睡眠時間も安定してきて、比較的昼間はゆっくり落ち着いて
過ごせるようになった気がする。自分が勝手に作り上げた1日の
スケジュール通り事が進まないと少し苛立ちは出てしまうが・・・。
日付は変わっても、TVでは相変わらず野球の事ばかりで些か
食傷気味である。そうしている間にも、社会問題や事件、
政治や社会情勢の動きはあるのに、どのTV局もこぞって
世界一を勝ち取った野球の話題ばかり報道している。
思い起こしてみれば、オリンピックの時もそうであった。
どのチャンネルに変えても金メダルを取った彼女の事ばかり。
視聴率の関係だとは感じるが、もっと社会問題や世の中の情勢を
簡略化する事無く報道すればいいのにと感じてしまう。
閑話休題。私は、過食嘔吐をするのは夜と夜中の2回だけに
抑えようと努力している。だから少しでも気を抜けば、昼間から
無意識に食べ物を探し出し、過食を始めてしまう。そうなると
1日3回に過食嘔吐をしなければならなくなり(強迫観念に因る)
身体も心も半端無く疲弊してしまうのである。
何とか昼間の過食を回避して、日中薬を服用し落ち着いていても
突如心の底から湧き出る感情がある。それは
『私なんか死んでしまえばいいのに』
というものである。その感情が湧き出る少し前に、
「私は周囲の人達に迷惑をかけてばかりだ」という思いが
心を支配している。身体が動かない事も、摂食障害の症状が出て
いる事も、抑うつ状態で笑う事が出来ない事も、全て病気の症状
だから仕方の無い事とは分かっているが、自分が情けなくて
情けなくて申し訳なくなってしまうのである。以前はこんな私を
家族(特に妹)が責めたり罵ってきたりしていた。しかし今は
妹もいなくなり、母と比較的落ち着いた環境の中で2人暮らして
いる。けれども頑張って働いている母の姿を思うと、何も
出来ない自分が憎く思えてくる。少しでも手助けしたいと思い、
最低限の家事こそ何とかこなしているものの、私が母へ大きな
負担をかけている事実は覆しようのないものである。
だから母にはいつも感謝の念を持って接している。
だけど心の調子が悪かったり苛立ちが溢れていたりすると、
普通に接しようとしても、どうしてもぎこちなくなってしまう。
そんな私の姿を見て母は肩を落としているに違いないと感じる。
幾ら謝っても謝り足りないと反省し悔やむ。
病気に心身を侵された私にとって、『親孝行』にあたるのは
自分が健康になり所謂
『普通の状態』
になると言う事であろうと思う。
人生の中で一番青春を謳歌できるであろうこの時期に、私は
病気と闘っている。普通に仕事をして、普通に悩みを持ち、
普通に恋愛や遊びに興じる事は私には出来ない。
毎日向精神薬を服用し、それによって少しばかりの心の平穏を
取り戻し、1日2回の激しい過食嘔吐をする。そして不眠症の為
また向精神薬を服用して眠りに就く。これがほぼ変わりなく毎日
続いていく。
正直、こんなゴールも出口も全く見えない真っ暗闇の迷路で
足掻く私は滑稽であるし、救いようのない人間に思えてくる。
そして、突如振って湧く「私なんか死んでしまえ」という想いに
悶悶と苦しんでいる。月日ばかりが流れて行き、私は寛解の
傾向も見せないまま只管動かない身体を持て余す。また、日を
追うにつれて『うつ病』は重篤さを増しているように感じる。
心の沼から湧き出るネガティヴな思考に困惑しながら、しかし
私は生きていくしかない。苦悩も苦痛も甘んじて受けて生きる道
しか残されていない事を痛感するのである。
本当に私の病は治癒へと向かうのであろうかと言う疑念を
晴らせないまま、日々病気の症状と闘いながら生を延ばして
いくのであろうと考える。
過ごせるようになった気がする。自分が勝手に作り上げた1日の
スケジュール通り事が進まないと少し苛立ちは出てしまうが・・・。
日付は変わっても、TVでは相変わらず野球の事ばかりで些か
食傷気味である。そうしている間にも、社会問題や事件、
政治や社会情勢の動きはあるのに、どのTV局もこぞって
世界一を勝ち取った野球の話題ばかり報道している。
思い起こしてみれば、オリンピックの時もそうであった。
どのチャンネルに変えても金メダルを取った彼女の事ばかり。
視聴率の関係だとは感じるが、もっと社会問題や世の中の情勢を
簡略化する事無く報道すればいいのにと感じてしまう。
閑話休題。私は、過食嘔吐をするのは夜と夜中の2回だけに
抑えようと努力している。だから少しでも気を抜けば、昼間から
無意識に食べ物を探し出し、過食を始めてしまう。そうなると
1日3回に過食嘔吐をしなければならなくなり(強迫観念に因る)
身体も心も半端無く疲弊してしまうのである。
何とか昼間の過食を回避して、日中薬を服用し落ち着いていても
突如心の底から湧き出る感情がある。それは
『私なんか死んでしまえばいいのに』
というものである。その感情が湧き出る少し前に、
「私は周囲の人達に迷惑をかけてばかりだ」という思いが
心を支配している。身体が動かない事も、摂食障害の症状が出て
いる事も、抑うつ状態で笑う事が出来ない事も、全て病気の症状
だから仕方の無い事とは分かっているが、自分が情けなくて
情けなくて申し訳なくなってしまうのである。以前はこんな私を
家族(特に妹)が責めたり罵ってきたりしていた。しかし今は
妹もいなくなり、母と比較的落ち着いた環境の中で2人暮らして
いる。けれども頑張って働いている母の姿を思うと、何も
出来ない自分が憎く思えてくる。少しでも手助けしたいと思い、
最低限の家事こそ何とかこなしているものの、私が母へ大きな
負担をかけている事実は覆しようのないものである。
だから母にはいつも感謝の念を持って接している。
だけど心の調子が悪かったり苛立ちが溢れていたりすると、
普通に接しようとしても、どうしてもぎこちなくなってしまう。
そんな私の姿を見て母は肩を落としているに違いないと感じる。
幾ら謝っても謝り足りないと反省し悔やむ。
病気に心身を侵された私にとって、『親孝行』にあたるのは
自分が健康になり所謂
『普通の状態』
になると言う事であろうと思う。
人生の中で一番青春を謳歌できるであろうこの時期に、私は
病気と闘っている。普通に仕事をして、普通に悩みを持ち、
普通に恋愛や遊びに興じる事は私には出来ない。
毎日向精神薬を服用し、それによって少しばかりの心の平穏を
取り戻し、1日2回の激しい過食嘔吐をする。そして不眠症の為
また向精神薬を服用して眠りに就く。これがほぼ変わりなく毎日
続いていく。
正直、こんなゴールも出口も全く見えない真っ暗闇の迷路で
足掻く私は滑稽であるし、救いようのない人間に思えてくる。
そして、突如振って湧く「私なんか死んでしまえ」という想いに
悶悶と苦しんでいる。月日ばかりが流れて行き、私は寛解の
傾向も見せないまま只管動かない身体を持て余す。また、日を
追うにつれて『うつ病』は重篤さを増しているように感じる。
心の沼から湧き出るネガティヴな思考に困惑しながら、しかし
私は生きていくしかない。苦悩も苦痛も甘んじて受けて生きる道
しか残されていない事を痛感するのである。
本当に私の病は治癒へと向かうのであろうかと言う疑念を
晴らせないまま、日々病気の症状と闘いながら生を延ばして
いくのであろうと考える。
コメント
どうすれば上を向いて歩けるかなぁー
お互い楽観的に生きていけるといいんですけどね^^;
紫音より
紫音さん、こんばんは。いつもコメントありがとうございます。
本当に紫音さんとは通じる所がありますね。似ているなぁと思います。
・・・そう。自分さえいなければ良いと思うけど死ねないし、自分を傷つけても何も解決できないんですよね・・・。私も同感です。
無理して楽観的になるより、ゆっくり自分は一体どういう状態でなんで苦しいのかを考えてみるのもいいかもしれませんね。でも私はそうなると堂々巡りで結局自分がダメじゃんって思ってしまうので本当私はどうしようもない人間だと想ってしまいますが・・・。
ゆっくりゆっくり前を向いていつか上を向いて歩んでいけるといいですね。