世間は大晦日だからか、なにやら賑わっている。
TVにしてもSP番組ばかりでつまらない。

私はいつもの如く昼に起き、一服するという1日を始めた。
例年と違うのは、去年まで目が覚めたらすぐに何か
口に入れていた。起きた瞬間から食べ物を探し、
過食していた。
今年はそれが無かった分、楽に過ごせた。

唯、段々と眠剤を飲む時間が遅くなり、今日は6時過ぎに
飲んで眠った。
たった1度の過食嘔吐で疲労困憊し、ぶっ倒れるように
夜中1時間弱眠ってしまうからだ。
そして起きたらまた過食を始め、終えるのが朝になってしまう。

さすがに今日は外も白んでいて昼夜逆転の生活に
少し嫌気がさした。

何故こんなに苦しい思いまでして過食と嘔吐を繰り返すのであろうか・・・。

母は昔この病気である私を責め続けていた頃よりは随分変わり、
理解を示してくれるようになった。苦しんでいると背中を撫で
落ち着かせてくれる。

私が精神的な苦しみから来る事で苦しみ身体が動かない時も、
責める事は無くなった。

だから1日に8〜9回も行っていた過食嘔吐も、
コントロールできなかった食欲も随分抑制できるようになった。
これは過食する必要が無い程心が落ち着いているとも
言い換えられる。

毎日酷い過食嘔吐を繰り返し、尚且動き回れていた頃は
身体が疲れている等感じられなかった。
少し怠くても、外へ外へと遊びに出ていた。

けれども、自分の身体が発する悲鳴を聞き取る事が
出来るようになり、十分ではないが身体を休める気持ちに
なれている事だけでも、地獄の苦しみからは一歩
這い出たような気がしないでもない。

だけどその所為で、母に多大なる負担をかけていることは
事実である。どうにか打開したいが、
いつも頭の中は『食べる事』を我慢するので精一杯で
中々他の事まで頭が回らない。

凄く申し訳ない。情けない気持ちで一杯で張り裂けてしまいそうだ。

大晦日は毎年、一応お蕎麦を食べる習慣はある。
家では田舎蕎麦(掛け蕎麦に大根・山芋を摩り下ろしたものを
入れたもの)を食べている。
いつもいつも、これが過食へと繋がっていて、
せっかく母が作ってくれたものだというのに
この自分の行動が憎くて堪らない。

けれども、『太るくらいなら死んだほうがましだ』

と歪んだ思考が未だ私の頭の中全てを支配している。

どんなに病歴は長くても、食べる事・吐く事は酷く苦痛である。
食べなければ吐く事も無いからと日中は一口も食さない。
勿論、空腹感はある。だからその場合、飲み物だけは
許しているからミルクティーを飲んだりココアを飲んだりして
何とかやり過ごす。

問題は夜。アルコール好きである私は夜にお酒を飲むことを
解禁している。もっと生活がぐだぐだだった頃は、
昼間から缶チューハイを開けて過食嘔吐していた。
それは余りにも身体へのダメージが酷いし
自分を凄くダメな人間だと追い詰めすぎる事もあり止める事が
できた。だから夜、飲むビールの一口目が随分美味しく感じる。

しかしアルコールが入ると抑制が取れ食欲も増加する。
これを我慢するのは努力が必要である。

夜の過食嘔吐を1度に抑えるためには、食べ始める時間を
遅くして、2度目を出来ない様にする事が得策である。
その分睡眠時間もたっぷりとれるし、疲れも少ない。

問題は、最近お薬を飲む量を処方されているより少し
多く飲むようになった事・・・。随分ストックはあるので
足りなくなる心配はないが、耐性がついてしまう。

処方されているのは、大学時代保健管理センターで
出されていた種類と似ていても、量は遥かに少ない。
だから余程たくさん飲まない限り死に至る事は無い。
それも体調如何ではあるが・・・。

ただ1つ、強力な向精神薬が処方されている。
毒々しいピンク色をした大粒のもの。
これは中枢神経を抑制する働きがあるので、
摂取しすぎたら呼吸に支障が出るし、抑嘔気の作用もあるから
眠ったように永眠するであろうが・・・。

それが出来ないのは、母がいるから。家族がいるから。
祖父祖母(母方のみ)共に存命で私のことを心配してくれるから。
カウンセラーや医者との信頼関係が絆が強いから。

だからこんなに苦痛で苦しいことまみれの毎日でも
生きている。幾ら死にたいと強く思っても、
行動には移さない。

何より、こんな病気に殺されるのは真っ平である。

毎日、変化していないような病状でも、
長い目で見ると発症時期からあらゆる動きがあったのだと
気付く。
それは苦しくもあるが、緩解へ向かっているかも知れないと
いった愚かな希望を針の先ほどだけど感じる事もある。

一体来年はどのような波乱が待ち受けているのであろうか。
少しでも力を蓄え動じない心を持ちたいと願う。

今年の、母が心をこめて作ってくれた年越し蕎麦こそは
嘔吐しないように頑張ってみようと思う。

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