今、凄く頭を悩ませている問題がある。
他人にすれば「何だ、それくらいの事かよ」という事で。
それは、『トイレ問題』
つまり過食した後、嘔吐する場所の問題である。
この近隣の下水道工事は一応済んではいるが、
地域一帯の工事が済むまで下水道を通す管を工事できない。
だからまだ私が住んでいる借家6棟は未だ浄化水槽に
一旦全棟の物をまとめて貯められ、ポンプ車が汲み取っていく
形である。そこで問題なのが、全てまとめている浄化水槽までの
通路が極端に細い事である。だから、すぐに詰まってしまう。
ダブルロールのトイレットペーパーを少し多目に流すだけで
水の流れがおかしくなり溢れそうになる。
だから私は嘔吐する時物凄く気を遣わねばならない。
私は幼い頃から何故か水洗トイレの水の流れが恐かった。
そしてタンクの中を見るのは今でも恐い。不思議である。
特に水に対する恐怖はなく、水泳を習っていた位だから
寧ろ水は好きだし、海を見ていると落ち着く。
そして。問題は昨日からまたトイレの流れがおかしいのである。
最近気付いたのだが、麺類を嘔吐すると詰まりやすくなる。
(汚い話でごめんなさい・・・。)
昨日、パスタを吐いた後からおかしくなった。
水が綺麗に流れていかない事は私にとって恐怖である。
またトイレが詰まったなどという事態になったら、
大家にどんな罵詈雑言を浴びせられるか容易に想像できる。
少し前まではお風呂場で三角コーナーの容器に網状のゴミ袋を
セットしてそこに嘔吐し、それだけでは溢れるから直ぐに
スーパーの袋に移し変えてまた嘔吐するのを繰り返していた。
胃の中に一旦入れて嘔吐したものが、目の前に大きく存在する。
それが惨めで惨めで情けなくて、苦痛なのである。
それがゴミの日まで溜まりゆく。虚しく苦しい。
しかしトイレが詰まってしまうのはもっと恐い。
だから凄く頭を悩ませている。二者択一。
酷く疲れてぐったりし、その苦痛から痩せが加速を増す
『お風呂場での嘔吐』か、どうにか誤魔化しながら『トイレで
詰まる恐怖を覚えつつの嘔吐』か・・・。
昨日は消えたいとも考えていた。
死ねばこの摂食障害からもその他あらゆる病気からも解放され、
私が終わる。苦しみも何も無い、『無』に還る。
死後の世界は信じていない。だから死は楽になれる事・・・。
しかし、たかがトイレの問題で死ぬのは如何なものか。
でも、もうあらゆる悩みに脆弱な心は耐え切れる筈は無く、
トイレの問題はきっかけにしか過ぎない。
あぁ、こんなトイレの事でお腹まで下してしまって沈鬱状態で
何処まで私は堕ちていくのであろうか。
そして今は過食嘔吐すら恐怖に思えて誤魔化す為に
アルコールを摂取しているし、お薬を飲んだ。
お薬は処方されている種類は多くとも体重を考慮されている
から量が少ない。しかも砕いて粉にされているので飲み難い。
今はまだ起床してから何も食べていない。
水と麦茶とビールと氷しか摂取していない。
このままいつもの3倍お薬を飲んで潰れて寝てしまうのもいい。
食べなくて済むのなら。
けれども問題なのは、この過食と嘔吐という行為が
私には未だ必要なものであるという事である。
それをしないと、次々と貯まる自己嫌悪や己を責め苛む悩み、
醜く汚くバカで頭の弱い自分に対する罵倒、希死年慮が
薄れない。我慢を重ねると幻聴が聞こえ始め幻覚が襲ってくる。
今の心にこれ以上のキャパシティは無い。
それらを払拭させるのが今は過食嘔吐という手段でしかない。
胸にぽっかりと空いた穴を塞ぐための過食。
あらゆる辛苦を心から出すための嘔吐。
そして太る事を極端に狂おしいほどに恐れる心。
今日はお薬に逃げるか、過食を始める前にゴミ袋をセットして
トイレには流さないようにしよう。
さっき母から色々と慰められてそう思うようにした。
吐瀉物の詰まったゴミ袋は何重にもして目に付かないよう
ポリバケツに入れよう。
男性が恐い私にとって、60代後半であろう大家や汲み取り業者
に「トイレが詰まったのはお前が残飯を流したからだ」と
一方的に沢山の罵声を浴びせられるのはもう堪らない。
母の言葉で少し前を向けた。
今日綴った事は独りよがりの情けない戯言に過ぎない。
トイレの事、大家からの差別的行為の所為で
命を棄てるのは止めよう。
少しだけ、そう思えた。
後は過食嘔吐以外で心に溜まりゆくどろどろとした汚らしい物を
昇華させる方法を見つけねばならない。
他人にすれば「何だ、それくらいの事かよ」という事で。
それは、『トイレ問題』
つまり過食した後、嘔吐する場所の問題である。
この近隣の下水道工事は一応済んではいるが、
地域一帯の工事が済むまで下水道を通す管を工事できない。
だからまだ私が住んでいる借家6棟は未だ浄化水槽に
一旦全棟の物をまとめて貯められ、ポンプ車が汲み取っていく
形である。そこで問題なのが、全てまとめている浄化水槽までの
通路が極端に細い事である。だから、すぐに詰まってしまう。
ダブルロールのトイレットペーパーを少し多目に流すだけで
水の流れがおかしくなり溢れそうになる。
だから私は嘔吐する時物凄く気を遣わねばならない。
私は幼い頃から何故か水洗トイレの水の流れが恐かった。
そしてタンクの中を見るのは今でも恐い。不思議である。
特に水に対する恐怖はなく、水泳を習っていた位だから
寧ろ水は好きだし、海を見ていると落ち着く。
そして。問題は昨日からまたトイレの流れがおかしいのである。
最近気付いたのだが、麺類を嘔吐すると詰まりやすくなる。
(汚い話でごめんなさい・・・。)
昨日、パスタを吐いた後からおかしくなった。
水が綺麗に流れていかない事は私にとって恐怖である。
またトイレが詰まったなどという事態になったら、
大家にどんな罵詈雑言を浴びせられるか容易に想像できる。
少し前まではお風呂場で三角コーナーの容器に網状のゴミ袋を
セットしてそこに嘔吐し、それだけでは溢れるから直ぐに
スーパーの袋に移し変えてまた嘔吐するのを繰り返していた。
胃の中に一旦入れて嘔吐したものが、目の前に大きく存在する。
それが惨めで惨めで情けなくて、苦痛なのである。
それがゴミの日まで溜まりゆく。虚しく苦しい。
しかしトイレが詰まってしまうのはもっと恐い。
だから凄く頭を悩ませている。二者択一。
酷く疲れてぐったりし、その苦痛から痩せが加速を増す
『お風呂場での嘔吐』か、どうにか誤魔化しながら『トイレで
詰まる恐怖を覚えつつの嘔吐』か・・・。
昨日は消えたいとも考えていた。
死ねばこの摂食障害からもその他あらゆる病気からも解放され、
私が終わる。苦しみも何も無い、『無』に還る。
死後の世界は信じていない。だから死は楽になれる事・・・。
しかし、たかがトイレの問題で死ぬのは如何なものか。
でも、もうあらゆる悩みに脆弱な心は耐え切れる筈は無く、
トイレの問題はきっかけにしか過ぎない。
あぁ、こんなトイレの事でお腹まで下してしまって沈鬱状態で
何処まで私は堕ちていくのであろうか。
そして今は過食嘔吐すら恐怖に思えて誤魔化す為に
アルコールを摂取しているし、お薬を飲んだ。
お薬は処方されている種類は多くとも体重を考慮されている
から量が少ない。しかも砕いて粉にされているので飲み難い。
今はまだ起床してから何も食べていない。
水と麦茶とビールと氷しか摂取していない。
このままいつもの3倍お薬を飲んで潰れて寝てしまうのもいい。
食べなくて済むのなら。
けれども問題なのは、この過食と嘔吐という行為が
私には未だ必要なものであるという事である。
それをしないと、次々と貯まる自己嫌悪や己を責め苛む悩み、
醜く汚くバカで頭の弱い自分に対する罵倒、希死年慮が
薄れない。我慢を重ねると幻聴が聞こえ始め幻覚が襲ってくる。
今の心にこれ以上のキャパシティは無い。
それらを払拭させるのが今は過食嘔吐という手段でしかない。
胸にぽっかりと空いた穴を塞ぐための過食。
あらゆる辛苦を心から出すための嘔吐。
そして太る事を極端に狂おしいほどに恐れる心。
今日はお薬に逃げるか、過食を始める前にゴミ袋をセットして
トイレには流さないようにしよう。
さっき母から色々と慰められてそう思うようにした。
吐瀉物の詰まったゴミ袋は何重にもして目に付かないよう
ポリバケツに入れよう。
男性が恐い私にとって、60代後半であろう大家や汲み取り業者
に「トイレが詰まったのはお前が残飯を流したからだ」と
一方的に沢山の罵声を浴びせられるのはもう堪らない。
母の言葉で少し前を向けた。
今日綴った事は独りよがりの情けない戯言に過ぎない。
トイレの事、大家からの差別的行為の所為で
命を棄てるのは止めよう。
少しだけ、そう思えた。
後は過食嘔吐以外で心に溜まりゆくどろどろとした汚らしい物を
昇華させる方法を見つけねばならない。
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