カウンセリングは、年末以来である。先生と会うのも久し振りで
思わず2人で「お久し振りですねぇ」と行ってしまった程である。
11時に時間を変更して頂いたのにも関わらず、
また中々起き上がれなくて支度するのに手間がかかり、
3分遅刻してしまった。
約2ヶ月半振りに入るカウンセリングルームは何処も変わって
いなくて安心した。
これまでの事を、重要な部分を選び掻い摘んでお話した。
やはりこの2ヶ月半カウンセリングが無かった事で、認知療法が
ストップしていた為、相当認知の歪みが見られた。話していて
自分で何度も気付いた。そこに酷いうつが加わった事で、自分の
存在が卑小で必要の無いものに思えて仕方なかった。
しかし、先生は「あなたがいなくなる事でハッピィになる人は
いませんよ。少なくとも僕は悲しいです。それはあなたの
お母さんも一緒ですよ。」と諭してくれた。
仕事といえども、その優しくて温かい言葉に安心感を覚えた。
身の回りで起きた掻い摘んで話した事とは、
祖父の大腸ポリープ内視鏡手術と弟がスロットに嵌って母に
毎月お金を5万円ずつ借りに来る事、私は重度のうつ病と
診断され生活に支障をきたしている事等である。
そこで、「うつの時はどういう状態?抑うつ状態というのは
どんな気持ちになるんですか?」と聴かれ、返答に困った。
その場で思いついたのは、日がな一日カーテンも開けられなくて
暗い部屋で1人死ぬことばかり考えてしまう事や、兎に角自分
なんていらない存在と思えて仕方ない事。またぐったりとして
力が入らず、日中は動くことさえ億劫で苦しい、
辛いという事だったので、その旨を伝えた。
そして人と会うのも恐いかどうか尋ねられたので、
それが根底にあるのに改めて気付かされた。
知人やカウンセラー、主治医、家族、親族と会うのは特に恐い事
なんて無いが、外に出て知らない人と擦れ違う事が心地が悪い
のである。特に夜、スーパーが半額シールを貼り始めた頃、その
惣菜・お弁当コーナーには人が殺到する。オバサンとかはカゴで
私を押し退けてまで商品にありつこうとする。その至近距離が
気持ち悪くて苦しくて仕方ないのである。
近所の大きな本屋も人が沢山いるのを見ると「うっ」と一瞬
引いてしまう。そうすると、自分の意識が一歩後ろに退いた様な
感覚に陥る。所謂“離人感”である。これは、心の防御作用
なので致し方無い事であるが・・・。
此処の所ずっと母としか会話をしていなかったので、母にも
話せない心の闇の部分や辛く苦しい感情を言葉にするという
作業は、謂わば『うつ』で心のスイッチがオフとなっていた所を
オンにして頭を働かせなければならなかったので、少し疲労感を
覚えた。でもたった50分ではあったが、このように会話を
通して『認知療法』をやっていくのは自分にとって意味のある事
であると感じた。型にはめるような窮屈さはほんの少し
あるけれども、主治医とはまた違った視点で物事を捉えて
お話が出来るのでとても有意義な時間であると言える。
今日の主治医との診察については明日記したい。濃密な話を
したので疲れてしまった。
現に家に帰り着いた時もまだスイッチが入ったままで、
テンションがおかしかった。そこで服薬を忘れていた事に気付き
慌てて一セットを飲み下した。そして夜、過食食材を買いに行く
時にデパスを飲んだ事で、やっと心がなだらかになっていくのを
感じた。しかしスイッチがオフになった途端、いつもの如く
お腹を下し始め、顔面蒼白になりながら毎日購入している物を
必死の思いでカゴに入れ、レジにて精算し、致し方なく
ゆっくりゆっくりと袋に詰めていった。家に帰るまで気が
遠退いていくのを感じつつ、また必要以上にゆっくりと歩き
辿り着いた途端トイレに入ったら見事にお腹は下っていた。
そしていつまでも腸の痛みが鈍く続き、やはり昼間の無理が
祟ったのだと痛感した。
しかし、やっと病院へ行けてカウンセラーと話せて今日は本当に
良かったと思う。歪みきった思考を少しでも修正できた感が
あるからである。
来週からも11時カウンセリング開始となった。これからは
慌てず支度できるよう余裕を持って起床したいものである。
起きられるかどうか心配で中々寝付けないのも事実であるから、
その課題はどうにかして乗り越えていきたいと思う。
思わず2人で「お久し振りですねぇ」と行ってしまった程である。
11時に時間を変更して頂いたのにも関わらず、
また中々起き上がれなくて支度するのに手間がかかり、
3分遅刻してしまった。
約2ヶ月半振りに入るカウンセリングルームは何処も変わって
いなくて安心した。
これまでの事を、重要な部分を選び掻い摘んでお話した。
やはりこの2ヶ月半カウンセリングが無かった事で、認知療法が
ストップしていた為、相当認知の歪みが見られた。話していて
自分で何度も気付いた。そこに酷いうつが加わった事で、自分の
存在が卑小で必要の無いものに思えて仕方なかった。
しかし、先生は「あなたがいなくなる事でハッピィになる人は
いませんよ。少なくとも僕は悲しいです。それはあなたの
お母さんも一緒ですよ。」と諭してくれた。
仕事といえども、その優しくて温かい言葉に安心感を覚えた。
身の回りで起きた掻い摘んで話した事とは、
祖父の大腸ポリープ内視鏡手術と弟がスロットに嵌って母に
毎月お金を5万円ずつ借りに来る事、私は重度のうつ病と
診断され生活に支障をきたしている事等である。
そこで、「うつの時はどういう状態?抑うつ状態というのは
どんな気持ちになるんですか?」と聴かれ、返答に困った。
その場で思いついたのは、日がな一日カーテンも開けられなくて
暗い部屋で1人死ぬことばかり考えてしまう事や、兎に角自分
なんていらない存在と思えて仕方ない事。またぐったりとして
力が入らず、日中は動くことさえ億劫で苦しい、
辛いという事だったので、その旨を伝えた。
そして人と会うのも恐いかどうか尋ねられたので、
それが根底にあるのに改めて気付かされた。
知人やカウンセラー、主治医、家族、親族と会うのは特に恐い事
なんて無いが、外に出て知らない人と擦れ違う事が心地が悪い
のである。特に夜、スーパーが半額シールを貼り始めた頃、その
惣菜・お弁当コーナーには人が殺到する。オバサンとかはカゴで
私を押し退けてまで商品にありつこうとする。その至近距離が
気持ち悪くて苦しくて仕方ないのである。
近所の大きな本屋も人が沢山いるのを見ると「うっ」と一瞬
引いてしまう。そうすると、自分の意識が一歩後ろに退いた様な
感覚に陥る。所謂“離人感”である。これは、心の防御作用
なので致し方無い事であるが・・・。
此処の所ずっと母としか会話をしていなかったので、母にも
話せない心の闇の部分や辛く苦しい感情を言葉にするという
作業は、謂わば『うつ』で心のスイッチがオフとなっていた所を
オンにして頭を働かせなければならなかったので、少し疲労感を
覚えた。でもたった50分ではあったが、このように会話を
通して『認知療法』をやっていくのは自分にとって意味のある事
であると感じた。型にはめるような窮屈さはほんの少し
あるけれども、主治医とはまた違った視点で物事を捉えて
お話が出来るのでとても有意義な時間であると言える。
今日の主治医との診察については明日記したい。濃密な話を
したので疲れてしまった。
現に家に帰り着いた時もまだスイッチが入ったままで、
テンションがおかしかった。そこで服薬を忘れていた事に気付き
慌てて一セットを飲み下した。そして夜、過食食材を買いに行く
時にデパスを飲んだ事で、やっと心がなだらかになっていくのを
感じた。しかしスイッチがオフになった途端、いつもの如く
お腹を下し始め、顔面蒼白になりながら毎日購入している物を
必死の思いでカゴに入れ、レジにて精算し、致し方なく
ゆっくりゆっくりと袋に詰めていった。家に帰るまで気が
遠退いていくのを感じつつ、また必要以上にゆっくりと歩き
辿り着いた途端トイレに入ったら見事にお腹は下っていた。
そしていつまでも腸の痛みが鈍く続き、やはり昼間の無理が
祟ったのだと痛感した。
しかし、やっと病院へ行けてカウンセラーと話せて今日は本当に
良かったと思う。歪みきった思考を少しでも修正できた感が
あるからである。
来週からも11時カウンセリング開始となった。これからは
慌てず支度できるよう余裕を持って起床したいものである。
起きられるかどうか心配で中々寝付けないのも事実であるから、
その課題はどうにかして乗り越えていきたいと思う。
コメント
まるこさん、こんばんは。優しい言葉をかけてくださり、ありがとうございます。
そうですね。ちょっとカウンセリングと診察が重ねてある上
久し振りに日中外出したので疲れてしまいました^^;
でも、得たものはとても大きかったと実感しています。また、行けてよかったとも思えました。
まるこさんも、ゆったりとした気分で日々を送れますよう願っています^^