14歳から過食と嘔吐を覚えて、11年目になる。
本当に毎日毎日それを欠かさなかった。

けれどもその頃は、明日になれば止められると思っていた。
明日は止めようと頑張ろうと思えていた。

けれどもいつしかそれは、意味を持つ行為へと変わって行った。

だから止める事は容易なことで無いと気付いてきた。

その頃の母は保険の外交員をしており、帰宅時間は遅く
妹・弟の面倒を全面的に見なければならなかった。
宿題や次の日の時間割を揃える事、夕食の支度。

知らぬ間にストレスが溜まっていたんだろう。
発症する前の私は食べ過ぎの域を超えた食事をしていた。

そして母が帰って来てまずビールを1缶開けてから
食事が始まる。特にインスタントラーメンが多かった。
子ども3人を育てなければならない気苦労も多かったのだろう。
ビールを次々と開けながら沢山の食事を平らげていき、
挙句嘔吐していた。シンクに吐くので食器洗いをしなければ
ならない私が全てその処理をしていた。
そして母が「これ以上食べられないから食べて」と
夜中に私へ残り物を託しキッチンでそのまま眠っていた。
夜中にラーメンなんか食べたら太るけれど、
誘惑には勝てなかった。

それが発症前の私。勿論日増しに体重は増えていった。

或る日鏡に映った自分の姿にショックを受け、それを境に
ダイエットを始めた。全力を尽くして節食、運動を行い
頑張って体重を落とした。

しかし食事内容を戻すと直ぐにリバウンドが始まった。

毎日が自己嫌悪。そして思いついた。
母がやっていたように、私も吐けば良いと安易に思った。

それがこの地獄の始まりだったなんて夢にも思わなかった・・・。

一時期あまりにも大量に食べる私を気味悪がった家族は
家中の食べ物をあらゆる場所に隠した。
でも見つけ出して食べては吐いていた。

「そんなに食べたら皆が食べるものが無くなるし、お金も
かかるでしょうが!」と母にきつく叱られた。

でも、解っていても、止める事は不可能だった。

そしていつしかこの行為は容認されたが、
風当たりは強かった。
また、他の心身症も発症した。

身体も心も疲れ切っていた筈なのに、大学もずっと
学費免除で通り卒業出来た。

その代わり、治療を始めるのが発症してから時間が
経ちすぎていたから治るのもかなりの時間がかかると
宣告された。

でも、カウンセリングや診察を重ねる毎に
隠していた傷が、ショックだった事・トラウマが
次々出てきて心の糸は解れるどころか縺れる時もある。

そしてまた今日も、過食嘔吐をするのである。
きっと今の私には必要な行為なのだと割り切るしかない。

そうでも思っていないと完全に壊れてしまうから。
修復不可能なほど、ぼろぼろに打ちのめされてしまうから。

情けない自分。惨めで醜く汚い自分。
見たくもない人間の恥部を私は晒して生きているのであろう。

コメント

まい
まい
2005年12月30日15:52

こんにちは。辛いね、凄く。
でもね、あたしも毎日毎日過食嘔吐してたけど、最近は週1くらいになったよ。量も減ったしね。
きっとナノさんも直ぐにじゃなくても、普通の食事ができるようになるよ!!一緒に頑張ろう^^

ナノ
ナノ
2005年12月31日3:30

まいさん、コメントありがとうございます。
とても嬉しいです。

過食嘔吐の日数や量が減ったとの事、
素晴らしいですね。そして私も希望が持てます。

一緒に頑張ろうって言葉、とても心強いです。
本当にありがとうございます!