暗くて長い月曜日

2006年1月9日
早朝、少し眠剤を減らして飲んだ為、午前中に目を覚ました。

もう、日中に過食と嘔吐をする衝動は無くなっているので
コーヒーを飲んだりミネラルウォーターを飲んだりして
無意味な時を過ごす。成人式がまたもや荒れている模様を
ぼんやりと眺める。

その間考えるのは『死』のみ

毎日毎晩同じ事を繰り返すばかり。苦しい事を自ら進んで。
どんなに過食と嘔吐が苦しくても、繰り返すのである。

日中過ごす無意味な時、楽になれる方法ばかり考える。
そして辿り着くのはやはり死ねばいいという事。

唯一落ち着けるのはシャワーを浴びている時だけ。
全身が綺麗に洗われているのだと思うと、
一時だけ自分の汚れた全てのものが落ちていく感じがする。

しかし、自分の裸を否応にも見る事になるから、前夜
お酒を飲み過ぎて浮腫んだ身体を見ると落胆する事もあるが。

今の私は過食嘔吐以外で食物を胃に入れることは殆ど無い。
スープはかろうじて飲めても、固形物は拒絶してしまう。
即ち過食嘔吐に繋がる。

どんなに長い間摂食障害を患っていても、苦しいものは苦しい。
胃が張り裂けそうになるまで押し込んで、一気に嘔吐するのは。

徹底的に、何度も胃洗浄のように水を飲んでは吐く行為を
粘着質に繰り返す。吐く水が透明になり胃に異物感が消えるまで
それは続けられる。

その後は低血糖を起こさないよう野菜ジュースを飲み、
ブドウ糖を舐めておく。何とも虚しい行為。

それを1日2回繰り返すのも、体力の限界を感じる。

ひとつ問題なのはそれを止めようとできない事。
どうしてこの症状が自分に必要なのかは未だ解からない。

けれども1日8〜9回やっていた過食嘔吐を2回まで減らせたのは、
落ち着いた生活環境を得られたからだと痛切に感じる。

大学の勉強や試験・レポートに悩まされることは無い。
妹の友達が深夜まで家に居座る事も無い。
最低限の家事が出来れば良い。

これだけでも随分起伏の激しかった心の波を静められたし、
療養中だと思えば少しは落ち着いていられるのを感じられる。

しかし、同じ症状に苦しんでいる人でも仕事をしていたり
結婚して育児や家事をこなしていたりする人が居るのは
事実である。

だから私は酷く怠けているという感じを否めない。

私を覆う自責の念は嵩を増してより死に向かわせる。

度々思うのであるが、私を産もうと思った母の考えに
引っ掛かるものがある。

母は結婚してから、突然男尊女卑の世界に縛られてしまった。
洗濯機やその他家具や電化製品などを母方の祖父母が
母に与えて結婚したのに、父方の祖父は、

「洗濯機なんて贅沢だ。洗濯板を使え」

時代錯誤も甚だしい事を母に命令した。

また、食料品の買い物にしても隣に住む義姉と一緒でなければ
ならないと縛り上げられた。

そのストレスから母は過食症となり一気に20キロは体重が増え、
不妊症となった。

でも、母はそんな嫌がらせにも近く束縛も酷い親戚に傷付き
子どもを産んでその子を自分の見方にする事で生きていく道を
見出そうとした。3年間、不妊症治療を頑張った。

そして大して愛してもいない父との間に出来た長子が
私であった。

何処に出しても恥ずかしくないようにと躾は虐待にも近い程
厳しかった。

母親のストレスは、長女が一番強く感じ取り影響される。
そうして私は小児喘息を患った。それ程母のストレスは
大きかったのである。

朧気ながらもその治療はとても苦しかったことを覚えている。
母は私を治す為に必死だったのであろうが、苦痛だった。

ボールを持って行う呼吸法や1日何度も嗽をさせられる事。
その上私はチックを起こすようになり顔が引きつる症状まで
出てきた。

水泳も習わされた。心肺機能を鍛える為に。人見知りの激しい
私にとってこれはとても苦手で心細かった。

小児喘息は治療が早ければ、年を経るにつれて治っていく。
現在喘息は患っていないが、気管支は弱いままである。

母は孤独だった。夫である父からもフォローは無く
親戚中から責められたり隣に住む義姉から嫌がらせも多かった。

だから私という子どもを味方につけて生きていこうという考えは
至極全うなものであるといえる。


しかし結果、私はこのように様々な病気を患った。
生きていく方が苦しい。死ぬ時は一時の苦しみで済む。
その思いは身体中蔓延っているから取り除きようも無い。

そして皮肉な事に、本当に私は一生母の味方となった。
そうしなければならなくなった。

妹や弟は父が分け与える金銭やモノに釣られているから。
例え母が苦しんでいても、早々と母を中心とした家族を抜け出し
出て行ってしまったのであるから。

私しか居ない。母を庇い話を聴き支え合う人間は、
私しか・・・。否、母の恋人もいたな。
まぁ、母の恋人の方が母を守るという点では大きな力を
持っている。

より無力感を感じざるを得ないが、この家に居て
治療に専念してどうにか生きていくのが精一杯である。

不謹慎だが、たまに思ってしまうことがある。

母さえ居なければ、私は今すぐにでも死にこの苦しみから
解放される為に自死出来るのにと。


あぁ、やはり減薬すると後ろ向きでマイナスな事しか
思いつかないし考えられない。またぐたぐたな内容と
なってしまった。

でも、死んでは駄目
誰が決めたのであろうか。

勝手に私を産んだのだから、死ぬ時くらい自分の意思で
決めても良いだろうに。


確かに、生きたくても生きられない人も居る。
先天的な障害を持って苦しみながらも頑張って
生きている人も居る。
産まれて間もなく余命が少ししかないという人も居る。
それは十二分に理解しているつもりである。

もう思考が絡まりすぎてどうしたら良いのか解からない。

ただ分かっているのは、又明日も今日と同じように
摂食障害の症状に悩み苦しみ辛酸を舐めるという事。

痩せていたって何か良い事がある訳でもない。
しかし私の脳は心はもっともっと痩せるようにと指示を出す。

逆らわない。私は、太っていた頃の屈辱をまた味わう位なら
どんなに身体がぼろぼろになっても痩せる事を望む。

気付けば独りの時、私を慰めてくれるのは
お酒だけになってしまった。
その事実も飲み込んで1日1日を兎に角こなすしかないのである。

生きていることに意味を見出せない私は、無意味に明日もまた
息を繋いでいるだけである。

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