気怠い1日

2006年2月1日
昨日、勢いに任せて病院へと足を運んだ所為か、その疲れが

出てきたようである。暗鬱とした気持ちの上に、何だかとても

気怠い1日であった。ずっと薬の作用が長引いている感じで

頭の中は濃い霧が蔓延っているようである。

6時間は眠ったのに、まだ眠くて堪らない、けれども身体は

活動したくて仕方ないと言った状態が持続していた。


昨日の主治医から聴いた言葉と重なって、どうやら【うつ】

に因って身体が重くて動かないと言った具合だと思われる。

只管虚無感が漂った。死にたいとも生きたいとも思わない。

食欲も過食衝動も無い。虚ろな目で画面が早々と変わり行く

TVを眺めていた。


何も出来ない。身体を動かす事が苦痛である、そんな私は

何の役にも立てず、唯この病気に侵された身を持て余すだけ。



『眠る』事で、どうにか心身が休まる。

だから日中に過食と嘔吐をしようと思えない。

慢性的に脳も身体も疲れているので、何もかもが面倒臭い。


「役立たず」と自分を罵る

自分が居る。自分を責め抜き、そして自らの所為で沈み行く。


己を責め苛む行為を止めない限り、うつの悪化は免れない

であろう。そう分かっていても、やはりこの動かない身体や

働かない脳が憎くて堪らない。


学生時代は今よりもっと過食嘔吐の症状は酷かったけれど、

毎日講義を受けに自転車で大学まで行っていた。

雨の日も、台風の日も傘が壊れたって40分かけて大学に

行く気力も体力もあった。

今は何も出来ない。近所のスーパーへ行くので精一杯である。


主治医は、「休む事があなたの仕事だよ」と仰る。その言葉が

何とか救ってくれている。

また、母も動けない私を見て以前のように責めたり追い詰めたり

しなくなった。優しく見守ってくれている。

とてもありがたい。


しかし、1日2回の過食嘔吐は最早「やらねばならない事」と

なっている。食べている時と嘔吐している時は半ば解離していて

現実感が無い。しかし片付けなどをすっかり終えた後に

低血糖による身体の震えや怠さを覚えると忽ち苦しくなる。


過食も嘔吐もやりたくない。食べたくもない。全て放棄したいと

思ってしまうが、人間は食べないと生きてはいけない。


自分で、『吐く位なら食べない方が良いのかな』と思うことは

しばしばあるが、他人である何の事情も知らないあの憎き大家に


「吐くくらいやったら食うな!!!」



と罵られた事は傷となって残ってしまい、毎日びくびくしながら

過ごしている。


日中家に1人で居る時、何時怒鳴り込んでくるか、恐くて

堪らない。ついでに父親が怒鳴り声で母を一方的に罵り

詰った事がフラッシュバックする。子どもであった私に

母の助けになれなかった悲しみや悔しさ、苦しさが甦る。


遠くへ行ってしまいたい。唯の逃避願望であろうが、

今はもう兎に角疲れてしまった。

まだまだ堕ちていくうつ病の症状。治る兆しを見せない

摂食障害。

歪んだ自己認識に只管痩せる事を望む自分の愚かさ。

そればかりが際立って、益々身体は重くなっていく。


うつ病は「休養が一番必要」と言われるが、それこそどうしたら

良いのか解らないし、過食嘔吐で心が暴れる私にとっては

難しい事であろう。

社会的な物差で自分の事を見るから余計に苦しくなるのである。

病気なのであるから、休めば良いのにそれが出来ないのは

やはりこの世間の風潮からであろうか・・・・・。

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