昨日の診察で『うつ病』について色々とお話した。

私は摂食障害まで患っている、主治医曰く『ややこしいうつ病』

なので、働いている人の疲労・過労に因るものや家庭環境などに

因るものに比べるとかなり治り難いとされている。



主治医には「うつは自然なもの」という持論がある。

この世知辛い社会の中で働き、動き回り、ストレスを溜めると

激しく疲労する。それを無視して精力的に働いたら、やがて

過労で心不全などを起こしてぽっくりと亡くなってしまうで

あろう。しかし、『うつ』はそうして死なない前にストップを

かけてくれるものであると言う。



あらゆる要因でうつ病に罹る訳であり、また治癒へ向かう段階で

自殺率も高い病であるが、『抑うつ状態』にある時は死から最も

遠い次元にあると言われる。兎に角動けないのであるから、

じっくりゆっくりと休養するしかない。そして通院して医者の

診察を受け、身体を休める為にお薬を処方してもらう。

そうしてゆっくりと休み、周囲が理解を示し

患者が休養を取りやすい環境を作る事で、本人の自然治癒力が

発揮され、うつは快復へと向かうのである。



決してお薬によって治るのではない。
動けない身体を無理して動かさないで、ある程度リフレッシュ

できる時間を持ち、お薬で充分脳と身体を休ませて自然治癒力を

引き出し、治るという過程を辿る。



しかし、世間の風潮は「うつに対して理解を深めよう」とは

言っていても、「早く休んで早く治して早く社会復帰しろ」

という背景が嫌でも見えてくる。だから一般的にうつ病は

適確な処置を得られないまま治癒していないのに働かざるを得ず

会社の歯車としてまた過労を重ねなければならなくなる。




一番印象的な主治医の言葉は、うつは自然の身体のメカニズムで

起こること。あらゆるストレスに晒され、馬車馬のように働き

義務感というものに疲れた人が「もうこれ以上動けないよ」

という悲鳴によって『うつ病』になる。だから、自然に任せて

ちゃんと通院して診察を受け、お薬を服用して充分身体を休めて

いればその自然の偉大なる力で快復するという事であろう。



世に見られるうつ病の方達は私を含め、動けない事が申し訳

なくて仕方が無い。「こんな事では駄目だ、頑張らなければ」と

また無理を重ねて治癒からは遠ざかってしまう。きっと、それ程

休養するという事は難しいのだと思う。特に理解の無い人は

「怠けるな、もっと頑張れ、しゃんとしろ」と平気で言うし、

その場合は無理を押してまた社会復帰しなければならない。

それに、働かなければお金を稼げないし生活できなくなる。

すると、その後はどうなるか、大体想像はついてしまう。

もっと社会は【うつ病に対する理解】が必要であろうと感じる。



私はうつが「自然の力」で発症するなんて考えても見なかった。

だから主治医の言葉がとても強く心に残った。

無理をしたって余計に病状が酷くなるだけで良いことは無いが

「働かなければ食べていけない」という矛盾が残る。

この点が今一番考慮しなければならない部分であろうと思う。



私は、重度の摂食障害も抱えている為、幾ら『抑うつ状態』に

あっても、過食をして嘔吐をしている間は身体が休まるなんて

訳が無く、すとんと『うつ』に堕ちる事が出来ない。

日中拒食状態でいることで漸く身体を休められている。



病気は本当に辛い。哀しいし苦しい。そこに優しい理解者・・・

例えば医者やカウンセラーが存在する事で大分救われる部分が

あると思う。しかし治すのは自分であり、医者やカウンセラーの

言葉はそれへと導いてくれる助言である。そして受け付け

られない、それは違うと思った事はその旨をきちんと話して

相互理解を深めるのも必要であろう。また、その言葉たちを

真に受けて全き信頼を置くというのは都合が悪い。同じ病名でも

ひとそれぞれ症状は違うのであるから。上手く掻い摘んで自分に

良いと感じる部分を取り入れるのが良いと思う。



『うつ』は精力的に働きすぎて知らぬうちに疲労やストレスを

溜め、突然死しない為の自然のストッパーだと思う。

しかし、私は深く深く摂食障害に浸っていて、その上重度の

うつ病と診断をされ、心は荒み疲れ切っている。

一体どうしたらいいのであろうと途方に暮れるが、悩み苦しむ事

も今は必要な事として受け容れる以外は無いのであろう・・・。

コメント

まるこ
まるこ
2006年2月23日16:38

ナノさん、日記を拝読してまず最初に思った事を申し上げますが、ナノさんは少しづつ、前向きになられた様にお見受けしました。
ナノさん、私は、カウンセリングや診察はそれに全て従うモノではなく、その時々対峙し、吐き出しつつ、本当の自分を探すのが目的なんだろうななんて思ったりしてます。なんかナノさんのおっしゃりたい事が解るような気がしました。そうですね・・お互い辛いですが、その辛さや苦しみ・・例えば病気や障害が、今の自分を形成する上での一つの個性というか、形というか、在り方といか・・上手く言えませんが、そんな感覚で捉えられたらきっと少し軽くなるのかも知れませんね。ナノさん、この長いトンネルもきっと出口があります。お互い明るい日差しに向かって前のめりに生きましょうね^^なんか生意気言ってすいません^^;

ナノ
ナノ
2006年2月23日20:18

★★まるこさんへ★★

まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。

中々考えがまとまらず、この日記は思ったままつらつら綴ってしまったので、それを読み取ってくださった事、感謝します。さぞ読みにくかった事と思います。申し訳ないです・・・。

まるこさんの仰るとおり、病気や障害もこれからの自分を形成する大切な1つのものであると感じます。私の場合はなるべくしてなってしまった病ではありますが、生き辛さも感じながらもう自然という大きな力にゆだねるしかないのかなとも思います。

本当に長いトンネルですが、いつか出口の光が見えてくるまではゆっくりいきたいものですね。全然生意気だなんて感じていませんよ^^寧ろ私の心を汲んでくれて共感していただき嬉しい限りです。

前のめりになりながらもいつか見える日差しに向かっていきたいですね。

ありがとうございました^^