私の1日のは、起床してからずっと拒食状態で、夜になれば

過食嘔吐へと移行する。




拒食状態の時は、口にするのはミネラルウォーターと氷、栄養

補給の為のスープ、1杯のミルクティー、カフェオレだけ。

全て流動物である。勿論、空腹を感じる。何か食べたくなる。

それを我慢するのが心地良く感じる。太りやすい身体を作って

しまっている事は解っていても、我慢する事で痩せるのでは

ないかと淡い期待を抱いてしまうのである。




しかし私は元々過食嘔吐から摂食障害が始まった為、拒食状態は

夜になると終わる。アルコールが入って抑制が取れてしまう所為

もあると思うが、『食べて吐かねば』という思考で頭がいっぱい

になってしまう。そしてがらがらと崩れ落ちるように過食嘔吐へ

移行するのである。




最近、身体が弱ってきている事を顕著に感じている。

だからなのか、昨日は1度目の嘔吐の後胃薬などを飲んだ後

ぐったり倒れるように1時間程眠ってしまった。目覚めたら、

低血糖の発作のように身体ががくがくと震えるので甘い飲み物を

飲む事で一応事無きを得た。その時点で眠る為に就薬を飲み

大人しく寝たらいいのだが、『2度過食嘔吐しなければ』という

思い込みから、またビールを飲みだした馬鹿な私がいた。




アルコールを飲んでいる時と過食・嘔吐をしている時は本当に

何にも考えないで済んでいる。特に「生きるとか死ぬ」等は少し

遠い次元に行っており、ビールがしゅわしゅわと喉を通り胃に

温かさを覚えると大らかな気持ちになれる。

しかし過食をしている時は無我夢中だし、嘔吐もそれに同じ

気持ちでやっている。つまり何も考えられないのである。




『過食・嘔吐』となったら理性なんて何処かに吹っ飛んでいて、

胃が限界を感じるまで黙々と食べ続けるし、それらを全て

吐き出そうと必死なのである。そして残るのは惨めさと虚しさと

倦怠感である。よく言われる爽快感は殆ど無い。胃液も胆液も

全て吐き出した後は、「良かった。全部邪魔者は出て行った」と

感じはするが、低カリウム血症と低血糖発作を防ぐ為

野菜ジュースやスポーツドリンクを飲んでなんとか凌ぐ。




毎日毎日、これの同じ繰り返しである。




摂食障害を患ってから、過食嘔吐をしなかった日なんて両手で

数える程しか無い。酷い時は眠剤を服用した後でも我慢できず

やってしまい、嘔吐しようと立ち上がった瞬間ぶっ倒れたまま

眠りに就いてしまった事もある。




この症状は、まだ私に必要なものだと切に感じている。




どうしてこんな苦しい思いまでしてやり続けているのか弱い頭で

考えてみるが、納得できる原因は見つけ出せないままである。

摂食障害についての様々な著書を大学の図書館で読み漁った事が

あるのでどれが自分に当て嵌まる定義だろうかと頭の引き出しを

探ってみるが、これという適確に当て嵌まる事由は見つけ

出せないでいる。しかし、摂食障害の症状は人により様々なので

何かに当て嵌める事自体無駄なことなのかもしれない。




昨日の過食嘔吐は朝方まで続いた。一度夜中に眠ってしまった為

4時前にずれ込んで始めたのであるから致し方ないのであるが。

それが原因なのか、お昼に起床したら浮腫みが目立った。

しかし私は誰に会うことも無く部屋に居るだけなので、

ミネラルウォーターを飲んで飲んで老廃物を排出し、シャワーを

浴びる時に念入りにマッサージを施したので何とか元に戻った。

身体が浮腫んでいると一気に太ってしまった気がする。しかし

私はもうずっとずっと体重を測っていないし、その習慣も無い

為、体重に関する自責の念に苛まれる事も無かった。




毎日、どうしてもこの拒食状態である事と過食嘔吐に陥る事から

離れられない。この1年を振り返っても、1日たりとも止んだ事

等無い。




しかし、今はこの症状が自分に必要不可欠である感は否めない。

それがどうしてなのかは解らないが、今は自然に身を任せるしか

術は無い。




過食を始めるまでは、「今日は食べたくないな」と思うことが

しばしばあるけれども、日常の一部に組み込まれている為避ける

事が出来ない。とても悔しく、虚しく悲しい。




私はいつまでこんなに酷く苦しい行為を続けなければならない

のであろうかと、途方に暮れる。

今は、唯その事実を受け止め前に進むことさえ出来ず、耐える

時期なのかもしれない。




その様に思えるのも、母が理解してくれ見守ってくれている事、

信頼の置けるカウンセラーや主治医がかけてくれる言葉のおかげ

であると感じているので感謝の念でいっぱいである。

抑うつ状態であるから自殺しようなんて力も無いと

感じているが、息を繋ぐだけで必死の私を支えて

くれているのは、周囲の大切な人々のお陰である。

その感謝の念を忘れず、コメントを下さる方の温かい言葉に

勇気を与えられる喜びを感じながら、死ぬまでは生きてみたい。

コメント

まるこ
まるこ
2006年2月25日15:40

ナノさん・・私も死ぬまで生きていたいですよ^^
「人生楽しむだけ楽しんだら、はい!!ごきげんよう〜♪」ってCMがあったのですが、まさにそんな風に生きれたら良いなって思います。苦しみや辛さは、喜びや幸福を増幅させてくれるスパイスって思えるだけの余裕があると助かるんですけどね・・なかなかそうは行かないのが現実で・・でもそんな希望はいつも持っていたいですね^^お互いのんびり生きましょうね^^

ナノ
ナノ
2006年2月25日20:41

★★まるこさんへ★★

まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます!

>「人生楽しむだけ楽しんだら、はい!!ごきげんよう〜♪」ってCMがあったのですが、まさにそんな風に生きれたら良いなって思います。

私も、そのCM知っています。とても心に残っていて、そんな風に生きられたらどんなにいいだろうと本木雅弘が老い、骸骨になっていく姿を「凄いインパクトあるなぁ」と思って見ていました。本当、そんな風に生きられたら良いですよね。

まるこさんが仰るとおり、辛く苦しい思いをしたら、小さな喜びや幸せがとても大きく感じられます。ただ、本当ツライ最中にいるとその余裕が持てないのが現実ですね。その時を振り返ってやっと今の幸せと言うものを噛み締められるのかもしれませんね。

いつもまるこさんの言葉でピンと張り詰めた糸が程よく緩み、ゆっくり・のんびりという考えを思い出させていただけます。
希望を失わず、生きていけるといいですね。
本当にいつも訪問して言葉を残してくださり、ありがとうございます^^