いつからか、誕生日を家族みんなで祝う事はなくなった。

まぁ弟も19歳であるし、ケーキにロウソクを立てて唄って

祝うのも恥ずかしいであろう。



過去を遡れば、妹が14歳でグレてしまって家出して彼氏の家で

暮らし始めた頃から祝わなくなった気がする。

弟も高校1年生の時彼女ができて滅多に家に帰ってこなくなり、

学校へも行かなくなった。




妹も弟も自由すぎて目の前にある楽しみや快楽に走ったので

あろう。私はその間、必死で良い子で居続けた。

母を悲しませない為に。しかし結局私は摂食障害という形で

母に迷惑をかけ悲しみを与えてしまっている。



私が1番親不孝である。



今となっては、こんなに病気を沢山併発した私を母は優しく

支えてくれてまた出来る限り私が母を支えると言う図式は

出来上がったが、此処まで来るのにたくさんの地獄を体験した。



妹は18歳の時、何度目かの妊娠をした。今回は産みたいとの事で

結婚をしたが、その相手はドメスティックバイオレンスの酷い

男であった。何度も警察沙汰になったり、私にも殴りかかろうと

してきたりした。妹はその酷い暴力で脳が腫れて未だ乳児の

子どもを抱き、追いかけてくる男から必死で逃げて近くの

脳外科病院へタクシーで行った。その酷い暴力を境に妹は

離婚を決意し、家へ帰って来た。そこから私の地獄が始まった。



妹の親友が毎日夜中まで居座る・・・・・・赤ちゃんの世話と言う理由

で。しかし毎日酒盛りが行われていた。

仕事から疲れて帰ってきたら必ず居る。その人達に気を遣わねば

ならない日々。そして妹が一番私に対して怒りを抱いていたのが

この摂食障害の症状である。今までと生活ががらりと変わり、

慣れない為に私の過食嘔吐は回数が日増しに増えていった。



「うるさいからいい加減にしてよ」



と毎日詰られる。又、姪は卵アレルギーがあった為、私が食費を

削る為に自炊をして過食食糧を作っていても、

「姉ちゃんが卵を使った所為だ」

と姪の皮膚に現れた湿疹の事を責められる日が続いた。

私は知っていたから使った鍋やフライパン、コンロ周り

を丹念に綺麗にしていてもそう言われ続けた。



やがて、妹は男遊びを始めて子どもを置いて夜中に出歩くように

なった。そして子育てのストレスが溜まったからとカラオケにも

行っていた。

その間私が姪の面倒を見ていたが、やはり母親の姿が見当たら

ないと大泣きするので妹に連絡をするが、「後1時間位いい

でしょ」と3〜4時間は帰ってこなかった。



暴発する過食嘔吐。母からは「あんたの食費の所為で私たちは

漬物とか野菜の煮物くらいしか食べられない!」と怒鳴られる。

でも止められない。フラストレーションばかり溜まり、私は

家に帰ったらすぐ眠れるように23歳の誕生日、精神科の診察の

前に処方薬4回分+抗不安剤・抗うつ剤等を飲んだ。

その頃にはもう栄養失調であった為、少量の薬でもぶっ倒れ、

主治医に県病院まで救急車で運ばれた。HCUで只管体内の薬を

点滴で洗い流し、総合病棟に移っても栄養失調のため24時間点滴

を受けていた。

しかし、退院後も妹の自由自在・好き勝手な生活は続いた。

そうしている内に、また新しい男が出来た妹は、毎日家に

泊まらせていた。今まで女ばかりだった家に、他人の男が

入り込み住んでいる。自分の家なのに他人に気を遣わねば

ならない生活。うんざりだった。



でも此処まで来ると、母も毎日男性が家に泊まっている事に我慢

出来なくなって、妹を叱った。そうすると妹は逆切れして

「全部姉ちゃんの病気の所為だろ!私が出て行けばいい

んだろうが。こんな家で暮らせるか!」と捨て台詞を残し

出て行った。



そうしてやっと平穏な日が訪れた。騒がしい妹の友達もいない。

こっそり夜中に妹達がS◆Xをして聞こえてくる声で悩む事も

無くなった。





あぁとんでもなく話が飛躍してしまった。

兎にも角にも弟に誕生日おめでとうと電話をしたら喜んでいた。

言えて嬉しかったし、喜んでもらえて良かったと思った。

私は3日後の6日が誕生日である。

きっと母はケーキを買うと言ってくれるであろうが、

過食前提でしか、その様な甘いものは食べられない。

申し訳ないから、ショートケーキを数個買って貰おう。

過食嘔吐ではケーキなんて高いもの食べられないから、

誕生日だけは美味しいものをゆっくり味わって食べてみよう。

後で嘔吐することは必至だが、母の心は胸にとどめておこう。



因みに節分で、恵方を向いて巻き寿司をもくもくと食べる習慣が

根付いてきているが、スーパーへ行ったら全て売り切れていた。

南南東。今日、その方位に向いて長い巻き寿司を食べた人に

福は訪れるのであろうか。

私は何れにせよ固形物は嘔吐するものとなってしまっているので

意味はないのであろう。福も訪れない。



ひたすら抑うつ感と対面しながら、重く暗い心でまた1年を

過ごさねばならない。誕生日が来ても、嬉しくはなくなった。

ただ、摂食障害の歴史が長くなるだけ。それだけだから・・・。

コメント

まるこ
まるこ
2006年2月4日16:47

ナノさん・・随分、いや、想像を絶するお辛い体験をなさって来たのですね・・私などの愚痴は、単なる戯言としか思えないような、ナノさんのお辛い体験・・本当に良くぞ耐えておいでになりましたね。今もそのお辛さは続行中かも知れませんが、私は何度でも言いたいです。こうして日記上とはいえ、ナノさんにお会いできて本当に良かった。それは上っ面な言葉ではなく、ナノさんという大切な存在とめぐり合えて本当に良かったと思います。私がナノさんのお辛さを拭い去るなんてたいそうな事は出来る筈もありませんが、でも私はこうしてナノさんが存在していて下さる事に心から感謝しています^^すいません。支離滅裂なコメントで・・なんだか生意気言ってすいません・・どうかお気を悪くなさらないで下さいね・・

紫音
かぐら
2006年2月4日18:11

辛い思いなさったのですね。苦しかったでしょう。
いや今でもまだ苦しいでしょうね。
摂食障害・・・
どうすれば軽くできるのかなぁ
どうすれば過食をやめられるかなぁ
どうすればナノさんの気持ち温かくなるかなぁ
嘔吐して気分がすっきりするのなら他にすっきり
できる方法考えなきゃね^^

できることなら「生きてくれてありがとう、頑張ってるんだね、大丈夫だからね」と肩を抱き苦しみを一緒に分かち合いたいくらい心配してますよ。

どうか体を無理に嘔吐と言う行為で疲れさせないように
だんだんその行為が少なくなりますように・・・
                     紫音でした

ナノ
ナノ
2006年2月4日19:39

★★まるこさんへ★★

まるこさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
いつもまるこさんの温かいお言葉に救われています。

確かにあの頃は辛かったなぁと今でも胸が痛みますが、今はやっと家で落ち着いて過ごせています。

『大切な存在』という言葉、胸に沁みます。私も、日記上ではありますが、まるこさんという『大切な存在』と繋がる事が出来、嬉しく思っています^^

まるこさんのお言葉は上っ面ではなく、きちんと心に届いていますよ。気を悪くする事なんてないです^^寧ろ此処まで慮ってくれている事が嬉しくて・・・・・・。

まるこさんも辛いさなかにいらっしゃるのに、本当にありがとうございます。お互いゆっくりやっていきましょうね。

☆☆紫音さんへ☆☆

紫音さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

本当、摂食障害によって何とか胸の空白を満たし、吐き出しているような気がしています。だからこれに代わる何か良い方法があれば少しは症状が緩和するのではないかと思います。

紫音さんも、一生懸命生きていらっしゃいますね。そんな中私の心配をして下さりありがとうございます。
嘔吐によって身体が蝕まれている事を実感していますが、どうにもしがたい、今は仕様がないと少々諦め気味です。しかし、紫音さんを含めコメントを下さる方々の力強い言葉によって持ち堪えています。本当に感謝しきりです。

私も、紫音さんが少しでも早く自分の落ち着ける場所、安らげる居場所が見つかる事を祈っています^^

ありがとうございました。