今朝服用した就薬は少し多めにしておいた。午前中に目覚めると
やはり過食衝動が襲ってきてどうしても我慢できなくなるから
である。
春を迎えるにつれてどんどん情緒不安定になってきている自分を
感じる。つい最近までは日中に酷い過食衝動など無かったので
あるが、薬効が残っていてぼんやりした頭でも、何故だか過食
したくて仕方なくなる。今日も自分を抑えるのに必死だった。
1日3度過食嘔吐してしまうと、どうしても体の浮腫みが酷く
なり、下腹もぽっこりと出てしまい、体調も崩す。何よりその
浮腫んだ身体を見るとどんどん太っていくような気がして
えも言われぬ恐怖を感じる。
『沢山食べたい』と思った時、
取り敢えず一呼吸置いて『何故食べたいのか』と考える。
どう思い巡らせても、答えなどは無い・・・。その内唯唯苛立ちが
募ってきてもう食べ始めてしまう。最早
意志の問題ではない
と痛感する。
今日はどうにか日中の過食衝動から逃れる事が出来た。それは
少し強いお薬の薬効が残っていた為、転た寝をして危険な時間を
通り過ぎ、シャワーを浴びる時間になっていたからである。
重い身体を起こしシャワーさえ浴びれば、過食嘔吐する気は
どうにか失せて行ってくれる。
無理して「食べたい」という気持ちを我慢してしまうと、後から
爆発したように過食嘔吐が始まってしまう。最近のこの傾向は、
やはり情緒不安定がかなり深く関わっていると感じる。特に
季節の変わり目は酷い。
今日スーパーで過食食材の買い物の途中、こんな阿保くさい事を
している自分に嫌悪感が増し、この身体を滅茶苦茶に壊して
しまいたくなった。しかし『もう自傷はしない』とカウンセラー
と約束をした為、これだけは守りたいと思っている。
スーパーでは最近ちゃんと叱れない親が、叫び走り回り
泣き喚いて暴れる子どもを放置している所を頻繁に見かける。
私の姪に関しては、大いに店内で走り回りはしゃぐ事も多いが、
妹はかなりきつく叱るし、どうして店内で暴れたら駄目なのかを
諭す。私も同じくそうしている。叱れない親は暴れ奇声を放つ
子どもを放置してやりたい放題やらせている。
特にショッピングカートのカゴと食べ物を乗せる所に平気で
子どもを土足で座らせている親もよく見かける。静々と何か
マナーや叱る事、躾を履き違えている親が多くなってきている事
を感じる。その様な子どもが大人になった時、一体どういう社会
になるのであろうかと懸念する。
訳も分からぬ苛立ちは、容赦ない。悪の根源は私であり、私さえ
いなければみんな幸せに過ごせると確信している。最低限の家事
しか出来ない自分は役立たずで有害なだけの存在・・・。
それは常々自分で悟っている事であり、覆せない事実である。
ただ私に出来る事は、私を助けてくれる人達に感謝の念を抱き
きちんと「ありがとう」と言葉で示す事だけである。
本当なら、「ごめんね」「ごめんなさい」「本当に申し訳ない」
という気持ちで一杯であるが、主治医に因ればそれを
「“ありがとう”という言葉に変えた方が良い」
と仰るのでアドバイス通りに実践している。
しかし本当に申し訳ない気持ちで一杯なので『ありがとう』と
いう言葉は弱々しくなる。
今日は日中の過食嘔吐が無かったという事だけが救いである。
やはり過食と嘔吐をしてしまうと罪悪感が強く、自分を責めたり
憎んだりする気持ちが大きくなってしまう。
1日2度の過食嘔吐を1度にするのはかなり困難である。
しかし3度するよりは体へのダメージはほんの少しであるが
少ない気がする。
出来る事なら、『1日1度も過食と嘔吐をしなかった』という
日を迎えたい。けれども今はこの症状はただ痩せている身体を
保ったり、もっと痩せたいと思ってやったりしている部分は
少なく感じる。ただ心に開いた穴を塞ぎたくて食べ物を詰め
込み、吐くまで止められない状態なのである。
私が思考を巡らせるべき事は、
『この心にどうして穴が開いたままなのか、それをどうして
食べ物で塞ごうとするのか』
と言うことであろう。
明日は診察日なので出来たらちゃんと起きて夕方には診察室で
主治医と対面してその部分を深めて話したい。それが無理ならば
電話でお話しようと思っている。
『摂食障害とうつ病』
そしてその他の心の病・・・。
拗れてしまった心を解し、縺れた糸を解ける時は一体いつに
なるのか、全く見当も付かない上暗闇の中で踠いているしか
今の私には出来ない・・・。
こんな私でも優しく接してくれる母、心配してくれる周囲の方々
にだけは本当に感謝の念を忘れずにいたい。
やはり過食衝動が襲ってきてどうしても我慢できなくなるから
である。
春を迎えるにつれてどんどん情緒不安定になってきている自分を
感じる。つい最近までは日中に酷い過食衝動など無かったので
あるが、薬効が残っていてぼんやりした頭でも、何故だか過食
したくて仕方なくなる。今日も自分を抑えるのに必死だった。
1日3度過食嘔吐してしまうと、どうしても体の浮腫みが酷く
なり、下腹もぽっこりと出てしまい、体調も崩す。何よりその
浮腫んだ身体を見るとどんどん太っていくような気がして
えも言われぬ恐怖を感じる。
『沢山食べたい』と思った時、
取り敢えず一呼吸置いて『何故食べたいのか』と考える。
どう思い巡らせても、答えなどは無い・・・。その内唯唯苛立ちが
募ってきてもう食べ始めてしまう。最早
意志の問題ではない
と痛感する。
今日はどうにか日中の過食衝動から逃れる事が出来た。それは
少し強いお薬の薬効が残っていた為、転た寝をして危険な時間を
通り過ぎ、シャワーを浴びる時間になっていたからである。
重い身体を起こしシャワーさえ浴びれば、過食嘔吐する気は
どうにか失せて行ってくれる。
無理して「食べたい」という気持ちを我慢してしまうと、後から
爆発したように過食嘔吐が始まってしまう。最近のこの傾向は、
やはり情緒不安定がかなり深く関わっていると感じる。特に
季節の変わり目は酷い。
今日スーパーで過食食材の買い物の途中、こんな阿保くさい事を
している自分に嫌悪感が増し、この身体を滅茶苦茶に壊して
しまいたくなった。しかし『もう自傷はしない』とカウンセラー
と約束をした為、これだけは守りたいと思っている。
スーパーでは最近ちゃんと叱れない親が、叫び走り回り
泣き喚いて暴れる子どもを放置している所を頻繁に見かける。
私の姪に関しては、大いに店内で走り回りはしゃぐ事も多いが、
妹はかなりきつく叱るし、どうして店内で暴れたら駄目なのかを
諭す。私も同じくそうしている。叱れない親は暴れ奇声を放つ
子どもを放置してやりたい放題やらせている。
特にショッピングカートのカゴと食べ物を乗せる所に平気で
子どもを土足で座らせている親もよく見かける。静々と何か
マナーや叱る事、躾を履き違えている親が多くなってきている事
を感じる。その様な子どもが大人になった時、一体どういう社会
になるのであろうかと懸念する。
訳も分からぬ苛立ちは、容赦ない。悪の根源は私であり、私さえ
いなければみんな幸せに過ごせると確信している。最低限の家事
しか出来ない自分は役立たずで有害なだけの存在・・・。
それは常々自分で悟っている事であり、覆せない事実である。
ただ私に出来る事は、私を助けてくれる人達に感謝の念を抱き
きちんと「ありがとう」と言葉で示す事だけである。
本当なら、「ごめんね」「ごめんなさい」「本当に申し訳ない」
という気持ちで一杯であるが、主治医に因ればそれを
「“ありがとう”という言葉に変えた方が良い」
と仰るのでアドバイス通りに実践している。
しかし本当に申し訳ない気持ちで一杯なので『ありがとう』と
いう言葉は弱々しくなる。
今日は日中の過食嘔吐が無かったという事だけが救いである。
やはり過食と嘔吐をしてしまうと罪悪感が強く、自分を責めたり
憎んだりする気持ちが大きくなってしまう。
1日2度の過食嘔吐を1度にするのはかなり困難である。
しかし3度するよりは体へのダメージはほんの少しであるが
少ない気がする。
出来る事なら、『1日1度も過食と嘔吐をしなかった』という
日を迎えたい。けれども今はこの症状はただ痩せている身体を
保ったり、もっと痩せたいと思ってやったりしている部分は
少なく感じる。ただ心に開いた穴を塞ぎたくて食べ物を詰め
込み、吐くまで止められない状態なのである。
私が思考を巡らせるべき事は、
『この心にどうして穴が開いたままなのか、それをどうして
食べ物で塞ごうとするのか』
と言うことであろう。
明日は診察日なので出来たらちゃんと起きて夕方には診察室で
主治医と対面してその部分を深めて話したい。それが無理ならば
電話でお話しようと思っている。
『摂食障害とうつ病』
そしてその他の心の病・・・。
拗れてしまった心を解し、縺れた糸を解ける時は一体いつに
なるのか、全く見当も付かない上暗闇の中で踠いているしか
今の私には出来ない・・・。
こんな私でも優しく接してくれる母、心配してくれる周囲の方々
にだけは本当に感謝の念を忘れずにいたい。
コメント
私も家事やってません。洗濯掃除くらいは気分がいいときにはやってますけど、料理となるとさっぱり・・・前はちゃんとやってたのになぜできないんだというジレンマ。彼が帰りに電話して「何か買ってこよーかー?」といってくれるのはありがたいのだがそれが情けなさにかわって私は涙を流す。
いつになれば「はいこれ今晩のご飯よ」と食卓に並べられるのだろう。そしていつ「いままでありがとう」といえるのだろう。それまでは何とか生きていかなきゃね・・・ 紫音より
紫音さん、いつも心配してくれてありがとうございます。とても嬉しいです。
気力が落ちているときは、幾ら頑張ろうとしても中々難しいですよね。前はできていた事ができなくなる事、悲しいと思います。でも、それは治癒へ向かう為仕方の無い事だと割り切るしかないのかもしれませんね・・・。でも紫音さんの彼が御飯を買ってきてくれるとの事、優しい方なのですね^^ でも申し訳ないと思わず、今はそれに甘えていいのだと思いますよ。確かに涙が出てしまうほど悲しいですよね・・・。
いつか、「晩御飯どうぞ」と笑顔で食卓に並べる日を目標にゆっくりとやっていけるといいなと思います。「おいしいね」って言われたらとても嬉しいですよね。
焦らずお過ごしくださいね。生きていくだけでも凄く苦しい事もあると思いますが、本当ゆったりした時間が持てるといいですね。