11日が建国記念日だと言う事をうっかり忘れていた。
土曜日に祝日が重なる事は滅多に無いので、気付かぬまま
病院に電話をかけていた。
留守電だったので「あれ?」と思いつつ切って、
受話器を見つめ30秒位経った頃祝日である事実を思い出した。
因って今日の電話診察は無かった。
本来なら土曜が祝日なら金曜の夕方診察時間が終わった頃
電話をかけなければならなかったのである。
週に2回は主治医と話さないと具合が悪くなるから。
落ち込んでいたら睡魔が襲ってきて1時間弱眠っていたようだ。
そして過食衝動がまるで突き上げてくるかのように襲ってきた。
逆らおうと試みたが、無駄に終わった。菓子パンをカフェオレと
共にもくもくと食べ続けていた。何も考えられなかった。
「苦しい、悔しい、何故食べなければならないのか」と
瞬間的に頭に浮かぶものの、食べ始めたらもうお仕舞いである。
嘔吐後は酷く疲れる為、また眠っていた。
気付けば17時45分・・・早くシャワーを浴びて過食食材を
買いに行かなければならない時間になっていた。
物凄い疲労感・怠さを抱えながら必死にシャワーを浴びて、
只管やらねばならない事をこなしていた。
一抹の虚しさを覚えながら。
スーパーにて・・・。普段なら半分解離状態で安値で量のある物を
選びカゴに入れていく。勿論半額シールを貼ってあるものも。
其処でふと「胃薬とデパスを飲み忘れている」と気付いた。
するとみるみる内に現実感が蘇ってきて
「私は何て虚しい事をしているのだろう」
と言う想いが頭を支配して、「死ななければ、死ね、死ね」と
自分を責める声が延々とリピートし始めた。
時が経つに連れてどんどん酷くなる。こんな感覚は久し振り
であった。それに反して身体は淡々と吐く為の食べ物をカゴに
入れていく。携帯電話の電卓で値段を足していき予算になった
所でレジへ向かう。
カゴ一杯の食材がレジに通っていくのを感じながら、
「早く死ななければ。どうしたら死ねるだろう。」
と言う思念は消える事無く続いた。
その思いを抱えたままお金を払ってビニール袋に食材を
入れていく。
・・・・・・そして家に辿り着いた現在、まだ消えていない希死念慮。
今、死んではいけない事位分かっている。
祖父や祖母より先に死んではならないと、分かっている。
母より先に死ぬ事も悪いと思っている。
でも今、命を終わらせたらこれから過食嘔吐なんてしなくて
済む訳だし、抑うつ状態のあの何とも言い難い苦しさを
味わう事も無い。私の全てが、終わる。
私はあらゆる柵から解放されて終わる。
主治医の判断では、私の神経症の発症時期は3歳だと言う。
もう十分生きてきたような気がする。
でも、私は生きる事を強いられている。
死ぬ事を固く固く禁じられている。
下手にODなんてしても、死ねる訳は無くICU入院費等を
母に払わせる結果に陥る事は目に見えている。
そうして自分の思念と現実とを一生懸命絡め合わせて
結果、死ぬ事を今の所は諦めようという境地に至る。
身体中に鈍い痛みを残したまま、現実を見つめ自分の中身を
追い詰め、虚ろな目をして生きて行く道。
重度のうつっていつ寛解へと向かうのだろう。
重度の摂食障害はいつ終わりを迎えるのだろう。
太る事は、まだ決して受け容れられない事実である。
「太る事」=「多大なる恐怖」と言う方式からは
逃れられない。
栄養を摂取した方が身体の調子も良いし、楽である事は
解っているけれど、日がな一日空腹を我慢している事の方が
自分にとって安心してしまうという事実がある。
今日はぐだぐだと纏まらない事を綴ってしまった。
お薬を服用して少し考えると言う事を休んでみようと思う。
土曜日に祝日が重なる事は滅多に無いので、気付かぬまま
病院に電話をかけていた。
留守電だったので「あれ?」と思いつつ切って、
受話器を見つめ30秒位経った頃祝日である事実を思い出した。
因って今日の電話診察は無かった。
本来なら土曜が祝日なら金曜の夕方診察時間が終わった頃
電話をかけなければならなかったのである。
週に2回は主治医と話さないと具合が悪くなるから。
落ち込んでいたら睡魔が襲ってきて1時間弱眠っていたようだ。
そして過食衝動がまるで突き上げてくるかのように襲ってきた。
逆らおうと試みたが、無駄に終わった。菓子パンをカフェオレと
共にもくもくと食べ続けていた。何も考えられなかった。
「苦しい、悔しい、何故食べなければならないのか」と
瞬間的に頭に浮かぶものの、食べ始めたらもうお仕舞いである。
嘔吐後は酷く疲れる為、また眠っていた。
気付けば17時45分・・・早くシャワーを浴びて過食食材を
買いに行かなければならない時間になっていた。
物凄い疲労感・怠さを抱えながら必死にシャワーを浴びて、
只管やらねばならない事をこなしていた。
一抹の虚しさを覚えながら。
スーパーにて・・・。普段なら半分解離状態で安値で量のある物を
選びカゴに入れていく。勿論半額シールを貼ってあるものも。
其処でふと「胃薬とデパスを飲み忘れている」と気付いた。
するとみるみる内に現実感が蘇ってきて
「私は何て虚しい事をしているのだろう」
と言う想いが頭を支配して、「死ななければ、死ね、死ね」と
自分を責める声が延々とリピートし始めた。
時が経つに連れてどんどん酷くなる。こんな感覚は久し振り
であった。それに反して身体は淡々と吐く為の食べ物をカゴに
入れていく。携帯電話の電卓で値段を足していき予算になった
所でレジへ向かう。
カゴ一杯の食材がレジに通っていくのを感じながら、
「早く死ななければ。どうしたら死ねるだろう。」
と言う思念は消える事無く続いた。
その思いを抱えたままお金を払ってビニール袋に食材を
入れていく。
・・・・・・そして家に辿り着いた現在、まだ消えていない希死念慮。
今、死んではいけない事位分かっている。
祖父や祖母より先に死んではならないと、分かっている。
母より先に死ぬ事も悪いと思っている。
でも今、命を終わらせたらこれから過食嘔吐なんてしなくて
済む訳だし、抑うつ状態のあの何とも言い難い苦しさを
味わう事も無い。私の全てが、終わる。
私はあらゆる柵から解放されて終わる。
主治医の判断では、私の神経症の発症時期は3歳だと言う。
もう十分生きてきたような気がする。
でも、私は生きる事を強いられている。
死ぬ事を固く固く禁じられている。
下手にODなんてしても、死ねる訳は無くICU入院費等を
母に払わせる結果に陥る事は目に見えている。
そうして自分の思念と現実とを一生懸命絡め合わせて
結果、死ぬ事を今の所は諦めようという境地に至る。
身体中に鈍い痛みを残したまま、現実を見つめ自分の中身を
追い詰め、虚ろな目をして生きて行く道。
重度のうつっていつ寛解へと向かうのだろう。
重度の摂食障害はいつ終わりを迎えるのだろう。
太る事は、まだ決して受け容れられない事実である。
「太る事」=「多大なる恐怖」と言う方式からは
逃れられない。
栄養を摂取した方が身体の調子も良いし、楽である事は
解っているけれど、日がな一日空腹を我慢している事の方が
自分にとって安心してしまうという事実がある。
今日はぐだぐだと纏まらない事を綴ってしまった。
お薬を服用して少し考えると言う事を休んでみようと思う。
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