いつもいつも、私の心では自分との葛藤が続いている。

まるでせめぎあっているかのように、そして対峙している。



これ以上痩せたら身体を動かすのが辛くなる事は十二分に解って

いるが、存在をもっと小さくする為により痩せようとする。

食べ始めたら止まらなくて過食は辛く、嘔吐が酷く辛い事も

承知しているけれど、食べないではいられない。



今日は日中の過食嘔吐が無かったのは良かった事と思える。

身体も幾分楽であるし、胸の中を掻き乱されるような苦しみも

無かった。



『抑うつ状態』は、只管自分と向き合わねばならないという状況

にあるという事である。私の一番の敵は自分である。

しかし、その自分が一体何を思って過食嘔吐をするのか、

『死』を切に思うのか、全く以って解らないでいる。

リストカットこそやらなくなったものの、自分を傷つけたい

という願望は止んでいる訳ではない。



子どもの頃から内向的な部分もあったが、高校では朝の礼拝で

司会をして聖書を読み上げる事も多々あった。同学年全員の前で

それをこなしたり、友達も沢山出来たりして、摂食障害を患って

いる事を除けば真面目で、教師に対しても色々と意見を言える

模範生であった・・・「あなたはこの高校の鏡ね」とさえ云われ

困惑した事もある。しかし、友達といっても表面上の付き合いで

しかなく、皆は遊んで適当にサボったり高校生活を有意義に

過ごしている中で私は、家に帰ったら少ないお小遣いの中で

「何を買って過食嘔吐をしようか」とか「テストの為にもっと

もっと勉強しなくてはならない」等と虚しい日々を送っていた。

無理矢理外交的な振りをして、やはり内向的だった事は

否めない。全てに疲れ思春期特有の鬱憤が溜まったときは、

腕を切っていた。それがアームカットだとかリストカットだとか

言われていること等全然知らなかった。



高校時代も、「周りの皆のようにもうちょっと力を抜けば」と

いう自分と「力を抜いてはならない。成績を落とす訳には

いけないから。もっと頑張らなければ1位2位は保てない」

との葛藤があり、結局後者の自分を貫いた。



反して、妹はかなり外交的であった。だから付き合う男性が

絶えることは無かったし、毎日遊び歩いていた。・・・子どもが

できてからは少しだけなりを潜め、たまに彼氏に子どもを預け

ストレス発散と称して遊びに出る位にまで落ち着いたが。

私が葛藤していた頃は、そんな自由な妹が羨ましかった。



私は、全てのフラストレーションやストレスが自分へと向かった

為、摂食障害は悪化の一途を辿りその他の神経症も発症し、

うつ病になった。でも大学だけはちゃんと卒業したいと思い

休む事無く真面目に通った。その為にもっと辛くなり苦しみに

もんどりうつ状態に陥ってしまったのも事実である。



いつも自分の中では緊迫したせめぎあいが続いている。

しかも毎日毎日同じ事で。

「食べる・食べない・過食嘔吐する・しないetc...」



その中で最も強いのが痩せ願望であろう。

だから1口でも食べたらそれが吸収されるのが許せなくて、

過食に移行し全て嘔吐する。唯一スープや飲み物だけは摂取

でき、嘔吐しないでいられる。

多分、胃に異物感や不快感が無いからであろうと思う。



そしてアルコール問題。以前、自暴自棄になっていた私は

お薬を飲みながら昼間からアルコールを摂取していた。もう

どうにでもなれという自分を見捨てた感じであった。しかし

いき過ぎてぶっ倒れ、以前入院していた病院へ母によって

運ばれた。急性アルコール中毒と診断され点滴を受けてからは

これ以上の迷惑をかけてはならないと昼間のアルコール摂取は

止めた。それからは日中のお薬は規定量、アルコール等摂らず

ミネラルウォーターを飲むようにした。しかし、夜になると

凝り固まった心と身体を緩めさせる為に発泡酒を飲むように

している。抑うつ状態で気持ちは暗く暗く沈みこみ泥濘から

抜け出せない自分を、少しだけ高揚させるだけの効果はある。



主治医にはアルコールを飲んでいる旨を伝えており、それに

体重の事も考慮しているのでお薬の分量は他のうつ病患者より

少ない。医院内のお薬を調合をする所で、錠剤は砕き粉薬となり

凡そ同じ病気の患者の1回分が、私の3回分となっている。

しかし、眠剤だけは子どもの頃からの不眠症が強い為、かなり

強いお薬が処方されている。



自分と私のせめぎあいは毎日続き、終わる事は無い。その度に

苦しみ、辛さを覚えて身体が動かなくなる。何もかもが億劫で

暗くて重い思考で頭の中は支配される。



いつか、この葛藤が終わる日が来るのであろうか・・・。それは

余りにも未知の次元の事で解り得ない。

いい加減疲れてしまったから、眠るように命を終わらせる事が

出来ればどんなにか楽であろうと考えない日は無い。



そこでまた自分と対峙しなければならない状況に陥る。

この毎日の繰り返しは本当に嫌になる。



痩せていたって心が磨かれていなければみすぼらしいだけ。

けれど心がどんなに荒んでいっても、只管痩せる事だけを望む。

病的に歪んでしまったこの心は、焦らずゆっくりと治療を続けて

いくしか術はない。けれども毎日酷く苦しい事に変わりは無い。

コメント

紫音
かぐら
2006年2月20日22:55

ナノさん、私も同じような境遇でしたよ。いい子でいなければ受け入れてもらえなかった環境、しかしそれに反して自分を抑えきれずに自分を傷つけてバランスを取っていた自分。。。
誰しも「こうなければ。こうしなければ」というしがらみに取り付かれ生きているものと思われます。中でもナノさんはそれが強いがため自分を無理して高めて「いい子」を演じていたのではありませんか?辛かったでしょう?苦しかったでしょう?でもそれすらも私は受け止めたいです。自分の事と同じように一緒に克服できればいいとそう思っています。

毎日起こる葛藤。苦しいですね。私も先週物凄く忙しくて、こんな思いするんなら死んだほうが楽なんじゃないか?って短絡的に物事を考えてしまって今はちょっと反省しています。

ナノさんあせることないですよ。

やまない雨はない・・・

一緒に苦しみ辛さ分かち合いましょう。
私も何かと焦るほうなので毎日がイライラしっぱなしですが何とか生きていますよ。生きていなきゃ今までお世話になった方々にお礼の言葉を述べられない。。。

ありがとう こんなに元気になったよ と。

それまで一緒に戦っていきましょうよ。
決して一人で抱え込まないでくださいね^^ 紫音より

まるこ
まるこ
2006年2月21日16:21

ナノさん・・私も紫音さん同様、ナノさんと似たような境遇でした。1を求められたら、3を、いや、それ以上出来なければ自分に意味がない、私は愛してもらえないとそんな子供時分をすごしてました。学校で虐められても、決して親に話す事なく、泣きながら通った事もしばしばです。思えば本当にしんどい事が多かったです。

最近ちょっと考えることがありました。もしかしたら生きていくという事自体、ただそれだけで既に辛い事なんじゃないかなって・・。でもそれだけではきっと人は生きれないから、観点を変えたり、思考を変えたりする事で、物事を色んな角度から見たり考えたりして、あたかも自分に都合の良く、楽しい事や幸せな事に摩り替えるという行為をしているに過ぎないんじゃないかななんて・・。

だとしても・・百歩譲って、よしんばそれが真実だとしても、それでも人間はより良く生きたいという欲求に満ちているからこそ、諦めないでそんな行為を淡々とくりかえしているのではないのかななんて・・

すいません・・何か論点がずれてしまいましたが、要は何があっても人間は生きたいという本能が備わっていると思うのです。その過程にはお互い辛い事苦しい事が腐るほどありますけど、でもお互いその本能や可能性を信じて諦めないでやっていけたら良いですね^^紫音さんもおっしゃるように、決してお一人で抱え込まないで、こうして、分かち合える者同士、まさに同志となって生きましょうね^^

そうそう、先日のあのお優しいお言葉・・実は紫音さんが、私に下さった言葉だったんですよ^^ナノさんはひとりじゃない・・紫音さんも。不肖私も・・みんなみんな味方ですから^^

ナノ
ナノ
2006年2月21日20:40

☆☆紫音さんへ☆☆

紫音さん、お辛い中コメントありがとうございます。

そうですね、私は長女であったばかりに期待が強く、到底無理な事でも凄く頑張って頑張ってやってきたように思います。「良い子」でいなければ、叱られてぶたれる、蹴られる恐怖があったので、不器用で鈍臭いながらに必死でした。きっとその頑張りの糸が張り詰めすぎて切れてしまった状態が今体現していることなのだと思います。

本当、紫音さんと似たような状況にあったのですね・・・。辛く苦しい時を過ごしたのですね・・・。

焦らずゆっくりというのが実は凄く難しいことではあるのですが、紫音さんの仰るよう、今までお世話になった方々に元気な姿を見せて感謝の言葉が言えるように目標を持ってやっていきたいと思います。一緒に戦っていきましょうというお言葉、とても心強いです。本当にありがとうございます。

★★まるこさんへ★★

まるこさん、コメントありがとうございます。

まるこさんも私や紫音さんと似たような境遇にあったのですね・・・。それは本当に辛い事でしたね。

それに苛虐にあっていても親に話せず泣きながら通ったと聞くと、その心の痛みがとても伝わってきます。私も中学生の頃一時期周囲の誰もが口を利いてくれなくなって、孤独に陥った絶望感があります。

まるこさんの考える、「生きていくという事」とても共感します。確かに生きている事自体が辛くて、どうにか其処に楽しみを見出そうとしたり、喜びを見つけ出そうとしたり、そういう繰り返しで明日を生きようという糧にしているのかも知れません。でも、弱っている時はその作業すら辛いですよね。

人間には生きたいと言う本能、本当に備わっていると想います。幾ら絶望の淵に追いやられても、あらゆる病気の症状に振り回されても、「死ねたら楽なのに」と思いつつ、「もっとゆっくり楽に生きられないものかな」と考える自分がいることも事実です。

此処でこうしてまるこさん、紫音さんが励ましてくださる事で、気付くことが沢山あります。

・・・一人じゃない、皆味方ですよという言葉で随分救われた想いです。

まるこさんも辛く苦しい中、私のことを慮ってくださりありがとうございます。コメント、とても嬉しかったですm(_"_)m