何かを履き違えている社会
2006年3月28日 診察・カウンセリング此処数日でどんどん抑うつ状態が酷くなってきている。
自転車で5〜6分の本屋やコンビニにも行けない。
夜、半額セールを始める徒歩2分の所にあるスーパーへ
行くのでさえ、抗不安薬と胃薬を服用しなければ心が持たない。
先日の事件後、まだ妹と子どもは同じ場所に住んでいて
近々引っ越すらしいが、今は新しい彼氏と一緒に住んでいる
そうである。前の彼氏と別れて10日程しか経っていないのに
何たる早業であろうか。考えてみれば妹に彼氏が途切れる事は
無い。もうすぐ3歳になる子どもにどんな影響を与えるか
何も考えていない軽率な行動としか捉えられないが、口でも
腕力でも敵わない私は、唯それを心配しながらも傍観するしか
ないのである。正直、呆れてものも言えない。
閑話休題。今日の電話診察では、『働く事』に関する
話題が出た。今の社会では兎角働かねばならないとされている。
例え病気を患っていても、男女区別無く。
矢鱈と『自立』を促している。
しかし、何でもかんでも働いてお金を稼いで生きていけば良い
なんて事では無いと思う。
しかし、働いていない人は所謂『負け組み』とされ、病気でなく
健康に働き人を踏み台にして駆け上り沢山お金を稼ぐ人こそ
『勝ち組』とされている。私はうつ病になって初めてその病の
苦痛、辛さを実感して感じ取った。動けない事・頭が働かない
事・希死念慮に苛まれる事。これらを抱えて働くという行為は
半ば緩慢な自殺であろうと感じる。しかし、社会は
働いていないヤツはダメ人間だ
という風潮が大いにあると思う。確かに身体も心も健康で、
ただ遊びたいが為に働きもせず親のお金で遊びまわり、楽して
生活を送っている人は余り褒められたものではないと思う。
しかし、本当の『自立』とは、自給自足・・・即ち
その日食べるものは自分で耕した畑で収穫したもので補い、
(肉はやはり店で買わなければならないであろうが。)自然に
感謝して食べ物を摂取し、収穫した野菜や果物畜産物を売った
お金で生活している事を指すのだと思う。しかし、この社会では
男女関係無く食べる為にお金を稼ぎ、お金を稼ぐ為には人を
平気で踏み台にしてのし上がり、人を傷つけるという事にも
鈍感になり、自分のお金で生活する事を指している。その微妙な
履き違えが社会と個人の生活に矛盾を生じさせ、心や脳の病を
患う人が多くなってきているのだと感じる。
私も病気がこんなにまで酷くなる前、摂食障害の症状だけが悪化
していた大学卒業後は、病人として見られることも無く、休養も
許されず、兎に角「働け!」と家族に言われていた。逆らわず
睡眠時間3〜4時間で過食嘔吐を酷く繰り返しながら働いた。
結果、より病気が重篤化してしまった。
漸く母に、病気に対する理解を得られるようになって、治す為に
休養できている。しかし、社会一般の人から見れば私は
働きもせず怠けているだけの人間
なのであろう。『母が汗水流して働いて得たお金を過食嘔吐に
使っている、情けない人間』と評されても致し方ない。
そして『うつ病』に関する社会の理解や認知度が高まってきたと
いえども、うつ病を患った人を雇っている側は「早く治せ」と
急かすし、中々治癒しなければ解雇する所もあるだろう。
4月からは精神科にかかる医療費も負担は増える。働けなくて
病気を治す為に通っている病院での治療費が増やされる。
どんどん社会に貢献できない、働けない人が生き辛い世の中に
なっていっている。
政治家は私の様な母子家庭の生活に比べて膨大なお給料を貰って
いるであろうし、お金に不自由する事などないであろう。
だから容易に、社会的に生き辛い人をもっと辛くする法律を
採決してしまうのであろう。
何かがにじりにじりと歪み、社会のあらゆる事に関する
履き違えが酷くなってきている。
私の場合、母が倒れてしまったら生きていけなくなる。そんな
サーカスの綱渡り状態で、明日もまたどんどん酷くなる病状を
感じつつ生きなければならないのであろう。
もう沢山だ。
私にとって生きる事は即ち緩慢な自殺である。
自転車で5〜6分の本屋やコンビニにも行けない。
夜、半額セールを始める徒歩2分の所にあるスーパーへ
行くのでさえ、抗不安薬と胃薬を服用しなければ心が持たない。
先日の事件後、まだ妹と子どもは同じ場所に住んでいて
近々引っ越すらしいが、今は新しい彼氏と一緒に住んでいる
そうである。前の彼氏と別れて10日程しか経っていないのに
何たる早業であろうか。考えてみれば妹に彼氏が途切れる事は
無い。もうすぐ3歳になる子どもにどんな影響を与えるか
何も考えていない軽率な行動としか捉えられないが、口でも
腕力でも敵わない私は、唯それを心配しながらも傍観するしか
ないのである。正直、呆れてものも言えない。
閑話休題。今日の電話診察では、『働く事』に関する
話題が出た。今の社会では兎角働かねばならないとされている。
例え病気を患っていても、男女区別無く。
矢鱈と『自立』を促している。
しかし、何でもかんでも働いてお金を稼いで生きていけば良い
なんて事では無いと思う。
しかし、働いていない人は所謂『負け組み』とされ、病気でなく
健康に働き人を踏み台にして駆け上り沢山お金を稼ぐ人こそ
『勝ち組』とされている。私はうつ病になって初めてその病の
苦痛、辛さを実感して感じ取った。動けない事・頭が働かない
事・希死念慮に苛まれる事。これらを抱えて働くという行為は
半ば緩慢な自殺であろうと感じる。しかし、社会は
働いていないヤツはダメ人間だ
という風潮が大いにあると思う。確かに身体も心も健康で、
ただ遊びたいが為に働きもせず親のお金で遊びまわり、楽して
生活を送っている人は余り褒められたものではないと思う。
しかし、本当の『自立』とは、自給自足・・・即ち
その日食べるものは自分で耕した畑で収穫したもので補い、
(肉はやはり店で買わなければならないであろうが。)自然に
感謝して食べ物を摂取し、収穫した野菜や果物畜産物を売った
お金で生活している事を指すのだと思う。しかし、この社会では
男女関係無く食べる為にお金を稼ぎ、お金を稼ぐ為には人を
平気で踏み台にしてのし上がり、人を傷つけるという事にも
鈍感になり、自分のお金で生活する事を指している。その微妙な
履き違えが社会と個人の生活に矛盾を生じさせ、心や脳の病を
患う人が多くなってきているのだと感じる。
私も病気がこんなにまで酷くなる前、摂食障害の症状だけが悪化
していた大学卒業後は、病人として見られることも無く、休養も
許されず、兎に角「働け!」と家族に言われていた。逆らわず
睡眠時間3〜4時間で過食嘔吐を酷く繰り返しながら働いた。
結果、より病気が重篤化してしまった。
漸く母に、病気に対する理解を得られるようになって、治す為に
休養できている。しかし、社会一般の人から見れば私は
働きもせず怠けているだけの人間
なのであろう。『母が汗水流して働いて得たお金を過食嘔吐に
使っている、情けない人間』と評されても致し方ない。
そして『うつ病』に関する社会の理解や認知度が高まってきたと
いえども、うつ病を患った人を雇っている側は「早く治せ」と
急かすし、中々治癒しなければ解雇する所もあるだろう。
4月からは精神科にかかる医療費も負担は増える。働けなくて
病気を治す為に通っている病院での治療費が増やされる。
どんどん社会に貢献できない、働けない人が生き辛い世の中に
なっていっている。
政治家は私の様な母子家庭の生活に比べて膨大なお給料を貰って
いるであろうし、お金に不自由する事などないであろう。
だから容易に、社会的に生き辛い人をもっと辛くする法律を
採決してしまうのであろう。
何かがにじりにじりと歪み、社会のあらゆる事に関する
履き違えが酷くなってきている。
私の場合、母が倒れてしまったら生きていけなくなる。そんな
サーカスの綱渡り状態で、明日もまたどんどん酷くなる病状を
感じつつ生きなければならないのであろう。
もう沢山だ。
私にとって生きる事は即ち緩慢な自殺である。
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