全てが色褪せている。
2006年1月11日最近、就寝前に処方薬+αを服用しても
熟睡できなくなってきた。
この前までは14時半過ぎまで断眠も無く眠れていたけれど、
ここの所午前中に目が覚めてしまう。
余り遅くまで眠り続けるのも生活リズムが崩れる為
体調管理の面でも余り良くないのであるが、
午前中に目覚めてしまうと、何をしたらいいのか解らないから
凄く時間を持て余してしまう。
以前はまだ読書をする余裕があったので、水を飲み喫煙しながら
何とか有り余る時間を潰せていたが、今は何のやる気も無い。
読んでいた本も読みかけのまま放置してあるし、
比較的面白い漫画すら読むのすら億劫である。
だから、ひたすら氷を継ぎ足しながらペットボトルの水を
飲み続けぼぉーっとしながら次々流れゆくTVの画面を
眺めている。
勿論目に見えるものに色は付いているし、TVの画像だって
鮮明でカラフルである。
けれども、心に映るものは全て色褪せている。
何の興味も持てないし、ひたすら生きているという苦痛を
頭が締め付けられるかのように感じている。
でも、死ぬことは赦されない。
どんなに苦痛を感じても、泥沼に足を取られ前に進めなくても
疲弊しても、虚無感に覆われていても。
母が生きている限り死んではならない。
自分で服用する薬を調節して多目に飲めば、こんな苦しみも
感じる事無く眠さでダルダルと、何に対しても思考を張り巡らさ
なくて済むのかも知れない。
でも、規定量以上飲み過ぎると体に水分が溜まって浮腫み、
太ったような感じがして否めないのである。
それは飲んでいる薬の中にメジャートランキライザーと
副作用の強い第一世代の抗うつ剤が入っている所為である。
出来る限りの家事を済ませた後、何もする事がなくなった時、
つまり時間を持て余してしまうと過食の衝動が訪れる。
しかし、私は日中過食嘔吐をしないと決めたので、それは
固く固く守っている。
何ヶ月か前は、昼間から缶チューハイなどを飲み、張り詰めた
心の緊張の糸を解すようにしていた。
しかし、それでは体重が増加してしまう為、それも固く自分に
禁じた。
日々自分に課する禁止事項は増えていく。
特に食に関してはどんどんきつくなっていく。
そして日常生活のスケジュールも守らないと気が済まない。
シャワーを浴びる時だって、何処から順番に洗うか決めていて、
間違えると最初からやり直す事だってある。
唯でさえ窮屈で苦しい自分の生活を、己で縛り付けて居る状態が
続く。あぁ、だから1日こなすだけで酷く疲弊して休まる暇が
無いのかも知れない。
病気になったら安静にしている事が大切である。
風邪を引いて熱が出たらゆっくりと栄養を摂って休むのが
当たり前なのだから、心や脳の病気だって何もせずゆっくり
安静にして無理な事をせずに休まねば快復の道は辿れない。
摂食障害の症状は、絶え間なく頭や心の中がざわめき
動いていて、休む事を知らない。だから治癒に向かう段階で
抑うつ状態に陥るのは至って当然の事だと主治医は言っていた。
しかし私を縛り上げる強迫観念、強迫行為はそれを妨げる。
カウンセリングや診察のある日だけは、取り敢えずの落ち着きを
取り戻し、若干心は楽になるようである。
それはカウンセラーと主治医との相性が本当に奇跡に近い程に
良いからだと解釈できる。
対話をしている時間は、今でも「良い子」を演じている自分から
「素の自分」へと戻ることの出来る一時であるから。
しかし、一歩カウンセリングルーム若しくは診察室を出ると
「普通」又は「良い子」を演じる自分に引き戻される。
そうして私の心的疲労はどんどん積載の限度を
超えていくのであろう。
日常、つまり私が目覚めて苦しみながら過ごし、
母が仕事から帰ってくるまで私の心の視界は全てが
色褪せていて虚無感だけが襲う。
大好きだったお笑いも面白いと思っていたバラエティ番組も
脳に何の刺激を与える事無く擦り抜けていく。
俯いたままの顔を少しでも上げることが出来たなら、
何か興味を持てるものを見つける事が出来たなら、
少しでも自らが縛り付けた雁字搦めの状態を解く事が出来るので
あろうか・・・・・・・。
今は未だ何も分からない。唯、もう自傷行為を止めている状態は
継続できそうも無い。
自分を傷つけたって何も解決に繋がらない事は解かっている。
でも、今はこの情けなくて惨めで愚かな自分を罰さなければ、
罪を何らかの形で滅ぼさなければ気が済まない・・・。
そうでもしないと私には赦しを乞う資格すらないように
思えるから。
熟睡できなくなってきた。
この前までは14時半過ぎまで断眠も無く眠れていたけれど、
ここの所午前中に目が覚めてしまう。
余り遅くまで眠り続けるのも生活リズムが崩れる為
体調管理の面でも余り良くないのであるが、
午前中に目覚めてしまうと、何をしたらいいのか解らないから
凄く時間を持て余してしまう。
以前はまだ読書をする余裕があったので、水を飲み喫煙しながら
何とか有り余る時間を潰せていたが、今は何のやる気も無い。
読んでいた本も読みかけのまま放置してあるし、
比較的面白い漫画すら読むのすら億劫である。
だから、ひたすら氷を継ぎ足しながらペットボトルの水を
飲み続けぼぉーっとしながら次々流れゆくTVの画面を
眺めている。
勿論目に見えるものに色は付いているし、TVの画像だって
鮮明でカラフルである。
けれども、心に映るものは全て色褪せている。
何の興味も持てないし、ひたすら生きているという苦痛を
頭が締め付けられるかのように感じている。
でも、死ぬことは赦されない。
どんなに苦痛を感じても、泥沼に足を取られ前に進めなくても
疲弊しても、虚無感に覆われていても。
母が生きている限り死んではならない。
自分で服用する薬を調節して多目に飲めば、こんな苦しみも
感じる事無く眠さでダルダルと、何に対しても思考を張り巡らさ
なくて済むのかも知れない。
でも、規定量以上飲み過ぎると体に水分が溜まって浮腫み、
太ったような感じがして否めないのである。
それは飲んでいる薬の中にメジャートランキライザーと
副作用の強い第一世代の抗うつ剤が入っている所為である。
出来る限りの家事を済ませた後、何もする事がなくなった時、
つまり時間を持て余してしまうと過食の衝動が訪れる。
しかし、私は日中過食嘔吐をしないと決めたので、それは
固く固く守っている。
何ヶ月か前は、昼間から缶チューハイなどを飲み、張り詰めた
心の緊張の糸を解すようにしていた。
しかし、それでは体重が増加してしまう為、それも固く自分に
禁じた。
日々自分に課する禁止事項は増えていく。
特に食に関してはどんどんきつくなっていく。
そして日常生活のスケジュールも守らないと気が済まない。
シャワーを浴びる時だって、何処から順番に洗うか決めていて、
間違えると最初からやり直す事だってある。
唯でさえ窮屈で苦しい自分の生活を、己で縛り付けて居る状態が
続く。あぁ、だから1日こなすだけで酷く疲弊して休まる暇が
無いのかも知れない。
病気になったら安静にしている事が大切である。
風邪を引いて熱が出たらゆっくりと栄養を摂って休むのが
当たり前なのだから、心や脳の病気だって何もせずゆっくり
安静にして無理な事をせずに休まねば快復の道は辿れない。
摂食障害の症状は、絶え間なく頭や心の中がざわめき
動いていて、休む事を知らない。だから治癒に向かう段階で
抑うつ状態に陥るのは至って当然の事だと主治医は言っていた。
しかし私を縛り上げる強迫観念、強迫行為はそれを妨げる。
カウンセリングや診察のある日だけは、取り敢えずの落ち着きを
取り戻し、若干心は楽になるようである。
それはカウンセラーと主治医との相性が本当に奇跡に近い程に
良いからだと解釈できる。
対話をしている時間は、今でも「良い子」を演じている自分から
「素の自分」へと戻ることの出来る一時であるから。
しかし、一歩カウンセリングルーム若しくは診察室を出ると
「普通」又は「良い子」を演じる自分に引き戻される。
そうして私の心的疲労はどんどん積載の限度を
超えていくのであろう。
日常、つまり私が目覚めて苦しみながら過ごし、
母が仕事から帰ってくるまで私の心の視界は全てが
色褪せていて虚無感だけが襲う。
大好きだったお笑いも面白いと思っていたバラエティ番組も
脳に何の刺激を与える事無く擦り抜けていく。
俯いたままの顔を少しでも上げることが出来たなら、
何か興味を持てるものを見つける事が出来たなら、
少しでも自らが縛り付けた雁字搦めの状態を解く事が出来るので
あろうか・・・・・・・。
今は未だ何も分からない。唯、もう自傷行為を止めている状態は
継続できそうも無い。
自分を傷つけたって何も解決に繋がらない事は解かっている。
でも、今はこの情けなくて惨めで愚かな自分を罰さなければ、
罪を何らかの形で滅ぼさなければ気が済まない・・・。
そうでもしないと私には赦しを乞う資格すらないように
思えるから。
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