先週金曜日、お薬を減らした為に土曜日は酷く
心が乱れ苦しかった。希死年慮に支配されると
物事を正しく捉えられなくなるので困る。

土曜日はちゃんといつも通りお薬を飲んで眠った。
ちゃんと午前中に目覚める事が出来、心も随分
落ち着いていた。
やはりベゲタミンAのおかげで日々激しい起伏の無い
日常を遅れているような気がする。

連日服用し続けて、急に減薬したらやはり

『自分はいらない人間だ』

と言う思いに全身が覆われる。身動きが取れなくなる。


だから今日は幾分落ち着き、安寧な気持ちでいられた。
そして母に昨日の電話診察の一部を話した。

やはり、母は私を必要としてくれていた。
私が酷く取り乱した原因は、うつが酷くて何も出来ない
役立たずの人間であり、何の役にも立てないのなら
生きている意味がないという気持ちから来たものだった。

でも母は、私が「少しでも家事を手伝ったり色々してくれたり
するし、自分の愚痴を聴いてくれるし、お話をしてくれる事で
随分助かっている、あなたがいなくなったら困る」
と優しく諭してくれた。


これは私が子どもの頃から妹達が家に出戻りして暮らしていた
時には聴けなかった言葉である。母も随分心が丸くなった。

母も、人の役に立つ事で生きがいを感じる人である。
だから訪問ヘルパーの仕事は適職であるし、
今月下旬、介護福祉士の資格を取る為に勉強している。

私は、母が居るから生きていける。
落ち着いた心では、そう強く感じる事ができるのである。

今日は母に直接、私がいなくなって妹達がこの家に
住んだ方が毎日孫とも接する事ができ楽しいのでは?と
聞いてみた。

けれども、「家に帰ってまであんなに五月蝿い環境は
参るよ。やっと静かな家になったというのに。」
と言っていた。確かに妹達がいた頃は深夜遅くまで
妹の友達がいて騒いでいたし、妹の彼氏が毎晩泊まりに来た。

あの頃の事は、思い出すだけで頭が痛くなる。

家に居る全ての人間の苛立ちは、弱い私に向けられていたから。
あらゆる不都合を私の所為だと責められていたから。

それに比べて、今は母と2人暮らしで静かな毎日が
送る事ができていつもいつも緊張する必要が無くなった。
やっと安穏とした日々を手に入れることが出来たのである。

そのおかげかどうか解からないが、過食嘔吐の回数も
1日8〜9回から2回に減ったのである。自傷も止んだ。
そしていつも浮腫んでいた顔や身体もすっきりとして
体重もするすると落ちていった。しかし落とし過ぎた。

この病気で厄介なのは、痩せる事は途轍もなく嬉しく
生活に支障をきたしても、もっともっと痩せたいと願う。
そうして身体がしんどくなっても、太ることを頑なに
拒んでしまうのである。

見た目がみすぼらしい事は自分で分かる。
本当に見るからに不健康で魅力も何もあったものではない。

最初は痩せて綺麗になって、たくさんお洒落がしたいという
目標であったのが、今は只

太る事は許さない。太るくらいなら死んだほうがましだ。

という観念に支配されるだけである。

カウンセリングでも聞かれたことであるが、
どうして此処まで太ることを恐れるのであろう。

ずっと考えていたが、やはり自分の体型にコンプレックスを感じ
ていた上に様々な嫌で苦しい出来事が重なり、また
昔から積み上がってきていた。

そしてトラウマなどの問題がダイエットをきっかけに
暴発して摂食障害を発症し、他の様々な心の病も
溢れてしまったのであろう。

そして他人に精神的ダメージを与えられた時は、
迷わずお薬を何日分も飲み干す事もある。

以前、統合失調症や躁うつ病など脳や心に疾患のある人が
集まる作業所に主治医の紹介で働いてみないかという
提案があった。
最初は見学と言う事で色々手伝ったり、事務員としては
何をやらねばならないのかを聞いてみたりと働く気があった。

しかし、採用を決めるという場面でその作業所のみんなが
集まり、私の問題について討論を始めた。

10人以上の人が、「こんな若い人に僕らの苦しみなんか
わからない!無理だ!」とか「そんな病気を背負った人が
この作業所に来て自殺されたら私此処にこれなくなるじゃない」
等たくさんの批判を浴びた。

しかもそこの所長も統合失調症で管理が行き届いていなくて
酷い赤字続きであった。前に事務員をやっていた人もろくに
出納記録をパソコンで管理できなかったようで、
私が1日で全て把握できるようにした。手に負えないほどの
赤字だった。

作業所に来る人達とも、私の採用を決める場面までは
仲良く優しく接してくれていた。
それが手の平を返したように私の一番痛い部分を責め続けた。
私を囲んで、皆が皆そのように私の病気について罵った。

それもまた傷として残った。所謂精神的リンチだったのだから。

次の日、やはりそこでは働けないと所長の奥さん(副所長)に
電話をしたら、もっと酷く私の病気や心の脆弱さについて
責め抜かれた。
「あなたは作業所の人達のことを全然分かっていない。
病気を抱えていて一生懸命やっているのに、あなたは情けない」
と言われた。

一応私も様々な病気を抱える病人なのに、事務仕事が得意で
あった為にそれが気に入らなかったようで、ぐさぐさと
心をナイフで刺され続けた。

私は限界を感じ、主治医に電話して事の次第を話し、
薬を3〜4日分飲んだと告げた。

主治医は、その作業所を私に勧めたことを後悔し謝罪した。

私は先生は悪いなんて思っていない。
自分も病気なのに心の病気に理解無く言いたい放題
人の心が傷つくような事を平気で行なった作業所の人達と
副所長に打ちのめされただけなのである。
そして涙を流しながら薬を飲み干して虚ろに主治医に告げた後
沢山眠った。

この時の事をもう気にしていないと言えば嘘になる。

大人数のいい大人が1人に対しその人の駄目で弱い部分、病気の事を意見しあうのは、精神的リンチに近い部分がある。
その相手が例え病人だとしても、傷付くものは傷付く。


・・・。また自分で、過去のまだ治りきっていない傷口を
広げてしまったようである。

たかがこんな事でという感じはあるが、やはり大人数から
責められる恐怖や哀しみは癒えない。

母も親戚中から責められ苛められ、父はその場に居ながら
庇ってくれなかったその時の気持ちが分かったような気がする。


そんな過去と比べたら、今は静養できる環境があり、
救われていると言える。しかし役立たずの自分が許せない。

心身を休めようと思っても、頭の中は忙しく働いて休まらないし
ならば何か家事でもしようと思っても身体が動かない。
全く、情けない。

今日は本当になだらかな気持ちで過ごせた。
眠る事だけが休まる事なので数十分居眠りが出来た事で
楽になれた。

でも私は次に襲い来るあらゆるトラブルを想像して止まない。

いつも側に心を掻き乱す問題は散りばめられているのである。

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