うつを経て、病気は治癒に向かう。
2006年2月18日 日常 コメント (2)このタイトルの言葉は、私の主治医が常々言っている事である。
この摂食障害も凄く足掻いて足掻いて重篤化したけれど、
「うつ病になることでやっと快復の兆しが見えてきた」
と仰った。でも、抑うつ状態は凄く辛い。生きていくのも嫌に
なる程に。うつ病で堕ちる所まで堕ちて、其処から浮上すると
摂食障害の症状も軽くなるという意味がそこに含まれている。
けれど、うつ病の苦しみが緩和される事など無い。
ただ堕ちていくのを、主治医は見守るしかないと言う。
私は物心付いた頃から、苦しくて助けの手を伸ばしても、
気付いてもらえなかったり、寧ろ払い除けられたりした。
悉く私の伸ばした手は邪険に扱われて、助けの手を差し伸べて
くれる大人など居なかった。今から考えれば、親やその周りの
大人達も自分の事で精一杯だったのだから仕方の無い事だと
思える。しかし、私はもう絶望し、失望した。
やがて思春期になり、自分の太った体がコンプレックスに
なった。謂わば私はコンプレックスの塊だった。それを打開
する為にダイエットを始めた時から、もう周囲に助けの手を
伸ばす事を止め、自分でどうにかするしかないと覚悟したので
あろう。(これは今日の電話診察で主治医に因って気付いた事
である。)
そしてダイエット中、自分の身体をコントロールしてどんどん
体重が落ちていくのがとても嬉しかった。始めて達成感を覚えた
時である。そして目標体重まで落として、ダイエットを止めた
のであるが、これからどのように普通の食事をしたら良いのか
解らなくなっていた。家族が食べているものを普通に食べると、
どんどんリバウンドしていく。酷い時は1日1kgずつ増えて
行った。そこで焦った私は、母が食べ過ぎた時に嘔吐している事
を思い出し、私も『食べたものは全て吐いてしまおう』という
安易な考えで嘔吐を始めた。そしてより簡単に嘔吐するには
胃をいっぱいにしなければならないことに気付き、
過食をするようになった。そしてまさか、それが11年も悩む
『摂食障害』となるなんて知る由も無かったのである。
今はうつのおかげか何なのか、過食嘔吐の回数が1日2〜3回に
減った。でも、弱りきった今の身体ではそれさえ苦しい。
私が通っている所は個人医院なので、エンシュア等栄養剤等は
置いていないから、自ら内科へ行って栄養剤の点滴なり経口
栄養剤を処方してもらうしかない。でも、その病院に行く気力
さえ無い。流石に今日は体力の限界だったからなのか、昼間
過食嘔吐してしまった後、ホットカーペットの温もりだけで
うつ伏せになり眠り込んだ。
いつまでこんな事を繰り返すんだろう・・・。
苦しいだけなのに・・・。
もう食べ物なんて見たくない。気持ち悪い。
食べたくない。食べたくない。
死んでしまえば、抑うつ状態に悩まされずに済むし、
食べなくて済む。自業自得・・・自業自得・・・。
しかし、死んでしまえば今までの苦しみながらも治療に励んだ
事が水の泡になる。カウンセラーや主治医が週に2回、
数十分かけて私を診て、観て下さったことが無駄に終わる。
母を残して死ねない。祖父も祖母も一生懸命生きている。
だから安易に【死】という終わりに手を伸ばしてはいけない・・・。
必死にそう鼓舞している。もう頑張る力なんて無いけれど、
生きる事を今は頑張らなければならない。
でも、生き延びた先にあるものは・・・?
私は虐待の連鎖を引き起こさない為に子どもは産まない。
一時期付き合っていた男性に『唯の性の捌け口』だと言われた事
から、もう男性と付き合う気も無い。
幾ら療養の為とは言えど、大学を卒業してからブランクがある。
そんな欠陥人間の私を何処の会社が雇ってくれるのか。
生き延びても、この世の中で社会人として生きられる可能性は
極めて少ない。
今日は唯の愚痴と苦しみを吐き出しただけになってしまった・・・。
どうして、私は生きているのであろう。こんな暗い思考に陥って
どんどん『うつ病』の思うがままに堕ちていくのであろう。
この摂食障害も凄く足掻いて足掻いて重篤化したけれど、
「うつ病になることでやっと快復の兆しが見えてきた」
と仰った。でも、抑うつ状態は凄く辛い。生きていくのも嫌に
なる程に。うつ病で堕ちる所まで堕ちて、其処から浮上すると
摂食障害の症状も軽くなるという意味がそこに含まれている。
けれど、うつ病の苦しみが緩和される事など無い。
ただ堕ちていくのを、主治医は見守るしかないと言う。
私は物心付いた頃から、苦しくて助けの手を伸ばしても、
気付いてもらえなかったり、寧ろ払い除けられたりした。
悉く私の伸ばした手は邪険に扱われて、助けの手を差し伸べて
くれる大人など居なかった。今から考えれば、親やその周りの
大人達も自分の事で精一杯だったのだから仕方の無い事だと
思える。しかし、私はもう絶望し、失望した。
やがて思春期になり、自分の太った体がコンプレックスに
なった。謂わば私はコンプレックスの塊だった。それを打開
する為にダイエットを始めた時から、もう周囲に助けの手を
伸ばす事を止め、自分でどうにかするしかないと覚悟したので
あろう。(これは今日の電話診察で主治医に因って気付いた事
である。)
そしてダイエット中、自分の身体をコントロールしてどんどん
体重が落ちていくのがとても嬉しかった。始めて達成感を覚えた
時である。そして目標体重まで落として、ダイエットを止めた
のであるが、これからどのように普通の食事をしたら良いのか
解らなくなっていた。家族が食べているものを普通に食べると、
どんどんリバウンドしていく。酷い時は1日1kgずつ増えて
行った。そこで焦った私は、母が食べ過ぎた時に嘔吐している事
を思い出し、私も『食べたものは全て吐いてしまおう』という
安易な考えで嘔吐を始めた。そしてより簡単に嘔吐するには
胃をいっぱいにしなければならないことに気付き、
過食をするようになった。そしてまさか、それが11年も悩む
『摂食障害』となるなんて知る由も無かったのである。
今はうつのおかげか何なのか、過食嘔吐の回数が1日2〜3回に
減った。でも、弱りきった今の身体ではそれさえ苦しい。
私が通っている所は個人医院なので、エンシュア等栄養剤等は
置いていないから、自ら内科へ行って栄養剤の点滴なり経口
栄養剤を処方してもらうしかない。でも、その病院に行く気力
さえ無い。流石に今日は体力の限界だったからなのか、昼間
過食嘔吐してしまった後、ホットカーペットの温もりだけで
うつ伏せになり眠り込んだ。
いつまでこんな事を繰り返すんだろう・・・。
苦しいだけなのに・・・。
もう食べ物なんて見たくない。気持ち悪い。
食べたくない。食べたくない。
死んでしまえば、抑うつ状態に悩まされずに済むし、
食べなくて済む。自業自得・・・自業自得・・・。
しかし、死んでしまえば今までの苦しみながらも治療に励んだ
事が水の泡になる。カウンセラーや主治医が週に2回、
数十分かけて私を診て、観て下さったことが無駄に終わる。
母を残して死ねない。祖父も祖母も一生懸命生きている。
だから安易に【死】という終わりに手を伸ばしてはいけない・・・。
必死にそう鼓舞している。もう頑張る力なんて無いけれど、
生きる事を今は頑張らなければならない。
でも、生き延びた先にあるものは・・・?
私は虐待の連鎖を引き起こさない為に子どもは産まない。
一時期付き合っていた男性に『唯の性の捌け口』だと言われた事
から、もう男性と付き合う気も無い。
幾ら療養の為とは言えど、大学を卒業してからブランクがある。
そんな欠陥人間の私を何処の会社が雇ってくれるのか。
生き延びても、この世の中で社会人として生きられる可能性は
極めて少ない。
今日は唯の愚痴と苦しみを吐き出しただけになってしまった・・・。
どうして、私は生きているのであろう。こんな暗い思考に陥って
どんどん『うつ病』の思うがままに堕ちていくのであろう。
コメント
こうしてコメントを書きながら自分にも言い聞かせている。
書く事で目から情報を取り入れる=自分にいい聞かせる。
こんな感じですかね。なかなかウツと付き合うのは難しいですけれどやはり私が声をおかけできることはひとつです。
一緒にゆっくり生きていきましょう。
どんな状態のナノさんでも私は理解していきたいです。
紫音より
紫音さん、コメントありがとうございます。
本当、『うつ』は泥沼のようですね。泥濘に足を取られ、前へ進みたくとも進めない。その間にどんどん堕ちていく感じ・・・。毎日死ぬ事を考えてしまいますが、周りの環境を考えるとそんな事してはいけないという禁忌。一体自分はどうしたらいいのかと途方に暮れてしまいます。
でも、絡まった糸はいつか必ず解けるはずと信じるしかないですね。・・・信じる事ってとても苦しいけれど、ゆっくり自分を見つめて生きていくためには必要な作業なのかもしれません。
紫音さんも辛い中、コメントを残してくださり、本当にありがたく思っています。どうか、ご無理はなさらないで下さいね。