全てを、放棄したくなる時。
2006年2月17日 日常 コメント (3)『どうして私は生きているのであろう』
一旦それについて考え始めると、無限のループに陥ってしまう。
私が産まれた理由、幼少期の苦しみ、長女ならではの悩み。
3歳から患っている神経症。母の自殺未遂。考えれば考える程
苦しく、辛く、哀しかった事しか思い浮かばない。
きっと今まで生きてきた中で、凄く楽しく嬉しい事もあった筈
である。妹が生まれ、弟が生まれ、私は姉として世話を手伝う
のがとても嬉しかったように思う。特に弟は今写真で見ても
幼い頃はとっても可愛くて仕方なくて、TVを観る時は必ず
膝の上に乗せ、私も小さな身体で抱きかかえて一緒にいた。
外から見れば、どこにでもある一般的な普通の家庭であった。
けれども、母はとても厳しい人であった。それが故に私はいつも
粗相をしてはならないと緊張し、その緊張が裏目に出て度々
失敗を犯し、酷く殴打される事は日常茶飯事であった。
些細なでも母は容易に許してはくれない。何度謝っても、母の
手が私に振り下ろされる。痛みに泣けば、余計母の怒りに火を
点けてしまうので只管我慢した。
それさえ無ければ、母は大らかで優しい愛情深い人であった。
子どもの頃は母に対して『恐怖』と『温かさ』という相反した
感情を抱いていた。もしも、『恐怖』という感情だけで
ただ虐待を受けるだけの毎日であったら、私はもっと荒んで
酷い病を抱えた擦り切れた人間になっていたかもしれない。
母から享受した【人間の温かさ】があるからこそ、
今生きていられるのかも知れない。
勿論父からの虐待はあった。精神的なもので。そちらの方が
酷かった。冷酷・残虐・見下しだけであったから。そこには
全く【優しさ・温かさ】なんて無かった。
何故か私だけを毛嫌いし、妹と弟には優しく接していた。
しかし、母から色々父に対する愚痴を聞いていると、
「何て子ども染みた人間なんだ」と呆れかえった。
しかし、母からあらゆる父の幼稚な行動、幼稚な考えを聞く
までは、《どうして私だけ酷く罵られたり罵詈雑言を浴びるので
あろうか》と悲しみと虚しさで覆われていた。
しかし、父の幼稚な部分を知ることによって殆どは無視を貫く事
は出来たが、両親の絶え間ない言い争い、喧嘩を目の当たりに
することによってストレス性胃炎に苦しんでいた時、父は
「腹が痛いくらい直ぐ治る。大袈裟な。さっさと学校行く用意
しろ」と鼻で笑いながらのた打ち回っている私の横で朝食を
食べていた。彼は自分さえ良ければいい、自分が好きに過ごせ
られたら良い、そんな人であった。
本離婚してくれて本当に良かった。
こうして今私は、摂食障害に始まり、うつ病・強迫性神経障害・
PTSDetc... と色々心の病、内臓の病気を患っているが、
此処まで苦しい思いをしてまで、どうして生きていなければ
ならないのかと疑問が生じる。考えて考えて考えて、
そして全てを放棄したくなる。
でも、それは決して許されない事。禁忌である。
上手く病気と付き合いながら、どうにかして息を繋ぐしか
無いのであろう。
だから今日は自分に対する苛立ちや責め苛む気持ちが強く、
座椅子の背にぐったりともたれ、心の中で葛藤し、ただ時間が
経つのだけを願っていた。
今死んでしまったら、病気に負けた事になる。
克服できる自信など全く無い。寧ろ負けてしまえたらどんなに
楽であろうかと考えてしまう。
しかし、私なんかのことを見守ってくれている人達の為に、
生きなければならないんだと自分を鼓舞していくしかない・・・。
一旦それについて考え始めると、無限のループに陥ってしまう。
私が産まれた理由、幼少期の苦しみ、長女ならではの悩み。
3歳から患っている神経症。母の自殺未遂。考えれば考える程
苦しく、辛く、哀しかった事しか思い浮かばない。
きっと今まで生きてきた中で、凄く楽しく嬉しい事もあった筈
である。妹が生まれ、弟が生まれ、私は姉として世話を手伝う
のがとても嬉しかったように思う。特に弟は今写真で見ても
幼い頃はとっても可愛くて仕方なくて、TVを観る時は必ず
膝の上に乗せ、私も小さな身体で抱きかかえて一緒にいた。
外から見れば、どこにでもある一般的な普通の家庭であった。
けれども、母はとても厳しい人であった。それが故に私はいつも
粗相をしてはならないと緊張し、その緊張が裏目に出て度々
失敗を犯し、酷く殴打される事は日常茶飯事であった。
些細なでも母は容易に許してはくれない。何度謝っても、母の
手が私に振り下ろされる。痛みに泣けば、余計母の怒りに火を
点けてしまうので只管我慢した。
それさえ無ければ、母は大らかで優しい愛情深い人であった。
子どもの頃は母に対して『恐怖』と『温かさ』という相反した
感情を抱いていた。もしも、『恐怖』という感情だけで
ただ虐待を受けるだけの毎日であったら、私はもっと荒んで
酷い病を抱えた擦り切れた人間になっていたかもしれない。
母から享受した【人間の温かさ】があるからこそ、
今生きていられるのかも知れない。
勿論父からの虐待はあった。精神的なもので。そちらの方が
酷かった。冷酷・残虐・見下しだけであったから。そこには
全く【優しさ・温かさ】なんて無かった。
何故か私だけを毛嫌いし、妹と弟には優しく接していた。
しかし、母から色々父に対する愚痴を聞いていると、
「何て子ども染みた人間なんだ」と呆れかえった。
しかし、母からあらゆる父の幼稚な行動、幼稚な考えを聞く
までは、《どうして私だけ酷く罵られたり罵詈雑言を浴びるので
あろうか》と悲しみと虚しさで覆われていた。
しかし、父の幼稚な部分を知ることによって殆どは無視を貫く事
は出来たが、両親の絶え間ない言い争い、喧嘩を目の当たりに
することによってストレス性胃炎に苦しんでいた時、父は
「腹が痛いくらい直ぐ治る。大袈裟な。さっさと学校行く用意
しろ」と鼻で笑いながらのた打ち回っている私の横で朝食を
食べていた。彼は自分さえ良ければいい、自分が好きに過ごせ
られたら良い、そんな人であった。
本離婚してくれて本当に良かった。
こうして今私は、摂食障害に始まり、うつ病・強迫性神経障害・
PTSDetc... と色々心の病、内臓の病気を患っているが、
此処まで苦しい思いをしてまで、どうして生きていなければ
ならないのかと疑問が生じる。考えて考えて考えて、
そして全てを放棄したくなる。
でも、それは決して許されない事。禁忌である。
上手く病気と付き合いながら、どうにかして息を繋ぐしか
無いのであろう。
だから今日は自分に対する苛立ちや責め苛む気持ちが強く、
座椅子の背にぐったりともたれ、心の中で葛藤し、ただ時間が
経つのだけを願っていた。
今死んでしまったら、病気に負けた事になる。
克服できる自信など全く無い。寧ろ負けてしまえたらどんなに
楽であろうかと考えてしまう。
しかし、私なんかのことを見守ってくれている人達の為に、
生きなければならないんだと自分を鼓舞していくしかない・・・。
コメント
ここ何日か無理にテンションを上げて行動する事が
多かったため今の私はめちゃくちゃです。毎晩泣いて
落ち込んで手首をかきむしったり・・・だけど私が生きて
しっかりしていないとダメな状態。死ねない。かといって
死ぬ勇気もない。絡まった糸を一本ずつほどいていくように
地道にゆっくりやっていかなければ急いでもそれは自分に
プレッシャーがかかるだけ・・・
ナノさん、私も楽なほうへ逃げたくなります。だけどもうちょっとがんばって生きてみましょう?私も一緒に生きてみます。
いつ治るのか知れぬこと病と闘いながら。
お互い差さえあって生きていられるんだと思います。
だから私もナノさんをいつでも見守っています。
紫音より
まるこさん、こんばんは。温かいコメントありがとうございます。
そうですね、苦しいながらも自身を投げ出す事無く諦めず、少しずつ前を向いて進めたら良いのかも知れませんね。
同志と仰ってくださり、ありがたいです。病気に立ち向かう勇気が湧いてきます。本当、まるこさんの存在が勇気付けてくれます。まるこさんのお言葉はとても力があって、そして癒されます。コメントを残してくださる事、とても感謝しています。ありがとうございます。
お互い、少しずつ諦めずやっていけるといいですね^^
★★紫音さんへ★★
紫音さん、いつもコメントを残してくださり、本当にありがとうございます。嬉しいです。
そうせざるを得ないとは言え、無理にテンションを上げてしまうと、堕ちた時が途轍もなく辛いですよね・・・。
絡まった糸。それは本当にゆっくりと解いていかないと、元通りにはなりませんね。焦っても余計に絡まってしまって苦しい状況に陥ってしまいますよね。
本当、一体いつ治るか全く解らない病気ですが、お互い支えあいながら、ゆっくりと病と闘えるといいですね。
見守ってくださっているとのお言葉、とてもありがたいです。紫音さんもご無理をなさらないようお過ごしください。