目覚めたら15時を過ぎていた。それでも怠くて怠くて仕方が
無かった。土曜日は結局3回過食嘔吐をしてしまい、3回目は
今朝方までに及んだ。
『夜は必ず2度過食嘔吐しなければならない』
といった何とも阿保くさい脳の指令に逆らえないのである。
最早義務となってしまっている。無我夢中で食べ物を胃に
詰め込み、限界がきたらトイレへ向かう。こう綴っているだけで
本当にうんざりする事であるが、意志の力で止める事等到底無理
だと感じている。
最近、『寂しさ』を顕著に感じるようになった。
母は訪問介護の仕事をしている為、完璧な朝型生活である。逆に
私は完璧な夜型人間。2人暮らしの母と会話を交わす機会は、
日中次への仕事場へ向かうまで時間が余っている為、家に一旦
帰ってきた時と、夜に母が御飯を作っている時くらいである。
日常に私が他人と会話を交わす機会は全く無く、母と話す事
だけで外の様子を知る。大学時代の親友は遠く離れた地に住んで
いるので、毎日のメールでお互いの状態を知る。彼女も凄く
今の生活に苦しんでいるので、側に行ってお話が出来ない事を
とても悔しく感じる。そして寂しさは募っていくばかりである。
また、私はニュース番組ばかり観ている為、それに因って
社会情勢を知る。
ニュースでは、陰惨な事件やテロが毎日報道される。私はこの
日本でこれから生きていけるのかと、不安でならなくなる。
勿論、お笑い系のバラエティ番組も好きなので観ているが、
おかしくて笑っても次の瞬間ため息を吐く自分がいる。どんどん
底無し沼のうつに堕ちていっている事を痛感する一時である。
閑話休題。今朝、6時頃には眠りに就けたと思う。薬を少し多め
に服用し、眠る前に毎日飲んでいるカルーアミルクをいつもより
多く飲んだ。就寝薬の組み合わせの所為か、「段々眠くなる」
と言うより、「突然意識が途絶える」と言う感じで眠りに入る。
でも眠っている時だけが何も考えずに済むので、唯一「楽だ」と
感じられる時間である。
起きて意識のある時は、嫌でも自分のあらゆる面と向き合わな
ければならない。常に「生きていてもいいのか」と自問自答を
繰り返す。私は重度のうつ病である為、死ぬ気力さえ無い。
ただ鬱々と自分の醜く卑しく汚い部分を嘆き、生と死との狭間で
悶悶としている。
けれども、熱いシャワーを浴びている時だけは逃れられる。
身体を綺麗に洗い流す事に精一杯であるから・・・。
今日はとても晴れていたけれど、風が冷たかった。空が晴れて
いても雨が降っていても、抑うつ状態にあると何も感じられず
視点の合わない死んだ魚のような目をした自分が其処にいる。
「また今日も苦しんで食べて苦しんで嘔吐しなければならない」
と思うとうんざりしてしまう。強迫行為なので最早逃れる術が
見つけられない。
うんざりしながらも時間が来ればスーパーへ食材を買いに行く。
その時家の植え込みを見ることが日課となった。小さな桃の木の
蕾が少しずつ大きくなってきているのである。赤みがかった
ピンク色をした可愛い蕾は、その花弁を開けるときに備え、
力を蓄えているように見える。そんな時、自然の大きな力を
感じる。大した手入れもしていなくて、肥料もやった事は無い。
だけど木は粛々と育っている。それを見るとふっと心が和らぎ
軽くなる。人工的なものばかりに囲まれた生活で、家の小さな
植え込みを見て季節の花々が咲いているのを感じると、思わず
笑みが零れてしまう。
この貴重な気持ちを大切にしながら、自然と大きく関わりのある
うつ病に対する気持ちも改めて考え直してみたいと思っている。
何しろ底無し沼のような病気なので、どこまで堕ちていくのか
想像するのも恐ろしい。けれどもこうして身体を休ませられる
環境を作ってくれている母に大いなる感謝の念を忘れず、
今はまだ母のナイトとして生きていくしか術はないと感じる。
無かった。土曜日は結局3回過食嘔吐をしてしまい、3回目は
今朝方までに及んだ。
『夜は必ず2度過食嘔吐しなければならない』
といった何とも阿保くさい脳の指令に逆らえないのである。
最早義務となってしまっている。無我夢中で食べ物を胃に
詰め込み、限界がきたらトイレへ向かう。こう綴っているだけで
本当にうんざりする事であるが、意志の力で止める事等到底無理
だと感じている。
最近、『寂しさ』を顕著に感じるようになった。
母は訪問介護の仕事をしている為、完璧な朝型生活である。逆に
私は完璧な夜型人間。2人暮らしの母と会話を交わす機会は、
日中次への仕事場へ向かうまで時間が余っている為、家に一旦
帰ってきた時と、夜に母が御飯を作っている時くらいである。
日常に私が他人と会話を交わす機会は全く無く、母と話す事
だけで外の様子を知る。大学時代の親友は遠く離れた地に住んで
いるので、毎日のメールでお互いの状態を知る。彼女も凄く
今の生活に苦しんでいるので、側に行ってお話が出来ない事を
とても悔しく感じる。そして寂しさは募っていくばかりである。
また、私はニュース番組ばかり観ている為、それに因って
社会情勢を知る。
ニュースでは、陰惨な事件やテロが毎日報道される。私はこの
日本でこれから生きていけるのかと、不安でならなくなる。
勿論、お笑い系のバラエティ番組も好きなので観ているが、
おかしくて笑っても次の瞬間ため息を吐く自分がいる。どんどん
底無し沼のうつに堕ちていっている事を痛感する一時である。
閑話休題。今朝、6時頃には眠りに就けたと思う。薬を少し多め
に服用し、眠る前に毎日飲んでいるカルーアミルクをいつもより
多く飲んだ。就寝薬の組み合わせの所為か、「段々眠くなる」
と言うより、「突然意識が途絶える」と言う感じで眠りに入る。
でも眠っている時だけが何も考えずに済むので、唯一「楽だ」と
感じられる時間である。
起きて意識のある時は、嫌でも自分のあらゆる面と向き合わな
ければならない。常に「生きていてもいいのか」と自問自答を
繰り返す。私は重度のうつ病である為、死ぬ気力さえ無い。
ただ鬱々と自分の醜く卑しく汚い部分を嘆き、生と死との狭間で
悶悶としている。
けれども、熱いシャワーを浴びている時だけは逃れられる。
身体を綺麗に洗い流す事に精一杯であるから・・・。
今日はとても晴れていたけれど、風が冷たかった。空が晴れて
いても雨が降っていても、抑うつ状態にあると何も感じられず
視点の合わない死んだ魚のような目をした自分が其処にいる。
「また今日も苦しんで食べて苦しんで嘔吐しなければならない」
と思うとうんざりしてしまう。強迫行為なので最早逃れる術が
見つけられない。
うんざりしながらも時間が来ればスーパーへ食材を買いに行く。
その時家の植え込みを見ることが日課となった。小さな桃の木の
蕾が少しずつ大きくなってきているのである。赤みがかった
ピンク色をした可愛い蕾は、その花弁を開けるときに備え、
力を蓄えているように見える。そんな時、自然の大きな力を
感じる。大した手入れもしていなくて、肥料もやった事は無い。
だけど木は粛々と育っている。それを見るとふっと心が和らぎ
軽くなる。人工的なものばかりに囲まれた生活で、家の小さな
植え込みを見て季節の花々が咲いているのを感じると、思わず
笑みが零れてしまう。
この貴重な気持ちを大切にしながら、自然と大きく関わりのある
うつ病に対する気持ちも改めて考え直してみたいと思っている。
何しろ底無し沼のような病気なので、どこまで堕ちていくのか
想像するのも恐ろしい。けれどもこうして身体を休ませられる
環境を作ってくれている母に大いなる感謝の念を忘れず、
今はまだ母のナイトとして生きていくしか術はないと感じる。
コメント
早く、一日でも早く過食嘔吐がなくなる日を願ってやみません。ウツへの対処。主治医へ土曜日病院の日だったので聞いてみたら最初とほとんど様子は変わってないよ?自分が変わろうとしないと回りからの刺激だけではどうしようもないことを告げられました。そうなんです。周りの刺激のみで生きていても自分でどうしたらいいのかわからないって自分に甘えてしまうだけなんですね。私はこんなにも傷ついているのに・・・と思うけれどじゃぁ他人が言った事に自分の意見をしっかりといえるだけの気力があるかといえば今は「ない」としか言えませんよね。それをすこしづつ補っていければ自分も変われるんじゃなかと思っています。長くなってごめんなさい。暗闇から何とかぬけだしたくて私が今考えている事を書きました。 紫音。
紫音さん、何時も私の体調を気遣ってくださり、本当にありがとうございます。何とか気力で保っていると感じですが、お薬によって眠れているので大丈夫ですよ。
私も紫音さんの体調が心配です。具合は如何でしょうか。
「うつへの対処法」・・・ゆっくり静養する事が一番大切とは分かっていますが、その動けなくて姪枠をかけているんじゃないかと言う事が苦痛なんですよね。
それに「自分を変える」という事は凄いパワーが必要ですよね。その為に元気を溜めなくてはなりませんね。
私は『甘える事』がいけない事とは思いませんよ。苦しい時、辛い時に誰も頼れないでいたらもう自分に甘えるしか術はないと思います。それもまた苦しみを生んでしまいますが・・・。
けれども、紫音さんが一生懸命鬱と言う暗闇から抜け出そうと頑張ってらっしゃる姿は素晴らしいと感じます。自分が変わっていく為に、また、自分の意見を言えるようになるまで力を蓄える事が必要ですね。ゆっくり休む、静養する自分を許せるようになるといいですね。