1日の内、鬱々としている時間の方が圧倒的に長く、自分では

もうどうしたらいいのか分からなくなる。

主治医曰く、「テンションが妙に上がった状態の方が恐い」
という事なので、抑うつ状態である方が良いのであろう。




でもこの鬱念は苦しい。まるで樹海を彷徨っているかのように

行く当ても無く方向感覚も狂い、一体何処へ向かえばいいのか

混乱する。




しかし私にはもう失うものなど何も無い。これから築いていく

ものばかりで、それに希望を繋いで思考を巡らせるしかないので

あろう。うつ病に罹った事により苦痛は増えたが、周囲の人々の

優しさが身に沁みるようになった。

勿論心無い人は抑うつ状態に陥っている人に対し、

『甘えてるだけだ』とか『怠け者』等と言うであろう。

しかしそれは知識が無いんだから仕方のない事として聞き流す

しかない。




うつ病の人は、動きたくても動けないのである。

やらねばならない事でも行動を起こそうとすると心身の具合が

悪くなる。1日中重い頭と身体を抱え、周囲の人々に申し訳ない

気持ちで一杯になる。私はまだやるべき最低限の事は出来ている

けれども、もっとうつ病が進行すると何も出来なくなるらしい。




私が未だ中途半端に動いたり沈み込んでいるだりしているのは、

摂食障害と深く関係している。『過食して嘔吐する』という

事は、物凄くエネルギーを消費する。どちらかといえば、

摂食障害の方が長く患っていて根深い所にその根源がある為、

容易にピタリと止める事は出来ないでいる。正直、




『食べ物は見たくもない』

『何も食べたくない』

『食欲もなく気分が悪い』





という心持ちでいる。だけど、心の奥底から突き動かされる様に

衝動的に食べ始め、それは吐くまで止まる事を知らない。



この、「食欲をコントロールしよう」



という事自体が間違っているのだと思う。本来、人間に備わって

いる根本的で必要な欲は無理してコントロールできるものでは

ないのであろう。私は中学生の時に体重を落とす為、食べる量を

制限し運動を続けた。それはエスカレートしてどんどん食べる

量を減らす事で更なる減量を試みた。それが成功してしまったが

為に、私の食欲をつかさどる中枢は狂ってしまったのであろう。




逆に、『うつ』は決して自分ではコントロールできるものでは

ない。幾らポジティヴになろうとしても悪魔のように暗くて重い

鬱陶しい気分が襲ってくる。幼い頃から物事を後ろ向きに捉える

事が多かったので、それをいきなり「前向きに生きろ」と叱咤

されても難しいものがある。




勿論出来るならそうしたいと思う。

【渡る世間に鬼はない】

とは言っても、今まで過ごしてきた25年の殆どが鬼に囲まれて

きたようなものであるから、俄かに信じられる諺ではない。

だから心の中は世の中の不信感で一杯なのである。




一旦その様な事を考え始めてしまうと、もう抑うつ状態からは

抜け出せない。そんな弱い自分を情けなく思う。幾ら仕様の無い

症状だと分かっていても、自分は自らを罵る事しかできない。




そういえば、うつ病がどんどん重篤さを増していく段階で外出が

難しくなり、姪にも随分長い間会っていない。5月に3歳になる

ので、どんどん口が達者になっているらしく、成長も著しい。

今まで子どもは苦手だったけれど、身内となると物凄く可愛く

愛おしく感じる。そして子ども特有の無邪気さに癒され、動く

力など無くても一緒に遊んであげたいと心の底から思う。

【能動的に甘える】という行為は子どもだからこそ

備わっている力で、その力こそ私に必要なものだと感じる。




勿論いい歳して「だっこ〜」だとか言えるわけが無い。

病人には、周りの人の「看病する力」を引き出すそうである。

苦しい時、母が背中を撫でてくれると安心するし、見守って

くれる事には本当に感謝している。




動けなくなる自分にとって一番大切な事は、


『感謝の念を忘れない』


ということであろう。鬱念で頭が一杯になり、抑うつ状態に陥る

と思考力も低下し、只管動かない身体を持て余してしまうだけに

なるが、「ありがとう」という言葉や思いは忘れず、心にいつも

持ち続けていたいものである。

コメント

紫音
かぐら
2006年3月16日13:01

体調どうですか?昨日私は久々に刃物を手にしてしまいました。しかし頭の中では「血が止まらなかったらどうしよう」なんて考えてるんですよね^^;矛盾もいいところ。さんざんきりつけた挙句残ったのは虚しさと悲しさと傷跡だけ・・・なぜ・・・なぜ・・・と泣きながらしばらく立ち上がることもできませんでした。なぜそういう行動にでたか。母から電話があったからだろうと思います。前回書いたように「そんな寝てばっかりで・・・」とぐずぐずいわれとても嫌な気分で電話を切りました。気づけばカッターを手にしてました。傷をみたらとても悲しい。辛い。だけどはけ口がないから辛い。自分にあたるしかない。

「ありがとう」

いつになればこの言葉言えるんだろう。ごめんねと言う代わりに今は無理してありがとうと発しているけれど無理せず言えるようになりたいね。
また愚痴っちゃった。            紫音より

まるこ
まるこ
2006年3月16日16:17

感謝の気持ちを持ち続ける事を忘れずにいれる。ということは、精神的にも安定した状態が続いているという事に繋がる気がしますね。私も本当に色々な人やモノに感謝したい気持ちです

ナノさん最近思うのですが、ナノさんは苦しいコンディションながら、本当に色々な事が具体的に考えられるようになられたようにお見受けするのですが・・これも鬱克服の一歩かもしれませんね^^ナノさんが日記にお書きになる言葉の一つ一つを、なるほど〜と感心しながら拝読しています。本当に色々「気付き」を下さってありがとうございます。同志としてタッグを組んで、これからもゆっくりと進んで行けたら良いですね^^

ナノ
ナノ
2006年3月16日19:43

☆☆紫音さんへ☆☆

紫音さん、傷の具合は如何でしょうか・・・。酷いようでしたら病院に行ってみてくださいね。

やはり親の理解が得られないととても辛いですよね。好きで寝ている訳ではなく、動けないほど苦しんでいるのにね。

私も以前家族の誰からも病気の事を責められていた時の捌け口はリストカットでした。やるせない気持ちは外に向かわず、「自分が駄目なんだ」と罰する意味で切っていました。
その後残る傷跡を見ると本当に悲しいですね。

無理して「ありがとう」を心がけなくていいかもしれませんね。辛い時は辛い!しんどい!苦しい!と何処か悲鳴をあげられる場所ができるといいですね・・・。

★★まるこさんへ★★

まるこさん、温かい言葉を何時もありがとうございます。

そうですね。感謝の気持ちを抱くのは抑うつ状態の最中にあると中々難しいのですが、小さい事から感謝の念を抱くように努力しています。

私の場合、カウンセリングや診察などで『今、自分はどのような状態に居てどんな思いをしているか』と客観的に自分を見つめ、それを先生方に話すようにしています。なので心を真正面から向かい合って見つめ、その心持ちを記しています。
私もまるこさんの日記を拝読すると、プラス思考への道程を気付かされたり、苦しい中も1日を楽しむ術を教えられたりしていますよ。こちらこそありがとうございます^^
本当、タッグを組んで明日へとぼちぼち歩んでいきましょうね。