じっとしている事が苦痛である。本当はゆっくり休養を取るべき
所であるが、頭の中は「〜しなければならない」という思いで
一杯である。しかし身体は動かず、最低限の家事とシャワーを
浴びる事、ミネラルウォーターを飲む為にキッチンまで氷を
何度も継ぎ足しに行くという行為だけで疲れてしまう。
それでも何かやらねばならない事を忘れているような気がして
じっとしていられない。
特に起床してからシャワーを浴びるまでの時間、過食の衝動に
駆られるのである。でも過食嘔吐をしたらぐったり疲れるし、
凄く後悔するから我慢に我慢を重ねる。そしてシャワーを浴びる
時間になったら漸くそれから逃れられる。身体を綺麗にして
柔軟剤の良い香りがする洗濯したばかりの服を身に着けると、
もう過食しようという思いにならない。
カウンセリングと診察に病院へ行けなかった火曜日と、電話診察
のある土曜日は必ず昼間から過食嘔吐をしている。
原因は眠る前いつも通りの量お薬を飲まず、朝から起きられる
ように全種類減らして服用するからであろうと思う。
肝心のカウンセリングと診察の日に過食嘔吐の症状が酷く出る
なんて本当に本末転倒だし、皮肉なお話である。
自分の意志の弱さに物凄く腹が立つ。
最早意志の弱さではないと分かっていても、自分の至らなさが
とても身に沁みる。情けない。そして自業自得。
火曜日と土曜日以外は日中拒食で過ごす。何かを食べるより
断然楽である。そして過食嘔吐を我慢できたという何かおかしな
達成感がある。
本当は夜も拒食で通したい。
どうして昼間は食べずにいられるのに、夜になったらその抑制が
外れてしまうのであろう・・・。やはり生活が夜型となっている事が
原因なのかもしれない・・・。けれども、午前中起きてしまって
只管過食を我慢して過ごすより、朝方に就薬を服用して昼に
起きる方が気が楽である。そしてなるべく夜も過食に走らない様
何か口にすることを先延ばしにしている。何れにせよ、物凄く
疲弊するのである。
毎日毎日過食嘔吐。昼間は抑うつ状態の上に焦燥感、苛立ち。
身体は動かないのに頭や心の中では様々な思考が渦巻いている。
自分を責め苛み、罵る言葉は簡単に浮かべど、大切な人達の為に
頭を働かせる余裕が無い。
こうして鬱によって身体が動かないと、外に出るのも億劫で
もう何ヶ月も姪と会っていない。母や弟は妹の住んでいる所へ
行き、月に何度も会っているみたいである。自分が悪い事は
承知しているが、疎外感を覚えてしまう。
「もう、皆で楽しくやっていけばいいよ」
と感じざるを得ない。私さえ居なければ、経済的な負担も減るし
こんな暗くて穢れた病人が居なくなれば、家族皆で楽しく
過ごせるだろうにと思う。
家族を失うという事は、大きな傷となるというのも判る。しかし
姪はまだ2歳。人間の記憶は3歳くらいから憶えていると言う。
その前に私という存在が消えてしまえれば、姪が傷付く事は
確率として低いであろうと思う。そして私が居なくなる事により
経済的負担がぐんと軽くなる。もっと余裕のある生活を送れる
であろう。
こんな、いつ治るか全く見当も付かない病気。
どうしても過食前提でないと固形の食べ物は口に出来ない状態。
太るという事は決して許せない。まだまだ太っている様な気が
してもっともっと痩せなければならないと思っている。
と、このような思いを延々と考える1日が毎日続く。
私が出来る努力は、『生きる』事だけ。
もうこれだけで必死である。小さな喜びも幸せも目に入らず
只管自分は馬鹿だ阿保だと罵る日々。
1日で良いから食べ物に惑わされない
時間を過ごしてみたい。
所であるが、頭の中は「〜しなければならない」という思いで
一杯である。しかし身体は動かず、最低限の家事とシャワーを
浴びる事、ミネラルウォーターを飲む為にキッチンまで氷を
何度も継ぎ足しに行くという行為だけで疲れてしまう。
それでも何かやらねばならない事を忘れているような気がして
じっとしていられない。
特に起床してからシャワーを浴びるまでの時間、過食の衝動に
駆られるのである。でも過食嘔吐をしたらぐったり疲れるし、
凄く後悔するから我慢に我慢を重ねる。そしてシャワーを浴びる
時間になったら漸くそれから逃れられる。身体を綺麗にして
柔軟剤の良い香りがする洗濯したばかりの服を身に着けると、
もう過食しようという思いにならない。
カウンセリングと診察に病院へ行けなかった火曜日と、電話診察
のある土曜日は必ず昼間から過食嘔吐をしている。
原因は眠る前いつも通りの量お薬を飲まず、朝から起きられる
ように全種類減らして服用するからであろうと思う。
肝心のカウンセリングと診察の日に過食嘔吐の症状が酷く出る
なんて本当に本末転倒だし、皮肉なお話である。
自分の意志の弱さに物凄く腹が立つ。
最早意志の弱さではないと分かっていても、自分の至らなさが
とても身に沁みる。情けない。そして自業自得。
火曜日と土曜日以外は日中拒食で過ごす。何かを食べるより
断然楽である。そして過食嘔吐を我慢できたという何かおかしな
達成感がある。
本当は夜も拒食で通したい。
どうして昼間は食べずにいられるのに、夜になったらその抑制が
外れてしまうのであろう・・・。やはり生活が夜型となっている事が
原因なのかもしれない・・・。けれども、午前中起きてしまって
只管過食を我慢して過ごすより、朝方に就薬を服用して昼に
起きる方が気が楽である。そしてなるべく夜も過食に走らない様
何か口にすることを先延ばしにしている。何れにせよ、物凄く
疲弊するのである。
毎日毎日過食嘔吐。昼間は抑うつ状態の上に焦燥感、苛立ち。
身体は動かないのに頭や心の中では様々な思考が渦巻いている。
自分を責め苛み、罵る言葉は簡単に浮かべど、大切な人達の為に
頭を働かせる余裕が無い。
こうして鬱によって身体が動かないと、外に出るのも億劫で
もう何ヶ月も姪と会っていない。母や弟は妹の住んでいる所へ
行き、月に何度も会っているみたいである。自分が悪い事は
承知しているが、疎外感を覚えてしまう。
「もう、皆で楽しくやっていけばいいよ」
と感じざるを得ない。私さえ居なければ、経済的な負担も減るし
こんな暗くて穢れた病人が居なくなれば、家族皆で楽しく
過ごせるだろうにと思う。
家族を失うという事は、大きな傷となるというのも判る。しかし
姪はまだ2歳。人間の記憶は3歳くらいから憶えていると言う。
その前に私という存在が消えてしまえれば、姪が傷付く事は
確率として低いであろうと思う。そして私が居なくなる事により
経済的負担がぐんと軽くなる。もっと余裕のある生活を送れる
であろう。
こんな、いつ治るか全く見当も付かない病気。
どうしても過食前提でないと固形の食べ物は口に出来ない状態。
太るという事は決して許せない。まだまだ太っている様な気が
してもっともっと痩せなければならないと思っている。
と、このような思いを延々と考える1日が毎日続く。
私が出来る努力は、『生きる』事だけ。
もうこれだけで必死である。小さな喜びも幸せも目に入らず
只管自分は馬鹿だ阿保だと罵る日々。
1日で良いから食べ物に惑わされない
時間を過ごしてみたい。
コメント
ナノさんはまさに「生きる」事を懸命に努力なさっておいでじゃないですか^^そんなナノさんを誰も責めたりしません。私も同様なんですが、むしろ誰に責められる訳でなく、自分自身が自分を責めているに過ぎないような気がするんです。ナノさん・・お互いに自分自身を責める事なく、出来れば受け止めて生きたいですね^^
本当に私達は同志ですね^^それはとても大切な事だと思います。「3人寄れば文殊の知恵」とも、「1本の矢では折れても3本束ねれば折れない」ともいいますものね^^支え合って励まし合って、苦しみ合って泣き合って、笑い合って喜び合いながら・・一緒に前に進んで行きましょうね^^
まるこさん、温かいコメントをありがとうございます。拝読した後、胸がジンとしました。
>「生きる努力をするのに駄目な事何て何一つないよ」
というまるこさんの主治医のお言葉が凄く伝わってきました。そうですね・・・。正直、生きることで精一杯、それだけを頑張っているという感じです。
唯、何と言うか誰も私のことを責めていなくても、自分が自身を責め抜いているんですね。情けないと。この考え方は改める必要があるかもしれません。
私も、まるこさんとは同志であると感じます。
本当、「3人寄れば文殊の知恵」ですね^^
苦しい事、悲しい事、とっても嬉しい楽しい事を分け合い、喜び合えるといいですね。そして此処まで心配してくださるまるこさんにとても感謝しています。
随分救われました。ありがとうございました!!