今日は夕方から頑張って「今日は病院で診察を受けよう」と

思っていた。

しかし何時もの如く昼過ぎに目が覚めた私の身体は重くて、

とてもじゃないけど外出できる状態ではなかった。




けれども過食衝動は無く、重い身体を座椅子に預けてぐったりと

していた。そして夕刻、病院に電話をかけて診察となった。




今の私の状態は抑うつ状態に間違いないが、もっともっと堕ちて

うつ病で最も重い『混迷』状態にならないと、治癒へ

向かうのは難しいと告げられた。今でも凄くしんどいのに、

もっと身体が動かなくなり、人に呼びかけられても返事すら

出来ない所までいかなければならないらしい。




しかし、それを邪魔するのが摂食障害の症状である。身体は重く

動くのも辛いのに、【沢山食べ物を詰め込んで嘔吐する】という

活動状態に入る事が、【うつの自然治癒力】の邪魔をしている

のである。3月に入ってから間もなく、何処から来るか解らない

苛立ちや焦燥感が顕著に現れ始めた。そうなると「沢山食べて

吐いてしまいたい」という気持ちに駆られ、それを我慢するのに

必死になっている。




3月4月は『木の芽時』だからという理由だけでなく、社会では

激しく変動する。卒業や入学、社会に出て働き始める人々・・・。

周囲は先へ先へと動いていくのに、私はそれについて行けず

只管家で病気の身体、重い身体でうずくまっているだけ・・・。

多くの人々が明日に向かって精力的に動いていく中で、私は

心の時計が止まったかのように取り残されている感が否めない。

25歳と言えば仕事に恋愛に遊びにと一番人生を謳歌できる時期

であると思う。でも、周りの人々が普通にやりこなせている事

さえ私にはその内の1つ2つを必死にやるだけで精一杯である。




特に最近はスーパーへ行く為外に出るのも苦しい。

自分はどれだけ弱いのだと自らを罵る。しかし主治医の言葉で

癒され、「今は仕方の無い事」だと言い聞かせる。けれども、

「まだまだあと2〜3歩はうつに向かって堕ちなければ

ならないね」という言葉を聞くと、これ以上辛くなるのかと

正直うんざりしてしまう。逃げ道はなく、これは自然の摂理と

言える抑うつ状態なので甘んじて受け止めるしか

術はない。




私は、妹が産まれ弟が産まれてからは親にも誰にも「自然に

甘える」と言う事は出来なくなっていった。能動的に甘えると

相手は受け止め、その素直な甘えに応える力を引き出す。




心細くて悲しくて甘えたいと思っていた時、そんな大人は側に

居なかった。寧ろ、そんな風に不安になったり悲しくなったり

している私を「「情けない」と責めてくる教師を含め大人ばかり

であった。長女であるが故、【しっかり】とする事ばかりを

求められ、私は大人が言う事は絶対だと思っていたので、それに

応えていた。その内神経性胃炎等心身症を子どもながらに発症

する羽目に陥ったのであるが・・・。その胃痛・腹痛でのたうち

回っていても、父は鼻で笑っていたし、教師は「情けない奴の

代表だ」とクラスメイト全員に言い放った。

これらは全て主治医に伝えてあるが、「そういう星の元にうまれ

てしまったんだね」「普通なら何処かにその苦しみを受け止めて

くれる大人が少なからず存在する筈なのに、本当低確率で不幸な

星の元に生まれてきたとしか言い様が無いね」と言った。




私は別に不幸だとは思っていないし、自分を悲劇のヒロインに

なぞらえるつもりも無いが、子どもには抱えきれない苦しみや

辛さを味わった事だけは確かな真実である。そしてその心因反応

が無視されて、結局摂食障害の発病に至り、うつ病に罹って

しまったのであろうと感じる。




要するに、『普通に与えられるべき愛情を受けずに育った』




と言う事らしい。其処で主治医は、「能動的に甘えて良いし所謂

普通の愛を与えられる1号は僕でありたいと思っている」とも

言ってくれた。特別な恋愛感情だとか、そんなものではない。

至って世の中に普通にある愛情・愛を普通に与えると仰って

くれているのである。人間らしく生きていく為に。




そんなフレキシブルな主治医を私は尊敬する。病院まで行けない

私を電話という手段で1時間或いは1時間半に渡ってお話を

して下さるから・・・。




治癒へ向かうのは本当にずっと先であろう。取り敢えずこの

摂食障害の症状が落ち着かない限り、鬱へズドンと堕ちて

『混迷状態』にならないとどうしようもない。




それらは、全て自然の力だと痛感する。例えば風邪にしても、

風邪そのものを治すのは薬でなく、その人の自然治癒力である。

理詰めて考えると少し思考が絡まってしまうが、兎に角余計な

事を考えず、治療に専念すれば寛解へ迎えると言う事であろう。




その為にはゆっくり休養し、無理をしない事が大切なのだと

深く深く心に刻み込んだ1日であった。

コメント

紫音
かぐら
2006年3月15日11:21

自然治癒力。私にはあるのかな〜外傷にたいしは治っているけれど内面の自然治癒力は幾分かけているのだろう。もうこのまま死んでしまいたい。そんな衝動にかられる。今までお世話になった人数え切れないほどいるがそんな方々への感謝はあるが今の自分にはそれすらも重い。ほっといてよ!!!叫びだしたいくらい。ゆっくりと休むことさえもできない状態。親はともすれば一日おきくらいに電話してくる。「寝てたの?寝てばかりじゃだめじゃない」・・・うるさいよ。何も分ってない。そうかんじたよ。ゆっくりじっくりきちんと病気を治したいのに邪魔ばかりする。
あぁごめんなさい愚痴ばっかになっちゃったね。
私も早いとこゆっくりして治さなきゃ話になんないな。
ごめんねここまで読んでもらって。。。    紫音より

ナノ
ナノ
2006年3月15日20:45

☆☆紫音さんへ☆☆

紫音さん、ツライ中コメントを残してくださり本当にありがとうございます。

とても苦しい状況の中に紫音さんがいらっしゃる事が文面から感じ取れます。本当、生きるということは難しいですね・・・。

確かに1人になりたい時おせっかいを焼かれたり指図されたりすると、それに素直に従えなくて放っておいてほしいと思ってしまいますね。しかも寝ている時間だけが安らげるのに、心配してくれているとは分かっていても、寝てばかりじゃ駄目と言われると辛くなりますね。

きっと焦っても中々治るものではないと思うので、紫音さんのペースでぼちぼち歩いていけるといいですね。私はいつでも此処にいますから、どんどん愚痴っちゃってくださいね^^