『治る』とはどういうことだろう。
2006年1月28日コメント (2)4月から、精神保健福祉法32条(通院医療公費負担制度)が
改正(改悪??)される。私は、この制度を大学卒業した後から
申請して通り、今年切れるのでまた申請した。
今まで0.5割負担だったのが、どうやら4月から
1割負担になるようである。
私には収入がないし、母の収入だけでは
私が摂食障害という病気の為ぎりぎりで生活していて
正直逼迫している状況である。
今日主治医に説明をしてもらったが、何とか1割負担で済みそう
である。しかし今までの2倍になるし、カウンセリング料金も
ある為、もっと瀬戸際に追い込まれる生活となるであろう。
このような決議をする国会の人達は、所謂“健康な人”である。
障害者自立支援法だって、『働く事を促す』事が前提である。
これらがどれだけ病人や障害を持った人達の精神的負担になって
いるか、“健康な人”には思慮できないのであろう。
病気を患っていたり、生活に支障をきたす障害を持っていたり
する人達にとって、普通の人の様に働いたり生活する事は
難しい。
健康な人も、ふとしたきっかけや交通事故等によって
心や脳の病気を患ったり、精神に障害を残す怪我を負ったり
する事と紙一重の所にいる。きっとそうなって初めて
弱者からお金を毟り取って国の財源にしようとした愚かさを
知る事になるのではないであろうか。
私は遡れば小さな子どもの頃からメランコリックな精神状態で
あった。幼稚園の頃から人に馴染めず対人恐怖もあり、その為
苛虐を受ける事も多々あった。
小学生の高学年になって、両親の喧嘩が毎日絶えなくなり、
一方的に母を詰り怒鳴りつける父に嫌悪を抱き、また恐怖も
感じ神経性胃炎を患った。しかし、腹痛は仮病だとか暫くすれば
治るとか言われ、父はのた打ち回る私を鼻で笑い無視をした。
心身症という最初の身体からのSOSは誰にも届かず、
そうする内にダイエットをきっかけに摂食障害になった。
それは他の病気も派生させ強迫神経症・対人恐怖・リストカット
・アルコール依存をも患いどんどん苦しくなっていった。
そして、根源である『うつ病』は診断名も下り、重度とされて
いる。脳や心の病気が複雑に縺れて絡まり、とうとう外出さえ
困難になった。
そして・・・・・・一体『治る』とはどういうことなのであろうか。
全ての症状が消えたとしても、この生き辛く厳しい世の中で
果たして生きていけるのであろうか。
今TVのニュースを賑わしているあの人は、
「金が全て。金があれば何でも手に入る」
とのたまっていた。勿論、お金に欲がある人は、その欲を
満たすためにその人に付いて行くのであろう。でも、考えれば
その人だけでなく、社会で働く人の殆どが一抹の虚しさを
感じないようにしてお金を手に入れて生活する為に、あらゆる
モノを犠牲にして働き生きている。
健康な人は鈍感にならざるを得なくて、人を傷つけてしまう事も
平気でしたり言ったりする。そしてそれに気付けない。
病気が治ったならば、そう言った生き辛い社会に出て、
自活する為に働きお金を稼がねばならない。
しかし、その世界を全うに受け止め生きようとすれば、
酷く傷付きまた新たなる病気を発症してしまうのではないかと
感じる。
症状が全て消える事が『治る』と言う事なのであろうか・・・・・・。
しかし社会に出てまた傷付きぶり返したら元の木阿弥である。
強さ。きっと病気になって培った人を慮る能力、人を傷つけまい
とする優しさ、傷付きやすい自分を守る力。それらを身に付け
社会に出ても愚鈍で酷く何処かおかしな厳しさに耐え得る力を
身に付け、そんな思い遣りの欠片もない社会の風潮に染まらない
強さを得た時、『治った』と近い状態になるのではない
であろうか・・・・・・。
しかし、これはかなり個人的な憶測である為、正当ではない。
今の私から摂食障害の症状や強迫性障害の症状etc...を
取り除き、PTSDも無くなり、うつから解放されたとしても、
空っぽな自分がそこに在るというだけの状態になるであろう。
社会に出て働くと言う事は私にとってまだ恐怖感がある。
「こんな弱くてどうする、しっかりしなければ」とは思えど、
兎角この世は生き辛い。全て捨てて綺麗さっぱり自分の存在を
消す事が出来たならと願って止まない。
毎日毎日、自らの病気に振り回される生活を送っている。
心の奥底は苦しい、哀しい、寂しいと泣き叫んでいる。
しかし『うつ』の私の表情は虚ろである。
摂食障害に関しては、己が悪化させた事を重々承知している。
今は、必死に1日1日を過ごしていく事しかできない。
情けないけれど、それが精一杯自分の出来る事であるから・・・。
改正(改悪??)される。私は、この制度を大学卒業した後から
申請して通り、今年切れるのでまた申請した。
今まで0.5割負担だったのが、どうやら4月から
1割負担になるようである。
私には収入がないし、母の収入だけでは
私が摂食障害という病気の為ぎりぎりで生活していて
正直逼迫している状況である。
今日主治医に説明をしてもらったが、何とか1割負担で済みそう
である。しかし今までの2倍になるし、カウンセリング料金も
ある為、もっと瀬戸際に追い込まれる生活となるであろう。
このような決議をする国会の人達は、所謂“健康な人”である。
障害者自立支援法だって、『働く事を促す』事が前提である。
これらがどれだけ病人や障害を持った人達の精神的負担になって
いるか、“健康な人”には思慮できないのであろう。
病気を患っていたり、生活に支障をきたす障害を持っていたり
する人達にとって、普通の人の様に働いたり生活する事は
難しい。
健康な人も、ふとしたきっかけや交通事故等によって
心や脳の病気を患ったり、精神に障害を残す怪我を負ったり
する事と紙一重の所にいる。きっとそうなって初めて
弱者からお金を毟り取って国の財源にしようとした愚かさを
知る事になるのではないであろうか。
私は遡れば小さな子どもの頃からメランコリックな精神状態で
あった。幼稚園の頃から人に馴染めず対人恐怖もあり、その為
苛虐を受ける事も多々あった。
小学生の高学年になって、両親の喧嘩が毎日絶えなくなり、
一方的に母を詰り怒鳴りつける父に嫌悪を抱き、また恐怖も
感じ神経性胃炎を患った。しかし、腹痛は仮病だとか暫くすれば
治るとか言われ、父はのた打ち回る私を鼻で笑い無視をした。
心身症という最初の身体からのSOSは誰にも届かず、
そうする内にダイエットをきっかけに摂食障害になった。
それは他の病気も派生させ強迫神経症・対人恐怖・リストカット
・アルコール依存をも患いどんどん苦しくなっていった。
そして、根源である『うつ病』は診断名も下り、重度とされて
いる。脳や心の病気が複雑に縺れて絡まり、とうとう外出さえ
困難になった。
そして・・・・・・一体『治る』とはどういうことなのであろうか。
全ての症状が消えたとしても、この生き辛く厳しい世の中で
果たして生きていけるのであろうか。
今TVのニュースを賑わしているあの人は、
「金が全て。金があれば何でも手に入る」
とのたまっていた。勿論、お金に欲がある人は、その欲を
満たすためにその人に付いて行くのであろう。でも、考えれば
その人だけでなく、社会で働く人の殆どが一抹の虚しさを
感じないようにしてお金を手に入れて生活する為に、あらゆる
モノを犠牲にして働き生きている。
健康な人は鈍感にならざるを得なくて、人を傷つけてしまう事も
平気でしたり言ったりする。そしてそれに気付けない。
病気が治ったならば、そう言った生き辛い社会に出て、
自活する為に働きお金を稼がねばならない。
しかし、その世界を全うに受け止め生きようとすれば、
酷く傷付きまた新たなる病気を発症してしまうのではないかと
感じる。
症状が全て消える事が『治る』と言う事なのであろうか・・・・・・。
しかし社会に出てまた傷付きぶり返したら元の木阿弥である。
強さ。きっと病気になって培った人を慮る能力、人を傷つけまい
とする優しさ、傷付きやすい自分を守る力。それらを身に付け
社会に出ても愚鈍で酷く何処かおかしな厳しさに耐え得る力を
身に付け、そんな思い遣りの欠片もない社会の風潮に染まらない
強さを得た時、『治った』と近い状態になるのではない
であろうか・・・・・・。
しかし、これはかなり個人的な憶測である為、正当ではない。
今の私から摂食障害の症状や強迫性障害の症状etc...を
取り除き、PTSDも無くなり、うつから解放されたとしても、
空っぽな自分がそこに在るというだけの状態になるであろう。
社会に出て働くと言う事は私にとってまだ恐怖感がある。
「こんな弱くてどうする、しっかりしなければ」とは思えど、
兎角この世は生き辛い。全て捨てて綺麗さっぱり自分の存在を
消す事が出来たならと願って止まない。
毎日毎日、自らの病気に振り回される生活を送っている。
心の奥底は苦しい、哀しい、寂しいと泣き叫んでいる。
しかし『うつ』の私の表情は虚ろである。
摂食障害に関しては、己が悪化させた事を重々承知している。
今は、必死に1日1日を過ごしていく事しかできない。
情けないけれど、それが精一杯自分の出来る事であるから・・・。
コメント
ナノさんが無理しない程度に静かに過ごしましょうよ^^
私も何とか一日一日をクリアしていくだけなのにとってもきついしとっても苦しい。私の理性よ頑張ってくれって感じ。
お互い無理せず生きましょうね。 紫音より
コメントありがとうございます。
苛々や焦燥感って、どうしようもないですよね。どうしたら止まってくれるのか、見当も付きません。以前の私もそうなったら手首を切っていました。切って血が出てくる一瞬とか手首が痛んでいる間は、何となく苛々がどっかへ言ってしまった錯覚に陥りますね。
涙を流すと、心が浄化された気持ちになってすっきりできるんですが、泣きたい時に泣けない、一寸した事ですぐに昂り泣いてしまうという事が私は多いです。
周りの環境如何によって感情が振り回されるのは本当に辛い事ですね。
紫音さんも辛いのに、いつも心配してくれてありがとうございます。本当、お互い無理せず1日1日をクリアできるといいですね^^