此処の所、熟睡できる日が少なくなってきた。
睡眠時間も短くなり、何処からともなく自分に対する苛立ちが
湧いてくる。苛々し始めると食べ物が気になってしまい、意志の
弱い私は流されるままに、今日もまた日中に過食嘔吐をして
しまった。
心の不調は切実に身体へ影響を及ぼす。私の場合は、お腹が
下り頻繁にトイレと部屋の往復を繰り返すというものである。
脱水を起こさない様水分を補給するが、腹痛は辛い。
つくづく健康のありがたみを身に沁みて感じる。
この頃スーパーへ行くのさえ苦しくなってきた。頭では
「もう食べたくない、食べ物も見たくない」
と強く思っても、過食を始めてしまった時食べ物が無いと困る
ので、半ば強迫的にスーパーへ行くのである。
毎日毎日同じ半額惣菜をカゴに入れ、その月によって値下げ
されている食品や見切り品の野菜も探し出す。偶に調理しなくて
良いコンビニの食品やお菓子、お弁当やジャンクフードを食べて
みたいと思うが、金額的にそれらには手を出せない。
拒食状態でも、カロリーの低い野菜や海草をサラダにして食べ
られる事はあった。カロリーが低いので、それで過食しなくて
済んでいた。しかし今は、例えカロリーが殆どない食べ物だと
分かっていても、胃の中に何かが入っていると思うだけで不快感
を覚え、過食嘔吐へと移行してしまう。
・・・許せるのは飲み物か流動物だけ・・・。
それなら過食などしないで済む。今は豆乳や牛乳、コーヒーや
ミルクティー、キノコのポタージュスープ(カロリーが比較的
低いという理由から。)、お酒なら嘔吐しないで済む。
最早
「太るのが恐い」
のではなく
「胃の中に何かがあるという状態が恐い」
のだなと痛感している。
勿論、太る事は絶対に受け容れられない事由である。痩せている
という事だけが自分である証のようになってしまっている為に。
太っていた時、
『痩せたら何もかもうまくいく』
と思っていた。ダイエットを必死に頑張っている時は酷く
ストイックに過ごし、やっと痩せた体を手に入れた。体重が
10kg以上減った事が凄く嬉しかった事を覚えている。
けれども、何も変わりはしなかった。寧ろリバウンドの恐怖や
食べ物を食べ始めたら止まらないのではないかという不安で
いっぱいになり、心の歯車が静々と狂い始めた。
そうして摂食障害を発症した。14歳の頃である。
最初の内は、食べて吐く事に「自分は狂っているのでは」と
1人悩み、また家族からはその行為を責められた。何となく直感
で「これは精神科の領域の病気なのかも知れない」と自分で
気付いた。そして摂食障害は年数を積み重ねる毎に重篤さを
増していったのである。
摂食障害の症状だけが出ていた時は、どうにか活発に動き、
高校も大学も無事卒業した。その間も沢山苦しい事があった
けれど、必死に勉強をして努力を怠らなかった。しかし皮肉な
事に、その努力や頑張りすぎた事が、うつ病を発症した理由と
考えられる。
過食嘔吐を1日の間で頻繁に繰り返していた時期、自分の体の
不調など無視をしていた。しかしうつ病となり自分自身と
向き合う時間が増えてからは、心の状態が不安定であると身体が
敏感に反応してお腹が下ったり熱が出たりと動けない状態に
なる。
きっと、『うつ』はこれ以上無理を重ねて心身が破綻しないよう
にとストップをかける作用もあるのかもしれない。
しかしその事で随分家族や周りの大切な人達に迷惑をかけて
しまう。
体が動かないのは致し方ないが、物凄く申し訳なくて、この軟弱
な身体を呪いたくなる。
ただ、母や周囲の人達はこの状態を理解しようと努めてくれて、
叱咤したり責めたりすることは無く優しく接してくれ、そして
心配までしてくれる。これは凄く救われた気持ちになる。
無論、私の頭の中は申し訳ない気持ちでいっぱいである。
どうして大切な時に身体が思うように動かないのか腹も立つ。
しかし、いつかこんな駄目人間の私の事を慮ってくれて、優しく
接してくださる人達に、元気になって感謝の意を伝えられる
ようになりたいと思う。
今はまだ沈鬱とした暗闇の中で踠いているだけであるし、
このあらゆる病気が一体いつになったら寛解するのかも解らない
でいる。でも焦らず治療に専念して笑顔を以って
「ありがとう」と言える日を
迎えたいと願っている。
睡眠時間も短くなり、何処からともなく自分に対する苛立ちが
湧いてくる。苛々し始めると食べ物が気になってしまい、意志の
弱い私は流されるままに、今日もまた日中に過食嘔吐をして
しまった。
心の不調は切実に身体へ影響を及ぼす。私の場合は、お腹が
下り頻繁にトイレと部屋の往復を繰り返すというものである。
脱水を起こさない様水分を補給するが、腹痛は辛い。
つくづく健康のありがたみを身に沁みて感じる。
この頃スーパーへ行くのさえ苦しくなってきた。頭では
「もう食べたくない、食べ物も見たくない」
と強く思っても、過食を始めてしまった時食べ物が無いと困る
ので、半ば強迫的にスーパーへ行くのである。
毎日毎日同じ半額惣菜をカゴに入れ、その月によって値下げ
されている食品や見切り品の野菜も探し出す。偶に調理しなくて
良いコンビニの食品やお菓子、お弁当やジャンクフードを食べて
みたいと思うが、金額的にそれらには手を出せない。
拒食状態でも、カロリーの低い野菜や海草をサラダにして食べ
られる事はあった。カロリーが低いので、それで過食しなくて
済んでいた。しかし今は、例えカロリーが殆どない食べ物だと
分かっていても、胃の中に何かが入っていると思うだけで不快感
を覚え、過食嘔吐へと移行してしまう。
・・・許せるのは飲み物か流動物だけ・・・。
それなら過食などしないで済む。今は豆乳や牛乳、コーヒーや
ミルクティー、キノコのポタージュスープ(カロリーが比較的
低いという理由から。)、お酒なら嘔吐しないで済む。
最早
「太るのが恐い」
のではなく
「胃の中に何かがあるという状態が恐い」
のだなと痛感している。
勿論、太る事は絶対に受け容れられない事由である。痩せている
という事だけが自分である証のようになってしまっている為に。
太っていた時、
『痩せたら何もかもうまくいく』
と思っていた。ダイエットを必死に頑張っている時は酷く
ストイックに過ごし、やっと痩せた体を手に入れた。体重が
10kg以上減った事が凄く嬉しかった事を覚えている。
けれども、何も変わりはしなかった。寧ろリバウンドの恐怖や
食べ物を食べ始めたら止まらないのではないかという不安で
いっぱいになり、心の歯車が静々と狂い始めた。
そうして摂食障害を発症した。14歳の頃である。
最初の内は、食べて吐く事に「自分は狂っているのでは」と
1人悩み、また家族からはその行為を責められた。何となく直感
で「これは精神科の領域の病気なのかも知れない」と自分で
気付いた。そして摂食障害は年数を積み重ねる毎に重篤さを
増していったのである。
摂食障害の症状だけが出ていた時は、どうにか活発に動き、
高校も大学も無事卒業した。その間も沢山苦しい事があった
けれど、必死に勉強をして努力を怠らなかった。しかし皮肉な
事に、その努力や頑張りすぎた事が、うつ病を発症した理由と
考えられる。
過食嘔吐を1日の間で頻繁に繰り返していた時期、自分の体の
不調など無視をしていた。しかしうつ病となり自分自身と
向き合う時間が増えてからは、心の状態が不安定であると身体が
敏感に反応してお腹が下ったり熱が出たりと動けない状態に
なる。
きっと、『うつ』はこれ以上無理を重ねて心身が破綻しないよう
にとストップをかける作用もあるのかもしれない。
しかしその事で随分家族や周りの大切な人達に迷惑をかけて
しまう。
体が動かないのは致し方ないが、物凄く申し訳なくて、この軟弱
な身体を呪いたくなる。
ただ、母や周囲の人達はこの状態を理解しようと努めてくれて、
叱咤したり責めたりすることは無く優しく接してくれ、そして
心配までしてくれる。これは凄く救われた気持ちになる。
無論、私の頭の中は申し訳ない気持ちでいっぱいである。
どうして大切な時に身体が思うように動かないのか腹も立つ。
しかし、いつかこんな駄目人間の私の事を慮ってくれて、優しく
接してくださる人達に、元気になって感謝の意を伝えられる
ようになりたいと思う。
今はまだ沈鬱とした暗闇の中で踠いているだけであるし、
このあらゆる病気が一体いつになったら寛解するのかも解らない
でいる。でも焦らず治療に専念して笑顔を以って
「ありがとう」と言える日を
迎えたいと願っている。
コメント
紫音より
紫音さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
辛い思いをなさった事、本当に悲しく思います。
いつか絶対笑って「ありがとう」って言える日が来るといいですね。確かに闇に飲み込まれることもあると思いますが、それが過ぎ去るまでどうにかマイペースで耐えられるといいですね^^
★★まるこさんへ★★
まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
「ありがとう」は本物の心が含まれているからこそ素敵な言葉になるんですよね^^
周囲の人達に感謝の念を忘れずにいようと常々気をつけています。しかし病気の症状が出ると周囲の事に気を配れなくなり、1人落ち込んでしまうんですけどね・・・^^;
本当に感謝の念を常に持っている事は自分の心も荒む事も少なくなると感じます。そして「無理な作り笑い」でなく心から笑顔を取り戻せる日が着たら良いなと思います。