過去の事。
2005年12月21日今日はとてつもなく寒い。なのに氷をたっぷり入れた
ミネラルウォーターをたくさん飲んでしまう。
過食防止には役立っているのでストーブの前で飲み続ける。
私の病の原因は、相当過去に遡る事になる。それは
母が結婚してしまった時に。
今、家は母子家庭である。それは至極納得のいく結果である。
そもそもお見合い結婚をしてしまったことが間違いだった。
母は、「この人と結婚したくない!」と家出をし、逃げ回って
いたのだった。しかし、昔の事だから近所の人も巻き込み
必死で母を探し出し、半ば強引に諭し結婚させてしまった。
父は4人兄弟の3男。私立(此処の地域では県立の方が成績優秀)
でも低いレベルの高校に何とか受かって、何とか卒業した
数字にだけは強いガソリンスタンドで所長として働く人だった。
母方の祖父祖母は早く嫁に出したい一心だったんだろう。
けれども、その嫁ぎ先は男尊女卑を代表するような酷い所…。
母は有る程度自由な家庭に育ってきたので窮屈極まりなかった
であろう。例を挙げて言えば、
洗濯機があるのに父方の祖父が「洗濯板を使え」と指図したり
買い物にしても近所に住む「義姉さんと一緒に行け」と
決められたりと制約の多いものだった。
そして母は吐かない過食症になった。
母には誰一人頼る人がいなかった。だから、子どもを産み
味方に付けようと思ったらしい。その子どもが私である。
でも、母は被虐待児だった。連鎖して私も虐待を受けた。
母は本当は愛情深い人なのだが、伝える術がわからなかったの
であろうと思う。
私も、殴られ蹴られ叩かれた後、「ごめんね」と母が抱き締めて
くれる事で1つ1つの出来事がリセットされている感じがした。
そうする内に父の母に対する束縛が酷くなった。
近所の人と話すのもいい顔をしない。
小学校のPTAに参加するのも機嫌が悪くなる。
母の友達と私達兄弟(私には3歳ずつ離れた妹と弟がいる)
で遊びに行った時なんて、父は母を罵倒していた。
また、生活費についても些細な事に口出しするようになり、
母は自分の下着さえ買うことが出来ず、祖母から貰っていた。
その上の罵倒や叱責。母は自分を追い詰め、追い詰め
責め続けやがて限界が来て死のうとしていた。
忘れもしない、私が11歳の頃。妹の勉強机でライトだけを点け
た夕刻の時。包丁で手首を何箇所か切っていた。流れ出る血。
私は頭の中が真っ白になりふらふらと母に近付くと、「ごめん、
消毒液もってきてくれる?」と涙にまみれた顔で私に言った。
そこから私の心は酷く凍り縺れてまずは心身症を発症した。
神経性胃炎。その痛みにのた打ち回っていた私を見て
父が笑いながら「日頃の行いが悪いんだ」とか
「放っておけば治るからさっさと学校行け」と言った事を
忘れない。
そして紆余曲折を経て神経症である摂食障害に至る。
それについてはまた後日…。
それにしても今日はとっても寒いね。みかんの国島国に
住んでいるのに暴風雪警報がでているよ。
そんな日にも拘らず、私は過食食材を買いに出たんだ。
惨めな思いをするのを解っていながら。
なんか、やるせない・・・情けない・・・。惨めさから抜け出せない。
ミネラルウォーターをたくさん飲んでしまう。
過食防止には役立っているのでストーブの前で飲み続ける。
私の病の原因は、相当過去に遡る事になる。それは
母が結婚してしまった時に。
今、家は母子家庭である。それは至極納得のいく結果である。
そもそもお見合い結婚をしてしまったことが間違いだった。
母は、「この人と結婚したくない!」と家出をし、逃げ回って
いたのだった。しかし、昔の事だから近所の人も巻き込み
必死で母を探し出し、半ば強引に諭し結婚させてしまった。
父は4人兄弟の3男。私立(此処の地域では県立の方が成績優秀)
でも低いレベルの高校に何とか受かって、何とか卒業した
数字にだけは強いガソリンスタンドで所長として働く人だった。
母方の祖父祖母は早く嫁に出したい一心だったんだろう。
けれども、その嫁ぎ先は男尊女卑を代表するような酷い所…。
母は有る程度自由な家庭に育ってきたので窮屈極まりなかった
であろう。例を挙げて言えば、
洗濯機があるのに父方の祖父が「洗濯板を使え」と指図したり
買い物にしても近所に住む「義姉さんと一緒に行け」と
決められたりと制約の多いものだった。
そして母は吐かない過食症になった。
母には誰一人頼る人がいなかった。だから、子どもを産み
味方に付けようと思ったらしい。その子どもが私である。
でも、母は被虐待児だった。連鎖して私も虐待を受けた。
母は本当は愛情深い人なのだが、伝える術がわからなかったの
であろうと思う。
私も、殴られ蹴られ叩かれた後、「ごめんね」と母が抱き締めて
くれる事で1つ1つの出来事がリセットされている感じがした。
そうする内に父の母に対する束縛が酷くなった。
近所の人と話すのもいい顔をしない。
小学校のPTAに参加するのも機嫌が悪くなる。
母の友達と私達兄弟(私には3歳ずつ離れた妹と弟がいる)
で遊びに行った時なんて、父は母を罵倒していた。
また、生活費についても些細な事に口出しするようになり、
母は自分の下着さえ買うことが出来ず、祖母から貰っていた。
その上の罵倒や叱責。母は自分を追い詰め、追い詰め
責め続けやがて限界が来て死のうとしていた。
忘れもしない、私が11歳の頃。妹の勉強机でライトだけを点け
た夕刻の時。包丁で手首を何箇所か切っていた。流れ出る血。
私は頭の中が真っ白になりふらふらと母に近付くと、「ごめん、
消毒液もってきてくれる?」と涙にまみれた顔で私に言った。
そこから私の心は酷く凍り縺れてまずは心身症を発症した。
神経性胃炎。その痛みにのた打ち回っていた私を見て
父が笑いながら「日頃の行いが悪いんだ」とか
「放っておけば治るからさっさと学校行け」と言った事を
忘れない。
そして紆余曲折を経て神経症である摂食障害に至る。
それについてはまた後日…。
それにしても今日はとっても寒いね。みかんの国島国に
住んでいるのに暴風雪警報がでているよ。
そんな日にも拘らず、私は過食食材を買いに出たんだ。
惨めな思いをするのを解っていながら。
なんか、やるせない・・・情けない・・・。惨めさから抜け出せない。
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