疲労困憊の通院日。

2005年12月27日
火曜日は通院日。
夜型人間である私は火曜日の朝だけ早起きする。

けれども急に朝型人間になれる訳もなく・・・。
何度も寝坊したり起き上がれなかったりして、今年は
数回カウンセリングと診察をキャンセルしてしまった。

これは今年一番反省すべき事である。本当に情けない。

そしてそれは自分の為にもならない。
数年に渡って会い続けている先生方と話せる、週に1度の機会。
1週間を見つめ直し、改善する点を話し合う。
また、過去のまだ解決出来ないでいる問題を探り出せる
チャンス。時にそのパンドラの箱を開いてしまったまま
時間内に解決せずまとめられずに、
家に帰ってもダバダバ涙を流してしまう事もある。

それが少しツライ。

また、うつなのか甘えなのか今年梅雨前から
起き上がれなくなり、火曜日が休みである母の車で
病院に送り迎えして貰う様になった。

もう・・・何様なんだよ、私・・・。

母には心から感謝している。
母がいるから生きていようと思えるし、通院治療を続けられる。
毎日、そう痛感している。

カウンセリングや診察を重ねるうち、母の変化にも
気付かされる。母も少し心が脆い部分を持ち合わせていて
PD持ちで過呼吸や動悸を抗不安薬で鎮めている日もある。

私と母はお互いぎりぎりで支えあっている状態とも
考えられる。それでも幾分心強い。
また、私はどんな冗談も言葉も真に受ける人間であり
融通が利かない所がある。それが母との関係を少し
ぎくしゃくさせてしまう事もあるが、最近は私の感情の
起伏を理解してくれるようになった。凄くありがたいと思う。

今までに無いそのような変化は、私が1日中寝床から
起き上がれず母にお薬を取りに行って貰った時からである。
主治医と母が少しずつ話をする機会が多くなってから
顕著に見られるようになった。
こんな役立たずで迷惑ばかり掛けている私に
優しく理解をもって接してくれるようになり、私は随分救われている。(母がアルコールを飲んでいる時以外)

だから、自殺を決行しようとは思えない。

しかし1日に何度も「死にたい・消えたい」と考えてしまう。
下手をすれば1日中その考えに取り憑かれてしまう。

それは、過食嘔吐が余りにも辛すぎるから。

昼頃お薬が切れて目が覚めたとき、また1日が始まり
やることが決まっていて夜に過食嘔吐するのも
解っているから。それから逃れるには『死』しかないと
思ってしまうのである。我慢は出来る。
我慢する努力。その結果1日8〜9回やっていた過食嘔吐を
3回にまで減らした。昼1回、夜1回、夜中1回に。

そして昼の過食を止める事が出来た。
だから今は夜2回に落ち着いた。でもやっている事自体
惨めで悲しく虚しいものには違いはない。
目覚めてからそれを思うと、一刻も早く消えてしまいたいと
願ってしまう。

完璧な夜型人間にとって昼の日差しほどキツイものはない・・・。
普段より歩き回る事も多いから、疲労困憊なのである。
でも、治すためだから。緩解に向かうためだから。

今朝もいつもの如く寝坊して焦ってパジャマを脱ぎ、
お風呂場に急いだら、私の身体を見て母がショックを受けた。
自覚は全く無いのに、見た目は病的な痩せ方をしているらしい。
栄養剤の点滴を受けて欲しいと懇願されている。

外に出られる気合があれば、近くの内科で
電解質を含んだ栄養剤の点滴を受けようと思う。
これ以上母の心労を増やさない為にも・・・。

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