どう形容していいものか・・・。
2006年2月8日コメント (2)目が覚めてからずっと抑うつ状態が続いている。
この心持ちは一体どのように形容していいのか言葉に困る。
兎に角思考が働かず、ずぶずぶと泥沼に沈んでいくような感じ。
目に映るもの全てとろとろと流れていくような感じ。
気分は暗く闇の深いトンネルの中で彷徨っているような感じ。
その中で摂食障害が暴れている。
一挙手一投足が重く怠いから、ミネラルウォーターを飲む事も
氷を噛み砕く事も至ってしんどいというもどかしさ。
そして今日は毎週録画しているドラマがあり、DVDが無いから
本屋まで買いに行かなければならなかった。
そう考えた途端、お腹がぐるぐると鳴り始め下してしまう。
自転車でたった5〜6分の距離なのに、人が沢山居る所へ
行くと思うと気が滅入る。
今日1日は、抑うつ状態に支配されていたと言う具合である。
否、いつもそうかも知れない。気分が良い、晴れ晴れとした
気持ちでいられた事なんて、この半年数える位しかないだろう。
日がな一日その様な状態であるから、『過食したい、食べたい』
と思うことも少なくなってきた。
お薬を減らしたり睡眠が足りなかったりすると何処からとも無く
苛立ちが湧いてくるので、そうなると『食べたくて仕方ない』
と言った状態になるのであるから何だか不可思議である。
自らをコントロールしようだなんて無謀な事はもう出来ない。
社会的な道徳に反する事などは決してやる気は無い。
だが、私に危害を加えようとする人、昔危害を加えてきた人に
関しては沸々と「いなくなっちゃえばいいのに。」と
言う気持ちが湧き出てくるのである。
嫌な事があれば不機嫌になってしまうのは当たり前だし、
嬉しい事があれば上機嫌になるのも当たり前である。
しかし、抑うつ状態にあると感情のコントロールが上手く
できず、怒りを感じても雪崩れるようにどうでもよくなるし
喜びを感じても一瞬にしてそれは過去へと消えていく。
特に過食食材を購入している時は、半分解離している。
これは医者にも指摘されたのである。意識が半分後ろにずれて
いるような感覚で、只管半額商品を探し吐き易いと思うものを
カゴに入れる。甘いものを食べたい感じがしたら兎に角安い
ものを探す。塩気のあるもの、ご飯に合うものが欲しければ
喉が傷付かないようなものを、勿論一番安値のものを探して
カゴに入れる。そして清算を終えて袋に詰め込むときも、
何だか義務的に解離したまま行う。感覚が戻るのは、その食材達
の重さを腕に感じた時かもしれない。
「あぁ、また無駄遣いをしたのだ」
と一気に現実に戻される。とても虚しくうつに拍車をかける事。
夜になれば、飲酒をしてやはり現実から逃れようとする。
日中苦しみでがちがちに凝り固まった身体が、血流が良くなる事
で少しは楽になる。でも、それは身体だけが楽になるのであって
心の中は痛烈に自分を罵る自分の声は止まないので苦しい。
まぁ、自業自得である。
主治医は、「今は身体が動かない事が当たり前なんだから
ゆっくり休みなさい」と仰る。
ずっとそうして休養しながら最低限のことをこなせたらいいので
あろうが、摂食障害はそれを頑なに邪魔するのである。
だから休み方が分からなくなる。ゆっくりと過ごすって
どういうことであろうか。切羽詰った境地に至る・・・。
けれども、毎日同じようなことをして過ごしているようでも、
少しは変化している筈である・・・と信じたい。
明日は退院した祖父の家に行くから、その為にきちんと起きて
支度をしなければならない。それは普段しない事であるから
少々緊張をもたらす。「起きられなかったらどうしよう」とか
「また身体が動かなくなったら・・・」等と。
『〜〜ねばならない』という考え方は最早癖になっていて
今更どうしようもないが、明日祖父の家に行く事は自分として
「是が非でも行きたい」という事実なので此処は何が何でも
頑張るべきであろうと思う。
その為に今日は処方薬全種類を飲むにしても量を減らそうと
思っている。
無事手術の終わった祖父に会う為に。泊り込みで看護した
祖母をいたわる為に。
この心持ちは一体どのように形容していいのか言葉に困る。
兎に角思考が働かず、ずぶずぶと泥沼に沈んでいくような感じ。
目に映るもの全てとろとろと流れていくような感じ。
気分は暗く闇の深いトンネルの中で彷徨っているような感じ。
その中で摂食障害が暴れている。
一挙手一投足が重く怠いから、ミネラルウォーターを飲む事も
氷を噛み砕く事も至ってしんどいというもどかしさ。
そして今日は毎週録画しているドラマがあり、DVDが無いから
本屋まで買いに行かなければならなかった。
そう考えた途端、お腹がぐるぐると鳴り始め下してしまう。
自転車でたった5〜6分の距離なのに、人が沢山居る所へ
行くと思うと気が滅入る。
今日1日は、抑うつ状態に支配されていたと言う具合である。
否、いつもそうかも知れない。気分が良い、晴れ晴れとした
気持ちでいられた事なんて、この半年数える位しかないだろう。
日がな一日その様な状態であるから、『過食したい、食べたい』
と思うことも少なくなってきた。
お薬を減らしたり睡眠が足りなかったりすると何処からとも無く
苛立ちが湧いてくるので、そうなると『食べたくて仕方ない』
と言った状態になるのであるから何だか不可思議である。
自らをコントロールしようだなんて無謀な事はもう出来ない。
社会的な道徳に反する事などは決してやる気は無い。
だが、私に危害を加えようとする人、昔危害を加えてきた人に
関しては沸々と「いなくなっちゃえばいいのに。」と
言う気持ちが湧き出てくるのである。
嫌な事があれば不機嫌になってしまうのは当たり前だし、
嬉しい事があれば上機嫌になるのも当たり前である。
しかし、抑うつ状態にあると感情のコントロールが上手く
できず、怒りを感じても雪崩れるようにどうでもよくなるし
喜びを感じても一瞬にしてそれは過去へと消えていく。
特に過食食材を購入している時は、半分解離している。
これは医者にも指摘されたのである。意識が半分後ろにずれて
いるような感覚で、只管半額商品を探し吐き易いと思うものを
カゴに入れる。甘いものを食べたい感じがしたら兎に角安い
ものを探す。塩気のあるもの、ご飯に合うものが欲しければ
喉が傷付かないようなものを、勿論一番安値のものを探して
カゴに入れる。そして清算を終えて袋に詰め込むときも、
何だか義務的に解離したまま行う。感覚が戻るのは、その食材達
の重さを腕に感じた時かもしれない。
「あぁ、また無駄遣いをしたのだ」
と一気に現実に戻される。とても虚しくうつに拍車をかける事。
夜になれば、飲酒をしてやはり現実から逃れようとする。
日中苦しみでがちがちに凝り固まった身体が、血流が良くなる事
で少しは楽になる。でも、それは身体だけが楽になるのであって
心の中は痛烈に自分を罵る自分の声は止まないので苦しい。
まぁ、自業自得である。
主治医は、「今は身体が動かない事が当たり前なんだから
ゆっくり休みなさい」と仰る。
ずっとそうして休養しながら最低限のことをこなせたらいいので
あろうが、摂食障害はそれを頑なに邪魔するのである。
だから休み方が分からなくなる。ゆっくりと過ごすって
どういうことであろうか。切羽詰った境地に至る・・・。
けれども、毎日同じようなことをして過ごしているようでも、
少しは変化している筈である・・・と信じたい。
明日は退院した祖父の家に行くから、その為にきちんと起きて
支度をしなければならない。それは普段しない事であるから
少々緊張をもたらす。「起きられなかったらどうしよう」とか
「また身体が動かなくなったら・・・」等と。
『〜〜ねばならない』という考え方は最早癖になっていて
今更どうしようもないが、明日祖父の家に行く事は自分として
「是が非でも行きたい」という事実なので此処は何が何でも
頑張るべきであろうと思う。
その為に今日は処方薬全種類を飲むにしても量を減らそうと
思っている。
無事手術の終わった祖父に会う為に。泊り込みで看護した
祖母をいたわる為に。
コメント
こんばんは、まるこさん。コメントありがとうございます。
お返事が遅くなってしまい、ごめんなさい。
祖父のことを心配してくださり、何と言っていいやら・・・嬉しいです。おかげさまで術後経過も順調で木曜日に退院しました。それで退院した祖父の家に行っていた為帰りが遅くなり、返信がおくれました。
実は祖父は認知症なのですが、私のことをちゃんと覚えていてくれるのです。初孫と言う事もあり、私も嬉しくて、祖父のことはとても大切に思い、心配もしてしまいます。
「〜せねばならない」という観念は本当きついものがありますね。でも、そうしないと気が済まないと言う厄介なものです。まるこさんの日記を拝読していても、その辛さが伝わってきます。まるこさんが仰ってくださるように、思想の何処かでシェアできるといいですね^^ 温かい言葉を本当にありがとうございます。
またまるこさんの所へ訪問させていただきますね^^