やはりお薬は必要だ。
2006年1月13日 日常夜中3時半頃、過食嘔吐も片付けも終え、ぐったりした。
酷く疲れていたが、ストレッチを自分に課しているので
それをするために取り敢えず腰を下ろした。
しかし、怠くて堪らず身体を横たえた。
あぁ、未だお薬飲んでない、胃薬も飲まなきゃ食道や胃が荒れてしまう・・・
と考えながらも意識は遠のいていった。TVの24時間ニュースで
確認した時刻は4時だった。
・・・やはり眠ってしまったようだ。起きた時刻は7時半。
何も飲まないと3時間から3時間半しか眠れない。
そして灼けつくような喉の痛み。抗生物質も飲まなきゃ
いけなかったのも忘れていた。
ぼんやりした頭のまま薬袋から胃薬と抗生物質は取り出した。
そしてこのまま起きている事も出来るが、午前中はうつが酷く
苦しいし、ちゃんと処方通り飲まないと心が乱れるから
お昼には目覚められるようにいつもより少し減らした向精神薬
の類を飲んだ。勿論ベゲタミンAも服用した。
薬が効き始めるまでニュースを観る。芸能情報を眺め、
雪の恐さにおののいて、やがてシャットダウンするかのように
意識がぷっつり途絶えた。
しかし何だかしんどい夢を連続して見ていたようで、
心身ともに余り休まった感じがしない。
13時過ぎに目が覚めて、暫し疲れた心や身体を想いながら
習慣となっているコーヒーを淹れた。
最近ソイラテで豆乳を多く入れるとノンカロリーシロップの甘味
が感じられないのでシロップは2つ入れている。
此処まで毎日同じ事をずっと繰り返していると嫌になる。
けれどもいい具合に薬が働いてくれて何も考えずにいられる。
厄介な事、悲しい事、憂うべき事、虚しい事全てぼやけてくる。
やっぱりお薬は必要なのだ。
脆弱な頭でこれらの事を悩み抜いていると、過食衝動が出てきて
現実逃避を図ろうとするから。はっきりと覚醒している状態より
やはり何処か靄がかかったままの脳みその方が、具合が良い。
しかしやがてお薬の効果もキレて、まず苛立ちが始まる。
食べ物の事ばかりで頭がいっぱいになる。
「今日は何を食べようか、如何にして節約しようか・・・。
体の浮腫みはそんなに酷くない・・・今日は些か平常心を保って
いられる・・・。でも何か日中に栄養を摂らないと太りやすい
体質になってしまう」等、もう頭の中は食べ物で支配される。
こんな事しか考えられない自分に嫌気が差す。
しかしどう足掻いても、私は摂食障害を患っている限りはもう
この思想を取り払う事なんて無駄な行為かもしれない。
そうしている内にうつ状態は重さを増していくのである。
こんな醜い単細胞のような自分なんて消えればいいのにと。
兎に角私には『食べるか食べないか』『生きるか死ぬか』等
よく摂食障害の専門書などにみられる『ALL or NOTHING』の
世界にいる事を痛感する。
しかし二面性もあり、潔癖な所もあればどうでもいいやみたいな所もあるから、一体何処が線引きなのか分からない。
嘔吐に関しては完璧にしなければならないと感じている。
胃の中のもの全て吐ききるまで。胆汁も吐いてしまうまで。
そうすると何故か身体が空っぽになった爽快感を感じる。
これで太ることは無いと理屈付ける。
しかし吐いたまま放っておくと低血糖などで身体が震えるので
ブドウ糖を舐めたり野菜ジュースを飲んだりと結局空っぽの
ままではいられないのであるが、仕方の無い事である。
私が読んだ事のある本の中に、『鏡の中の少女』と『鏡の中の
孤独』(著者レベンクロン)がある。
主人公は拒食症の少女であるが、この第2編目の『鏡の中の孤独』
は主人公と同じ体操教室に通っている少女が過食嘔吐を
している子で、食べては吐き、食べては吐きを繰り返すうち
トイレに突っ伏して死んでしまうのである。
私はとても恐ろしく感じた。嘔吐している途中に脈が飛び
不整脈を起こしたり嘔吐後震えが止まらなくなったりする事が
私にも起こるからである。
普段から希死年慮を消せない自分もいるが、
こんな過食嘔吐の所為で死にたくは無いと思うのである。
死ぬのなら、自分で決めた方法で、身を綺麗にして
身体の中に食べ物等は言っていない状態でないと許せない。
けれども、そんな理不尽な恐怖に怯えながら毎日の過食嘔吐は
止む事を知らない。
夜になるとやりたくなくてもやってしまう。
だから私は、「この症状はまだ私に必要なものだ」と自分に
言い聞かせる。
だけど以前よりはこの行為を違和感が出てきた。出来れば回数も
減らしたいし、食べ物に関する粘着質な執着も取り払いたい。
だからこそ、私にはカウンセリングが必要だし、医者の2時間に
及ぶ面接(診察)も不可欠なのだと感じる。
主治医曰く私はかなりの重症でその上他の病気まで併発している
から、快復まではかなりの時間が掛かるだろうといわれている。
少なくとも10年は掛かると宣告された。
人が一番楽しく輝ける20代に、私は病気に浸りきるしか術はない
のである。
そう考えると何もかもが虚無感で彩られるし、
人が恐いのだから人間関係も築けず恋人が出来る筈もない。
だとしたら結婚も無理。お薬が必要な私には子どもも産めない。
しかし虐待の連鎖を断ち切るためにも私で終わりにすれば良いと
やや自嘲的に感じている。
飲みすぎなければ、お薬は適度に優しく働いてくれる。
それによる睡魔は抵抗なく受け容れられる。
眠っていれば、余計な事を考えないで済むのだから・・・。
酷く疲れていたが、ストレッチを自分に課しているので
それをするために取り敢えず腰を下ろした。
しかし、怠くて堪らず身体を横たえた。
あぁ、未だお薬飲んでない、胃薬も飲まなきゃ食道や胃が荒れてしまう・・・
と考えながらも意識は遠のいていった。TVの24時間ニュースで
確認した時刻は4時だった。
・・・やはり眠ってしまったようだ。起きた時刻は7時半。
何も飲まないと3時間から3時間半しか眠れない。
そして灼けつくような喉の痛み。抗生物質も飲まなきゃ
いけなかったのも忘れていた。
ぼんやりした頭のまま薬袋から胃薬と抗生物質は取り出した。
そしてこのまま起きている事も出来るが、午前中はうつが酷く
苦しいし、ちゃんと処方通り飲まないと心が乱れるから
お昼には目覚められるようにいつもより少し減らした向精神薬
の類を飲んだ。勿論ベゲタミンAも服用した。
薬が効き始めるまでニュースを観る。芸能情報を眺め、
雪の恐さにおののいて、やがてシャットダウンするかのように
意識がぷっつり途絶えた。
しかし何だかしんどい夢を連続して見ていたようで、
心身ともに余り休まった感じがしない。
13時過ぎに目が覚めて、暫し疲れた心や身体を想いながら
習慣となっているコーヒーを淹れた。
最近ソイラテで豆乳を多く入れるとノンカロリーシロップの甘味
が感じられないのでシロップは2つ入れている。
此処まで毎日同じ事をずっと繰り返していると嫌になる。
けれどもいい具合に薬が働いてくれて何も考えずにいられる。
厄介な事、悲しい事、憂うべき事、虚しい事全てぼやけてくる。
やっぱりお薬は必要なのだ。
脆弱な頭でこれらの事を悩み抜いていると、過食衝動が出てきて
現実逃避を図ろうとするから。はっきりと覚醒している状態より
やはり何処か靄がかかったままの脳みその方が、具合が良い。
しかしやがてお薬の効果もキレて、まず苛立ちが始まる。
食べ物の事ばかりで頭がいっぱいになる。
「今日は何を食べようか、如何にして節約しようか・・・。
体の浮腫みはそんなに酷くない・・・今日は些か平常心を保って
いられる・・・。でも何か日中に栄養を摂らないと太りやすい
体質になってしまう」等、もう頭の中は食べ物で支配される。
こんな事しか考えられない自分に嫌気が差す。
しかしどう足掻いても、私は摂食障害を患っている限りはもう
この思想を取り払う事なんて無駄な行為かもしれない。
そうしている内にうつ状態は重さを増していくのである。
こんな醜い単細胞のような自分なんて消えればいいのにと。
兎に角私には『食べるか食べないか』『生きるか死ぬか』等
よく摂食障害の専門書などにみられる『ALL or NOTHING』の
世界にいる事を痛感する。
しかし二面性もあり、潔癖な所もあればどうでもいいやみたいな所もあるから、一体何処が線引きなのか分からない。
嘔吐に関しては完璧にしなければならないと感じている。
胃の中のもの全て吐ききるまで。胆汁も吐いてしまうまで。
そうすると何故か身体が空っぽになった爽快感を感じる。
これで太ることは無いと理屈付ける。
しかし吐いたまま放っておくと低血糖などで身体が震えるので
ブドウ糖を舐めたり野菜ジュースを飲んだりと結局空っぽの
ままではいられないのであるが、仕方の無い事である。
私が読んだ事のある本の中に、『鏡の中の少女』と『鏡の中の
孤独』(著者レベンクロン)がある。
主人公は拒食症の少女であるが、この第2編目の『鏡の中の孤独』
は主人公と同じ体操教室に通っている少女が過食嘔吐を
している子で、食べては吐き、食べては吐きを繰り返すうち
トイレに突っ伏して死んでしまうのである。
私はとても恐ろしく感じた。嘔吐している途中に脈が飛び
不整脈を起こしたり嘔吐後震えが止まらなくなったりする事が
私にも起こるからである。
普段から希死年慮を消せない自分もいるが、
こんな過食嘔吐の所為で死にたくは無いと思うのである。
死ぬのなら、自分で決めた方法で、身を綺麗にして
身体の中に食べ物等は言っていない状態でないと許せない。
けれども、そんな理不尽な恐怖に怯えながら毎日の過食嘔吐は
止む事を知らない。
夜になるとやりたくなくてもやってしまう。
だから私は、「この症状はまだ私に必要なものだ」と自分に
言い聞かせる。
だけど以前よりはこの行為を違和感が出てきた。出来れば回数も
減らしたいし、食べ物に関する粘着質な執着も取り払いたい。
だからこそ、私にはカウンセリングが必要だし、医者の2時間に
及ぶ面接(診察)も不可欠なのだと感じる。
主治医曰く私はかなりの重症でその上他の病気まで併発している
から、快復まではかなりの時間が掛かるだろうといわれている。
少なくとも10年は掛かると宣告された。
人が一番楽しく輝ける20代に、私は病気に浸りきるしか術はない
のである。
そう考えると何もかもが虚無感で彩られるし、
人が恐いのだから人間関係も築けず恋人が出来る筈もない。
だとしたら結婚も無理。お薬が必要な私には子どもも産めない。
しかし虐待の連鎖を断ち切るためにも私で終わりにすれば良いと
やや自嘲的に感じている。
飲みすぎなければ、お薬は適度に優しく働いてくれる。
それによる睡魔は抵抗なく受け容れられる。
眠っていれば、余計な事を考えないで済むのだから・・・。
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