当に突如振って湧いた想いである。
凄く沈んでいてきっと周りから見たら死んだ魚の目をしていたと
思う。ただただ頭の中からこの希死念慮が消えてくれないので
ある。もっと前向きな事を考えようとしても、
「今死ねば全てから解放される・・・」
との想いが離れない。そして須らく死んでしまいたいという
気持ちは時間を追う毎に強さを増していった。
「これはかなりやばいな」と思って日中薬を服用し、頓服の
抗不安薬も服用しておいた。
頭の中はマイルドな感じになれど、やはり頭の隅ではずっと
「死にたい、死ななければ、死にたい」等と繰り返して
いるのである。
しかし思うだけで決して行動には移さないと分かっている。
今死んでしまっても、全ての事が中途半端になり、特に母を
酷く傷つける事になるからである。だからもし自死するので
あれば、大切な人達が居なくなった時であろうと思う。
父方の親戚など考慮に入っていない。父方の祖父母はもう大分
前に亡くなっている。そして彼等の事はどうでも良い。
けれども母方の祖父母は存命である。そして凄く私なんかの
事を心配してくれている。そして母も一生懸命私の事を思って
くれている。つい先日聞いたのであるが、
「毎日仕事に行く前、○●ちゃんが死んでないかどうか
確かめる。いつも帰ったら死んでいるんじゃないかと
心配でならない」
と常々感じているという事であった。
酷く心的負担をかけてしまっている。だからこれ以上不本意に
母を悲しませたくは無い。だから、私が自分で死を決意するのは
大切な祖父母が亡くなってしまった時や母が亡くなってしまった
時であろうと感じている。
私は今、自分の為に生きているとは実感できない。ただ、大切な
人達を悲しませない為に生きている。過食嘔吐が物凄く苦しく
ても、うつ病で酷く悩み悶悶と暗く重い思念を抱えていても。
しかし、私に無償の愛を与えてくれる人達が居なくなって
しまったら、私はどうやって生きていけばいいのか解らない程
病気は重篤さを増している。他人にしてみれば私が死のうと
どうなろうと関係の無い事であるが、こんなに弱って
しまった私を介抱してくれる、優しさを与えてくれる人達を
悲しませたくない。その想いだけで息を繋ぎ生きている。
希死念慮は本当にしぶとくて嫌になってしまう。
いくら必死で拭い去ろうとしても、次から次へと重く暗い心が
圧し掛かってくる。その為、栄養補給のためのスープを口に
する気さえ起こらず、食べ物を見ただけで吐き気がした。
精神を患っている以上、様々な苦しみに耐えなければならない。
例え負けそうになっても、今はまだ自分は死ぬ時期ではないと
這いつくばってでも命を落とす事はできない。
逆に、『死ねば全てから解放され思い煩う事も無くなる』という
考えが無い事は否めない。
けれども、大切な人を傷つけてしまうのであれば、
生きなければならないのであろうと、考えた1日であった。
コメント
よく考えるのが「私が死んだら誰が泣いてくれるだろう」というばかばかしい思い。
とりあえず今は色々が感情の中で生きていくしかないだろう。ナノさん、ナノさんが「死」をえらべば悲しむ人間がここにもいるってこと忘れないでね。ゆっくりでいい。歩んでいこうね。
紫音より
私は子供を道ずれにしょうとしたことがある。
母は逝くなら私一人で逝ってほしいと思ってたとあるとき告白された。自分の病気で人を巻き込むなんて 母親として最低です。
人には寿命があって 必ず死にます。
だからそれまで 苦しいけどここで話ながら 一緒に
生きようね・・・
私はナノさんが死んでも紫音さんが死んでも悲しいよ。
自分も死にたいと思うけど 生きたいとも思ってる
これが矛盾してなんだかよくわからない自分をつくってる
生まれてきたとき 喜ばれないで生まれた人はいない
なぜなら今生きているということは 誰かが自分にミルクを与えオムツを替えてくれ抱っこしてくれ・・・少なくとも誰かからの愛が今の自分を育ててくれたの
その話をきいて そうか・・・生かされているってこういうことか・・・と思った
ナノさん 私も夜昼逆転生活で朝までおきて朝から夕方までねます。薬を指示どうりのむとすごい睡眠時間でおきたときは しばらく立ち上がれず体がふらつき倒れこみはいつくばってます。
こんな情けない母親を子供は自分が役に立とうと小さな体で小さい手で私の体を支えてくれます。
人は誰かの役に立つことで生きてると実感することがあります。
ナノさんのお母様や祖父母さまは ナノさんが生きているだけで幸せを与えてるのです。ナノさんは生きているだけで
希望のひかりです。
ゆっくり ゆっくり 周りのペースではなく ナノさんのペースで生きましょうね・・・
紫音さん、ツライ中コメントを残してくださり、ありがたく思います。
紫音さんも同じ気持ちを抱えてらっしゃるのですね・・・。苦しいですね。私も母から追い出されたら生きていく術がありません。同じく、気力が残っていないからです。
でもね、紫音さんが亡くなってしまったら泣く人は沢山居ると思います。私もその1人です。特に紫音さんの彼氏さん、親御さんは酷く嘆き悲しむだろうと思いますよ。
本当に様々な暗い思考や心を掻き乱す感情に振り回される事の多い世界ですが、その感情を甘受して今の所「死」という選択肢は選ばないでいたいと思っています。私の死生観としては、大切な人が皆亡くなったら、私も迷わず自死を選ぶ、自分の為に生きていく事などできないというのが今の私ですね。
紫音さんもゆっくりゆっくり歩んでいきましょうね。