摂食障害と抑うつ
2006年1月10日本来なら今日は通院日であった。
朝6時には起きてシャワーを浴び、化粧など支度して
8時過ぎには家を出なくてはならない。
しかし最近、うつ状態がただ事じゃなく酷い。
悪化している事を切実に感じる。
だから「行きたい・行かねばならない」と思っていても
身体は鉛のように重くなり、結局起き上がれないで居る。
今日もその様な状態で、カウンセリングのキャンセルをして
夕方診察時間が終わる17時に病院に電話して診察を受けた。
抑うつ状態にあると、生きているより死ぬほうが余程楽に
感じるのである。
その上に摂食障害の症状が襲う。
つまり極端に動けない状態から極端に食べる状態へと
変動する為にたった1日こなすだけで疲労困憊するのである。
日中はハンガーストライキ状態で食べたくなっても
ひたすら我慢する。カロリーの無い水を飲んだり
ノンカロリーのシロップを入れたソイラテやカフェオレを
作って飲んだりして何とか必死で凌ぐ。
無為な時間が過ぎるだけだ。
そんな時突発的に『死ななければ』と言う思いに
取り憑かれ、でも今はその時ではないと、やはり我慢する。
未だ診察では『○と千尋の神隠し』を複雑に解析して
話を進めている。
原作者の宮崎●にはその意図は無いのであろうが、
結構摂食障害を患っている人に登場人物の関係図が
当て嵌まる事が多いらしい。
その話をしている間は私も分析に頭を使い、
「なるほど、その通り・・・でもちょっと違う」と先生と
討論をするのであるが、不意にもう生きている意味は無い
と言う気持ちに襲われると、そちらに話はずれていく。
もう私の状態は、電気ショック療法を視野に入れなければ
ならない位ちょっと酷いところまで来ているらしい。
しかし主治医は電気ショック療法に賛成派ではない為、
レボトミンという薬を致死量ギリギリまで使い、
ひたすら昏々と眠らせる睡眠療法を使うと聴いた。
しかしレボトミンと私の相性は最悪なので
断固拒否したのであるが・・・。
そもそも私が生まれたきっかけは、母が自分の味方を
作るという理由だった。
そして今、私はその為に生きているようなものである。
其処に自分の意思なんて無くていい。
唯、母の味方でいて生きていれば良いというのであるから。
何だか、私は生きているけれども心は死んでいる状態である。
生きて母のナイトをしていれば良いだけ。
しかしもうすぐ25歳にもなるのに、社会人として生きていない。
とても情けなく思う。
療養中とすれば聞こえは良いが、
日中は拒食と抑うつで沈鬱としながら死を考えて過ごし、
夜になれば母が一生懸命働いて稼いだお金で
過食して嘔吐し、トイレへとそれは流れていくのである。
非常に申し訳無い気持ちになるし、それは昇華される事無く
虚無と申し訳無い思いが苦しみとなって日々
積み重ねられていく。いつまでも嵩を増し続け限界が来た時
私は死のうとするのであろう。
それを許さないのは母の存在であり、臨床心理士・精神科医の
言葉である。
通院日の前の日は処方薬の中で必ずテシプールとベゲタミンA
を抜いている。うつが酷くなるのも、死ぬしかないと思うのも、
きっとそれが影響しているのではないかと薄々感じてはいる。
しかし、摂食障害に効く薬なんてものは無いのである。
過食や拒食を止める薬なんて無い。
純粋なうつ病はあらゆる環境で自然な流れとして発病する為
きちんとお薬を服用して静養を守れば快復に向かう。
心身症もとっても苦しいと体感して知っているけれど、
効く薬がある。
子どもの頃から親の虐待を受けた為、ひたすら「良い子」で
居る事を頑張った。それでも従兄弟の性的悪戯を受けた
心の傷は未だ膿んでいるし、
大人になって性の捌け口として遣われていた事実は
度々フラッシュバックを起こす。大人になってからの出来事は
自分に責任もある。
やっぱり自分は駄目な人間だ。
自分の弱さが憎いし情けない。
其処で死のうと思うというのは逃げなのであろうか?
もう生きる希望も無く明日からの未来は暗闇という絶望に
覆われているのに?
今は兎に角人が恐い。近所のスーパーで擦れ違う人(特に男性)
とは息を止めて急ぎ足で通り過ぎなければ脳内分泌が
狂いまくる。
やはりちゃんとお薬を服用しないとこんなにも
暗い暗い文章を綴ってしまう。
溺れていてもつかめそうな藁すら無い。
そんな心境が続いている。
私の仕事は母のよき味方であり続ける事。
そして母が居なくなった時、私の勤めも終わり
心置きなく死ぬ事が出来るという事実が此処にある。
朝6時には起きてシャワーを浴び、化粧など支度して
8時過ぎには家を出なくてはならない。
しかし最近、うつ状態がただ事じゃなく酷い。
悪化している事を切実に感じる。
だから「行きたい・行かねばならない」と思っていても
身体は鉛のように重くなり、結局起き上がれないで居る。
今日もその様な状態で、カウンセリングのキャンセルをして
夕方診察時間が終わる17時に病院に電話して診察を受けた。
抑うつ状態にあると、生きているより死ぬほうが余程楽に
感じるのである。
その上に摂食障害の症状が襲う。
つまり極端に動けない状態から極端に食べる状態へと
変動する為にたった1日こなすだけで疲労困憊するのである。
日中はハンガーストライキ状態で食べたくなっても
ひたすら我慢する。カロリーの無い水を飲んだり
ノンカロリーのシロップを入れたソイラテやカフェオレを
作って飲んだりして何とか必死で凌ぐ。
無為な時間が過ぎるだけだ。
そんな時突発的に『死ななければ』と言う思いに
取り憑かれ、でも今はその時ではないと、やはり我慢する。
未だ診察では『○と千尋の神隠し』を複雑に解析して
話を進めている。
原作者の宮崎●にはその意図は無いのであろうが、
結構摂食障害を患っている人に登場人物の関係図が
当て嵌まる事が多いらしい。
その話をしている間は私も分析に頭を使い、
「なるほど、その通り・・・でもちょっと違う」と先生と
討論をするのであるが、不意にもう生きている意味は無い
と言う気持ちに襲われると、そちらに話はずれていく。
もう私の状態は、電気ショック療法を視野に入れなければ
ならない位ちょっと酷いところまで来ているらしい。
しかし主治医は電気ショック療法に賛成派ではない為、
レボトミンという薬を致死量ギリギリまで使い、
ひたすら昏々と眠らせる睡眠療法を使うと聴いた。
しかしレボトミンと私の相性は最悪なので
断固拒否したのであるが・・・。
そもそも私が生まれたきっかけは、母が自分の味方を
作るという理由だった。
そして今、私はその為に生きているようなものである。
其処に自分の意思なんて無くていい。
唯、母の味方でいて生きていれば良いというのであるから。
何だか、私は生きているけれども心は死んでいる状態である。
生きて母のナイトをしていれば良いだけ。
しかしもうすぐ25歳にもなるのに、社会人として生きていない。
とても情けなく思う。
療養中とすれば聞こえは良いが、
日中は拒食と抑うつで沈鬱としながら死を考えて過ごし、
夜になれば母が一生懸命働いて稼いだお金で
過食して嘔吐し、トイレへとそれは流れていくのである。
非常に申し訳無い気持ちになるし、それは昇華される事無く
虚無と申し訳無い思いが苦しみとなって日々
積み重ねられていく。いつまでも嵩を増し続け限界が来た時
私は死のうとするのであろう。
それを許さないのは母の存在であり、臨床心理士・精神科医の
言葉である。
通院日の前の日は処方薬の中で必ずテシプールとベゲタミンA
を抜いている。うつが酷くなるのも、死ぬしかないと思うのも、
きっとそれが影響しているのではないかと薄々感じてはいる。
しかし、摂食障害に効く薬なんてものは無いのである。
過食や拒食を止める薬なんて無い。
純粋なうつ病はあらゆる環境で自然な流れとして発病する為
きちんとお薬を服用して静養を守れば快復に向かう。
心身症もとっても苦しいと体感して知っているけれど、
効く薬がある。
子どもの頃から親の虐待を受けた為、ひたすら「良い子」で
居る事を頑張った。それでも従兄弟の性的悪戯を受けた
心の傷は未だ膿んでいるし、
大人になって性の捌け口として遣われていた事実は
度々フラッシュバックを起こす。大人になってからの出来事は
自分に責任もある。
やっぱり自分は駄目な人間だ。
自分の弱さが憎いし情けない。
其処で死のうと思うというのは逃げなのであろうか?
もう生きる希望も無く明日からの未来は暗闇という絶望に
覆われているのに?
今は兎に角人が恐い。近所のスーパーで擦れ違う人(特に男性)
とは息を止めて急ぎ足で通り過ぎなければ脳内分泌が
狂いまくる。
やはりちゃんとお薬を服用しないとこんなにも
暗い暗い文章を綴ってしまう。
溺れていてもつかめそうな藁すら無い。
そんな心境が続いている。
私の仕事は母のよき味方であり続ける事。
そして母が居なくなった時、私の勤めも終わり
心置きなく死ぬ事が出来るという事実が此処にある。
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