通院日。

2005年12月20日 日常
火曜日は毎週朝9時からカウンセリング。昼から診察。

カウンセラーとは大学生の時保健管理センターで出会った。
病院は、大学2年の時彼氏に振られたショックから
オーバードーズをして入院した大学病院に薦められた所に
ずっと通っている。そして2人の事をとても信頼している。

この2週間、住んでいる借家の大家と浄化水槽の汲み取り業者の
人とが、私がトイレで嘔吐している事に対して怒鳴り
罵倒してきた事から精神的に弱り身体が動けなくなっていた。
その時の言葉「吐く位なら食うなや」というのは頭にこびりついて離れない。しつこいな、私の脳みそ。
そして。この借家一帯は地下水を汲み上げて使用しているが、
そのポンプの調子が悪く、幾ら蛇口をひねっても2〜30分水も
お湯も出ない状態に陥った。この場合、水が出ないなんて
最低限の生活に関わる事だから早急に対処するのが普通だが、
大家は母子家庭である私達の事を見下し嘲っている上、
名前を呼ばず、「おい」「お前」呼ばわりをしてくる程
なめられているので、何が何だか母と泣きながらこれから
どうしようかと死活問題の相談をしていた。
しかし、水が出なくなる事件が起きて2日後、お向かいの借家に
住んでいる方が「水が出なくて困る」と大家に訴えたら
業者を呼び修理に取り掛かった・・・。何、この差別。

今も直っていないから何時水が出なくなるか解らない。
お風呂場で嘔吐する時は極寒の中お湯を流しながらでないと
身体が寒さに痙攣して吐く事すらままならない。そして
パニックに陥る。
この11年で沢山食べたら何も使わず腹筋で嘔吐できるように
なってしまった。そしてお湯を大量に飲みまた吐く。
それを繰り返す。胃洗浄のように。
そして、食べ方や順番も決まっている。納豆やオクラ、
温野菜、麺類、カフェオレを飲みながらのパン類。
自分なりに組み立ててしまった。これは個人差があるので、
全ての人がそうやって嘔吐しているのではないであろう。
年季が浅かった頃は人差し指から小指まで喉の奥に突っ込み
嘔吐を促していたのだから・・・。

この日記は本当に人を不快にさせるかもしれない。
摂食障害をまだ贅沢病・我侭病と勘違いなさっている方が
数多にいるからだ。でも、でも。
幼児期のトラウマと雁字搦めに関係していて
食べたくないのに食べてしまう、食べたいけど食べられない
そんな神経症もあるんだという事は、他人事ながらでも
識って貰えるのかも知れないと淡い期待を抱いてしまう。

しかし、だからなのか私はもう恋愛をしない。
精神的に重篤なものを背負い、時に普通の対応が出来なく成る程
救いを求めてしまうのだから、相手にとって重荷になるだろう。

普通。私は普通と言うものを忘れてしまった。
幼い頃に置いてきたのか、それとも。。。
ただ1つ言える事。母の自殺未遂の現場を目の当たりにした、
その時から心は凍結してしまったようだ。

今日はここら辺で。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。まだこのdiaryの使い方が良く解っていないので
勉強に励みたいと思う。

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