うつが酷くなり、通院と過食食材の買い物以外で
外出する事は無くなった。

通院の日はまずカウンセリングが終わった後、診察まで
2時間空くので母校の大学付属図書館にいる。


今の大学生を見ていると、凄く自由で輝いて見える。
勿論自由の中には講義を受けたりレポートを書いたり
バイトをしたりと大変な事も多いであろう。

でもとても楽しそうに見えてしまう。



カウンセリングが終わった後、取り敢えず大学の自販機で
温かいココアを買い、講義棟の1階のベンチに座り
ゆっくりと飲み冷え切った身体を温める。

目の前を流行の洋服に身を包んだ女子大生が通り過ぎ、
ベンチに座って恋の話をしたり遊びに行く話をしたりしている。

男子大学生もバイトの事や女の子の話で盛り上がる。



私は明らかに浮いている。



盗み聞きをしている訳ではなく、大きな声なので必然的に
聴こえてくるのであるが、不意に耳を塞ぎたくなってしまう。



私は此処で一体何をしているんだろう

何も生産せず無駄に消費するばかりで情けない自分・・・。



どんどん解離していく自分を感じ、茫然自失となる。

やがてココアは冷めてしまって残りは捨て、図書館へ入る。
此処は私語禁止なので静かな空間が広がっている。

近頃は本も読めないから診察へ行く時間に携帯電話の
マナーモードでアラームの設定をして暫しの居眠りをする。


しかし、やはり周りを見渡すと必死に勉強していたり
六法を用いて課題をこなしていたりする人を見ると、



私は何も出来ない情けない人間だ
落胆する。



その様にして外の世界と私の世界との境界線が、余りにも
深く太く乗り越えられそうも無いほどのものになっていると
気付く。『普通』に過ごしている人の足元にも及ばないと…。



私は毎日起床して眠りに就く朝方まで同じ事を繰り返す。

たまに食べる物やビールの種類を変えて、昨日と同じ轍を
踏まないようにと気を付けてみるが、総合的にどう贔屓目に
見ても、殆ど変化は無い。愚かな行為を飽きもせず
繰り返している自分に気付く。



そうして虚無感はどんどん私の頭の中を支配していき、
抑うつの程度も益々悪化の一途を辿る訳である。



長い目で見たら、学生時代の症状と今ではかなり苦しみは違う。
学生時代、まだ若くて青過ぎた頃は恋人に依存したり
ネットの世界に依存したりしていた。

特に恋人に酷い態度を取られ始め挙句棄てられた時は、
自暴自棄になりチャットなどで近場に住んでいる人にほいほい
会ってしまう様な今では考えられないほど恐い事をしていた。

しかし体の関係を持たなかったことだけが救いだった。
一緒に飲みに行っても必ず相手が先に潰れてしまうから、
逃げて帰れたのである。

それはもう忘れてしまいたい、学生時代の逸脱行為。

様々な症状を経て今、うつとなり動けなくなり大人しくしている
しかないのである。

今、あの頃のような事は出来ないであろう。
尤も絶対にやりたくなどない。

あの頃の自分は本当に自棄を起こしていた。ODなんて
当たり前の日々だった。その上でお酒を飲んで
ネットをして水分とお酒のカロリーで体中が浮腫んで醜かった。


その頃に比べたらうつの所為ではあろうけれども、
心の波も低い所で起伏していて落ち着いている。
浮腫みも殆ど無く、病的な形をしている。


でも、だからこそ、外の世界とは大きな隔たりが出来た。
外の世界で同年代の人達は、仕事や遊び等色々と楽しみ
輝いて見える。
幾らそれがその人達の普通でも、私はその『普通』さえ
どんな感覚であったのか忘れてしまった。


日中はひたすら食べる事を我慢するという行為に支配され、
夜になるとその我慢の反動で激しく過食嘔吐する。


死ねたらどんなにか楽だろう。全てが終わってくれるのだから。

けれども、母を守る為に、母の心を壊さない為に
生きていかなければならない。

生きていかなければならない。


生きなければならない。


自分の運命は、産まれた時から決まっていた。
母は自分の味方を作る為に私を産んだのだから。
その責務は果たさねばならないのであろう。



脳や心の中では何度も死んだ自分を想像する。
自分を殺す事を想像する。
想像するだけで、実行できないと諦める。



私は頭の中で何度死ねば、『楽だ』とか
『ゆったり落ち着いている』等[快]の心を掴み取る事が
出来るのであろうか。



「死ぬのなんて許さない」という母の言葉で
どうにか此処に生きている、そんな沈鬱とした毎日が
また明日も続いていくのであろう。

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